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トルコ旅行記①トルコ旅行記②の続きパムッカレ⋯トルコ旅行ではパムッカレに行かないツアーも多いのですがわたしはパムッカレ&カッパドキアどちらも行けるツアーを探しました。パムッカレは残念世界遺産とも言われていてそれが人気がなくなっている理由のひとつ。SNSで、綺麗な写真が出すぎていて↓↓↓実際は水はほとんどが干上がっていてブルーと言うより白!なんですよね↓↓↓しかし、ここはヒエラポリス遺跡もあってわたしは面白かったし、行って良かったです!(
トルコ3日目(1日目はほぼ移動だってば!)よーーーやくWiFi環境が整ったホテルに到着しました今回は海外WiFiを借りなかったこと猛烈に後悔しています。インドは海外WiFiがあってもダメでしたがトルコはそれさえあれば問題なかったと思います(エジプトはその間くらい)今回もまた、短期間に全てを詰め込む強行ツアーに申し込んだためヘロヘロです↑↑↑投稿に失敗して必ずここに戻ること、3回目さすがに写真を入れると送れないみたいなので文字だけですがとうと
ツアー4日目8時出発パムッカレ観光ヒエラポリス遺跡、石灰棚へ斜面を流れる温泉の石灰成分が沈澱し、凝結されて石灰棚ができた。真っ白な雪のように見えるが石灰石灰岩の上に流れる温泉に足をつけて石灰棚を見に行こうと歩き始めたが、滑りそうで、一歩ずつゆっくりしか進めない😭残念ながら、引き返した。コンヤへ約410km5時間30分バス🚌途中、昼食はトルコ風ピザコンヤへ到着は16時過ぎインジェミナーレ神学校、メヴラーナ博物館を見学閉館時間は5時係の人に門を閉められ、追い出された。
「古(いにしえ)の石の都へ」トルコ篠笛の独奏曲荒井ひとみ作曲集CD5の1「曲想」トルコの「パムッカレ」と「ヒエラポリス」の位置関係大きな池の向かいに見えるのがパムッカレです以下↓は古代都市「ヒエラポリス」です北ビザンティン門メインストリートが一直線に町を貫いておりその両端の南と北に門があります北の浴場町への訪問者はここで旅の汚れをおとしてから町に入ることができましたもちろん南の浴場もありました神殿跡「曲名」の石の都とは
トルコ4日目後半は世界遺産パムッカレの石灰棚パムッカレの丘から流れ出る石灰を含んだ温泉水が段々畑のような石灰棚を作っている雪のように白く見える石灰棚は温泉水に含まれている炭酸カルシウムが積もり積もったものここで足湯するのが楽しみだったジャーン干、干上がってるズームズームここ数年湯量が減少してかろうじて1列のみエメラルドブルーの温泉水が流れてる念願の足湯生暖かい温泉水でぬるぬるツルツル滑る、滑る気を緩めると転げてポチャンとなりそう恐る恐る…これで一つ夢が叶いました温泉か
絶景!パムッカレ(トルコ国内観光③)皆さま、おはようございます昨日の続きです↓『エフェソスへ(トルコ国内観光②)』エフェソスへ(トルコ国内観光②)皆さま、おはようございます昨日の続きです↓『チャナッカレ~イズミール(トルコ国内観光①)』チャナッカレ~イズミ…ameblo.jpエフィソス観光の後は、革製品のお店に向かいました。こちらのお店では、なんと人生初のなんちゃってファッションショーに出演その後ランチへランチでは、
こちらはヒエラポリス遺跡内にある温泉。なんと浴槽がギリシャローマ遺跡の温泉ですよ。そして石灰棚。私もぽかぽか温まりたかったなー。涌き出る温泉成分により長年かけて作られた棚段々畑みたいな形。時間がなく通りすぎるだけ全体で4.5時間の見学でした。ここは温泉含めまるまる1日かけて楽しんだ方がいいと思います。日本人団体ツアーでは90分です。神殿と劇場と石灰棚の写真撮って終わりかな。私はバスの時間に追われて猛ダッシュ🚄💨💨南門からは高速バス乗り場行きのバスが出てないOrz.....
