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https://youyoutime.jp/articles/10014898長押しして開くをタップしてください秘話というよりご存知の方は多いかな🤣ナンバ一番のオーディションで最初は落ちてがっくりしていたのが受かった京都のボンボン風のフォークバンドが辞退でファニーズが敗者復活してのし上がったことは運も実力のうち!と感慨深い!日劇ウエスタンカーニバルとは私の中では押しに声援を送って一番の人気者にする場だと思っていました❣️1日3回ステージ叫びまくりの喉がいたくてイ
すhttps://youyoutime.jp/articles/10014897長押して開くで見られます❣️太郎さんタイガースの回顧録を配信されました❣️ザ・タイガースの原点はピーとタローが仁和小学校での同級生から!学区域がいっさだから北野中学校に共に進学!ところがベビーブームで18クラス(?)あったとかでピーとタローは中学では同じクラスになっていなくて疎遠だったのが高校になり河原町でピーとタローが偶然会いそこにピーの北野中学からの友人のサリーがいてタ
『予想通り』画像お借りしましたやっぱりこれだったねGP契約する時に生産終了と発表はあったが次期モデルについては何も情報が無かったアニバーサリーモデルが出るとなると前回…ameblo.jpUSインターカラーもホイホイ確実でもこれはカッコいいっ!!26万円でXSR900がFZ750に変身するキット、ファニーズカスタムサービスから登場-Webikeプラス10月18日に宮城県のスポーツランドSUGOで開催された「MyYamahaMotorcycleDay2025」に
今日もジュリー友のNさんから、コメントもらいました😄「いつも、素晴らしいレポート楽しみにしていますよ。」「いえいえいえ😆とんでもないです。でも、これ中1の頃?くらいに書いたノートです、どんだけジュリーが好きだったか?💖」「それは伝わってきます。それから変わらず、ずっと今があるのが凄いです👍○○○ちゃんが、結婚適齢期に普通に恋して結婚したのも不思議と感じるほどですよ😜」「やっ〜、でもジュリーは、やっぱジュリーだったから〜😊それと普通の恋愛とは別だったからですよ😁」
https://youyoutime.jp/articles/10013299?fbclid=Iwb21leANZJW1jbGNrA1klTGV4dG4DYWVtAjExAAEe06H8z3y4hJAaVFZXQJG_mHurShI98f0Z6Y6pYlMqO83EZfWpOxByrvYoBYw_aem_C1mBQhcVfZnJzuWAanb2aQ↑ここを長押しして開くを開けてくださればインタビューが見られます❣️髪切った?🤣かつみさんはかつみさん目線でファニーズやタイガースを見てい
森本太郎さんが8月後半に行われたピータローサリーの九州ツアーのご報告のブログを更新されました🎵ほぼほぼ🐯ツアー🎸🥁行かれた方は大満足の楽しさだったのではないでしょうか🤗タローさんは東京ではやらないと仰っているのが残念ですがサリーのスケジュールの問題だけならなんとかお願いしたいものです〜❣️🙇ジュリーはMCで5人でなけらば(ほぼ🐯)やらないと宣言していましたが…ピーは連れてきたけど苦手というトッポ次第で完全🐯もなんとかお願いしたいものです🙏この九州でサリ
こんにちは〜❣️暑いですね〜7月19日にトッポのケーブルテレビ出演のYouTubeが期間限定で配信中です🎵トッポ面白い人ですね〜🥰https://youtube.com/playlist?list=PL52wll7qTBDYbNUrzZASKA73AHa1rfk9n&si=jDBPD_L2a1TgkI7C長押しして開くで一番上の画面をタップしてみてください🙇かつみさんご自慢のザ・タイガース時代から使用されているエピフォンカジノを持って登場🎸高校生からお茶屋通い🤣遊び人
