ブログ記事421件
今年のツーリングは山陰へ25月1日夜ツアーに出る前までは3日目は仙崎に向かい道の駅センザキッチンに行く予定でした。(その後は北九州から宇佐へ回り、我が家で飲むことになっています。)友人が「うちの嫁さんが、『角島がきれいらしいよ。』と言っていた。」と言いました。急遽、角島に向かい、その後”道の駅北浦街道豊北”で買い物と遅い朝食を取ることにしました。「急遽変更ですか。それもいいですね。」5月2日山口の道はきれいです。大規模農道という素晴ら
今年のツーリングは山陰へ!今年もこの季節がやってきました。大阪に住む高校の同級生とツーリングに向かいます。五月の連休の隙間にツーリングをすることになっています。今年は、私が大阪までフェリーで向かいます。西宮名島SAで合流して松江から萩、仙崎に向かい同級生は別府から大阪にフェリーで帰っていくという計画になっています。心配は雨です。「気をつけて行ってきなさい。」4月29日17時に出向するフェリーに乗船します。13時過ぎに門司港に向かいました。少し雨が降
PeepingKenko?徒然草第百五段家の北側の日陰にはまだ雪が残っていました。その雪がは凍り付き、寄せてある牛車の轅にも霜がとてもきらめいていました。有明の月はよく見えるのですが、くっきりとまでは見えませんでした。そんな時に、人の来ない御堂の廊下でかなり身分が高いと思われる男の人が女の人と長押に腰かけて語り合っていました。いったい何を話しているのでしょうか、話が尽きる様子がありません。女の人の顔かたちは美しく、何とも言えない香りがさっと薫ってくるのは、
愛のかたち?徒然草第百四段ある女性がある事情から世間との交わりを避け、荒廃した家に暮らしていました。することもなくただ引き籠っていたのですが、ある男の人が夕月がまだ薄く見える時間にお忍びで尋ねていかれました。「こういう時は名前なしなのね。ある愛の詩?」犬が騒々しく吠えたてたのですが、召使の女の人が「どちらさま?」と尋ね、様子を伺い、そのまま屋敷へ通されました。周りの淋しい様子は、どのような暮らしをしているのだろうと心が苦しくなってきました。みすぼらし
徒然草第百三段後宇多法皇(鎌倉時代の害91代天皇)の御所で家臣たちが、なぞなぞを作って遊んでいました。そこへ、中国から帰化した医師の忠守さんが参上してきました。その時、正親町三条公明さん(鎌倉後期の公卿・歌人)が「我が国の者とは見えない忠守よ。」となぞなぞを出題し、「唐瓶子」と解いて笑いあったのです。それを耳にした忠守は怒って出ていきました。「忠守さん、何を怒ったのでしょう。」このままだと、忠守さんが何に対して怒って出て行ったのかがよくわかりませ
徒然草第百三段に行く前に本文に入る前に、事前に知ってもらいたいことがあります。その説明です。久しぶりにいい天気でした。これは説明の一部ではありません。この段に登場する医師(くすし)忠守さんは中国から帰化した渡来人だったという事です。今でいうところの中国系日本人です。(医師忠守さんは第百三段の中心人物です。よく覚えておいてください。)「これからが今日の中心ね。」この段と平家物語の平忠盛さんのエピソードが関係してくるのでそれを紹介します。(第百
徒然草第百二段弾正台の長官をしていた源光忠さんが宮中で行われた鬼やらいの責任者をつとめたときのことです。洞院公賢右大臣さんに式次第について教えを乞うと「又五郎に教わる以上に良い方法はあるまい。」とおっしゃった。その又五郎さんは年老いた警備役人なのですが、宮中の儀式に精通していました。ある時、近衛経忠さんが儀式の場におつきになった時、軾を敷き忘れたまま役人を呼びつけました。そばで火を焚いていた又五郎が、「役人を呼ぶよりも先に、まず敷物をお取り寄せればよい