カラハユットからパムッカレへ数キロバスの移動。また人懐っこい犬が🐶管理されてる野良犬ですパムッカレ到着。入場料700リラ、4060円。今日は晴天☀️気球も上ってます。こちらは墓地。ネクロポリスと呼ばれています。人誰もおらん。見渡す限り墓地が続きます。生きてる人より死んでる人の方が数多いもんね。3世紀の墓。屋根は大理石が使用されています。こちらは2~3世紀の墓。深い納骨堂があります。ひたすら墓地。こちらは2世紀の墓。中に墓床があります。墓墓墓。2世紀の墓。死者を弔
2023年5月パムッカレ・ヒエラポリス観光湖水地方のエイルディルから乗り継ぎバスで約3時間で交通拠点デニズリに着き、そこからドルムシュで20分、パムッカレに到着し、ホテル(パムッカレMelroseViewpointSuite)にチェックインした。(2泊)パムッカレとは"綿の城"の意味パムッカレ(石灰棚)1日目はパムッカレ・石灰棚の麓のピクニック公園、町並みを散策した。2日目は朝から約5時間かけパムッカレ・ヒエラポリスに入場(1日券400トルコリラ,2,800円)、
7月15日やっとカッパドキアとおさらばできる←オイオイいや冗談ではなく目がゴロゴロして開けてられないのは、ここの風土的なものなのだろうと思う離れたら治ったからね目薬差しまくってもだめツアーの人も呟いてたBBAだから潤いが足んないのかな住んでる人は平気なのかな???朝、ばあやの部屋のドアを開けたとこの景色人の部屋の前に駐車してんじゃないわよ〜ちょっと登ったよその人の部屋の前からエレベーターに向かう地下道エレベーターと言っても2階分しか
エフェス遺跡→ランチ→パムッカレへトルコは日本の時間より6時間戻るので、日本の深夜に出てから丸2日外にいることになりましたなので、暑いのもあって過酷ヒエラポリス石灰棚本来は真っ白で水が溢れてる感じですが、観光客が荒し、水は枯れ、わざわざ一部に水をはってるようですかなり滑る見晴らしは良かったです自由時間で、敷地にあるテルマル(露天温泉)集合でしたが、暑すぎてすぐに集合場所へおみやげ屋さんで涼もうとしましたが、ほとんど冷房効いておらず…(´Д`)ハァ…過酷旅続きます【中古】るる
2023.5/19エジルデル→ウスパルタ35kmミニバスタクシーでウスパルタオトガルウスパルタオトガル11:30→デニズリ13:45flixバスデニズリ→パムッカレミニバスパムッカレ周りの公園から石灰棚をながめると5/20パムッカレ入場半年前より倍に一人2800円みんな裸足で朝の9時頃で空いてます気温は15℃ですが、ぬるま湯なので気持ちいい大根足見せてすみませんハングライダーのアクティビティ下の公園も石灰棚を引き立ててくれます奥に進むと
2011年6月に訪れた中東の旅を綴っています。当時簡単に書いたものに写真を追加し、大幅に加筆しています。遺跡に覚醒した私は、ヒエラポリスを隅々まで見学しています。そして、更に先に向かうと見えてきました、白山!パムッカレです。日が暮れて、写真はうまく映らないのですがスッゴイ綺麗な景色なのですよ。Kさんが、「いいかい。」「パムッカレ(PamukKale)は英語に置き換えると(CottonCastle)なんだ。」つまり「(白い)綿の城」「ここは地中からカルシウムが噴き出てるんだよ。」
2011年6月に訪れた中東の旅を綴っています。当時簡単に書いたものに加筆しています。旅行会社で働くガイドの兄さん(Kさん)とヒエラポリスを巡ることにしました。私はこの時、パムッカレ(棚田)を目的に来ており、その山の上部に遺跡(ヒエラポリス)があることを知りませんでした。そして、ここに来るまで私は遺跡にそれほど興味がありませんでした。世界遺産だからという理由で、ここまでも多くの遺跡を訪ねましたが、実際のところは本質を知らず、崩れた石を見て「ここは、ここと繋がってたんだな?」とか、「よー、大