家にありました、昭和43年の平凡9月号の第5付録のタイガースシールです🍀😌🍀今回は人間の記憶の話しです。姉とも話したのですが、人間の記憶とは?それぞれの記憶は合っているんだけど、その出来事とぜんぜん遭遇した場所が違う?っていうのか・・😅いつも、どうしてなんだろう?って、二人で話すのですが、結論が出ず😆それは、お互いその時のジュリーに対する感情とか、気持ちとか?強く心に残っている部分が違うんじゃないか?って、いう話しになりました😊よくタイガースのメンバー間で
1966年6月29日ビートルズ東京公演。この日だったか後日になるか資料を紐解く時間ないけど。この公演のliveのステージを見下ろす正面二階席から五人の若者たちが横に並んで身を乗り出すようにして熱い視線を注いでいた。ファニーズ(日本語訳すると「面白い人たち」「変わった人たち」「おかしな人たち」といった意味になる)として、大阪ミナミ界隈では、すでにトップグループに躍り出ていた男子高校生の五人は、ベース:岸部修三、リードボーカル:沢田研二、ドラムス:人見豊、リードギター:高橋克己、選曲
もう日付変更線をまたいでしまいました🙏6月18日はポール・マッカートニーさん生誕83年ということでかつてビートルズのコピーバンドは沢山出現しました!今でも沢山あるようです!1968年のまだビートルズが解散していない時期にコピーバンドでデビューして一躍話題になったのがバッドボーイズ6月18日はバッドボーイズでポール役の清水仁さんのライブに行ってきました❣️清水さんは前列右😀清水さんは現在森本太郎さんのバンドのベーシストとして18年ご一緒しています❣️清水さん
グループサウンズ(略称:GS)は、1965年から1968年に流行った日本の音楽形態です。どんなものだったか、ごく大まかには、「LBM.Ch(92)グループサウンズ❶ブルーコメッツ、エドワーズ」で書きました。さて今日は、タイガース、シャーウッド、シェリーズです。タイガースはもう一度載せます。『僕のマリー』はタイガースのデビュー曲、けっこう好きでした。京都のライブ喫茶に『ファニーズ』という名でロックンロールをやっていたのを内田裕也が見出し、ロックバンドとしてプロデュースするつも
森本太郎さん、ブログ更新なさいました❣️2/5はザ・タイガースのデビュー記念日❤️ナンバ一番時代のファニーズの夢🧡スパイダースを追い越して日本一になる❣️いとも簡単に追い越せたのは、メンバーの一人一人の存在感バランスが絶妙なグループだった❣️とにかく、カッコよかった💙タローさんの写真を借りました❣️↓トッポが持っているゾンビーズのアルバムこの中に、デビュー当時のカバー曲「シーノットゼア」が入っています❣️カッコいいカバー曲を見つけるのにザ・タイガースは長けていたのも
2025年2月5日はザ・タイガースデビュー58周年になる。今思えば、京都にいる時はスパイダーズを追い越して日本一のバンドになろうと大きな夢を持っていた。あの時は皆んな若くてイキイキしていたなぁ。大阪ナンバ一番では最初の頃は先輩バンドとファニーズの2バンドで出演していて、そのうちファニーズだけの単独ライブになった。ナンバ一番でライブをする度にファンの人が増えて行った。出演料が出た日は必ず近くの店でまむし丼(鰻丼)を食べた。渡辺プロダクションからスカウトされ上京し千歳烏山の合
9月1日に、BS松竹東急でジュリーライブ「沢田研二LIVE2022-2023まだまだ一生懸命」ツアーファイナルさいたまスーパ!アリーナの放送がありました🎵事の発端は、2018年10月17日にさいたまスーパーアリーナで開催予定だったライブをジュリーが9000人の観客と聞いていたのが当日、座席を見ると黒幕で覆われたところが多くイベンタ-に問うと、7000人だったことで約束が違うと、会場1時間前にキャンセルしたことによるのでした❗二日後、ジュリー自宅近くの公演で囲み会見
=今日も懐メロ昭和歌謡=昭和42年ザ・タイガース僕のマリータイガースのデビュー曲「僕のマリー」ぼくがマリーと逢ったのはさみしいさみしい雨の朝フランス人形抱いていたひとりぼっちのかわいい娘橋本淳作詞すぎやまこういち作曲大阪「ナンバ一番」でスカウトされたファニーズすぎやまこういちが、タイガースと命名したと云われています。次の「シーサイド・バウンド」で、大爆発となりました。クリックお願いしますにほんブログ村
