ブログ記事100件
4月9日水曜日(本人曰く)フルコースでやってきた、と。1人で行きました。いつものもう、よか。どうせ行かれんめーもんどうせ会社行くんやろーもんとどうせしか言葉知らんの、くらいにブツブツ言ってましたが…。一緒に来て、連れてって、など頼まれてはないので。ついていきませんでした。結果1人で行けました。よかったよかった。10日ぶりの腹水抜き。お腹パンパンとは思ってたけど。7L超抜いたらしい。休薬週とはいえそんな溜まるの?と危機感覚える。モラ夫自身は気分良いらしく。
こんにちは!naruですあれだけ痛かった腹痛昨日の朝食後、水様の下痢するとあれだけ痛かった腹痛がなくなりました腹痛の原因は水様の便がお腹の中でグルグルしてたからだった様です。午後からは仕事が入っていたのですが、痛みもなく仕事出来ましたで、痛みもなくお腹もスッキリして夜ご飯を食べ過ぎてしまいました調子に乗るとダメですねパクリタキセルとサイラムザ5回目11日目の体調は良きただ、いつもの朝食後のお通じがないのでこれから出れば良いなぁと思ってます。今日は三男の部活のママたちと焼肉
こんにちは!naruです2回目のパクリタキセルとサイラムザから14日目明日はまた3回目の抗がん剤治療と診察です。昨夜は寝ていたら電話がなりました相手は主人何かと思い電話に出ると「バイクが壊れた迎えに来て」と最近、主人が出かける時にバイクの音が気になってました長年乗っているので一年に一度くらいのペースで壊れて止まってしまう眠い目をこすりながら、お腹のハリの痛みに耐えながらお迎えに行ってきましたそのせいか朝はいつもの時間に起きて朝ご飯を食べたら睡魔に襲われ2時間ほど寝てました
細胞検査に出したら1週間くらいで確実に薬が効くタイプの癌かがわかると言われていたが、検査に出してもらってないようだ。どうも、抗癌治療は勧められてない気がする。暫くして、薬が特定出来るタイプのガンではないことが分かった。肝臓の癌は、胃がんからの転移で肝臓がんではないとのこと。と言うことで薬が決まり、点滴が開始された。かなり強い薬らしいが、今は入院ではなく通院で治療をするそうだ。付き添い、励まし、体を動かす系のデーサービス、家政婦による食事作りサービスをして、治療のサポート体制を作った。が、
どうも、とめぞうです。おかげさまで抗がん剤投与は免疫の数が安定しており、順調に第3クールが本日から開始となりました。去年の春先、毎回免疫が上がらずに投与中止になったり量を減らしたりしたのが嘘のようです。思わぬ副作用(心臓サルコイドーシス発症)で投与中止したオプジーボですが、これのおかげで仮に今でも免疫が上がってるとしたならば、オプジーボを投与した意味はあったと思うわけです。さて、そんな中でも地味にプラモを作ってますよ。ということで、出来ました。アオシマアニメスケール1/100ディラ
どうも、とめぞうです。抗がん剤治療が順調に続き、2クール目を無事に終えました。前回(2020年春先の実施)は白血球の減少や免疫全体の低下があり継続が悪かったのですが、今回は順調です。これはオプジーボの副作用で免疫の異常増進が起きた恩恵(怪我の功名)ではないかと思ったりしています。腫瘍マーカーの数値も若干高めですが、12月よりも低下して安定しており、このまま治療を継続していきます。さて模型作りの方ですが、ディラノスは塗装に入りました。流石に1/100クラスの筆塗りってデカくて思ったよりも
2クール2回目、ナブパクリタキセル単剤から5日目です。今日は脚にしびれが少し出ており天気も悪かった為、40分の散歩以外は家でのんびり過ごしてます。口腔のプツプツは相変わらずあり、日によって濃くなったり、薄くなったり。痛くもかゆくもないので、初めはあんなにびっくりしたのに、あまり気にならなくなりました。よくも悪くもすぐ慣れてしまう性格だな、とつくづく思います。脱毛もだいぶ進んでおり、しかもカッパみたいなハゲかた・・(^-^;2歳になったばかりの息子を叱ると最近やたら
今日抗ガン剤出来たら休薬に入る!と嬉しくも、CT検査の結果次第では撃沈だなと少し不安の通院日、先ずは血液検査の結果は好中球やっぱり下がりだしてた。でも計算するとアウトの数値だけど腫瘍マーカー今回両方下がってるのは良いことだしこのままやるって事に決定。良かったんだよね。来て出来ないのは複雑だしそして何故か主治医CT結果の話にならず私が検査結果聞くとパソコンから画像だして何やらしてる。忘れてたか?(笑)そして今回も変わりはなく画像には転移など見当たらないとこれも良かったんだよ
通院日血液検査はクリアだけどまた木曜日に行き超高額な好中球、白血球下げない注射打ちます。これでコンスタントに治療が出来てる。今日は2クール目最終なので明後日病院行くけど休薬に入る。次回は21日かな。今日は呼吸器内科の検査もした。前回より良くなってると言われホッ。。COPDの自覚症状はあまりない、若干痰が出るくらいなので薬で進行が抑えられたらいいな。あと脱毛始まり暫く経ちますがまだ私の髪の毛残って頑張ってます。脳天が頭蓋骨見えくらいになりましたが帽子かぶればまだ
