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1971年12月、♪フランク・ザッパ&ザ・マザーズ♪はスイスのモントルーでライヴを行いました。そこで観客のフレア・ガンを原因とする火災が起こりました。その光景を歌ったのがディープ・パープルのクラシック「スモーク・オン・ザ・ウォーター」です。ザッパ先生の災難はそれで終わりません。火事で失った機材を新調して臨んだロンドンのレインボー・シアターでのライヴ中、ザッパ先生は、ステージに上がって来た客にオーケストラ・ピットに突き落とされ、足を骨折したばかりか一時は意識不明の重体に陥りました。映画「
「人生で重要なことは生きることである。他のことは政治に過ぎない」。私の大好きな言葉です。確か科学者の言葉ですが、残念ながら誰の言葉か忘れてしまいました。人生や世界にむやみに意味づけを求めない。私の人生哲学そのものです。フランク・ザッパ先生率いるマザーズのライヴ・アルバム「ジャスト・アナザー・バンド・フロムLA」のテーマは「生きているていうことはクソ凄いことだ」というものです。先生自身がMCでそう発言しています。そう思わない奴は出ていけ、とまで。かっこいいです。そんな素敵なテーマの本作品
私はフランク・ザッパ先生のファンとしては人後に落ちないつもりです。先生のCDはほぼすべて持っていますし、先生のことを20世紀最大の音楽家だと思っています。ロック作品だけではなく、現代音楽的な作品も大好きです。私にとっては神様です。そこまで言っておいてから一言申し上げますと、先生の映画だけは理解不能です。どこが面白いのかよく分かりません。神様の作品なので、理解しなければならないと強迫観念にさいなまれてきましたが、そろそろ楽になりたいです。なんじゃ、こりゃあー。「200モーテルズ」はザッパ
るそんべえです。フランク・ザッパのバンドに参加していたギタリストとして参加していたローウェル・ジョージ。同僚だったベースのロイ・エストラーダとともに、リトル・フィートを結成します。2作目「セイリング・シューズ」3作目「ディキシー・チキン」4作目「アメイジング!」と出していき徐々に、徐々にセールスを増やしていきました。リーダーのローウェル・ジョージは、このころからメンバーとの音楽の方向性が違ってきましたし、以前から薬物投与で徐々に体調も崩してきてしまいます。
ずいぶんシンプルなジャケットですが、不思議に味わいがあります。フランク・ザッパ先生のジャケットの多くを手掛けるカル・シャンケルの作品です。シャンケルのデザインするジャケットは一筋縄ではいきません。いつもこちらの美意識のアップデートを迫られます。「フィルモア・ライヴ71」は、元タートルズの二人を擁する通称タートル・マザーズの本格的なデビュー盤です。「チャンガの復讐」はザッパ先生のソロ名義でしたけれども、今回はしっかりとマザーズの名義です。そして、意外なことにザッパ先生初のライヴ・アルバムです
「あああああー!!ぎゃー!!」、カル・シャンケルが手がけるマザーズのアルバム・ジャケットはどれも最高です。ぐしゃぐしゃのオブジェではなく、ポートレート写真をもってくるというポップスの王道ジャケットなのにこのえぐさったらありません。かっこいいです。この作品はフランク・ザッパ先生のソロ名義のアルバム「チャンガの復讐」です。ここには大きく分けて二つのバンドの演奏が収録されています。一つは、マザーズを解散した後に結成されたホット・ラッツなるバンド、もう一つはいわゆるタートル・マザーズです。前者
フランク・ザッパ先生は、マザーズ・オブ・インヴェンションの演奏を集めた12枚組のセットを計画していたそうです。1万枚発売するためのコストを試算したところ、25万ドルもかかることが判明し、とてもお金を出してくれる人はいないだろうとお蔵入りにしてしまいました。1ドル360円、大卒初任給4万円時代の25万ドルです。売れないバンドのプロジェクトとしては実現不可能でした。しかし、今なら何とかなりそうです。のちのザッパ・バンドにいたスティーヴ・ヴァイですら10枚組を出しているくらいですから。大して売れ
