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関東でも桜が開花しましたね🌸友人とのお花見を延期にしてきたのですが、ようやく実現できそうです😊庭の水仙も可愛く咲いています。先日ピアニストの田中愛実さんと撮影した動画が一つ出来上がりました。フォーレの初期の歌曲「リディア」。甘美な旋律が心を酔わせ、高貴な香り漂う愛の歌です。MV風の日本語訳詩付きに仕上げました。2人で演奏しカメラも回したのですが、愛実さんのカメラワークが秀逸です。私は全編の編集、訳詩をしております。Youtubeに公開していますので、お時間のあるときに是非ご覧く
いやはや、「三寒四温」なんつう言葉も最早、使うのが不適切にもほどがあるくらいに昭和の言葉になってしまったのでありましょうかね。寒いか、暑いか、それしかないのが問題だ!と思ったりした昨日のバカ陽気でもあろうかと。本来なればゆるやかに春めく季節の中で、「ああ、今年もようよう桜の季節が巡ってきたのであるか…」と思ったりする時分でしょうけれどねえ。そんな折も折、現実とは異なる爽やかな春風をイメージしたものか、「フランスの風にのせて」と銘打った演奏会@たましんRISURUホール(立川市市民会館)を聴
変更。【追記】アイルランド民謡の、なんと言ってる内容の悲しい?ことか。こんな美しいメロディーで、こんなこと言ってたんだっていう。削って削って、100morceaux3作品まで一気に終わった。データの時代のなんと素晴らしいことか。pリンダのバリエ書いたのデータも楽譜も持ってきてなくて白目。w音源参考にしながら+記憶を頼りに10分くらいで作曲。w今日やりたい勉強全部できて満足。
今日はコンサート鑑賞。カウンターテナーの久保法之さんとピアノの木口雄人さん。演奏の前半は、打ちひしがれた、人生の冬をフランス歌曲で。続けてドイツ歌曲で春の気配を。5年のフランス留学から帰国された久保さんとウィーン在住の木口さんだからこその選曲でした。そしてその声、まるでこの世のものとは思えない。天から降ってきたような。それを支えるピアノもまた素晴らしく。夢のような時間でした。第2部は二人のトークショー。そしてプレゼントタイム。第1部とのギャップが楽しか
その昔、転寝しているときにラジオからこの曲が聴こえて来て、慌てて跳び起きました。私が聴いたのは、キャスリーン・バトルの83年ザルツブルクのライヴです。私がこの曲の解釈者で好きなのは、メゾソプラノのアン・マレー。この動画の歌いぶりも気になります。これがフォーレの処女作なのだそう。感じ入ります。ただし、この伴奏には少し疑問符が。なぜ、途中からテンポを煽る?そこに何の意味がある?★★北陸地方の震災の義援金について、新しいお知らせが出ていました。https://www.jrc.or.jp
次回のフディクの曲選びをしてるんですが、作曲した人によって多分いろんな曲があるんだろうけど昨日借りてきたLecocq作曲のはかわいい曲とか素敵な曲多い。【追記】お昼に蕎麦+しらたき+サラチキ摂取したんだけど、今日1日部屋にいて動き回ってないのもあるけどコーヒーだけ飲んで間食せんでお腹空かないってこの人たちすごいな。wでもさすがに今日の摂取量夜の分も含めて700kcalちょい(予)はやばいか。w【お"お"ぉ"ぉ"お"】フディクの年度末提出課題の10
ブラームスの新曲、"Ständchen"なのに朝みたいな青空みたいな爽やかさ。ちょっと日本音階的なとこも含むからかな。プーランクの新曲もとても好きだけど、途中やっぱりフランス歌曲ってかんじのわけわからん音程。w
Poulenc、かわいくて軽くて素敵な曲。爽やか。こんな曲もあるんだ。ブラームスもかわいいかんじだったし、プッチーニといい本当私って娘役ってかんじなんだろうな。w
昨年12月のクリスマスジョイントリサイタルより、ドビュッシー「美しい夕暮れ」をYouTubeに公開しました。ドビュッシーは様々な詩人と出会い、その詩に曲をつけました。言葉に拘りを持っていた彼の歌曲は、詩の世界観と共に、フランス語の美しさを引き出すような色彩に溢れています。「美しい夕暮れ」は最初期(18歳頃)の作品で、この世の儚さを天上に昇るような美しいメロディで綴ります。ドビュッシーが若くして選んだブールジェの詩です。「美しい夕暮れ」沈む夕陽に川が赤く染まり暖かい風が麦畑の上を駆け巡
Gluckの"Alceste"のGrandsdieux!美しい曲。やさしいEs:。【追記】GrétryのNaissantesfleursもとっても美しい。Grétryってなんだかモーツァルトみがある。wLiliBoulangerのRefletsがザ・フランス歌曲。w現代寄りなのもあるけど、意味わからんかんじ。w調の意味pChaminadeのMignonneは女性らしいツンとした(?)妖艶さ。嫌なかんじじゃないやつ。Motsd’amourはかわい
