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ひとつ前の当ブログに続き、当ブログ2022年2月10日に書いた「木下忠司さんの『喜びも悲しみも幾歳月』や『水戸黄門』の原点と言える曲は」を以下に再録します。***ひとつ前の当ブログで、木下惠介監督の弟で作曲家の木下忠司さんについて書きました。木下惠介監督作品はもちろんですが、実に数多くの映画音楽を手掛けています。木下忠司さんは2018年4月30日に老衰のため亡くなりました。102歳ですから大往生といっていいと思いますが、その2年前の2016年にフィ
日本唯一の国立映画機関東京物語などの台本があり、たまらないこれから見に行く能の紅葉狩の歌舞伎版が日本で残る最古のフィルム映画好きはぜひ!
昨夜は久しぶりに京橋フィルムセンターへ高校生の時にちょくちょく行った場所きれいに建て替えられてしまったけれどやっぱり懐かしい今回は1977年の「杳子」を観ましたデジタル・リマスター版が完成したのです撮影監督さんらのトークがあり、行方不明になり幻のフィルムとなっていたのが見つかって、一コマ一コマスキャンしてデジタル化し、モニターに出てきたコダックの色が再現された時は胸が締め付けられた、と語っておられました一度は失われた作品が鮮やかに蘇りこの日を迎えられたことは本当に良かったフィルム
NHK第一AMラジオ。周波数は666kHz。午前5時20分過ぎのコーナー、9月3日の『今日は何の日』です。【歴史上の日】1939(昭和14)年イギリス・フランスがドイツに宣戦布告1939年の今日、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告、ヨーロッパ戦線は全面的な戦争へと拡大しました。(ナチスドイツがポーランドへ侵攻、これに対してイギリスとフランスが直ちにドイツに宣戦布告)1950(昭和25)年ジェーン台風が近畿地方を襲う1950年の今日、
『JETSTREAM』作家が描く世界への旅。今週は、文筆家・松浦弥太郎の旅行記『居ごこちのよい旅』より、一部編集してお送りしています。今夜はその第2夜。世界を巡り、各地の個性溢れる書店や、その土地のライフスタイルについて綴ってきた松浦は、真冬の東京を飛び立ち、陽の光が眩しいカリフォルニア・ロサンゼルスの街を訪れていた。メキシコ人街エコーパークで見つけた、1軒のジーンズショップ。ワークという名のその店は、ロビーとブライアンという2人の青年がオープンした、完全オーダーメイドのジーンズ専
もう終わった展示ですが、2月の終わり頃に家族で京橋にある国立映画アーカイブで開催されていた「MONDO映画ポスターアートの最前線」展を観てきました。常設展は日本映画の歴史など子供向けのジュニアガイドを貰いました今までも映画ポスター展は何度か観てきました。(2013年チェコの映画ポスター展、2016年キューバの映画ポスター展など)息子とは夏休みの「こども映画館」イベントに一緒に行った事があります。父ちゃんはここに来るのは初めて。ちなみにMONDOとは…以下HPより
京都府京都文化博物館フィルムシアターにて【東映創立70年記念】東映京都撮影所初期作品特集が上映中です。本日の作品は『暴れん坊街道』です。1957年(昭和32年)の映画です。『暴れん坊街道』の原作となったのは近松の名作浄瑠璃"丹波与作待夜小室節(たんばよさくまつよのこむろぶし)"。文楽としては『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』で上演され、通称『重の井子別れ』で知られています。私は昨年の5月、同じフィルムシアターで拝見しました。