徒然草第百一段大臣の任命式である人が責任者となった時の話です。(ある人が誰かは判ってはいません。名誉の問題からでしょうか。)役人が持っていた宣命(天皇の命令を期した紙)を受け取らずに、式場に入りました。大変な失態なわけですが、とりに戻るわけにもいかず、どうしたものかと考えていたのです。(いくら考えても、忘れたものはどうにもなりません。)中原康綱という役人が女官に頼んで宣命を持たせ、こっそりと差し上げました。機転の利いた、すばらしい行動でした。(素晴らしい行
熊本3つの復活1日バスツアーに行ってきました。行先は熊本です。晴れていればよかったのですが、残念ながら雨の1日でした。旧阿蘇大橋2016年の熊本地震で落橋した阿蘇大橋に変わって、新しい阿蘇大橋が2021年3月7日に開通しました。震災遺構”阿蘇大橋(残った橋桁等)”を見ることができるという事で行ってみました。残念なことに、霧が深く、”残った橋桁”は見ることはできませんでした。しかし、帰る途中に霧が少し晴れたので、何とか写真を撮ることができました。
徒然草第百段久我通光さんが宮中で水を飲んだ時のことです。(久我通光さんは鎌倉時代の公卿で歌人でもあります。)女官が”土器(かわらけ)”を差し出したところ「”まがり”に入れて持って来なさい。」と言って、”まがり”で召し上がったという事です。ここで、”まがり”という言葉ですが、漢字で書くと”鋺”と書きます。酒や水などを飲むのに用いる器で、椀や柄杓の類です。久我通光さんは手水舎にある柄杓のようなもので水を飲んだのでしょうか。「要は、”土器(かわらけ)”じゃ
徒然草第九十九段堀川基具さんは美男で裕福であったため、何でも贅沢を好みました。次男の基俊さんを長官にして庁の業務を行われた時に、庁舎にあった唐櫃が見苦しいので新調しようと基俊さんに命じました。「古くなったら、新調ですか…。」ここで雑学です。堀川基具さんには4人の子、具俊さん、基俊さん、道源さん、宗助さんがいます。ここに出てくるのは次男の基俊さんです。ところが、兼好さんは出家する前に、長男の具俊さんに仕えていました。「兼好さん、堀川さん寄りの人の
一言芳談徒然草第九十八段尊い高僧が言い残したことを書きとめた「一言芳談」という書物があります。その中で心に響いた事です。一、やろうか、やめておこうかと迷ったときは大抵しない方が良い。一、来世で幸せになろうと願う人は、ぬかみその壺ひとつすら持ってはいけない。お経の本、本尊の仏像までも立派なものを持つのは意味がないのです。一、出家した人は、物がないことを苦にしない生き方を心がけるのが良いのです。一、高僧は下僧に、智者は愚者に、富裕者は貧困に、有能者は無能
門司港レトロ昨日、門司港レトロに行ってきました。何か月か前のことです。映画を見に行った時に、バス旅行ツアーの応募用紙を貰いました。何とhimemomo-nさんが当選しました。と言っても、1人4400円、連れが5,500円という内容ですが。行先は門司港レトロです。昼食は焼きカレーかアオサ鍋のふぐしゃぶ雑炊セットです。2人で9.900円なので、行くことにしました。中津駅前を出発です。最初から門司港レトロに行くことはありません。最初に行ったのは、ジェリーや
虱・鼠・犯罪者…徒然草九十七段その物にとりついて、その物を弱らせ損じてしまうものは沢山あります。体には虱、家には鼠、国には犯罪者、愚かな人には財産があります。人格者には義理であり、僧侶には仏法があります。体には虱、昔はよく聞いたのですが、最近はあまり聞くことはありません。とは言ってもいなくなったわけではないようです。虱は蚤と違い終生を宿主上で暮らすと言いますから、とりつかれるというのは的確な表現かもしれません。「そういえば、私もネコハジラミから
蝮にかまれたときは徒然草第九十六段「めなもみといふ草あり。くちばみに螫(さ)されたる人、かの草を揉みて付けぬれば、即ち癒ゆとなん。見知りて置くべし。」「蝮に噛まれた人は”めなもみ”という草を揉んで付けておくとすぐ良くなります。覚えておくとよいよ。」よ兼好さんは言ってはいますが、実践してよいものやら考えてしまいます。「兼好さんみたいなすごい人が言ったのだから間違いない。」というのは、私の完全な思い込みだと思います。「本当に大丈夫なんですか?」”め
