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前作からわずか2か月にして発表されたフランク・ザッパ先生の「奴らか俺たちか」はスカッとした大傑作です。しばらくオーケストラ系が続いていたので、こうしたロック作品は随分久しぶりな感じがするものです。そして、見事に期待に違わぬ大傑作が届けられました。パトリシアが不気味な顔であらぬ方向を見ているジャケットはとても禍々しく、アルバムの充実ぶりを示しています。いいジャケットです。こういうセンスが好きなんです、私。綺麗でもなければ汚くもない。だけれども何が何だか訳が分からない。この作品はザッパ・バ
ジャケットに描かれた犬の名はパトリシアです。フランク・ザッパ先生の作品にはよく顔を出す禍々しくも可愛らしい犬ですね。描いたのはドナルド・ローラー・ウィルソンという画家です。奇妙なリアリズムが見るものに何ともいえない不安を呼び起こす素晴らしい絵です。パトリシアは、「郵便配達は二度ベルをならす」にそっくりな情景を描いたアルバムの表題曲の中で、その行為の一部始終を目撃するという大変重要な役割を果たしています。残念ながらと申しますか、大変主人公にとっては好都合なことに吠えませんけれども。このア
ロック・ミュージシャンによるオーケストラ作品と聞くとやはり身構えてしまいます。歌が入ったり、バンドと共演したり、ストリングス扱いだとよいのですが、フル・オーケストラだけによる演奏だとなかなか平静ではいられません。イージー・リスニング化もあり得ますし。しかし、フランク・ザッパ先生は全く意に介していません。単に使っている楽器が違うだけでやっていることは変わらない。そうおっしゃっています。私はどちらも楽しめますけれども、同じ地平で聴けているかといわれると大変心もとないです。課題です。本作品は
フランク・ザッパ先生の映像作品はなかなか理解が難しいものが多かったのですが、ついにライブの模様を中心に収めた分かりやすい作品を作ってくれました。それがこの「ベイビー・スネイクス」です。ブルース・ビックフォードの恐ろしい粘土アニメもここでは盛り上げ役です。この作品はそのビデオのサウンドトラックです。音源は1977年10月から1978年4月のツアーからまとめられたもので、映像の中心は1977年にニューヨークのパラディアム・シアターで行われたハロウィーン・ライブでした。なお、このライブは後に完全
これはまた異次元のジャケットです。ハエたたきを手に戦うフランク・ザッパ先生のイラストは筋肉の描写がやけに劇画っぽくてしびれます。イラストはタニーノ・リベラトーレというイタリアのコミック作家です。何でも「ランク・ゼロックス」という作品が有名な方だそうです。この絵はイタリアのミラノで行われた先生のライブにて、大量の蚊に悩まされた上に客席で暴動が起こったという事件を題材にしています。ジャケット裏面は客席をステージから眺めた絵になっていて、客席では殴り合いも行われています。ご丁寧に教皇もご列席です
もともとの邦題が素晴らしいです。「フランク・ザッパの○△□」。ジャケットのデザインを言葉にしたそうですが、何が何やら分かりません。そこが素敵。ただし、現在は「たどり着くのが遅すぎて溺れる魔女を救えなかった船」という直訳邦題になっています。大作群の後の何気ないシングル・アルバムという佇まいで発表された本作からは、何とシングル・ヒット曲が誕生しました。ザッパ先生にとっては生涯唯一の全米トップ40ヒット曲です。大変な驚きです。先生とシングル・ヒット、この取り合わせが可愛らしいです。曲は「ヴァ
「我こそつまるところ己なり」。素晴らしい邦題です。かつてフランク・ザッパといえばこの人、TVプロデューサーの八木康夫さんがつけられた邦題で、私などにはとても愛着があります。今では様変わりしていますが、かつてザッパ先生を語るのは超マニアだけだったんです。現在発売されている日本盤の邦題は原題通りの「「ユー・アー・ホワット・ユー・イズ」とされています。この英文のニュアンスは極めて分かりにくいです。かつて何人かネイティブのイギリス人やアメリカ人に聞いたことがあるのですが、皆さん言うことが違いました