フランク・ザッパ&ザ・マザーズ・オブ・インヴェンションによるアルバム「バーント・ウィーニー・サンドウィッチ」です。ヒットした名作「ホット・ラッツ」に次ぐ作品ですけれども、あちらはザッパ先生のソロ作品です。マザーズ名義としては「アンクル・ミート」に続きます。タイトルにあるサンドウィッチの名にふさわしく、最初と最後のドゥーワップ調の曲がインストゥルメンタルの名曲たちを挟み込む構造になっています。中身はかなり複雑なネオクラシカルともいえる作風の曲が半分、そして名曲「俺が住んでいた小さな家」が半分
ベスト・アルバムが間に入る関係でフランク・ザッパ先生のオフィシャル・リリース第8弾となる「ホット・ラッツ」です。一言で言えば傑作です。これはもう大傑作です。英国ではベスト10入りし、メロディー・メイカー誌は本作品を年間ベスト・アルバムに選びました。それも1969年の発表です。同年にはビートルズの「アビー・ロード」やキング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」などのロック史を決定づけた名作が目白押しでした。それらを押さえての年間1位。しかもこの評価に納得する人も多い。大傑作ですから。
大変汚らしいジャケットです。フランク・ザッパ作品には欠かせないカル・シャンケルのデザインによるコラージュはとにかく汚い。私の中にはない感性なので、逆に強く惹かれてしまいます。綺麗綺麗にしようとするよりも、何といいますか、強いです。ザッパ先生のワーナー・ブラザーズ移籍第一弾は、同名の映像作品と並行して制作されました。この当時、映画は完成しませんでしたが、音楽作品の方は素晴らしい完成度を見せており、傑作の呼び声が高いです。ワーナーは面食らったでしょうけれども。先生の映像作品はコンサートを収
フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンション初のベスト・アルバムです。マザーズの最初の三枚のアルバムから選曲された初期のものですが、ザッパ先生の公式ベスト・アルバムが次に発表されるには実に28年も待たなければなりませんでした。しかも、この作品は2009年にダウンロード販売されたものの、CD化されたのは2012年になってからで、ザッパ先生の公式アルバムとしては最後にCD化されたことになります。ベスト盤というものに対する先生の冷淡な態度が如実に表れています。本作品は当時のレコード会社
若い頃を懐かしんで喜んでいる人の姿を見ているのは、その人がやたらと講釈を垂れたりしなければ、心温まるものです。多くの場合、自分には全く共有できない世界を懐かしんでいるわけですが、心根は分かりあえるというものです。私もアメリカン・グラフィティの世界には自分の青春を重ねて胸がキュンキュンしたものです。実際には時代も場所も私の青春時代とは全く重なりません。私が高校時代に聴いていたのはもっぱら洋楽でしたから、いずれにせよ実際の生活とは縁遠かったですけどね。そこへいくとフランク・ザッパ先生が10
マザーズ・オブ・インヴェンションによる「ウィー・アー・オンリー・イン・イット・フォー・ザ・マニー」はマザーズの3作目、フランク・ザッパ先生の公式リリース第4番です。発表当時は「マザーズ・オブ・インヴェンションのおかしな世界」と邦題が付けられていました。前作までとは聴いただけでかなり違うサウンドになっています。「ここで聴かれるすべての音楽はフランク・ザッパによって作曲され、アレンジされ、そして科学的にばらばらにされている」とクレジットには書かれています。ミューティレートされていると。また
「ランピー・グレイヴィー」はフランク・ザッパのオフィシャル・リリース#3、3枚目のアルバムです。この作品はマザーズ・オブ・インヴェンションではなくて、ザッパ先生のソロ名義となっています。なんたってマザーズの連中も参加しているもののオーケストラ作品ですから。演奏しているのはアブヌセアルズ・エミュウカ・エレクトリック・シンフォニー・オーケストラと名付けられた結構本格的なオーケストラです。キャピトル・レコードのスタジオにて先生が行ったこのオーケストラのセッションが本作品の大本になっています。