あはは。当たり前だ。元法務大臣を早々簡単に保釈できるか。法の抜け道はいくらでもあると知っているわけだから。でもむかし自分のうんと下にいた人に保釈を却下されるってどういう気持ちだろう。きっと映画「ザ・フライ2」の会社の会長(最後は犬のような扱いになってしまう)のような気持ちなんだろうな。あはは。おいらこういう話は大好きなんだよな。黄金町に続いて昨日は京橋へ。このあたりもまた東京の中心と言う感じだなあ。しごとがおわりフィルムセンターの前を通る。もう映画をやっ
深作作品の中でも何度でも見たい大変興味深い内容のおそろしいニューギニア戦線での戦争物である。(撮影はおそらく千葉県の海岸や山中だと思うが定かではない)WOWWOWで録画したのでフルハイビジョン映像でホームシアター上映がついに可能になった。(ブルーレイ未発売のため)想像だが随分と国に対する批判もあるので、なかなかビデオ化やTV放送が簡単にできなかったのかもしれない。(帝国陸軍の軍事裁判などがとてもいい加減なものというセリフまであり、そのような判決文もないまま戦場で処刑された丹波の妻=
おはようございます。2020年3月27日です。文楽『通し狂言義経千本桜』の4月4日から14日までの上演中止が発表されました。わたくしが購入したチケットはこの期間です。つまり現時点では15日から26日のチケットはありません。15日以後上演開始はあるかどうか?>新型コロナウイルス感染症対策に係る政府等の>要請を受け、日本芸術文化振興会では、3月末>まで主催公演等の中止を決定しておりましたが、>なお慎重な対応が求められている状況に鑑み、>引き続き
現在「国立映画アーカイブ」となった旧名「東京都国立近代美術館フィルムセンター」は今もお世話になっている機関で、大変貴重な経験を沢山させて頂いております。「闇と音楽」シリーズは思い出深く、以前からソロピアノで無声映画楽士をされている柳下美恵さんに加え、アメリカを拠点にされているMakiaMatsumuraさんとの交流もここから始まりました。日頃楽団単位で動いている私にとってとても刺激的で、ソロでも活動してみようと思ったきっかけでもあります。国立フィルムセンター時代の思い出として「忠次旅日記
「息子との日々(旧チビッコとの日々)」書庫にしようかとも思ったけど・・・お出掛け書庫にします。去年から夏のイベントの定番として京橋にある「国立映画アーカイブ」のこども映画館に行っています。前の名称のフィルムセンターの方が馴染むなぁ・・・1階エントランス(飲食可)館内には展示室、図書室、ホールなどがあります。こども映画館では昔の特撮映画の上映以外にも昔の短編作品を上映する日や活弁と生演奏を楽しめる日なんかもあります。毎回くれるのかな?お土産にくれるフィルム今年は
京アニ火災に世界中で祈り…著名人からは怒り滲ませる声も7月18日、京都市伏見区のアニメ制作会社・京都アニメーションで火災が発生した..........≪続きを読む≫[アメーバニュース]木曜日。悪質クレーマーと断言していい40男のせいで、大火と共に作品と作り手を失った京アニこと京都アニメーション。今、大火に関する祈りと怒りが全世界に拡散してるんだよね。「けいおん!」や「涼宮ハルヒシリーズ」の制作会社としておなじみの、京アニ六地蔵第1スタジオ。そこが、ある悪質クレーマー的40男によ
今回もまたC席での鑑賞。もう18時半開演の日は修学旅行生がいないので空席もある。夏休み期間中の修学旅行と云うものは基本ないのだろうか?大井町はまだ9回目の観劇である。男性用トイレはいまだに数が少ないなあ。●今月はまだもう一回CATSにいく。CATSはいい。7月もう半分すぎているがまだこれからが忙しい。胃の内視鏡検査があり、(7月後半~8月終わりまでと云うのは多くの人がレジャーで忙しいのでこの時期の検査は基本的にすいているのだ。よくよく見てもらえる可能性もある)●ロ
●元F1レーサーのニキ・ラウダ氏死去と。おいらは別にF1好きではないのだがこの方のクラッシュ炎上(耳がやけどでひどいことに)シーンなどはたびたびイタリア製ドキュメンタリー映画で見てきたからね。ポール・ポジション(音楽は日本人のツトムヤマシタだった)おなじくその2、3まであったなあ。なぜかなにかと2本立てでぜんぶ劇場で見たな。2は浅草中映で2回観た記憶あり。ラウダ航空をもったり(そんなにもうかるのかと思ったが)もしていたが70歳と。わりと短命だったなあ。●フィルムセンター深作