フランク・ザッパ先生がギターを手にしたのは18歳の頃と、「ザ・ギタリスト・パ」とされる先生としてはかなり遅いと言わざるを得ません。それ以前に先生がプレイしていたのは実はドラムスで、こちらは12歳の時に始めています。初めて聞いた時には意外な気がしたものです。その頃はバンドの花形がサックスからギターへと徐々に変わりつつあった時期にあたり、先生はバンドのギタリストにこんな風やあんな風に弾いてほしかったのですが、だれもそういう風には弾いてくれないので、それならばと自分でギターを弾くことにしたのだそ
記念すべきバーキング・パンプキン・レコードの第一弾です。フランク・ザッパ先生は長年レコード会社と戦ってきました。バーキング・パンプキンは、「ジョーのガレージ」を配給したフォノグラムがカーター大統領を批判する曲の発売を拒否したことをきっかけに作られました。この事件をきっかけに、先生は自分の作品の配給権を自身の手に取り戻していくことになります。まだまだ紆余曲折はありますが、レコード会社を相手に完全な勝利を収める先生は凄い人です。この後の検閲に対する戦いを含め、権威との向き合い方の尊いお手本です
アモン・デュール-サイケデリック・アンダーグラウンド(Metronome,1969)アモン・デュールAmonDüül-サイケデリック・アンダーグラウンドPsychedelicUnderground(Metronome,1969):AmonDüül(DE)-PsychedelicUnderground(1969)ThefirstKrautrockalbumever.Dilettante,butafterthisalbumnoGer
キラー・カーン(1947.3.6〜2023.12.29)安らかにあっという間の一年だったが、今年もお世話になったアースダムのブッキングM山さん、PAさん、バーの方々、対バンの方々に感謝である。来年は2月にアースダムさんでライブをやる予定である。少しでも多くの方にご来場いただけるよう尽力したいところである。という訳で、大晦日にピッタリな「追悼のざわめき」松井良彦監督作品がYouTubeにアップされていたため観てしまう。何度観ても感動するのだが、一見前衛的で訳ワカメな印象のある本作品は、音楽で
テリー・ボジオさんテリー・ボジオ(TerryJohnBozzio)出生名:TerryJohnBozzio1950年12月27日生まれ、73歳。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ生まれのドラマー。フランク・ザッパ・バンドのメンバー。UKのメンバー。「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において5位。2008年、日本人女性と結婚し、義娘は、日本のヘヴィメタルバンドAldiousのドラマーMarina。21stcentu
フランク・ザッパ先生のファンにとって1979年はとてつもない豊作の年でした。大傑作「シーク・ヤブーティ」を発表した後、半年もたたずに「ジョーのガレージ第一章」が発表され、さらに二か月おいて2枚組の第二章と第三章が発表されたのです。本作品はその第一章から第三章をCD二枚にまとめた作品番号#28&#29「ジョーのガレージ」です。内容はロック・オペラで、「200モーテルズ」や「アンクル・ミート」に比べると格段に分かりやすいストーリーで、ブックレットにはト書きまで書いてあります。ガレージでジャ
今日、12月21日はフランク・ザッパの誕生日です。(63歳没)去年もブログで取り上げました。↓「フランク・ザッパの誕生日(2022年)」フランク・ザッパの音楽は歌詞が政治から文化など、いろんなジャンルが入っているので、難しいです。才能もあって4枚組のアルバムをすぐに作ってしまうほどです。以前、細野晴臣さんの記事を読んでいたら、フランク・ザッパの初期で、ザ・マザーズ・インヴェンションの時に出した名盤「フリーク・アウト」について語っていたので、フランク・ザッパが好きなんだなと思いま
12月21日がお誕生日の有名人・著名人1773年生(1858年84歳没)ロバート・ブラウンさん植物学者細胞核を発見ブラウン運動1823年生(1915年92歳没)ジャン・アンリ・ファーブルさん生物学者『昆虫記』1909年生(1992年82歳没)松本清張さん小説家『ゼロの焦点』『砂の器』『けものみち』『黒革の手帖』1918年生(2007年88歳没)クルト・ヴァルトハイムさん第4代国連事務総長、元オーストリア大統領1920年生(2019年98歳没)アリシア・