ムシムシの毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか?昨日6月30日は、ジュリーは相模女子大学グリーンホールで、コンサートがありました🎵持つべきものはと、お友だちから、レポがきました🥰ありがたや🙇そして…1966年の6月30日にも、触れさせてもらいますね❣️ファニーズの頃、かわいい❤️まず、昨日のMCのレポ♪TOKIOのあと「まいど」「おいど(おえど)」の繰り返し❣️「ここは女子大やで❣️女子大生の皆様、たくさんお越しくださいまして、ありがとうございます(笑)いえ、高齢者の皆
5日に、沢田研二さんライブ、行って参りました🎶もう、ジュリーと出会ってしまって、57年…ジュリーは「元気だったー?ジジイは元気だったぞー❣️」と超元気💕こちらも当日は、一曲目から、ジュリー❣️ジュリー❣️と叫びまくり、年を忘れて、ピョンピョン飛びはね、隣の席の方からは♪恋のバッドチューニングでのサビ前の人差し指上げポーズを「よくご存知で、さすが!」と、初めて誉められてしまいましたが🤣この方だって、お正月にジュリーが着ていた緑のTシャツをお召しになっていて、スゴい強者なのに
昨日、EXシアター六本木で瞳みのるの22世紀バンド10周年ライブでした🎵ゲストにジュリーとタローサリーは京都で撮影で来られませんでした😢22世紀バンドの10年の歴史写真が写し出されたところから始まりました🎵2014年から出発し、メンバーチェンジもありましたが、ベースのジェフさん、ギターのネロさんは10年にわたります👏ピーは、黒シャツにインナーは今回の10周年赤Tシャツ👕懐かしい洋楽、ピーのオリジナル一緒にうたった「老虎再来」そして、タイガースの曲今回も反戦の歌を歌ってくれ
御茶ノ水のレコード店「陽だまり堂」では、失踪中のビートルズのメンバーを囲み、まるで日英若者交流会とでもいえそうな光景が広がっていた。みんな店の隅に座り込み、紅茶、コーヒーを飲みながらリラックスしている。ドアーズは終わり、今はアニマルズのLPが流れていた。ポールのリクエストだ。「うーん、グループ名か。」「そうなんです。僕のバンドのグループ名、是非ポールにつけてほしくて。」「フリークス、っていいじゃない。なかなかユニークで。」「もうちょっと大衆受けするような
生キャベツにたっぷりとみそをつけ、ヒロシは提案する。「こんなのはどうかな。スティングレイズ。スティングレイ、えいだよ、えい。」「えい?魚のか?」「そうそう。えい。ビートルズもクリケッツもヤードバーズもスパイダースもみんな動物やら昆虫だろ。えい、ってのもいいんじゃない。しかも響きは最高にかっこいい。」「えいなあ。いつの間にかどこかへ泳ぎ去ってしまいそうだけどな。えいってな感じで。」「じゃ、これはどう。カールとプレイボーイズ。女の子にキャーキャー言われる俺たちにはぴっ
フリークスをはじめ、当時はどのバンドも似たような曲をやっていた。似たようなといえば、そのグループ名も同じような雰囲気のものが多かった。ほとんどは横文字、つまり英語名だ。グランドキャニオンにはたまに外人の客も来ることがあった。一度、ヒロシは外人客に笑われたことがある。「フリークスって、しかしヘンな名前だな。怪物か、君たちは。」その何気ない一言から、彼らは「本気でプロになるんなら、名前も変えなきゃいけないな。」と考えるようになる。ビートルズだっ
フリークス。今や、名古屋では最も人気があるバンドの一つである。ヒロシの加入で、四人のメンバーたちはその潜在能力を一気に開花させ、フリークスに対する声援は、転がる雪だるまの勢いで、目に見えて増えていった。派手なアクションはまだできず、どこか照れた仕草の残るヒロシのボーカルだったが、彼は声、そしてルックスが良かった。その印象的な二重まぶたで客席を見つめながら、時に叫び、時にスローに歌うヒロシは、女性客を一瞬にして彼のファンにした。先月行われたグランドキャニオンでの人気投