今日は国立映画アーカイブにて深作欣二特集「復活の日」「ファンキーハットの快男児」「脅迫おどし」の三本立て。今週は昭和の映画三昧な週でした。目当ては「復活の日」で公開当時「ハリウッド映画並みのスケール大きな日本映画」という事で大ヒットしました。たしかにハリウッドの俳優が多数登場し、セリフも殆どが英語、当時の日本映画なら当然ミニチュアを使いそうな潜水艦も本物を使用、南極大陸など海外で実際に撮影された映像などそれまでの日本映画とは違ったスケールの大きな作品だったと思います。ただ会議をしている
シックスセンス(1999年の作品だからもう20年前)がフィルム上映でみられると千葉のSF映画マニアが教えてくれたので昨夜1人で行く。映画マニアは今日「バタリアン」をみにくるそうだ。この映画を劇場で観るのは3回目で初日に「相鉄ムービル」翌日に「横須賀ジョイシネマ1」今回この「長瀬記念ホールozu=長瀬はコダックフィルムの輸入代理店の長瀬産業創設者の名前、OZUは小津やすじろうからだろうなあ」で全てフィルム上映だなあ。とにかく1999年10月の大ヒット映画だった。2回みるとよく解
70mm版2001年宇宙の旅を観ることが出来ました❗️自分の今際の際。子供達(が、いたら)と、孫達(が、いたら)と、友人達(は、いると信じたい)に「ワシは2001年の70mm版を見たんじゃ!」と自慢して死んで行けます✌️もし見れなかったら死ぬまで後悔したでしょうねスゲェよ❗️スゲェ❗️これは映画史に残る事件ですねもう語り尽くされている2001年。内容&評論は町山智浩御大の名著「映画の見方が分かる本」を読んでいただくとして…。割愛。観劇中、頭であれこれ考えている暇がない本当にキューブ
5月に63歳で亡くなった西城秀樹の文芸座追悼上映2回目はついにミー坊が見たかった「おれの行く道」がかかった。パンフ、ポスター、など全部持っている。(同時上映は研ナオコの女の中の女でロードショー時は見ていない)田中絹代は67歳没でこの映画のときは65歳位だから今の秀樹とあんまり変わらない年齢であった。劇中田中絹代は70歳の役で、この時代にはもう隠居生活が普通のようだ。この映画初めて見たのは中学生でTVだった。(ビデオはもっているがDVDは未発売)劇場で初めて見たのは2009年12月
第40回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)の映画祭を初めて観て来ます。いつも乗換えで使ってた駅の近くにあった元フィルムセンターがぴあの会場だったとは意外でした😳
待ちに待った9月スタートですが・・・・・・・なんと正月明けでもないのに最高体重キープ中このまま食欲の秋に突入はまずいのでどうにかしなければ!あらゆる服のサイズが合わなくなってきましたよ~残暑バテとかしないかなぁ。夏休みの半端な画像を整理しました。フレッシュネスバーガーのかき氷が半額で150円!(9/2時点)こんなに大きなかき氷を食べたのは初めてかな?チビッコ大喜び~盆踊り大会、この日もブルーハワイ。好きね~今年はかき氷が50円でした。★ビリビリボー
これが前回2017年にデルスウザーラをやった時の新聞記事でたしか1日2回上映だったが行けなかった。フイルムセンターの2Fの大劇場のスクリーンはすごく大きいわけではないので、まー70mmならより鮮明な映像でみられるというくらいではないだろうか。自分は2001年は東劇での35mmフィルム上映(70mmフィルムからの35mmへのダウンサイジングのプリントだとかそんなことが書いてあった)で見たのが最後で午前10時では1回も行っていない。アメリカと違い日本ではもう70mm上映用の映写機