おはようございます。いつも良いねと訪問お立ち寄り有難うございます今日は、トルコに思いを寄せてトルコ旅行の写真を。当時は乳がん治療後、半年頑張った自分にご褒美として行った旅行です。と言っても私の決めていたことは一年に一度は旅行に行くことを心がけていたので一枚目はギョレメ国立公園で気球に乗り、上空から写した写真。私が行ったツアーでは気球に乗るプランは気球の事故があったことをきっかけに乗ることはできなかったのですが、現地で手配、風の状況では乗れないと言われていま
トルコの遺跡としては、エーゲ海に面した地域に点在しているが、エフェソス遺跡ほど完成度の高い遺跡はないのです。紀元前にできた遺跡としては、ポンペイ遺跡、ギリシャのエピダウロス遺跡に匹敵する。この古代ローマの影響を受けた古代都市を有名にしているのが、ケルスス図書館だと思います。いろいろな行き方があるが、僕たちはイスタンブールからリゾート地でもあるイズミールまで国内線に乗り、バスでこの遺跡に向かったのでした。かってローマ帝国のアントニウス、クレオパトラも訪れたヒエロポリスとしても有名です。古代都市
旅の途中ではございますが、ペルセポリスの後の良いタイミングなので、全く歴史や遺跡に興味なかった私が、突然遺跡好きになった経緯を詳しく書きたいと思います。子供の頃、社会の時間に世界史や日本史を勉強し始めますよね?私、この時間が苦痛でした。何故かというと、単純に歴史に興味を持てなかったから。子供の頃からどちらかというと合理的でして、「過去に起こった出来事を、何故に現代で勉強する必要が?」「それを知ることは嬉しいのか?楽しいのか?」生きていく上で実用性を感じられない世界史や日本史を、何のために
トルコ篇④→コンヤ昨晩入った温泉(プール)は、明るいとこんな感じ。上の湯気が出ているところが温泉、その地下がハマム(蒸気サウナ)このカラハユットは温泉地としては大きく、大きなスパホテルが点在している。トルコは地震国でもあり(歴史上何度か巨大地震があり、ギリシャ時代以来の遺跡が倒壊している)、また温泉国でもあります。源泉地数が1500以上(TURKISHAir&Travelによる)とあり、相当なものです。さすが、ハマムの国です。(ちなみに日本の源泉数は約30,000、宿泊施設
こんばんは。大阪の堺市と和泉市でお菓子教室を開講予定のblueflowerです。✾ヒエラポリスとパムッカレ✾トルコ共和国✾1988年✾複合遺産(ⅲ)(ⅳ)(ⅶ)温泉はアガーで透明感を出し、周りの石灰棚は綿菓子と粉砂糖で表現しました。綿菓子が溶けるので時間との戦いでした石灰棚の白と湧き出る温泉の水色のコントラストが美しいパムッカレ。近くにはローマ時代の遺跡ヒエラポリスがあります。この辺りはローマ時代から温泉保養地として栄え、今も遺跡の周りにはたくさんのスパ施設
10/27(日)②昼食は例によって道の駅のような食堂、ここは奥が深く、別棟もあって収容できる客の数はかなり多い。ここで出しているメインの料理がトルコ風ピザ。ドライブインの食堂とトルコ風ピザトルコ料理が世界3大料理の一つと言われている、というのもここではじめて得た知識である。「ピデ」と呼ばれるトルコ風ピザは、確かにピザだが皮が割合に薄く、トマトベースのソースが主体、チーズが存在を主張するようなものではない。不味いと言うつもりは毛頭ないが、このような旅の
10/27(日)①6:00にはモーニングコールが鳴り、否応なく起こされる。かなり過酷なスケジュールで、日本からの時差もあり、加えて結構年齢層が高いから、体調を崩す人が出てもおかしくはない。パムッカレのホテルはデザインが凝っていた本日の目的地はパムッカレの景観地、隆起した石灰層でできた山に温泉がしみ出して形作られた棚田のような池だ。これを何と表現していいか分からないが「石灰華段丘」というらしい。バスで山に向かう坂道を上っていくと、やがて、朝日を浴び、ま
