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いつもこの物語を読んでくださいまして、ありがとうございます♪先日投稿しました、アスタリア号後日談のお話について、補足したいことがありますので、別記事にて投稿することにいたしました。このお話では、船舶事故の中でキャンディがとった行動が、「美談」として伝わります。けれど、後日談2で私が描きたかったのは、“自己犠牲の象徴としてのキャンディ”でも、誰かの役に立ちたいキャンディでもありませんでした。極限の恐怖の中で、目の前にいた人々が、患者や他人ではなく、“初めて”自分の子どもたちや、愛
テリィのタウンハウスの書斎では、春用の暖炉の小さな火だけが揺れていた。テリィは椅子に腰を下ろし、手の中の新聞記事を何度も開き、閉じた。そこには誇らしさと喜びがあった。しかし、その奥には、どうしても抑えきれない別の感情が芽を出し始めていた。(なんでだ。なんでこんな無茶を……)誇り。感謝。愛しさ。それらの裏に、じくじくと痛む“恐怖”が混ざっている。(俺たちのためじゃないのか……?生きて帰るために……体力を使わなきゃいけなかったはずだろ……)冷たい汗が背を伝う。(子どもたちがきみ
一年前のロンドン。冬の気配が漂うころ、テムズ河を渡る風には、どこか劇場の匂いが混じっていた。冷たい霧雨の舞う午後、アレックス・ハリントンはピカデリーの歩道に立ち、折り畳んだ新聞を広げた。《ロンドン芸術座、“ジャーニーズ・エンド”ロングランの勢い止まらず》その中央に、舞台写真が載っていた。塹壕の闇を切り裂く一筋の光、その中に立つ俳優の影。テリュース・グレアム。指先が止まる。胸の奥に、古い記憶の灯がふっとともる。「やっぱり……あいつはロンドンでも異彩を放つ」アレックスは思わず笑みをこ
霧はまだ薄く、朝の光は庭の奥まで届いていた。タウンハウスの裏庭は、夏の名残を静かに手放し、土の匂いがはっきりと立ち上る季節に入っている。キャンディは、庭へ続く石段に立ち、両手を胸の前で軽く重ねた。この国に来てから、季節の移ろいはいつも少しだけ遅れて胸に届く。「庭を少し、使ってもいいかしら」朝食のあと、キャンディは何気ない調子で切り出した。紅茶の湯気がまだ細く立っている。「ハーブや、少し野菜も植えたいの。ニューヨークの家みたいに。子どもたちにもいいし……薬草があるとまた助かるわ」テ
その夜、ロンドンは珍しく音の少ない夜だった。街路を走る馬車の音も、遠くの汽笛も聞こえない。タウンハウスの窓辺で揺れるカーテンだけが、ゆっくりと夜気を受け止めていた。子どもたちはすでに眠っている。オリヴァーはベッドの中央を堂々と占領し、オスカーはその腕に絡みつくようにして、規則正しい寝息を立てていた。テリィは、その寝顔をしばらく見つめていた。(……眠っている)それだけのことが、胸に重く沁みる。あの春、大西洋の上で起きたことが、まだ完全には過去になっていないからだ。テリィは灯りを落
救助された乗客たちは取材を受けるなど、船上での出来事を断片的に語り始めた。最初は、炎の色。甲板に満ちた煙。突然の停電と、闇。だが次第に、別の名前が浮かび上がるようになった。「金色の髪の……あの看護婦さん……」「彼女がいなかったら、子どもは泣き止まなかった」「自分の乾パンを全部、他の子に分けてしまって……」救助待つ中で起きた出来事は、語られれば語られるほど、ひとつの像へと収束していく。“どんなに寒くても震える子どもを抱きしめ、どんなに空腹でも自分の食べ物を他の者に渡し、どん
五月のロンドンは、光がやさしい。冬の鋭さは去り、街路樹の若葉が、まだ少し頼りない色で揺れている。朝は早く、窓の外では鳥の声が、慎重に一日を始めていた。テリィは、目を覚ました。悪夢を見たわけではない。ただ、胸の奥に、わずかな重さが残っていた。隣を見る。キャンディは眠っている。春の光が、カーテン越しに頬を照らしている。その寝顔は穏やかで、呼吸も安定していた。――ここにいる。その事実を確かめるだけで、テリィの中の緊張が、ほんの少し緩む。彼は身を起こそうとしたが、そのとき、キャン