ワーナー・ブラザーズによるフランク・ザッパ先生に無断で発売シリーズの最後を飾るアルバム、「オーケストラル・フェイヴァリッツ」です。ポジティブに言い換えれば、ゲイリー・パンターによるイラスト・ジャケット・シリーズ三部作の最終章となります。発表された順番でいえば、先生の数ある作品の中でも人気の点で一二を争う「シーク・ヤブーティ」と「ジョーのガレージ」に挟まれた作品です。山が高いだけに谷は深く、影は濃いのに逆に薄いという立ち位置です。先生の創作意欲がとりわけ旺盛だった時期でした。本作品は、タ
フランク・ザッパ先生の大傑作「シーク・ヤブーティ」です。レコード会社とのごたごたから裁判沙汰になってしまったにもかかわらず、先生はワールド・ツアーを敢行し、さらにこんな大傑作を作り上げてしまいました。LPでは2枚組になっていた大作です。世の中はパンクからニュー・ウェーブの時代、古くからいるミュージシャンが目の敵にされていましたが、先生には何の関係もなかったようです。本作品は、自身のザッパ・レーベルからの第一弾として発売され、これまでに世界で200万枚以上を売り上げた最大のヒット作です。
12月4日が命日・忌日の有名人・著名人1696年(元禄9年11月10日)74歳崩御(?)明正天皇陛下第109代天皇後水尾天皇の第二皇女1798年61没(?)ルイージ・ガルヴァーニさん医学者、物理学者ガルバニ電池1942年33歳没(気管支喘息)中島敦さん作家「山月記」「李陵」1976年満63歳没(うっ血性心不全)ベンジャミン・ブリテンさん作曲家『青少年のための管弦楽入門』1976年満25歳没(麻薬の過剰摂取)トミー・ボーリンさんロック・ギタリスト、元
ワーナー・ブラザーズによる無断発売シリーズ第二弾は、その名も「スリープ・ダート」。眠りの泥とはなんとまあ、目やにのことです。目やになんて名前が凄い。表題曲は、もともとは「スリープ・ナプキン」が原題ですから、どういう心境の変化で変えたんでしょうか。ジャケットは前作同様ゲイリー・パンターが描いています。「ゴジラ対ヘドラ」に出てくる恐怖の公害怪獣ヘドラに似ていますが、意識されていたのかどうかは分かりません。ベッドから泥が降りてくるという題名通りとも言えます。こんな目やにがあったら怖いですね。
フランク・ザッパ先生が制作した超大作「レザー」をワーナー・ブラザーズが勝手に切り分けて発売するというとんでも企画の第二弾「スタジオ・タン」です。前作は一応の相談らしきものがあったようですが、本作からはまるで無断で発表されたらしいです。それにしては素敵なジャケットです。描いたのはゲイリー・パンター、パンク時代のピカソともいわれる画家で、アメコミ・スタイルの絵が素敵でした。キース・へリングなどと並んで日本でも大いに人気を博しましたから、ご存じの方も多いはずです。もちろん、本作品は今では公式
マイケル・キャニヨンはイリノイ州を中心に10年間にわたって強盗を続けた男です。彼は強盗に入ると、被害者に浣腸をするという極悪非道の犯罪者です。本作品はキャニヨンを歌った名曲「イリノイの浣腸強盗」が初めてお目見えしたフランク・ザッパ先生のアルバムです。あいかわらず精力的な先生は1976年10月にワールド・ツアーに出かけていきます。そして12月には4日間にわたってニューヨークのパラディアムにてソールド・アウト・コンサートを行いました。本作品はその模様を収めた二枚組の傑作ライヴ・アルバムです。
ザ・ウエスト・コースト・ポップ・アート・エクスペリメンタル・バンド-トランスペイレント・デイ(Reprise,1967)ザ・ウエスト・コースト・ポップ・アート・エクスペリメンタル・バンドTheWestCoastPopArtExperimentalBand-トランスペイレント・デイTransparentDay(BobMarkley,DannyHarris)(Reprise,fromthealbum"PartOne",February1967)
2009年のM.M.誌創刊40周年記念号に掲載された’69~’79のアルバムランキングってのがある。’69~’79というのは、私が大衆音楽を聴き始めて一番真摯に向き合っていた時期と合致する。そのころは実に目をキラキラさせて(たぶん)、時には全身に鳥肌立てて(これは本当)スピーカーに向き合っていたものだ。それに引き換え’80以降は、若干、いや、たいぶ斜めから聴き始めたきらいがある。そして一回り以上して今、懐は曙並みに深くなったはずだ。無理くり聴いてみたシリーズを読む限りそうは思えんぞ!という声もあ