フランク・ザッパ先生の2枚目のアルバムです。デビュー盤とは随分と音の感触が異なります。演奏というよりも録音の問題です。この2枚のアルバムの間に録音技術の飛躍的な進歩があったのではないかと思わるくらい、サウンドがシャープになっています。こちらのアルバムは一応15曲入りとなっています。CDでは両面の間にシングル曲2曲がボーナス・トラックとして追加されていますので、オリジナルは全体で13曲です。ですが、A面B面にはそれぞれにテーマが設定してあって、切れ目がありません。これは全2曲です。全体で
私はこれまでいろんな音楽を聴いてきましたが、一番好きなアーティストはだれかと問われれば、迷うことなくフランク・ザッパと答えます。彼の音楽はとても純粋です。音楽以外の夾雑物は何もない。感傷的でもなく、押しつけがましくもない。すべてを忘れて昇天できます。フランク・ザッパは1940年12月21日に合衆国のメリーランド州ボルティモアで生まれました。その後、カリフォルニアで育った彼は17歳くらいから地元でバンド活動を開始します。そして、1966年にマザーズ・オブ・インヴェンションを率いてレコード・デ
なんだか訃報が続きますね。昨日はザ・スペシャルズのボーカル、テリー・ホールが亡くなりました。(享年63才)今日はプライマル・スクリームのキーボード奏者、マーティン・ダフィが亡くなったというニュースが入ってきました。(享年55才)マーティンはフェルトやザ・シャーラタンズにも居ましたね。今日、12月21日はフランク・ザッパの誕生日です。(享年52才)フランク・ザッパは才能はあるのですが、難し過ぎるので、好き嫌いが分かれるでしょうね。基本はロックですが、あらゆる種類のロックをや
1977年全米2位(AndyGibbの"IJustWantToBeYourEverything"によって1位獲得を阻まれたがミリオンセラーとなった)、カナダで1位、オーストラリアで9位、日本ではオールジャパンポップ20で5位。現在ではギターレジェンドとして知られるPeterFramptonですが、この曲ではキーボードをフィーチャーしていてギターは控えめ。それから、わかりづらいのですが、バックコーラスはMickJagger。なお、Framptonによると、"I'
↑↑↑今回のブログテ-マは、コレスイーツのことなら、にゃんたブログへ~♪------------------------------フランク・ザッパかぁ…そうキチンと聴いたことがなかったよ、名前は勿論知ってるけれど。こちらは1967年(昭和42年)の曲。その年の出来事は…公害対策基本法公布、羽田闘争、資生堂が男性化粧品「MG5」発売、吉田茂元首相死去、流行語「ボイン」「ヤマトダマシイ」、ヒット曲「ブルーシャトウ」「この広い野原いっぱい」、映画「卒業」「俺たちに明日はない」、本「
今日、仕事帰りに最寄り駅にて。蛇さんに出会いました♡ちっちゃくてメンコイ!赤ちゃんでしょうか?ママはどこにいるの?(これでも立派な大人かもしれないけど詳しくないので不明です)すぐにこの曲が脳内に流れてきました。いたのは1匹ですしピンク色でもないのが残念でしょうか…。最近ハクビシンと出会うは蛇さんと出会うはで楽しい日々です。↓ハクビシン
音楽モノが観たくなったのでシネマルナティックへ。十人以上いたよ~な...............「売れたものが優れているという考えは、くだらない。」フランク・ザッパを聴くようになったのは、東京に行ってから。青山ブックセンター六本木店で。1万円くらいの八木康夫監修の本『ZAPPAVOX』を買った思い出^^バイトの休憩時間中に.......................舞台はザッパ・ワールド。なんとなく、寂しい感じでみてた。ただ一つだけ、はっきりと分
暑い時に食うカレーみたいな、熱いコーヒーみたいな、暑苦しいポップスでショック療法だ。まずは、パナマ・リミテッド・ジャグ・バンド。’60年代後半から地味に活躍した英の5人組。アシッド・フォーク、フリー・フォークの草分け的なバンド。私は’80年代に知って、アルバムジャケットがあまりによかったので入手。そのジャケットはリンク先の画像で見られるが、こんな暑いジャケットを私は他に知らない。熱いジャケットは他にもあるが、暑いはない。レコードサイズだとなおさら良い。中身はややジャケット負けだが、悪くない
