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今週、2回もそれぞれ別々な認知症の方が我が家に現役で勤めていた時の懐古にみえました!これを本音に書き換えます!こちらの都合は無視で、駄々をこねる旦那に奥さんが困り果てて来襲したということ!ハッキリ言って迷惑な話しですが、認知症のご老人を介護する方は大変ですが、まだ、可愛らしいものです!私の亡き父の方は凄まじかった!😱ピック病!⬆️父が診断された病名!ちょっと説明‥40代から60代と比較的若い世代が発症する初老期認知症で、若年性アルツハイマー病と比較されます!本人は全く病気を認識し
以前勤務した老人病院での話です。ある70歳後半の女性が認知症の悪化看取り目的で私の病院に転院してきました。認知症の悪化で食事とれないとのことでしたが発動性の低下(アパシー)ということが認知症の方は起こりうるので二コリンの点滴を行いこれは改善し患者さんもぼーっとしていたのがべらべら話すようになりました。病状改善したのいいのですがご家族が全然見舞いに来ません。不思議の思いご家族と電話で話をしました。それによるとどうも60歳ごろに患者さんが突然
認知症の中でも40代・50代で発症する若年性認知症はまだ「働き盛り」「子育て中」「人生の折り返し地点」という意味で本人にとっても家族にとっても大変大きな苦難になります。特に若さゆえ進行も早く、日に日に変わっていく様子を本人や家族が受け入れるまでには時間も労力も要します。また、若年性認知症では社会資源も充実していないのが現状で生活への不安も社会からの疎外感も大きく、本人や家族にとっては大きな不安とストレスを抱えることになります。180度変わってしまった生活と人間関係をど
今回は、ある病気の紹介です。私が実際体験した症例をもとに話を進めます。以前私が勤務していた老人病院に認知症進行のため看取りの方針という申し送りで急性期病院からある老人女性が転院してきました。診察したところアリセプトを根拠なく使用し興奮したため鎮静剤を過量投与しドロドロになった事が原因でした。コウノメソッドを使用し薬の整理を行い復活しました。改善後評価を行うとこの方はピック病でした。(認知症の一種類です)ピック病の特徴として天真爛漫
楽しかったおすぎとピーコが大変なことになっていてビックリ!!【行方不明騒動の全真相】ピーコが万引きで逮捕されていた店は“常習性”から通報、現在は身寄りもなく施設に(NEWSポストセブン)-Yahoo!ニュース「おすぎとピーコ」のピーコ(78才)が行方不明になっていた騒動の意外な真相が明らかになった。ピーコが3月下旬、万引きで逮捕されていたのだ。かつて、オネエキャラ全開の「おすぎとピーコ」としてテnews.yahoo.co.jpだけどそれは日本の縮図?お年寄りによる犯罪が増
1月14日亡き母の誕生日です。最後に母と近所に買い物へこの時、道に迷ってしまい身体も斜めに歩いてました。私の手を振り解き🫲介助を拒否お母さん、こっちじゃない?そんな問いかけも首を傾げて歩き続ける2015年、2月いつも私の前を歩きこの写真の1ヶ月後静かに旅立った母長女の結婚式を楽しみに💒お祝い袋を用意していましたね春にはお婆ちゃん曾祖母になりますよきっと兄は仏壇にワイン🍷を私は何も出来ないけど母の事を偲ぶ🤱父の記憶にはもう母はいないでも、一緒に家に行けば
サムシンググレートに聞いた認知症ってどんな状態か尋ねると認知症:右中隔に龍が憑依して脳の神経組織がカルシウムによって石灰化した状態。記憶障害:神経組織が溶けて伝達の手段がなくなると記憶障害になる。認知症、アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症は、全く違った疾患だとも言っています。認知症は、右中隔の憑依により神経が徐々に消えていく疾患アルツハイマー型認知症、ウィルスにより波動情報遺伝子が、活性化する。レビー小体型認知症、左海馬が憑依され、幻視、幻覚に悩ま
