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GoodMorningNewLife2024.5.7【恵みと平和があるように】『パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。』(テサロニケの信徒への手紙一1章1節)『恵みと平和』この順番はmustです。真の平和は神様から来ます。テサロニケの教会は、パウロの伝道によって興された教会です。ユダヤ人の会堂は宣教の拠点となりましたが、同時に迫害の拠点でもありました。パウロはユダヤ人の迫害を受けテサロ
心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の胸に届かない聖書心の灯火チャンネル✝️今日も聖書✝️聖書心の灯火チャンネルパウロの第三回宣教旅行3回目はエフェソを中心にいたようです。小アジヤのエペソは、パウロが紀元五十年代の半ばごろ三ヵ年にわたって伝道した土地である。エペソ附近の町々にもキリスト教は伝えられて、教会がつくられた。紀元一世期末においては、エペソはたしかにキリスト教の一中心地であった。この地方はまた、ギリシャの哲学や宗教の盛んに行われたところであり、東方からの諸
GoodMorningNewLife2024.5.2【神が望んでおられること】『いつも喜んでいなさい。17絶えず祈りなさい。18どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。』(テサロニケの信徒への手紙一5章16節)日頃私達は、どのような時に喜び、どのような時に祈り、どのような事にまた、何に対して感謝をするのでしょうか。聖書がここで求めていることは、絶えず目の前に起こってくる現象に対するリアクションではなく、人生の根本
本日の言霊2024.04.29これは新約聖書の「コリント人への第一の手紙」にあるパウロの言葉である。パウロはもともとサウロと呼ばれ、パリサイ派のユダヤ教徒で、律法を重視していたため、愛によって律法を完成させるというイエスの教えを憎み、キリスト教徒の弾圧に従事したが、あるとき回心してキリスト教徒のパウロになった。最初、キリスト教徒はパウロを仲間と認めなかったが、頭角を現して指導者の一人となり、異邦人へと伝道したことで、キリスト教を世界宗教にする礎を築いたが、それはパウロに勇気
今日のジョイジョイでは、暗唱聖句を覚えて発表しました。「良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」マタイの福音書13:23続いてDVDは、迫害にあっても、イエスさまのことを、各地で大胆に伝えたパウロとバルナバのお話でした。一度は宣教旅行から離脱したマルコも、後にパウロにお願いされて、共にイエス様の働きをしました。また、マルコの福音書を書きました。テサロニケ人への手紙第二
4月27日(土)駅伝誕生の日お早うございます♪今日も、こうしてシェア出来ることに感謝します😊「私(神)の恵みはあなたに十分である」「力は弱さの中でこそ発揮されるのだ」と聖書にはあります。「恵」は十字架の下で思うもの。パウロが神に持病を治してくださればもっと伝導ができるのにと祈りましたが癒されることはありませんでした。神はその方が良しとされたのです。十分であるということですね。人はパウロをみてどう思ったでしょうか?伝導者自身の病が癒されないのをみて、神を信じなかったので
イエスさまは人として来られた神わたしたちは神のようになった人間これで、パウロを通して言われた、ことばの矛盾が解ける「肉の働きを殺すなら、あなたがたは生きる」である肉から生まれた者は肉の働きを殺せないしかし、神は霊であるから人間が神のようになったら肉を殺せるはずつまり、キリストのようになるとは、「神のような人間になれ」ということイエスさまは神と人との合体わたしたちも、人と神との合体であれば、罪から解放されるなぜなら、
「法華経観世音菩薩普門品第二十五」において、「念彼観音力」という仏語が繰り返し続きます。🚃電車の中で大覚寺のCDを聴きながら、この「念彼観音力」とはどういうこと、どういう意味だろうかと考える。法華経は聖書である。それではこの「観音経」はどうだろうか。パウロの手紙がもとになっている。特に「コリント人への第二手紙」10章、11章、12章を読みましょう。ここには動詞の「誇る」という語句がたくさん出てきます。多くの苦難、迫害をイエスへの信仰の力で乗り越えてきたパウロが、これらの事を私は誇ら