茉莉花社(オレの出版社)からいずれ発売することになっている日本で唯一の部族(70年代のヒッピーたち)の記録映画である『スワノセ・第四世界』は、映画をつくった監督の上野圭一氏が近代美術館フィルムセンター(現在の国立映画アーカイブ)にフィルムを寄贈し、同所が管理していたものだが、これをDVD化するべく、話を民間の現像所に依頼して作業を進めていた。その作業が無事終了した、という連絡があり、出来上がったDVDが送られてきた。この映画を一冊の本にする経緯については、これまで、このブログのなかでもいろんな
好きなフォトグラファーの岡原さんの写真展に行ってきました東京の京橋で開催中です写真集『Ibasyo』の展覧会。会期:6月6日〜7月1日営業時間:12:00–19:00※最終日–17:00まで(月・火休館)会場:TokyoInstituteofPhotography住所:東京都中央区京橋3-6-6エクスアートビル1Fアクセス:・JR東京駅八重洲南口より徒歩7分・都営浅草線宝町駅A4番出口より徒歩1分・東京メトロ銀座線京橋駅1番出口より徒歩1分(京橋
ラスティ・ボーイズビバ老後!(2017)子供扱いされるのにうんざりしたヒッピー世代4人のおじいちゃんたちが主人公のコメディ映画。老人ホームを出てシェアハウスで暮らす計画には資金が必要だが、次々トラブルが降りかかり、計画はわき道にそれ続ける。いったい彼らの運命は?主役の1人を演じるアンドレ・ユングは『明日、戦争の後で』(2015、EUフィルムデーズ2017上映)にも出演。昨年のルクセンブルク大ヒット作。「EUフィルムデーズ2018」(18年5月26日~6月21日=国立映画
映画の話☆諏訪之瀬島は東シナ海と太平洋にはさまれたトカラ列島の小さな島のひとつだ。美しい島で、いまも80人ほどの人たちがこの島で暮らしている。地図で説明するとこういう位置関係になる。諏訪之瀬島は鹿児島からフェリーで10時間ほどのところにある。東京からだと、マル一日の旅程。南米並みの遠さだ。この島の複雑な歴史を知っている人にも知らないでいた人にも、もう一度、この島のことをお話ししておきたい。じつは、いまからもう44年前の話だが、この島を舞台にした映画がつくられた。そ
上映企画「ソニー・ピクチャーズエンタテインメントコレクション」の口上は次の通り。映像や音楽をはじめとする多面的な分野で様々な革新を続け、世界的な複合企業として成長したソニーは、1989年、コロンビア・ピクチャーズエンタテインメントを傘下に収めてその映画事業の中核とし、その2年後には映画部門を改称してソニー・ピクチャーズエンタテインメント(SPE)が発足します。以降、同社はコロンビア・ピクチャーズやトライスター・ピクチャーズ、スクリーン・ジェムズ、ソニー・ピクチャーズ・クラシックスなど多
今日は4月22日の日記を書く。朝、9時に家を出て、これまでいろんな事情が重なって延び延びになっていたが、『全記録スワノセ・第四世界』の編集作業を始めるため、伊豆の川奈に上野圭一氏を訪ねた。熱海で伊豆急に乗り換え、海沿いを走った。車窓から海が見えた。相模湾。薄ぼんやりと、初島が見えた。どうでもいいけど、44年前の夏に堀内明美(女房の旧姓)と二人で婚前旅行した島。『スワノセ・第四世界』を監督した上野さんは伊豆の山のなかの森に住んでいる。伊豆の山道は険しい。まだ春なのに夏みかんがなっていた。
獨協大学でヒッピーの文化を研究している原先生(原成吉教授)から連絡があり、昔のヒッピー(本人たちはそうは名乗らず、部族といっている)たちが、国分寺に50年ぶりに集まります、という連絡があった。下が、その告知のために作られたポスター。3月31日(土)午後2時〜7時頃まで国分寺本多公民館二階ホール参加費は2500円。部族が誕生したのは1967年の五月に新宿で行ったデモンストレーションからで、ここに集まったナナオサカキ、長沢哲夫、山尾三省、山田塊也等が国分寺を最初の拠点にし、それから八ヶ岳(入