夫、昨日の夜も22時過ぎに帰宅。玄関からリビング側には来ずに、お風呂に入って自室に入って就寝。なので本日も22時が近づくにつれて怖いです。何時に帰るかの「帰るコール」などもこれまでありませんし。帰宅が早いかも知れない。なので20時くらいからおびえています。そうそう、今日目にした栗田寛一さんのご病気の記事。少し気になったので自分用に貼っておきます。突然、キレる!それはピック病かも?栗田貫一が診断された前頭側頭型認知症とは?何故だろう突然、キレる!中高年の万
村田兆治氏のことは、一度だけ生で観たことがあり、独特のフォームから投げ出される、あのえげつないフォークボールは強く印象に残っています。さて、詳しいことは記事を読んだだけではわかりません。【速報】元プロ野球選手の村田兆治容疑者(72)を現行犯逮捕羽田空港で検査員に暴行容疑(テレビ朝日系(ANN))-Yahoo!ニュース「マサカリ投法」で知られる元プロ野球選手の村田兆治(むらた・ちょうじ)容疑者(72)が羽田空港の保安検査場で女性検査員に暴行を加えたとして、現行犯逮捕されたことがわ
老化とは結局は心身どちらにも進行しますから、、、認知症は主に4種類|特徴的な症状と原因・治療法・その他の原因疾患を解説|AIケアラボ認知症の種類は主にアルツハイマー型認知症・脳血管性認知症・レビー小体型認知症・前頭側頭型認知症(ピック病)の4種類です。今回は4つの認知症について説明し、その他の認知症の原因疾患も紹介します。ai-carelab.tryt-group.co.jp
父の白木蓮が開花しました父を大切な思い出の1頁です今日は義実家の仕事で販売に行ってまいりました重い仕事は息子と息子の友達のイケメン君にお任せ連日になると肉体的に辛いですが数日、開くので良い気分転換になりましたお読みいただきありがとうございます
父の栄養調整入院から持病の脊柱管狭窄症もあり歩行がすっかり弱った事で担当医の薦めから老人保健施設でショートステイを利用する事になりました。正直、帰って来るとなると私の負担もかなり大変になるので半分ホッとしました。母との暮らしは介護というより日中は、やんちゃな小学生の世話をする様な動的エネルギー、機動力、俊敏性が必要でした。『行ってきます』なしに家を飛び出すので、振り返ったらいないかもという事を頭において自分の行動もしていました。この認知症の初期は体力が増強されるのか?脳が興奮するのか、夜
両親と子どもはいつか心配する立場から心配される立場に攻守逆転する時が来ます…と思っています。私が結婚してから数年が経ち、父と母が助け合いながら商売をし休みの時は一緒に温泉旅行と晩年を楽しんでいた様子に安心していた時期もありました。そんな時期を経て母の前頭側頭型認知症の発症があり、仲が良かったはずの夫婦という名の他人はメンタルが試される時を迎えるのだなぁと客観的に思ってました。私は子供として親の老後は逃げられない事と、兄が病で早逝してしまった時から覚悟はありました。が、もう少しどちらかがしっ
☆人生は期待どおりにいかない…父の誤算父は、母よりも11歳年上で脊柱管狭窄症を患う老体ながら働き者だった母の労働力の下支えがあり、細々と自営業を続けていた。当時、82歳の父が母の性格変容を伴う前頭側頭型認知症を受けとめる事が難しかったようです。最初の頃は、同情があったのか、外食に連れて行ったりと優しい行動をとっていた。母はそういった父の行動も忘れてしまい父が夫という事は分かるがだんだん小学生のいたずらの様に困ってる父を見て助けるどころか笑いながらその場から走り去ってしまったり、父をいたわる事
御無沙汰しています2019年6月にアップした燃え尽きる時①これについて追記します父が昏睡状態となり訪看さんがやってきて私に「点滴しますか」と聞いてきたあの時父は発熱していたなので「逝く時くらい平熱で逝かせてやりたい」と思った私は「やってください、熱くらい下げてやりたいので」と訪看さんに言ったその時、母と姉はじっと父を見つめていたその瞬間、気付いた「延命措置じゃん」深呼吸して絞り出す様に私は言った「すみません、やっぱりやめます」溢れるものが止まらなかったとこからはそのまま
