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2年前の私は上海のおしゃれスポットを1人で散歩おしゃれスポットではいろんなところで女性がポーズをとって横で彼氏?はカメラマンもちろん(実際よりも)美しく撮影しなければなりません当然ですそして夜はライチ食べてましたねーあーめっちゃ美味しかったなーライチ食べたいでも日本で食べるライチはほとんど冷凍物ですよね…
上海には租界と呼ばれるエリアが有る。元々は南京条約(1842年)に開講した上海に設置された外国人居留地の事をさします。(米/英/仏)後に共同租界やフランス租界に集約されます。歴史的な事は書くつもりは有りません。現在租界と言う物は存在しませんが租界の面影を残す建物が多数存在します。洋館が建ち並びます。今は住居や店舗になっています。洋館をリメイクしたウイスキーバーオレンジ色の水銀灯とポプラ並木中仏がミックスされた街並み1階はブティック階段に有る出窓が西洋風です。1F
みなさんおはようございます。上海で生活をしています。いつも訪問いただきありがとうございます。昨日6/7の内容になります。ロックダウン解除7日目&出勤初日は無事に定時に上がり、事務所前が中国国内で有名な耳鼻科(五官医院)がありますがその片隅がPCR検査会場になっていたので15分待ちで受けられました。3月中旬からリモートワークだったので久しぶりに歩くフランス租界エリア上海の風〜に当たりながら歩ける!もう梅雨入りして季節が変わりましたが大好きな街並みです。お昼も夜もすっかりデリバリ
みなさんおはようございます。上海で生活をしています。昨日11/30は夜中の雨と朝からの強風で街路樹の落ち葉は山積みとなりました。秋から冬へ一歩ずつ移り変わりですね。ロンライにほんブログ村
じゅうぐんかんごふじゅうわうなりぐんせんかんながらごふん「さようなら」敵地で終戦、渡された致死量の青酸カリ手に同期5人で涙神戸新聞NEXT兵庫県小野市の元養護教諭、治居(はるい)冨美さん(95)は太平洋戦争中、従軍看護婦として中国・上海に派遣され、約2年間、傷病兵の世話に明け暮れた。そして、戦況を何も知らされないまま、敗戦。敵地にいる彼女たちにとって、この日こそが最も恐ろしい一日になった。75年前の8月14、15日を再現する。8月14日深夜。日本赤十字社北海道支部の救護班
じゅうぐんかんごふじゅうごうぐりー(ん)かんいげんごごさかくさんほうふぁいるきょうゆう「さようなら」敵地で終戦、渡された致死量の青酸カリ手に同期5人で涙神戸新聞NEXT兵庫県小野市の元養護教諭、治居(はるい)冨美さん(95)は太平洋戦争中、従軍看護婦として中国・上海に派遣され、約2年間、傷病兵の世話に明け暮れた。そして、戦況を何も知らされないまま、敗戦。敵地にいる彼女たちにとって、この日こそが最も恐ろしい一日になった。75年前の8月14、15日を再現する。8月14日深
「何故、ドイツに行くのですか?」と尋ねられますが‥「体験という自己投資です」と答えています。私は一人っ子で幼い頃から家の風習を守り親の世話をするように、育てられました。もちろん、両親も祖父母と同居してましたし当然のことと思っていました。それ以外のことは結構、好きにやらせてもらいましたから‥。ただ、昔、母が住んでいた上海のフランス租界の当時の暮らしを聞くたびに、時々「日本と違う場所に住んでみたい」という衝動に駆られました。時代も変わり、海外にも
ただ今CSファミリー劇場にて蒼天の拳一挙放送(#1―7)してます上海の地を一人の男が踏みしめた。その名は霞拳志郎(カスミケンシロウ)。最強の暗殺拳•北斗神拳の第62代伝承者であり、北斗の歴史上最も奔放、且つ苛烈と呼ばれた男。1930年代、「魔の国際都市」と呼ばれた上海。上海には3つの地域、華界、フランス租界、共同租界があった。各々が行政自治権•治外法権を有する租界には、60カ国以上の民族が雑居し、日々闘争を繰り広げていた。そんな上海に、一人の男が現れたー。何よりも「義」を重んじ、朋友(
