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大切な存在を想うとき、いつだって、その言葉を辿ることになる。ひどく落ちた夜には、そっと寄り添って、だいじょうぶ、と。ただ見つめつづけてくれた、キミ。一言だけ、だいじょうぶ、と。絵文字も句読点もない、メールをくれた、キミ。別れ際に、だいじょうぶ、と。かすかに聞こえる声で、耳打ちしてくれた、キミ。それだけで、わたしは、だいじょうぶで充たされた。
はじめまして、PANと申します。はじめてお立ち寄りくださったお方、ほんとうにありがとうございます。よろしかったらコチラから→★*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆いまこうしていても、わたしの右腕をぐいぐいと力強くひっぱった、あの感触が鮮やかに甦る。姿形が見えなくなってから、故愛犬パンとの最後の散歩道。その日は、夕暮れからの外出だった。大きく美しく遺してもらえた遺骨の入った
はじめまして、PANと申します。はじめてお立ち寄りくださったお方、ほんとうにありがとうございます。よろしかったらコチラから→★*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆愛するものを見送ったものは誰しも、多少の差こそあれ、悔やんでも悔やみきれない想いを抱く。その介護が懸命であればあったほど、悔いって奴もまた、強く大きい。けれどもおそらく、悔いと同じくらいの「ほかの何か」もまた同時に、愛するものから贈られているはずなのだ。