もう、15年も前からの記憶を少しづつ紐解いて母の生き様と一緒に生きた私の思いを綴り、残しておこうと思います。第1章母が…ある日、やんちゃな小学生に?☆人格の変化は突然に。仕事中、父より電話があった。母が転んで頭を打って、旅行から帰って来たと。実家に行ってみると、わりあい元気そうな母が『大丈夫よ』と言って恥ずかしそうにしていた。父は、私に母が通ってるスイミングクラブで一緒の近所の奥さんから少し母の言動や態度が変でもしかしたら『認知症』では?と言われたと伝えてきた。当時、私はあまり実家に頻
夫のいとこから今年も大量のブルーベリーがトロ箱にぎっしり入れられて届きました❗🙌彼は、私の憧れの人だった叔母様(夫の母の妹)のご子息です。私達夫婦が婚約中の大学生の時に初めて会いました。彼は大学を卒業後私達のふるさとで県庁職員として勤務しています。奥様も県庁職員で奥様のご両親も夫婦とも県庁職員でしたが退職後は家業を継いで果樹園を経営しています。彼は毎年夏になると奥様のご実家のブルーベリー園のブルーベリー、秋は梨園の梨をすごくたくさん送ってくれるの
枕の修理をして思い出した介護とは言えないような介護のこと枕の修理というたいしたことのない話題で申し訳ありません。枕カバーの中で中材のパイプを詰めてある枕本体が破れて、カバーが大きめだったためへなへなの状態になっていました。中の枕本体の袋は長年の使用でボロボロな状態で破れているため、当て布で縫い合わせて直せる状況ではなく中材を別の袋に詰め替えようと思いました。今思うと、市販の枕カバーを多少縫いちぢめて本体袋にする手もありそうでしたが、安くても400円程度はします。100円ショップの端布ですが
総合診療科へ行った次の日、なかなか予約がとれなかった名古屋フォレストクリニックが、キャンセルが出たからとすぐに予約ができたので、診察へ。河野先生の本を読んでいたので、どんな診察か興味深々。診察室へ入ると、先生はすぐに母に話しかけ、少し話すと、「パーキンソンとピック病が混ざっている。筋肉が固くないので、パーキンソンの幻覚が起きてしまうので、薬は出せない。」と言われた。症状は、まっすぐ歩けない、玄関で靴を履こうとするとそのまま前に倒れる、鬱になったような感じになる。話しがおかしい。食べてな
健康番組では、認知症の特集も増えていますね。最近では、自身が認知症である事をカミングアウトされる方もあり、健康番組だけでなく、新聞や健康雑誌などでも、認知症の特集がされ、その症状などが紹介されています。一言で「認知症」といっても、認知症にもいくつかの種類がある事も紹介されています。認知症は、症状などから細分化すると、10種類以上にも分けられそうです。そのうち、患者数が多いとされる、5種類の認知症の病型と症状をご紹介させていただきます。●病型:アルツハイマー型認知症症状:もの忘れ
久しぶりに夢に父が現れたうん、認知症始まりの頃なのかな車でやってきた(母の運転なのかな)老眼鏡をしているが左目には眼帯をしていた声を掛けても私の事がわからない様子そこで終わりの夢だった夜が明けると雨だった仕事へ行くに家を一歩出た時に思い出した「そういえばあの日もこんな雨だったな」もう5年なんですね今でも生きていたらきっとコロナで肺をやられて逝ってたかもとか思ったりそう思うと本当にナイスタイミングで生ききったよなとか思ったりまぁ時々は思い出せよって事なんだろうけど毎
●昔、公衆衛生と救急医療は儲からないと話を聞いた。感染症医は全国1500人くらいだそうだ。しかし、このウイルスは合併症による死亡例が多く存在する。これは感染症医だけでは対応ができない。長期間症状や後遺症もある。総力戦でそれぞれの専門医の参加が必要となってくるに違いない。女子高生ダンサーを襲った原因不明の難病、痛みと見た目の変化…理解されない「つらさ」を乗り越えるまでオリコン妻と5歳の子がいる40歳急性骨髄性白血病患者を襲った壮絶な合併症…看護師に渡したメモの最後に書かれていたこと読売新聞
高齢者のグループホームで働く介護福祉士の純です新しい方が入居されました〜70代前半女性前頭側頭型認知症さてさて前頭側頭型認知症とは。。他の認知症とは違い指定難病です初期のうちから、毎日決まった時間に決まった行為をすることへのこだわりや、周囲への配慮に欠けた行動が多くみられます。またそれを制止されると、興奮したり暴力をふるうなどのBPSD(周辺症状)が目立つ症状ですルールを守ったり、他人に配慮したりすることができなくなり、周りの状況にかかわらず、自分が思った通り