みなさんこんばんは。上海は日中30度には届かずで過ごしやすい陽気でした。お昼は食後に同僚とフランス租界界隈をお散歩するのが日課になりつつあります。今日は嘉善路駅方面へ。肇嘉浜路x太原路の大通りには紫~青紫のグラデーションの美しいあじさいが植えられています。ロンライ
ごきげんよう週末の雨予報はちょっと残念な気もしますが..土日行動する人が減る(かも)雨でウイルスが流れるいいほうに働けばいいけど...上海はKTVも密かに..(電気ついてないけど)10代みたいな女の子とオヂサンが裏口から出て来てたり..もう結構日常に戻りつつある感じでビビります暇なんやろうな...。サイクリングがてら..フランス租界を例のZENの新店舗の近く「28aout」长乐路33
そろそろ土日引き籠りから脱却せななぁって事やけど、ローカル君達に上海市内から出ないように、と言われたので、松江のTHAMESTOWNへうーん、ちょっと想像したのと違うもうちょっとフランス租界的かと思ったあんまり人居ないし欧米人居ないし中華料理屋ばっかり昔は賑わってたらしいけど
おはようございます便利で楽しいワイマイ今回は"山野面包"いつもは上海商城店で注文するんですが他の店舗だとラインナップもだいぶ違ってチョコレートのクロワッサンがすっごく美味しかったチョコレート好きにはたまらない〜カレーパンはこの間食べた山崎に軍配かな〜久々に映え〜なスポットに行きたくなってお花屋さんではなくて..食事もできるカフェ今の季節はテラス席がすごい人気「EA-Building
今日はお仕事が午後からだったので午前中はお散歩〜日曜だから?車も人も少ない笑フランス租界手前に桜が咲いているらしいので今日のコースは徐家汇公园付近!何箇所かで桜が咲いていましたがここが一番お花さいてました!(宛平南路x肇嘉浜路あたり)ほんと、人がいなくて暫くゆっくり眺められました^^早起きのお散歩気持ちいい〜
上海で感動した事…もちろん、新しく観るもの、体験すること、全てに感動致しますが、『フランス租界』は特に、心躍り、ワクワクドキドキ楽しかったですよフランス租界とは、19世期〜20世期にかけての、上海において歴史的な背景のある『外国人居留地』で、フランスの当時の建築物や街並みがそのまま今も残っている、美しい街並みのエリア一帯の事ですよこのフランス租界エリア一帯は、ここは上海ということを忘れさせるほど、フランスの美しい街並みを彷彿とさせる素晴らしい邸宅や建築、街並み
上海のフランス疎開地若い頃行ってみたいところといえば、パリのカタコンベ、シュバルの城、香港の九龍城砦、そしてこの上海フランス疎開でした。九龍城砦は残念ながら間に合わなかったです。あとはシュバルの城に行けば思い残すことはないです。フランス租界はかなり広く、今となってはどこまでなのかはっきりした境界線はわからないです。長い間に延4日くらいは歩きましたが未だ全貌は掴めないです。よくガイドブックに載っているようなお洒落なところはごく一部で、僕はよく何を撮ってるのかわからないと言われるので、あ
NHKワールドでやっていた「AStrangerinShanghai」を老陸と見た。芥川龍之介が4か月滞在した上海での出来事を幻想的に描いたというか、かわった感じのドラマでした。ちょうどこのころ、老陸父も上海に住んでいたので老陸も少なからず興味あるだろうと思って。フランス租界で使用人が何人もいる何不自由ない暮らし。租界の中のフランスの学校で。当時は英仏中を話せたという老陸父と兄弟たち。上海生まれの一番下のおばさんは乳母任せだったので10歳でアメリカ戻った時は英語できなかったらしい。
来月末の人間ドックに向けて、少しでも運動をしなければいけない私。。。友達を連れ回し、フランス租界を歩きました💨AndoAfoolで旦那に頼まれたタンブラーをGET👍そして、クッキー&スコーン屋さんへランチは、気になっていたBISTRO11へ💕サーモンとほうれん草のサラダは、ドレッシングが爽やかで美味しい✨リンゴがいいアクセントに🍎牛肉のサンドイッチはピリ辛!フレンチトースト目当てでしたが、撮影を忘れ食べてしまいました🤣ランチの後は、cotticottiへ。娘にヘアゴム