前回は『新約聖書』に掲載されている「コリントの信徒への手紙二3章」について考察しました。聖書を読む目的は、御言葉を実践に繋げていくためです。単に、知識を得るためだけに終わってしまっては、宝の持ち腐れになってしまいます。聖書を読むことによって、如何に実践に繋げ、如何に自分の信仰に深みを与えていくかが重要になってきます。単に、物語や歴史的事象を読み解くだけに満足してはいけないのです。如何に己の信仰に活かし、実践していけるかが重要なのです。そのことを、常日頃から教え
(キリスト教の成立)(イエスによるユダヤ教の批判)ユダヤ人(自らはイスラエル人と称し、他からはヘブライ人とよばれた)は唯一神ヤハウェを信じ、彼らは神とから選ばれた特別な民族であり(選民思想)神から与えられた律法を厳守することで救われる(律法主義・戒律主義)を説いたが、これらをイエスは批判した。選民思想は旧約聖書のどこで扱われているだろうか。「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあ
前回は『新約聖書』に掲載されている「コリントの信徒への手紙二2章」について考察しました。聖書を読む目的は、御言葉を実践に繋げていくためです。単に、知識を得るためだけに終わってしまっては、宝の持ち腐れになってしまいます。聖書を読むことによって、如何に実践に繋げ、如何に自分の信仰に深みを与えていくかが重要になってきます。単に、物語や歴史的事象を読み解くだけに満足してはいけないのです。如何に己の信仰に活かし、実践していけるかが重要なのです。そのことを、常日頃から教え
「わたしの正しい者は信仰によって生きる。もしひるむようなことがあれば、その者はわたしの心に適わない。」しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。ヘブライ人への手紙10:38-39新共同訳
神様は私たちの飼い犬までも豊かに愛を注いでくださり、愛らしい幼子のような犬たちに生まれ変わらせて下さった‼︎(十二弟子・NANAさんの証)つい先日、教会で飼っている犬たちの中で、柴犬のペテロとパウロにちょっとしたお誘いがあったので、一緒にお出掛けしました。私は、出掛けた先で、いつものように犬たちの様子を撮影しようと、ペテロとパウロにカメラを向け、いくつか撮影をしたのですが、家に帰って、その撮影したものを確認してみると、ペテロとパウロが、いつも以上に穏やかで、どこまでも幸せそうに笑っていて、
4月16日(火)チャップリンデーお早うございます♪今日も、こうしてシェア出来ることに感謝します😊ヨハネ・パウロ2世の言葉です。未来は白紙と言いますが、すでに無数の未来が存在していて瞬間、瞬間の選択でその未来がきめられいるという概念もあります。丁度、ビデオゲームのプログラムのように、すでに結果はプログラムの中にあるのですがプレーヤーの行動の選択で決めたゴールに行き着くかどうかと言ったようなものです。私たちも、この人生でそのゲームを楽しんでいるようなものかも知れませ
…何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。※ほかにもいろいろなことがありますが、さらに、日々私に重荷となっている、すべての教会への心づかいがあります。だれかが弱くなっているときに、私は弱くならないでしょうか。だれかが※つまずいていて、私は心が※激しく痛まな
534「パウロは女性差別論者ではない!」ゆるゆるキリスト教雑記帳ゆるゆるその1いつも最初にお断りしているのですが、内容は私の極めて独断による見解ですので、ご了解ください。新約聖書の訳は岩波新約聖書改訂新版を使用しています。新約聖書の書簡類でパウロの弟子が書いたとされる擬似パウロ書簡まで含めると圧倒的分量をもっているのはパウロ書簡です。このパウロ書簡を読むと、パウロはいかに女性差別論者であるかが分かります。しかし、よくよく読めば、はたしてこんなことを本当にパウロが書いたのか疑う内容のものがあ