アーティスト名はふざけているわけではありません。1976年に初来日を果たしたフランク・ザッパ先生は本作品に大阪でのライヴ音源を収録した上に、裏ジャケットに漢字で名前を書いてくれました。最初で最後の来日コンサートの思い出が本作品に生きています。当時、まだ田舎の高校生だった私はそもそも先生のことなど知りもせず、貴重な機会を失ってしまいました。しかし見た人はいるもので、会社の先輩女性がライヴを見たのだと嬉しそうに語ってくれました。「すごくよかったわよ」ということでした。本作品を発表した当時、
「ボンゴ・フューリー」、発売当時の邦題「狂気のボンゴ」はフランク・ザッパ先生が高校時代からの友人キャプテン・ビーフハートと共演した作品です。ロック界に特異な足跡を残した二人が同じ高校に同時期に通っていたとは何と微笑ましいことでしょう。二人はリズム・アンド・ブルースが大好きだという共通項で意気投合し、毎日毎日、放課後に3時間も4時間もぶっ続けでレコードを聴いていたといいます。青春です。レコード番号当てクイズなんていうことをしていたそうですから、ものすごいマニアぶりがうかがえます。長じて二
「万物同サイズの法則」はマザーズ・オブ・インヴェンション名義のアルバムとしては最後の作品にして、フランク・ザッパ先生の最高傑作の一つとして、とても人気の高い作品です。私ももう好きで好きでたまりません。宇宙空間に漂うソファを見ているだけで興奮します。バンドは俗に74年マザーズと呼ばれる面子で前作「ロキシー&エルスウェア」とほぼ同じです。ジョージ・デューク、ナポレオン・マーフィー・ブロック、ルース・アンダーウッド、チェスター・トンプソン、トム・ファウラー。ここに先生を加えて74年マザーズです。
発表時の邦題は「10年目のマザーズ=ロキシー・ライブ」でした。マザーズ・オブ・インヴェンションのデビュー10周年を記念するツアーを収録したライヴ盤です。ただ、ここにはフランク・ザッパ先生以外のオリジナル・メンバーはいないので、今一つ10周年感はしません。原題は「ロキシー&エルスウェア」となっている通り、本作品は1973年12月にハリウッドにあるロキシーで行われたライヴを中心に、5月のシカゴとペンシルバニアでのライヴからの音源を加えた形で構成されています。使われているのは合計8回のステージで
フランク・ザッパ先生の17枚目のアルバム「アポストロフィー(’)」は見事に全米10位に入る大ヒットとなりました。これまで、ヒット・チャートとはあまり縁のない人だっただけに、驚きの結果です。結局、このアルバムがザッパ先生の全カタログの中で最もヒットしました。ヒットの理由がまた面白くて、アルバム冒頭の曲「ドント・イート・ジ・イエロー・スノー」とそれに続く3曲を足した組曲を、新しいノベルティー・レコードだと勝手に解釈したDJが、ダイジェスト版に編集して、ラジオで流したところ、これが大当たりしたの
フランク・ザッパ先生が大けがをした後の二作品は電子室内音楽の作品でしたけれども、ここではまたがらりと音が変わりました。グランド・ワズー・オーケストラは解散して、再びロック・バンド編成になり、3分から6分強の曲が7曲とロック仕様のアルバムとなりました。「興奮の一夜」はザッパ先生としては初めてではないかと思われますが、全米チャートに顔を出しました。しかも30位、快挙です。確かにキャッチーな曲が並んでいるので、ごく自然に普通のロック・アルバムとして一般に受け入れられたのだと思われます。バンド
フランク・ザッパ先生の「グランド・ワズー」は、前作「ワカ・ジャワカ」と対をなすエレクトリック・チェンバー・ミュージックの大傑作です。先生が入院中に書いた作品ですけれども、なんと全治する前にレコーディングが開始されています。何という創作意欲でしょう。この当時、先生は「ハンチェントゥート」というミュージカル・コメディーを書き上げており、自ら企画制作、音楽、さらには衣装デザインまで手がけました。バーバラ・ストレイサンドのマネージャーが興味を示したものの、残念ながらブロードウェイでの上演はかないま