昨夜のメズム東京ショーケース、無事に終演しました。心に寄り添うシャンソンやフランス歌曲などを、田中愛実さんのピアノと共にお届けしました。お聴きくださった皆様、ありがとうございました!じっくりとお聴きいただき、楽しんでいただけたようで良かったです。欧米の女性のお客様が翻訳機で「楽しく充実したひとときを過ごしました。ありがとう。」と伝えてくださいました。なんて嬉しいことでしょう!海外の方とのコミュニケーションが多いのも、メズムならではの醍醐味です✨終演後、控え室にて。東京はあいにくの雪模
MeyerbeerのChantdemaiって曲、たまたま見つけたけどすごく素敵な曲。Meyerbeerの歌曲ってそういや聴いたことなかったな。これもいつかやってみたい。
フランス語ディクションの授業わず。今日のテーマはVictorHugo。前回の授業のかんじを踏まえて準備していきましたが、キーワードは単語だけじゃなくって文章でもっと言えるようにしなきゃなと思いました。wそらそうや。w出席採る時先生私の顔見てMarikaって、覚えててくださって嬉しい。テーマに合せて今日はフォーレのMaiを用意していきました。最後に先生に指名されて前に出て、曲紹介からtext読んでからの歌。曲紹介文もdate(日付とか年号)ばっ
Ravelのchantspopulairesの、Chansonécossaise。このかんじ好き。【追記】昨日も書いたけどドン・ジョヴァンニの最後の騎士長が来るとこの重唱やっぱり最高にかっこいい。そしてフルトヴェングラー指揮のおそらく一流の方たちのオペラ観てるけど、オペラ協会の方たちの表現力すごかったんだなあ…と実感。みなさんが歌ってたやつがやっぱりすごく好き。改めてだけど、すごい方たちだったんだなあ。【1:40】今日やること全部できたー…・歌シャ
私のフランス歌曲集。数年前に購入したもの。数時間前(深夜の練習中)に、表紙の接着がズレていることに気付いた…。最初からこうだったのか、いつの間にかズレたのか、わからない。動かすことはできない。前からこうなら、気付きそうなものなのに…。この輸入楽譜、以前レッスンに持って行ったときに先生に訊かれた。先生「この楽譜、昔買ったもの?」私「!?!?」(意図がわからない)先生「こんなに曲が入っているのに安いから」
素敵な表現だな。いろんな解釈はあるだろうけど、地平線を、空のドレスの裾の唇のようと表現したHugo。フランスっぽい表現の仕方。w
ラヴェルはやっぱり懐かしさを感じさせる。触れちゃいけないみたいな。ラヴェルのmollはひとしずくの雨みたいな、あたたかさがあるんだけどどこかつめたさがあって懐かしさを思い起こさせる。Là-bas,versl’égliseのかんじ特に。ラヴェルっぽい。間奏のピアノとか特に、つめたいのにじんわりあたたかい。たまに大好きな和音に出会って、Toutgai!のAsのⅤ7とか、Chansondescueilleusesdelentisquesの冒頭の歌
昨日、10月下旬に送ってもらったコートとズボンがやっっっっっと届きました。w船便は1〜3ヶ月かかると聞いていましたが、がっつり3ヶ月かかりました。p日本遠いなpありがとうございました。pコートはダウン送ってもらって、届く前に冬終わるんねが…!wと思ってましたが滑り込みセーフ。w今のコートでは温かさが心許ないのでこれでちょっとひと安心。p日本で去年買って着た時あったけぇー…と思ってたけどフランスではどうかしらと。今日はお天気がよくって部屋にいる分に
フランスの図書館で最初に手に入れた楽譜がRavelとは。w苦手なRavelの中で唯一?いつかやりたいって憧れを持った五つのギリシャ民謡。10年くらい前(白目)に佳子たんが歌ってて知った曲。1曲目以外は100morceauxの方で取り上げるので歌いはしないけど、触れられるの楽しみだなあ。【追記】調べただけでは出てこなかった、借りた楽譜に載ってて知った曲も。GeorgesAuricの、LaJeuneSanguine。6人組で現代寄りだしフランス
ソプラノ若林愛さんのリサイタルにて共演します。ドイツリートの名曲、フランス歌曲など魅力的な曲目をお届けします。シューベルト、ドビュッシーの作品からピアノソロも弾かせて頂きます。ご興味ある方はご連絡ください♪若林愛ソプラノリサイタル〜ヴァイオリン・ピアノ・歌が織りなす、美しい音楽の世界〜2024年2月11日(日)15:00開演14:30開場会場:ベヒシュタインセントラム東京C.BECHSTEINプログラム:シューベルト:セレナーデシューマン:くるみの木シュトラウス:明