4・5日目ホテルを7:15に出発し、古都コンヤを経由してパムッカレに向けて700kmの移動途中、旅行会社が契約している絨毯屋さんへ。絨毯の価格は結び目の数によって決まり、シルク絨毯の玄関マットサイズで細かい模様は20万円程。最後には10万円と言っていたけどウールだったら手頃な価格だけど、比べるとやはりシルクと思ってしまいます・・。ラクダ隊の商宿キャラバンサライで休憩。ここはかつてラクダ隊が商宿としてしていたところ。入場料3リラ必要で、ただ庭があるだけなので入る人はあまりい
トルコの旅も第4回目になりました。今回は、パウロの伝道の旅からは少し外れますが、初代教会のあったコロサイ、ラオデキヤ、ヒエラポリスをご案内します。トルコの中西部にコロサイがありますが、現在の町の名前は「ホナズ」と呼ばれています。今までご案内してきた、アンテオケ、タルソ、ピシデヤのアンテオケは遺跡として発掘もされていて、ある程度見るものがありましたが、ルステラと同じく、ここコロサイはただの丘があるだけです。ちなみにこの丘の斜面にはローマ時代には半円形劇場があったようです。そう言われ
韓国ファッション着用しやすいゆったりシルエッ...Qoo10999円4色ハイネックワンピース柔らかい肌触り良い...Qoo101,299円アラフィフらしいコーデというのは自分に恥ずかしくないコーディネートそして誇れる✨一品をプラスします
⭐️🛩数あるブログの中から、ご訪問ありがとうございます🛩⭐️❤️旅が大好き❤️❤️旅の計画を立てるのが好き❤️❤️マイルを貯めるのが好き❤️ANAマイルを地道に貯めてた🛩空マイラー🛩が出産を機に✨陸マイラーへ✨3か月で10万マイル(ビジネスクラスでヨーロッパに往復できるマイル数)貯めました♪家族旅行、新婚旅行を費用の面で諦めてませんか?「ラクラク★マイル講座」初級編⭐️マイルについて⭐️マイルの効率的な貯め方⭐️ラグジュアリーホテルにお得に泊まる方法(塩
旅の5日目楽しみにしていたパムッカレへ♪真っ白い石灰棚に温泉が溜まりブルーに輝きそこに旅行者が入っている光景をTVで見た時から『いつかパムッカレに行って石灰棚の温泉に浸かってみたい!』とずっと思っていましたイメージ写真何年か前に自由に入れなくなったと聞きとても残念に思っていたのですが決められた場所なら入れるみたいだしやっぱりこの光景は見てみたい!このパムッカレもトルコ行きの大きな楽しみのひとつでした♪まずは泊ったホ
トルコはアジアとヨーロッパにまたがり、東西文明が入り交じった豊かな歴史があります北は黒海、西はエーゲ海、南は地中海に面し面積は日本の約2倍です6月30日現在、新型コロナ感染者は約20万人(約17万人回復)、死者約5000人です世界全体では約1千25万人強の感染者(約半数回復)、約50万人が死亡2010年3月26日~4月3日トルコを旅しました温泉というと日本特有のものと思いがちですが、実はトルコも温泉大国トルコ最大の都市イスタンブールはローマ帝国、東
皆さま、チャオ!トルコ語で「こんにちは」は「メルハバ」でしたねぇ〜。んじゃ、「おはよう」は?これは覚えやすいよ。「ギュナイドゥン」と言います。「牛丼ないどぉ〜う(無いよう)!」と関西弁で覚えて貰ったらええと思います(笑)。さて、昨日は現在のトルコ共和国が古代アナトリアの時代に古代ローマの統治下に置かれ、そしてローマ帝国、東ローマ帝国領土になり、最後はオスマン帝国になるまでの流れをお伝えしましたね。今日は古代ローマ時代の皇帝、ハドリアヌスやアウレリウス、カラカラたちが好んで滞在したト
12月1日、パムッカレ。綿の城との意味を持つパムッカレは2000以上の歴史をもつ国内有数の温泉保養地。紀元前190年、150㌔離れたベルガモを中心に栄えたペルガモン王国時代にパムッカレに町が建設される。ギリシャ系の王国だけに、その時代の神官は地面の裂け目から沸き立つガスを吸いトランス状態となり神託を与えたことから聖なる都市ヒエラポリスとも呼ばれた。発掘されている遺跡はローマ時代のもの。遺跡の状態はと言うとエフェソスの後だけに少し物足りないが、それでも劇場やアゴラ神殿や墓地、