「で、結局それで当たったんだ。」「そう。もう奇跡よね。あきらめたころに、突然レオ歯磨きのロゴが入った封筒が届いてさ。もう開けるまでドキドキ。」「開けたら歯ブラシだったら面白かったろうね。はい、これでもっと磨いてねってさ。」「違うわよ。チケットよ、チケット!初日公演のね。もううれしくて二階の部屋でジャンプして、思わず天井に頭をぶつけたわよ。」「初日か。じゃ、僕と一緒だ。僕も明日のを観に行くんだからさ。」明日ではなく、既に「今日」になっていた。静岡のどの辺りを走
「歌?」床に座り、ドアの横の壁にもたれながら、サイコは訊いた。「うん。フリークスってバンド知らないよね。」「うーん、知らないわね。」「ジャズ喫茶とか行かない?」「音楽は好きなんだけど、どうも、ああいう場所行くのが苦手でさ。何か気恥ずかしくなっちゃうのよね、ああいうとこ行くと。自意識過剰なだけなんだけど。」「僕ね、フリークスってバンドで歌ってるんだよ。今池のビル地下にあるさ、グランドキャニオンって店でよく演奏してるんだ。」「そうなんだ、君、歌手なんだ。」
初めて歌ったときの印象を訊かれ、ヒロシは何年か後に、こう語っている。「マイクを通じて流れる声が、ほんと、プロって感じに聞こえてね。自分の声じゃないみたいだったんだ。」グランドキャニオンのオーナーだった鈴木は、こう証言している。「決してうまくはない。ただ、魅力的な声でしたね。その声だけで、聞き手を捉えることができる、そんな歌声でしたよ。そしてそれにも増してルックスが完璧でしたよね。」曲が終わったとき、ヒロシはただ自己満足していたが、フリークスのメンバーは全員、ある確信を持っ
カラオケなどない時代だ。人の前で歌を歌うってことは、音楽の授業以外、したことないって連中がほとんどだった。それがいきなり「歌わないか」である。「ちゃんと歌ってるじゃん、お前らさ。」「まあ、一応ね。でもちょっと厳しいんだよね、演奏も一緒にって。やっぱボーカリストを据えようかな、って今考えてるんだ。ほら、ストーンズみたいにさ。」「とてもじゃないけど、俺、ミックみたいにはなれないよ。」ミックとは、勿論ストーンズのボーカリスト、ミックジャガーのことである。「や
フリークスのメンバーは、足元からボーカル探しを始めた。人の一生をふりかえるとき、「もし」、「たら」、「偶然」、「奇跡」を使うようなやり方は、あまりに安易で好きじゃないのだが、フリークス、そしてヒロシの人生にとって、「もしフリークスがジャズ喫茶グランドキャニオンでヒロシを見つけなかったら」を考えれば、それは確かに劇的な出来事だったといえた。フリークスのリーダー、ベースギターのカールは、毎日グランドキャニオンに入り浸り、キャベツをかじりながらじっとステージに見入っている、一人のハンサムな
「ねえ、ここ座ってもいい?あたし、匂いには敏感だけど、こういう汚い場所に座るのはなぜか全然構わないのよね。」その女性はヒロシの言葉を待たず、敷いてあった新聞紙の隅に、無理矢理その小さなヒップを占領させた。「あたしね、ビートルズ観に行くのよ。ひょっとしてあなたも?」その女性はヒロシに訊いた。その女性、ってのが面倒なので、名前を書こう。彼女の名前はサイコ。冴子と書く。この春に名古屋市内の高校を卒業したばかりだった。今は、名古屋駅前のデザイン学校に通い
「ねえ、ずっとここ座ってるの?」ヒロシがぼんやりと窓の外に流れる夜の景色を見ていたとき、彼女は声をかけてきた。「え?」振り向くと、5号車入口のところに、ショートカットの女性が立っていた。「LIVERPOOL」と左胸に書かれた真っ赤なTシャツに、ブルージーンズというスタイルで、大きな丸い瞳が印象的な娘だった。ヒロシより少し年上か。「俺のこと?」「そう、あなた。こんな便所くさいところでさあ。だって、東京まで行くんでしょう。」彼女は妙に大人びた口調で、
「フリークス」のメンバーは4人。ヒロシとほぼ同い年、みんな互いに家が近所で、中学、高校で知り合った連中だった。ルックスがまとも。これが彼らの人気の理由の一つだろう。若者には技術的なことよりも、まずはルックスが重要だった。メンバー全員が不細工なグループよりも、それはかっこいい、かわいいメンバーがいるグループのほうが勿論受ける。「フリークス」と一緒によく演奏したバンドで、テクニックはもうプロ並というバンドがいたが、ボーカルの顔が「不細工」で、演奏ではなくその顔を見