ミコタンの面会に行きました。看護師さんが「相談員の人から退院が近いと聞いています」と。まだ具体的には何も決まっていないそうです。でも、退院に向けて食事を普通食にしてくださったそうです。今までは食の細いミコタンのためにカロリーの高いジュース(栄養補助食品)がついていたそうです。しかし、グループホームでは普通の食事になるから慣れておかないと、ということだそうです。ミコタンは嫌いなオカズは残すけれど、ご飯はほぼ食べているらしい。良かった。それと、他の患者さんとトラブルがあったそうです。
グループホームの入所申し込みをしたのが、2019年の7月。それから音沙汰なく、年月が流れました。新型コロナの騒動となり、ミコタンとの面会も出来なくなりました。ジイジの一周忌も中止となりました。春過ぎにミコタンの病状も安定したとのことで、病棟を変わりました。今度の病棟は多分、慢性期の人が入る病棟なのだと思います。コロナのせいで、病棟内に入ることは出来ませんが、なんとなく静かです。大声をあげる人もなく、点滴をしているもいない。静かに座っている人が多い。安定した病状の人が多いような。
相談員さんが勧めてくれたグループホームに見学に行きました。1つ目のグループホーム。自宅から少し遠い。でも、職員の方も親切で良い方でした。広間は自宅の様なアットホームな感じ。入所を待っている人が3人。2つ目のグループホーム。相談員さんのイチオシ。自宅から近い。エレベーターを上がって扉が開くと、ちょうど体操の時間でした。テーブルの周りに座ったおばあさん達。ある人は元気に、ある人はそこそこに、手をあげたり腕を回したり、音楽に合っているような、いないような、でもみんななんだか楽しそ
ミコタンは今は病院に入院しています。初めに入院したのは急性期の病棟。食事が取れず、精神的にも不安定でした。よくなってきたけれど、ジイジが亡くなってからまた精神不安定に。ジイジが亡くなったのが去年の4月。四十九日の納骨の時は最悪だった。ご飯の食べ方がわからなくなり、看護師さんにご飯を食べさせてもらっていた。四十九日の会食でも、私の横に座って「どれを食べていいかわからない」と言われた時には、私も愕然とした。お皿に載っているのは全部食べられるよと言っても、お膳を前に呆然としているミコタン
面会に2回行ったけど、ブログに書くのをサボっていたら、ちょっと事が動いたので慌てて書いています。11月8日ミコタンの冬服を持っていった。夏物の服やパジャマを預かる。洗濯しなくっちゃ。ホールでみんな集まってテレビ鑑賞していた。ハリーポッターが流れていた。20人くらい座っていたけど、何人くらいの人が真剣に見ているのだろうか。ミコタンはその中にはいなくて、看護師さんに呼ばれて部屋から出てきた。筆談用の紙とペンを忘れてしまったので、ガラス越しに顔を見て、口パクで少しだけ話をする。元気そう
ミコタンは今は認知症で入院しているけど、昔はどんな人だったか説明します。謙遜せずに娘として書きます。まず、美人。若い頃の写真を見るとアイドル並みです。私の夫は昔のミコタンの写真を見て「女優みたい」と評しておりました。モテモテだったみたい。美人の母でした。結婚前は銀行員でした。結婚して私を産んだあとも働いていたようです。引っ越ししてからは専業主婦でした。家計簿をつけていたけれど、ソロバンとお札を広げて数えるのが上手だったのを覚えています。銀行員だったときの賜物でしょう。専業主
遂に面会制限が緩和されました。予約制で面会ができます。しかし、1人の患者につき1か月に1回のみ。午前1組、午後1組。10分間です。2メートル離れてマスクとフェイスシールドをつけてです。今、ご自分で爪を切っていましたと看護師さん。廊下の奥から歩いてくるミコタンに手を振ると、ミコタンも手を振り返してくれる。よかった、調子がいい証拠です。廊下に椅子を置いて向かい合って話をする。何を聞いても「大丈夫」と言うミコタン。お部屋は何人?知っているけど聞いてみる。4人部屋で空きベッドが2