家の近くの銀杏並木の葉がかなり散っていました毎年落ち葉が舞っているのを見るとこのシーンを思い出して切なくなりますねところで五月祭のキャンディとテリィのキスシーンを見てふと…思いましたキャンディは初めてだったならば、テリィはちなみにファイナルでテリィから手紙が届いてふたりが再会して結ばれた後体を重ねたのはお互い初めてだった…とブログ主はそう思っていますそうであって欲しいなぜならテリィはぼくは何も変わっていないのですキャンディと知り合った後再会するま
ロンドン芸術座の稽古場は、夜になると独特の静けさに包まれる。昼間の喧噪が嘘のように引き、古い木の床がきしむ音だけが残る。テリィは舞台袖に立ち、まだ温もりの残る舞台を見つめていた。『ジャーニーズ・エンド』の幕は、まもなく降りる。本来なら、ここで彼の客演としての役目は終わるはずだった。「グレアム君……」背後から声がかかる。振り向くと、ロンドン芸術座の芸術監督と、制作担当が並んで立っていた。「少し、時間をもらえるかな」小さな応接室へ案内される。「次のシーズンの話だが。君に、ぜひ出て
五月七日。ロンドンの朝は、まだ少し肌寒さを残しながらも、春の匂いを確かに含んでいた。キャンディは、いつもより少し早く目を覚ました。悪夢は見なかった。けれど、深く眠れたという感覚も、まだ戻りきってはいない。胸の奥に残る、波が引いたあとの砂のざらつきのような感触。隣では、テリィが静かに眠っている。彼の寝息は、一定で、揺るぎがない。その安定した呼吸を確かめるように、キャンディはそっと目を閉じ、また開いた。――今日は、私の誕生日。そう思い至った瞬間、胸の奥に小さな戸惑いが生まれた。祝ってもらう
アスタリア号消息不明のニュースが流れたころ。「オリヴァー、オスカー。今日はわたしの家においで。従兄弟たちが来ているぞ」祖父の誘いにふたりは顔を見合わせると、すぐに笑顔になり、グランチェスター公爵の住むタウンハウスへ出掛けていった。まだ幼い子どもたちには、母の身に起こってることは話さないことにしたが、母のことを話す使用人たちの声にオリヴァーが気づいた。「どうした?オリヴァー、オスカー。おやつの時間じゃなかったのかい?」「……おじいさま?」「ん?」「おかあさん……もう帰ってこないの?」
列車がロンドン・ウォータールー駅に滑り込み、夜の白い息がホームのランプに照らされた。グランチェスター家の迎えの車がすでに待っていた。二人はそのままタウンハウスへ向かう。邸宅の扉をヘンリーが厳かに開けた瞬間、温めてられた暖炉の熱がふわりと頬に触れた。長い旅の果てに辿りついた家の温度だった。キャンディは靴を脱ぎ、ようやく深く息を吐いた。「……帰ってきたのね」その声には、他のどんな言葉にも置き換えられない安堵が宿っていた。テリィはそっと応えた。「ああ。帰ってきた。本当に……よく帰ってき
二人が結婚して間もないころのお話。夜の静けさが、ゆるやかな呼吸の音だけを部屋に留めていた。寝室のカーテン越しに落ちる街灯の光が、シーツを淡く照らし、その中に溶け込むようにふたりは寄り添っていた。キャンディはテリィの胸に頬を寄せ、指をそっと彼のパジャマの襟元に触れながら、ふいにぽつりと呟いた。「ねぇ、テリィ……」「ん?」低く、眠りと覚醒の狭間にいるような声が降りてくる。キャンディは少し顔を上げ、テリィの肩に流れる影を見つめた。「人って……どうして“誰か”を好きになるんだろうね?」
ロンドンの午後は、灰色の雲が流れていた。救助船の名前がBBCニュースで報じられてからもテリィはほとんど眠らないまま、ロンドンから特急列車に飛び乗った。身体は疲れ果てているはずなのに、心臓だけは狂ったように脈を打ち続けている。テリィは船が帰港するサウサンプトン港へ向かった。◇ロンドンでは乾いた冬風だったが、港は違った。潮の匂い。遠くで鳴る船の汽笛。甲板を叩く人々のざわめき。通路には報道陣があふれ、船を降りてくる人々は毛布に包まれ、家族の名を呼んで泣き出す者もいた。テリィはその群れを押し分
そのころロンドンでは、グランチェスター公爵は国会議事堂の執務室で海軍省からの逐一報告を待っていた。公爵邸には孫たちがいる。彼らを不安にさせるわけにはいかなかった。机の上には海図。赤鉛筆で書かれた航路。海軍からの書簡が山のように積まれている。そのとき——ノックも待たず、秘書が駆け込んだ。「閣下……!緊急報です!」公爵は振り向いた。いつになく切迫した声。「海軍省より、政府への最速ルートで届きました新聞・ラジオ発表はまだですが……これは、最も信頼できる第一報です!」秘書は封書を