勅書徒然草第九十四段本日のお題は「勅書」です。天皇の命令書には「詔勅」「詔書」「勅旨・勅書」「宣旨」「綸旨」「勅命」「勅使」などがあります。「勅命」「勅使」は大日本帝国憲法下のものです。「勅旨」と「勅書」は同じ意味で使われ、特定の個人または機関に対して発給された文書です。「今日は”勅書”の話みたい。」モモ「それどころじゃないわ。外で猫の鳴き声がしたの。」ヒメここから第九十四段です。西園寺実氏さん(官位は従一位・太政大臣で鎌倉時代前期の公
牛を売るものあり徒然草第九十三段「牛を売る者あり。買ふ人、明日、その値をやりて、牛をとらんといふ。夜の間に牛死ぬ。買はんとする人に利あり、売らんとする人に損あり」と語る人あり。要は、「牛を売る契約をした人の話ですが、明日金を払って牛を引き取る約束をしたのです。ところが、牛が夜の間に死んでしまったわけです。結果、買おうとした人は徳をして、売ろうとした人は損しましたね。」と言った人がいました。最初を読んで、法律の問題かと思ってしまいました。口約束だったかもしれないので、契
菜の花フェスタ2024私の車(軽なんですけども。)はエアコンを入れても外気温とほぼ同じではなく、日が射して温室状態になるので外気温より高いのです。昨年から、エアコンの調子が悪く、今年は冷たい風が出る気配がありません。私だけだったら、それでも窓フルオープンで頑張れるのですが、90歳を超えた母を病院に連れて行くとなるとそうは行きません。「それは仕方ないわね。」himemomo-nさんの車はエアコンが効き快適なのですが、母を病院に連れていくという事に関しては私の
「一射絶命」徒然草第九十二段弓道では左手に弓、右手に矢を2本持って的に向かいます。最初の矢を甲矢(はや)、次の矢を乙矢(おとや)と言います。一射目は甲矢を弓につがえ、乙矢の矢頭を右手の薬指と小指で挟んで持ったまま、弓を弾きます。ここで、「一射絶命」の登場です。「一撃必殺?」右手には2本目の乙矢があるわけですが、”次の矢があると甘えるのではなく、1本の矢に己の命をかけるくらいであれ。”となるわけです。「また今度」や「次は」と考えることが惰
赤舌日徒然草第九十一段「赤舌日」の勉強からです。「赤口」(六曜)は知っていたのですが、「赤舌日」は知りませんでした。陰陽道においては赤舌神が六鬼の鬼神(明堂神・地荒神・羅刹神・大澤神・白道神・牢獄受神)を使役し、六日周期で一鬼ずつ遣わし守護をさせると言います。赤舌日は羅刹神が支配する日で不吉とされる日です。羅刹神は憤怒の相がすさまじいため、すべての生き物を威圧するとされるところから、六日ごとに訪れるその日は結婚や祝い事などの仕事をしない方が良いとされます。
桜昨日バレーの試合があったダイハツアリーナのまわりは桜の木が沢山あり花見の名所です。試合が終わった後、その花を見て帰るつもりでしたが、雨でそれもかないませんでした。今日は薄曇りですが花見は何とか出来るのですが。himemomo-nさんが声楽のレッスンをするところの発表会です。花見どころではありません。晩御飯の準備も私という事になりました。明日の天気予報は雨模様です。本当に花見はあきらめなければならないみたいです。「自然だけはどうしようもないからね。」
今日のブログは…。徒然草第八十九段今日のブログは”猫と生活”のジャンルにはふさわしくないかもしれませんが、徒然草に書いているのでご容赦ください。「何がふさわしくないの?まさか…。」徒然草第八十九段は『猫また』のお話です。猫または大別して山の中にいる獣と言われるものと、人家で飼われている猫が年老いて化けると言われるものの2種類です。今回は後者の方が問題になるのですが、前者も全然関係ないかというと、そうでもないような気がしました。第八十九段に入ります。