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。時系列で読めるようにタイトルに番号をふらせていただきました。番号のついていない記事はまだそこまで辿り着いていない記事になります。追いついたら順次番号をふっていこうと思います。診察で見せてもらったCT画像。5月に撮った時のものと比較しながらでしたが、あきらかに肝臓のがんは大きくなっていました。そし
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。時系列で読めるようにタイトルに番号をふらせていただきました。番号のついていない記事はまだそこまで辿り着いていない記事になります。追いついたら順次番号をふっていこうと思います。義実家での義母との話合いの中で今後、短い時間でも義母との同居を選択した私達。でもそれはずっと同居ということではありません。
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。時系列で読めるようにタイトルに番号をふらせていただきました。番号のついていない記事はまだそこまで辿り着いていない記事になります。追いついたら順次番号をふっていこうと思います。6月8日次の診察でCT検査と血液検査の結果によっては今のパクさん、サイさんから3次治療で最終治療となる「オプチーボ」に変
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。時系列で読めるようにタイトルに番号をふらせていただきました。番号のついていない記事はまだそこまで辿り着いていない記事になります。追いついたら順次番号をふっていこうと思います。前回の抗がん剤治療が白血球の減少に伴い延期となり、旦那の体調も徐々にではありますが、悪い方向に向いてしまう事が多くなっていきま
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。時系列で読めるようにタイトルに番号をふらせていただきました。番号のついていない記事はまだそこまで辿り着いていない記事になります。追いついたら順次番号をふっていこうと思います。5月25日無事にパクさん、サイさんの投与が終わりましたが、投与の最中に嬉しい誤算がありました。以前ここにも書いてあります
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。時系列で読めるようにタイトルに番号をふらせていただきました。番号のついていない記事はまだそこまで辿り着いていない記事になります。追いついたら順次番号をふっていこうと思います。5月18日に脾臓への影響は問題ないとの判断で無事にパクさん、サイさんの投与を終えてホッとしていました。病院からもらった血液
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。時系列で読めるようにタイトルに番号をふらせていただきました。番号のついていない記事はまだそこまで辿り着いていない記事になります。追いついたら順次番号をふっていこうと思います。ゴールデンウィーク明けの診察で脾臓の腫れを指摘されて言い知れぬ不安の中、5月11日に旦那が一人で検査を受けに血液腫瘍内科を
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。時系列で読めるようにタイトルに番号をふらせていただきました。番号のついていない記事はまだそこまで辿り着いていない記事になります。追いついたら順次番号をふっていこうと思います。家族ではどこにも出かけることなく終わってしまったゴールデンウィーク。でも、旦那には大きな収穫があったと思います。今まで腐れ縁
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。時系列で読めるようにタイトルに番号をふらせていただきました。番号のついていない記事はまだそこまで辿り着いていない記事になります。追いついたら順次番号をふっていこうと思います。抗がん剤投与が延期になり、ゴールデンウィーク明けまで診察の予定もありません。休みの間に何かあれば救急外来に。と言われ、薬も
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。時系列で読めるようにタイトルに番号をふらせていただきました。番号のついていない記事はまだそこまで辿り着いていない記事になります。追いついたら順次番号をふっていこうと思います。4月も終わりに近づき、ゴールデンウィーク前にパクさん、サイさんの投与が待っていました。4月27日いつも通りに朝8時半前
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。義母の行く末をどうしようか・・・大まかな道筋は見えてきましたが、行動に移してはいないので、結局は何も進められずにいました。義母の事に関してはもし、義弟が日本に帰って来なければ旦那には私がサポートする形で面倒をみると話してありましたが、次々に直面する問題と義母がもつ元々の性格を考えてなのか旦那はこ