火災が鎮圧されたという報せが広まり、乗客たちのざわめきは次第に収まっていった。しかし、安堵が胸に満ちることはなかった。外は深夜の闇。風が強まり、波が高くなる。船体は急な進路変更のため不自然に傾き、時折、大きなきしみを上げて震えた。「どこに向かっているの……?」誰かが不安げに呟いた。船の位置は不明。通信は途絶。救難信号も出せない。その沈黙こそが、何より恐ろしかった。キャンディは、泣きながら母親にしがみつく幼い女の子の頬を拭った。「大丈夫。あなたはひとりじゃないわ」そう言いながら
翌朝。エントランスのほうから、重い足音が静かに響いた。グランチェスター公爵が姿を現した。彼はしばらく扉の前で立ち止まり、テリィの背中を見つめた。その瞳には、長年の厳しさも威厳もなく、ただ、ひとりの父親としての、不器用な痛みだけがあった。テリィは父の気配に気づかないほど、精神が深い海に沈んでいた。公爵はケビンに目で問いかける。ケビンは静かに首を振った。「僕には、もう支えきれません。……テリィは限界です。キャンディが……どこにいるのかもわからないままでは……」公爵は喉の奥で小さく息を呑ん
ロンドンの空は、春なのに冷たい灰色に沈んでいた。劇団の事務室を出たあと、テリィは自分がどのように廊下を歩いたのか覚えていなかった。照明の灯りが濁って見える。周りの声が遠い。床の感触も曖昧だ。ただひとつ、胸の真ん中だけが燃えるように痛かった。あの船にキャンディが乗っている。通信が途絶えている。安否不明。場所すらわからない。それ以外の思考を、世界が拒んでいる。控え室に戻ると、さっきまで読んでいた台本が机に広げられたままだった。「こんなもの……!」掴んだ台本を、テリィは投げた。紙が散らば
ニューヨーク港を離れた客船・アスタリア号は、春の北大西洋へ静かに滑り出していった。汽笛が長く響き、暗い海原を割って進む船体は、巨大な影となって夜の帳に溶け込んでいく。アスタリア号の航海は、順調だった。そう、三日目の夜までは。深夜一転。船内の非常ベルが突如、鋭く鳴り響いた。「機関室から火災!」怒号が走り、乗客たちの眠りは強引に引き裂かれた。廊下には蒸気と焦げ臭い匂いが満ち始める。キャンディは跳ね起き、上着をつかんで部屋を飛び出した。「火事……?本当に……?」乗客たちが叫び声を上
アメリカに戻ったキャンディ。ニューヨークに着いたのは、春の風が街のビルの谷間を吹き抜ける朝だった。港に停泊する客船の甲板から降りたとき、潮風が頬を刺した。キャンディは息を吸い込み、見慣れたニューヨークの雑踏に胸の奥がきゅっと締まるのを感じた。(急がなきゃ)トランクをひきずりながら、彼女は汽車に乗り換え、ポニー先生が入院しているシカゴのアードレー財団記念病院に向かった。列車の窓から広がる景色は、遠い昔に少女だった頃の旅路を思い出させた。◇病院に着いたとき、廊下には白い光が落ち、消毒
4月、ロンドンの夕暮れ。テムズ川の水面は沈む光を返し、街全体が静かで重い青に沈んでいく。テリィは、ロンドン芸術座の裏口から出て、空気を胸いっぱいに吸い込んだ。『ジャーニーズ・エンド』の主役としての公演が始まって2ヶ月。舞台はロングランに入り、日々の緊張は並大抵ではない。だが彼の胸を突き刺していたのは、舞台の重圧ではなかった。胸ポケットに忍ばせた一枚の電報。昨夜家に帰ったとき、リビングで待っていたキャンディが震える手で差し出してきたものだった。《ポニー先生、重体。可能なら来てほしい
昨晩、テリィはケビンに言った。「ジャレッドと並べてローリーを演じることになる。実質、軽いオーディションみたいなものになるだろうな」「だよな」「発音を整えたほうがいい。観客は全員イギリス人だ」「お、おぅ……やってみるよ」ケビンは深く息を吸い込み、わずかに顎を引く。台本を手に取り、ローリーの第一声を発した瞬間……テリィの眉が、わずかに動いた。(……ん?)耳がその違いを先に捉えた。ケビンの声質はいつもと同じだ。だが、その語尾の処理、母音の抜き方、子音の立て方。(イギリス英語の……舞