開運!なんでも鑑定団?徒然草第八十八段八十八段は「開運!なんでも鑑定団」に、所有する作品を出す人の気持ちを書いたような文でした。ある人が小野道風が書いたという和漢朗詠集を持っていました。ここで、ちょっと一言。小野道風さんは平安時代前期から中期にかけての貴族・能書家で、花札の札の人の一つである「柳に小野道風」で有名な人です。”三体白氏詩巻”や”智証大師諡号勅書”は国宝に指定されています。「最近の若い人、花札なんてしないでしょ。”雨四光”なんて知ら
最低の酔っぱらい徒然草第八十七段「百薬の長とはいえど、万代の病は酒よりこそ起これ。」と兼好さんは第百七十五段で言っています。兼好さんは酒で辛い思いをたくさんしたのかもしれません。とは言うものの「捨て難き折もあるべし。」とも言っています。第八十七段は、最低の酔っぱらいの話になっています。「”最低の酔っぱらい”ね。どれほど酒癖が悪かったのかしら。」宇治に住んでいた男性が親しくしていた京の具覚房というお坊さんに迎えの馬を遣わせたのです。具覚房
この話の裏には…。徒然草第八十六段平惟継さんは自然派の多彩な詩人でした。一生を仏教修行に精進するという事で、詩経をして、園城寺の円伊僧正と同じ坊に住んでいました。文保年間に園城寺が焼討に遭った時、円伊僧正に対して「あなたをこれまで『寺法師』と言っていたのですが、寺がなくなったので、これからは単に『法師』と呼びましょう。」と言ったのは、かなり上手い言い回しです。この言い回しが、なぜ上手いのかよくわかりませんでした。しかし、園城寺が円伊さんにとって、どんな意
孟母三遷の教え?徒然草第八十五段「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。」狂人の真似をする人は狂人なんです。千里を走る駿馬はやはり千里を駆ける駿馬なのです。舜に学ぶのは舜の同志なんです。(舜さんは中国古代の聖帝です。)自分を偽ってでも賢者の真似をする人は賢い人なのです。「人まねが大切なの?」思い出しました。「孟母三遷の教え」孟
三蔵法師徒然草第八十四段三蔵法師と言えば、孫悟空と猪八戒、沙悟浄をお供に天竺にお経を取りに行ったい坊さんのことしか知りませんでした。第八十四段に出てくる法顕三蔵もその物語の主人公?西遊記に登場する三蔵法師は玄奘三蔵で法顕三蔵ではありません。「三蔵法師って、何人もいるのですか?」どうも、私の認識が甘かったようです。まず「三蔵」ですが、仏教の経蔵・論蔵・律蔵を三蔵と言います。「三蔵法師」という称号(称号なんですね。)はインドの経論律の三蔵に精通した
今の政治家はどうなんでしょう徒然草第八十三段西園寺公衡さんは太政大臣に昇進してもおかしくないのに、「普通過ぎてつまらないので、右大臣になるのはやめておきましょう。」と言って出家しました。「亢竜の悔あり(昇りつめた竜には悔いが残る)」と言います。月は満月になるとかけていき、物事は盛りを過ぎると衰えるものです。先が見えている物事は破綻が近いという道理なのです。「私は衰えてるのではなく、緩んでぺったんこになってるだけです。」太政大臣と言えば太
徒然草第八十二段「羅の表紙は、疾く損ずるが侘しき」と人のいひしに、…所で”羅”とはどういう意味でしょう。”羅生門”の”羅”ですが、訓読みはと調べてみました。「今日は漢字の話なの」モモ(左がヒメ、右がモモです。)漢字辞典オンラインで調べると音読みは「ら」(これは私でもわかります。)、訓読みは「あみ、うすぎぬ、つら(なる)」でした。”あみ”は”羅”に変換されますが、”うすぎぬ”と”つら(なる)”は”羅”、”羅なる”とは変換されませんでした。「漢字の説明
桜とバイク徒然草第八十一段いい天気です。汗ばむような天気です。私の軽自動車のエアコンが効きません。今までは、寒かったので良かったのですが、少し困っています。家の窓を開け、外の空気を取り入れても寒くはありません。喜んだのはヒメとモモかもしれません。網戸越しに外の空気を感じながらニャルソックをしていました。「お父さんと違って、多くの外の匂いを感じることができるわね。」ひょっとすると桜が咲いているのではと、大貞公園に行ってきました。咲いてはいましたが、ようや