富民路にある「MadameMao'sDowry毛太設計」へ。お店の広さが以前の半分になって商品が少なくなってたけど、アクセサリーや布バッグなど好みの物があっていろいろ買いました。買った物の内の一つ、石鹸容器。プラスチックのチープ感、真っ赤にゴールドの「上海」。デザインも✨も全てのバランスがカッコいい。古い物みたいで、商品説明の紙が朽ちてるのがまた惹かれる〜近くにあったNEATという洋服屋さん。ディスプレイしてる小物が可愛かったので入ってみました。可愛い靴下やバッグ、雑貨も置い
「日本に帰ると海外旅行にあまり行けないから今のうちに上海行きたい。」との大ちゃんの提案で、先週末上海へ行ってきました。去年私一人で行った際に見てきた上海の変化を自分だけ見れてないのが悔しかったらしい(笑)金曜日の夜に上海に着いて、日曜日の朝にはホテルを出発する弾丸スケジュール。1年ぶりでも驚くほど変化してた上海を、短い滞在で目一杯楽しんできました♪今回は秋晴れの気候☀️さらに空気汚染の無い澄んだ空気で最高のタイミングでした。ホテルに向かうタクシーから、遠くにある東方明珠がクッキリ見え
みんな元気ですか続きだよ・・・シベリアと満州国の国境を越えた2万人を超えるユダヤ人の避難民はその後上海に向かいます。難民の計画は上海を経由して自由の国アメリカに移住することでした。当時上海にはイギリス租界やフランス租界がありましたがすぐに日本租界に吸収されます。当時の上海は他に比べて圧倒的軍事力を持つ日本帝国陸軍の支配地でした。支配地ではありますが、この日本租界を統治していたのは民間人でした。仮に名前をテンゾーとします。
http://blog.hankyu-travel.com/kaigai/asia/china/sp/201507174038.php
上海虹橋空港から、無事にオークラガーデンホテルにチェックインを済ませ、ランチ休憩をしたあと、早速散策に。地図で調べると田子坊まで徒歩20〜30分ほど。ホテルの方に確認したらより面白い道をと教えてもらいその通りに行きましたらフランス租界の街並みでした。まずはホテル門を出て右へ陕西南路駅の方です。地下鉄の入り口がある、一つ目の大きな交差点を左へしばらく真っ直ぐいきさっきの大きな交差点より少し細い道(思南路)を右折です。後から写真をみて気付きましたが、茶色の看板で孫中山故居と
グッチ〜上海市内のメインストリートは欧米のハイブランドビルが並ぶ。そんなヨーロッパの真似しなくてもいいのに。チャイナドレスやサリーがこんなふうに世界を制覇してもいいのに。洗練された大都会の中でノスタルジックな上海を感じに田子坊へ。もともとフランスの租界地ね。オシャレなショップが並びます。まずは腹ごなし。ミシュランガイドに載ってる阿娘麺館へ。上海蟹が一番美味しいこの時期!蟹味噌麺❣最強😍濃厚な蟹味噌が絡んだ麺に薄味スープのなぜかつけ麺式。やだなと思ったけどつけて食べた方が美味しか
新天地の次は思南公馆へタクシーで移動。昔のフランス租界です。今はレストランやカフェになっていて落ち着いてのんびりできます。建物がオシャレ古い建物って良いですね〜。↑ここ上海で今とても流行ってるカフェとテレビで見たことがあります。スマホで取りに行く時間を予約できるので待ち時間なしで美味しいコーヒーを飲めるとか。上海進んでますね。孫文が過ごした住居もここにあるのですが、行った時間が遅くて見ること出来ず。日本のビールを飲めるところもありました。古い建物が綺
新天地は清時代にフランス租界だった場所で、今ではその名残をリノベーションして、上海のお洒落スポット的位置づけとなっています。西欧資本のレストランも多く、西洋人が多い印象でした。この周辺もフランス租界時代の建物が多く残っているので、ちょっと西洋的に町並みになっています。プラタナスの並木も印象的です…。