HahnのChansonsgrisesを初めて聴いてみました。フディクの100morceauxの方で取り上げようと思って。Hahnらしい、甘いかんじの雰囲気。2と3と5が特に好き。4はフォーレも5つのヴェネツィアの歌曲で同じ詩で取り上げてるけど、やっぱり全然違うかんじになるんだなー。同じ詩で聴き比べるとおもしろい。Etquand,solennelle,lesoir〜のとこはHahnも元の調に戻って元のかんじに戻っていくんだ。おもしろ。5の
自分への甘やかしができるようになってきた。嬉しい。ずーっと鞭打ち続けるんでなく。メリハリ。【追記】フディクの先生から教えていただいたショーソンの歌曲聴いてみた。Apaisement。フランス歌曲ってかんじ。笑けど、ラヴェルとかプーランクみたいな私のちょっと苦手なフランス歌曲のかんじじゃなく、(w)クリスタルの中みたいなショーソンらしいかんじ。私にとっていい方面のフランス歌曲っぽさ。w儚さというか、時が止まったみたいな空間の中。のイメージ。【恋味】明
久しぶりに、Ensourdine。今思うとこの曲は"ホモフォニー"できてたな。今改めて歌い直してみて思う。で、私前はこの曲歌詞の音読とかしてなかったな多分wん?してたっけか?w
以前、或る方から「先生はシャンソンの歌詞の解説をされていると伺ったのでお願いしたいのですが、Plaisird'amourの歌詞の意味を教えていただけますか?」と連絡をいただいたことがありました。「シャンソンではないですが、お教えできます。」と答えたので、「えっ!」と驚いておられました。Plaisird'Amour,(イタリア語ではPiacerd'amor)は、ジャン・ポール・マルティーニが作曲した歌曲です。作詞はジャン・ピエール・クラリス・ド・フロリアンです。もともとはフラン
エリック・サティが作曲し、アンリ・パコリが歌詞を書いたJeteveux(ジュ・トゥ・ヴ)は、1900年の作品です。当時、スロー・ワルツの女王と呼ばれた人気シャンソン歌手ポーレット・ダルティのために書かれ、その後イヴォンヌ・ジョルジュがレコーディングしたことから、一部ではシャンソンだと定義されています。ところが...この曲は、もともと歌曲集に収められていたことや、サティがピアノの独奏曲として弾いていることなどから、クラシック(メロディ)なのではないか?と主張する方もいらっしゃいま
おはようございます!😃✨心技体にバランス良く取り組み自分オリジナルの素敵な声が出せるようになる✨ハッピー⭐️ボイスレッスンの楢崎まさひろです。🌈✨✨✨✨✨✨✨歌を歌うことでその人がその人として輝くためのお手伝い🍀☘️🍀☘️🍀☘️________来年の上半期の大きな目標歌曲コンサートの情報を公開!🎶ピアニスト渡辺雅子さんと共に東京、大阪で歌曲コンサートを開催します。🍀お申し込み受付中!👍✨⭐️
プログラム4曲目はセシル・シャミナードの《Mapremièrelettre》です。今回はご要望にお応えして歌の訳詞も載せました。以前にアップした3曲についても訳詞をアップいたしますがどう言う方法で載せるか検討中です。以前のブログに書き足すのか別に訳詞だけの項目を作るのか.....なので少々お待ち下さいませ。https://youtu.be/XyX8NWa9eGs?si=ih6qy8LptLwrHKtM松井菜穂子NaokoMATSUIsopranoMapremièrel
昨日は知り合いのリサイタルでした歌と新鋭のピアニストさんとの共演一部は日本古謡とフランス歌曲そしてピアノ独奏は亜麻色の髪の乙女第二部はオペラのアリアとピアノ独奏曲が一曲づつ入れ替わりでスラリと背の高いどう見ても外国人のピアニスト君が流暢な日本語で曲の説明をするのはとっても不思議でも、彼のお母様は日本人日本語が出来ても驚くことはありませんしかも東京で生まれて高校まで東京の学校だったそうですから会場には彼の友人と思しき若人の姿もありましたよ一緒に行った年若い友人初めてのコンサ
7月以来の声楽レッスンへ行ってきた。本番を想定した曲をまとめて持って行った。私はシャープ系の調が好きだけれど(歌もピアノも)、先生はフラット系がお好き。それは“ご自分が歌われる場合”という以外に、“初見がききやすい”という意味もある。私「フラット系ですよ」先生「でもダブルフラットは嫌なのよね~」↓いっぱい出てくる。調号が多いから仕方ない。レッスン後、家にいる夫に連絡をしたが一向に既読にならなかった。寝ているのだろうな~と思っていたら、私が帰宅するまでずっと寝ていた。
~百合の章(ロセッテイ、漱石、ドビュッシー)を中心にフランス音楽の演奏家にしてエッセイストである、青柳いづみこさんの最新作「花を聴く花を読む」。「華道」の連載を加筆修正して単行本化したもの。薔薇、ミルテ、睡蓮、すみれ、菊など、花にまつわる文学と音楽について綴ったエッセイ。特に「百合」の章で、ロセッティの詩と絵画「選ばれた乙女」、漱石、そしてドビュッシーとの関連が印象に残った。夏目漱石はドビュッシーの5歳下にあたる。1900年頃ロンドン留学して1902年末に帰国するまで何度もナ