つい2週間ほど前、福岡でもフランクザッパの伝記映画「ZAPPA」が公開されたのでさっそく観てきました。フランク・ザッパといっても、日本ではあまり一般的ではないかもしれませんね。1960年代の終わりあたりから90年代初頭まで活動していた天才的なミュージシャン、ギタリスト、作曲家、音楽プロデューサーで、実は相当な数の作品を録音し、残しています。フランク・ザッパ&マザーズといえば、ロック史上においても超個性的で実力者ぞろいのまさに伝説的なグループでしたが、そのサウンドを聴いた
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Twitterの方にはチラッと書きましたが、映画『ZAPPA』を観た話をやや詳細に。ネタバレありです!そもそもZAPPAとは何か?私は、このブログを含めて、アカウントやハンドルに、kojamaとかpojamaとか使うことが多いんですが、これはフランク・ザッパの“Po-JamaPeople”から取ったものです。(ま、この曲はそれほど好きじゃないんですけどね。自分の名前と絡めてそうなりました)で、そもそもフランク・ザッパとは…って言いだすと、ほんともうスッゲー長くなるので割愛
「ビルとテッド」シリーズの俳優アレックス・ウィンターがフランク・ザッパの人生に迫ったドキュメンタリーです。1960年代以降、膨大なディスコグラフィーを築き上げ、数多くのミュージシャンに影響を与えたザッパ。初公開のアーカイブ映像などを使用し、彼のキャリアの背後にある私生活にも探求する。自分にとってザッパといえば「ハエ・ハエ・カ・カ・カ・ザッパッパ」です。洋楽に目覚め始めた頃、音楽雑誌でこのアルバムタイトルを見て、ザッパはコミックバンド的なアル・ヤンコビックみたいなものと思い込み、全く通らずに来
この前ZAPPAの新作ボックスを紹介したばかりだった気がするんですけど・・・また新しいのが発売だそうです。フランク・ザッパが1974年と1976年に残した極上のライヴ音源を、最高の音質で収録した初出音源満載の6枚組ボックス『ZAPPA/ERIE』。74年のペンシルベニア州エディンボロ公演のライヴの模様を収録したディスク1&2、同年のペンシルベニア州エリー公演のライヴ音源に同時期の選り抜きのライヴ・テイクを加えたディスク3&4、76年のエリー公演のライヴ音源に、同じく同時期の選り
アモン・デュール-サイケデリック・アンダーグラウンド(Metronome,1969)アモン・デュールAmonDüül-サイケデリック・アンダーグラウンドPsychedelicUnderground(Metronome,1969):AmonDüül(DE)-PsychedelicUnderground(1969)ThefirstKrautrockalbumever.Dilettante,butafterthisalbumnoGer
以前お話したかとは思うのですが、FRANKZAPPAの『200MOTELS』が日本公開が決まったドキュメンタリー映画『ZAPPA』の3CDのオリジナル・サウンドトラック・アルバムの発売に合わせて、リリースから50周年を迎えたFRANKZAPPAのサウンドトラック・アルバム『200MOTELS』の日本盤もリマスター盤2CDで発売されます。長く入手困難だったFRANKZAPPAの初監督映画のサントラ盤を、ザッパ家に保管されていたバックアップ・マスターを基に、名匠バーニー・
こんにちは、ねこあしです(*´∀`*)ノ本日ご紹介させて頂くのは、1960年代以降、膨大な楽曲を手掛け、商業主義とは一線を画し、型破りな存在と見られながらも、創作に真摯に取り組むとともに、政治にも深く関わり、数々のミュージシャンに影響を与えた、ロックミュージシャンであり作曲家でもあったフランク・ザッパのドキュメンタリー「ZAPPA」1960年代から1990年代にかけて活躍したザッパの創作の様子などを映し出し、1,000時間以上に及ぶアーカイブ映像を紐解きながら、人間性を浮き彫りにする。実は