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。私が地域包括センターを訪れた理由。旦那がいなくなった後の義母の生活を相談する為。それともう一つ。義母の認知機能についてでした。義母の年齢はこの時81才。定年で60才で仕事を辞めてからはたまにご近所さんやお友達の所へおしゃべりに行ったりする程度で外で活動することは殆どありませんでした。定年直後は
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。退院後、高熱などに悩まされながらもあれ以降は熱もなく、ただ、血圧が毎回高い数値を示す位で非常に落ち着いた日々を過ごしていました。パクさん、サイさんの副作用で高血圧がいわれていましたが、ほぼ毎回上が160越え、下が100前後となかなかの高さをキープ。しかし、体調はすこぶる元気で体重も増え、がんを患って
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。4月5日病院を退院し、退院する時に入院時に貰ったパクさんサイさんの小冊子の後ろに症状メモがあるので、その日の体調を記録しておくといいですよ!と看護師さんに言われ、血圧計も購入して準備は万端。夕食を済ませ今日買って来たばかりの血圧計を使ってみることに。上が147、下が85でした。もともと血圧は高
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。色々とあった入院中。でも忘れてならないのが副作用。赤みを帯びた腫れと発疹は太もも、お尻、肝臓周囲、首、頭と広範囲に現れ、一時はセカンドラインもここまでか・・・と諦め半分な所まできていましたが、その後は迅速な対処が功をなして、消化器科、皮膚科の連携のお陰でまだすっかりとまではいきませんが、治まりつつありま
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。3月26日前日の内勤移動の話から1日経ち、病室という場所ではありましたが、少しは落ち着きを取り戻し現実に目を向ける。という事に直面した旦那。気持ちの整理も少しづつではありますが、自分なりに受け入れる覚悟はしたみたいではありました。気持ちが固まったからなのか、突然自分から大腸検査をお願いしたよう
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。3月25日2回目のサイさん・パクさん投与後、副作用も次第に落ち着きをみせ、赤みや痒みも気になる程ではなくなってきました。発疹はまだまだですが、赤みがなくなっただけでも随分と見た目にも楽になったように見えました。「痒い、痒い」と愚痴を言わなくなった分だけ良くなっている証拠ですよね。入院から明日で
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。赤みを帯び、腫れた発疹は体の柔らかい所を選び出ているかのように見えていて、肝臓を取り囲んだ右半分、お尻、二の腕、首、顔に現れていました。痒みを伴う発疹で熱も若干ではじめていました。旦那曰く、痒すぎて気が付いたら引っ掻いてしまっている・・・その位強烈な痒みがあるらしい。突然現れた症状に看護師にすぐ
このブログは開設当初はがんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。2018年3月15日前日の治療中止から一夜明け、セカンドラインへと治療を進める為に今日から入院する事になっています。がんで治療をしている者にとって中止という言葉はそこで希望が絶たれてしまう事も含む言葉になるので、発せられるとすぐにではなくても段階が進むにつれて、治療の終わりが近づく事になるので、できるだけ
スキルス胃がん腹膜播種手術不可と診断された母を支える娘のブログです治療の経過はファーストライン(TS-1服薬)11ヶ月セカンドライン(サイラムザ+パクリタキセル)6ヶ月目ですサイ+パクは旅行のため休薬中先週撮ったCTの結果を聞くため本日外来受診をしてきました腫瘍マーカーが2ヶ月で3倍に上昇していますCT上はリンパの腫れは大きくなっているがその他に急激な悪化は見られ無いとの事でしたサイ+パクの効果はまだある!との判断でこのまま治療を続ける事にな
スキルス胃がん腹膜播種手術不可と診断された母を支える看護師のブログです治療の経過はファーストライン(TS-1服薬)11ヶ月セカンドライン(サイラムザ+パクリタキセル)5ヶ月目ですサイ+パク5クール3週目母はパクリタキセルの副作用も全く見られず穏やかに毎日を過ごしてくれていますGWの旅行に向けて服や靴など買い揃えウキウキな様子を最大限私達に見せている母の姿…涙が出てきてこらえるのに必死です今月の腫瘍マーカー倍以上に急上昇でした入院中に施行