ロンドン芸術座の稽古場には、木の床を叩く靴音と、台詞を読み上げる声が響いていた。テリィは主役の大尉役として立っていた。その隣に立つのは、準主役ローリー役のジャレッド・カーター。長い手足に整った顔立ち、立っているだけで絵になる俳優だ。だが、どうしても、何かが足りなかった。「ローリーの台詞、“夜明けを恐れているんじゃない、失うのが怖いだけだ”その言葉には、怒りが混じっているはずです」テリィの声は穏やかで、けれど鋭さを帯びていた。ジャレッドは小さく眉を寄せる。「怒り、ですか……?」「
クリスマス・イブの夕暮れ。ロンドンの空は早くも紫色に沈み始め、タウンハウスの窓には一つずつ灯りがともされていく。暖炉の薪がぱちぱちと音を立て、部屋にはほんのりと松の香りを含んだ温かい空気が流れていた。その前で、オリヴァーとオスカーが真剣な顔で並んでいる。ふたりの手には、赤いフェルトの大きな靴下。「ねえ、兄さん……ここでいいかな?」「もっと上にしたほうがサンタさん見つけやすいよ!」子どもたちは、暖炉のフックに背伸びして靴下をかけようとする。オリヴァーの背中がふらりと揺れた瞬間……後
1月。メイフェアの街角を、馬車と車が交錯しながら過ぎてゆく。テリィはフィリップ卿の執務室を訪ねていた。暖炉の前で紅茶を飲んでいた卿が、穏やかに微笑む。「ブロードウェイで上演された『BeforeDawn』、あれを観たという男がいる。今、ロンドンで小劇団を率いるハロルド・モンターギュ氏だ。彼が君を探している。」「……ロンドンで、再演ということか?」「そうだ。彼はあの作品に深く心を打たれたらしい。もう一度ロンドンで見たいと」テリィの指先がわずかに震えた。『BeforeDawn』……
【【再掲】】2025.12.11このたび、ブログ内にアメンバー限定記事を設けることにしました。一部の物語や少し深いお話など、ここでしか読めない内容をゆっくり綴っていく予定です。☝️アメンバー申請をしてくださる方は、ぜひ『ひとことコメントを添えて』ください。(例:好きな作品や、印象に残っている場面、感想など)※コメントはどの記事からでも構いません。どんなふうに物語を感じてくださっているのか、その声を少しだけ聞かせていただけたらと思っています。コメントを拝見してから、順に承認
ロンドンの12月は、昼も夜も区別がつかないような薄灰色だった。だが大晦日の夜だけは、街の空気にどこかそわそわとした温かな気配が漂う。ケンジントンのタウンハウスでは、暖炉の火が静かに揺れていた。湯気の立つマグを両手で抱えながら、キャンディがふいに言う。「……ロンドンで年越しなんて、なんだかまだ不思議ね」テリィは上着の袖をまくりながら、暖炉の前に腰をおろした。「ここはビッグ・ベンの鐘が鳴るだけだ。あの鐘の音が新年を告げるだけ、ニューヨークの賑やかさとは違う」「それで十分よ。あなたと聞け
1934年1月。ロンドンの夕暮れは、霧をまとうようにゆっくりと落ちていった。ケンジントンのタウンハウス。グランチェスター公爵家のロンドン邸は、外観こそ壮麗だが、内側はキャンディの工夫でどこか温かさを帯びている。玄関に、来客を告げるベルが鳴った。「ドミニク・ハーディと申します」執事ヘンリーに案内されて入ってきた男性は、寄宿舎の冬空の下で本を読んでいた少年の面影を残しつつ、すっかり落ち着いた紳士の風情になっていた。キャンディが微笑んで迎える。「ハーディさん、ようこそいらっしゃいました」
ロンドンの午後。タウンハウスの窓辺には、薄い金色の陽が差し込んでいた。ダイニングテーブルにノートを広げたオリヴァーが、鉛筆をくるくる回しながら言った。「あのねお母さん、算数、教えてくれる?」キャンディはエプロンで手を拭きながら近づき、にっこり。「もちろんよ。どんな問題かしら?」オリヴァーはノートを指さした。《ある男の子がリンゴを12個持っています。そのうち5個を友だちにあげました。今、彼は何個のリンゴを持っているでしょうか?》キャンディは読み上げながら、すでに眉が寄り始めてい
夕暮れのロンドンは、霧のかすかな匂いをまとっていた。その日の稽古を終え、テリィがタウンハウスに戻ってくると、キャンディが湯気の立つティーポットを手に待っていた。「おかえりなさい。あのね……今日、ちょっと驚くことがあったのよ」テリィはマフラーを解きながら、わずかに眉を寄せる。「何かあったのか?赤十字社で?」「ううん。そうじゃないの。……あなたの、昔の同級生に会ったの」テリィの動きが一瞬だけ止まった。ロンドンでの同級生。聞きたい名も、聞きたくない名も、それぞれ胸の底の異なる場所に沈