今回は、「コリントの信徒への手紙二2章」の内容について考察したいと思います。但し、充分慎重に考察する必要があることを肝に銘じたいと思います。もし非真理を伝えてしまった時に、神様がお怒りになるのは勿論のこと、RAPTさんや十二弟子の皆さん及び兄弟姉妹の皆さんに、多大な迷惑をおかけすることになります。ここは慎重に、自分の文章を何度も読み直して、できる限り非真理が混じることのないように努めていこうと思います。どうか神様、このブログを書き進める中で、少しでも非真理が入り込んでしま
p14自分を犠牲者だと思い込んではいませんか?私たちの心の奥に醜い生き物が住みついています。とても、厄介で、誰にもそう簡単に取り扱えるものではありません。その生き物は、主人であるあなたに向かって、「わたしはいつだってあなたの味方です。」と如何にも忠実そうに言うのです。またその生き物は、「ご主人様、あなたは何時だって公平だけれど、あなたの周囲は不公平でいっぱいです。」と告げるので、私たちは彼のその言葉を信じて自分を犠牲者だと思い込み、自分を正当化してしまうのです。その生き
前回は『新約聖書』に掲載されている「コリントの信徒への手紙二1章」について考察しました。聖書を読む目的は、御言葉を実践に繋げていくためです。単に、知識を得るためだけに終わってしまっては、宝の持ち腐れになってしまいます。聖書を読むことによって、如何に実践に繋げ、如何に自分の信仰に深みを与えていくかが重要になってきます。単に、物語や歴史的事象を読み解くだけに満足してはいけないのです。如何に己の信仰に活かし、実践していけるかが重要なのです。そのことを、常日頃から教え
このことは、本人が一番よく知っていることです。あなたのこころは喜びに満たされています。ペテロいわくそれは、魂の救いを得るからです。あなたがたは、しばらくの間苦しみに合うこともありますが、その苦しみは永遠の喜びと比べたら、ほんの一瞬です。あなたは、キリストの血をふりかけられる目的で神に選ばれたのです。この世にあふれているキリストの教えからも御霊によって自由になりました。パウロの言う御霊によって歩めを実践しているからです。あなたは、御霊の証印を受け
こんばんは~ぽよです🌸あっという間に4月になり、桜も満開になりました。桜を楽しめるこの短い期間を大切に過ごしたいと思います。さて、先日ようやく、『アルケミスト』読み終えました。有名な本なので、ご存じの方も多いかな?実は去年途中まで読んで、放置していました。また読むきっかけとなったのは、本書の訳をされている、山川鉱矢さんのおかげです。ヒーラーさんとのセッション中に、なぜかその日に限って、鉱矢さんからヒーラーさんに連絡があったそう
<無職転生の死亡キャラを整理したい!><無職転生の伏線や謎を回収したい!>このような疑問を持っている人は多いのではないでしょうか?今回は、無職転生の死亡キャラを一覧でまとめました!詳しく気になる人はこちらの記事をご覧ください!【無職転生】最新の死亡キャラ一覧!ネタバレあり-【無職転生】死亡キャラまとめ!ロキシーやパウロは?-ひとりやすみ今回は無職転生の死亡キャラを一覧でまとめました。無職転生が大好きな人や無職転生の死亡キャラを振り返りたい人はこちらの記事をご覧ください!
イスラエル教の教会イェホシュアのイスラエル日曜礼拝2024年4月7日パウロが定義する「新しい人」とは?YouTubeライブ10:00〜https://youtube.com/live/PuEA34Oxx9w?feature=share
今回は、「コリントの信徒への手紙二1章」の内容について考察したいと思います。但し、充分慎重に考察する必要があることを肝に銘じたいと思います。もし非真理を伝えてしまった時に、神様がお怒りになるのは勿論のこと、RAPTさんや十二弟子の皆さん及び兄弟姉妹の皆さんに、多大な迷惑をおかけすることになります。ここは慎重に、自分の文章を何度も読み直して、できる限り非真理が混じることのないように努めていこうと思います。どうか神様、このブログを書き進める中で、少しでも非真理が入り込んでしま
使徒パウロの映画の場面が端々思い出される中、目が覚める。5時過ぎ。キリスト者の末路、結論ともいうべきものがそこにあるように、しきりに思えてくる。そこに、焦点を合わせると、今までの自分の生き様が、何だか滑稽にも思えてくる。あまりに薄っぺらさに、言葉を失う。殉教を前にしたパウロや捕らえられたクリスチャンたちは、獄吏長の娘の為に一晩祈り続け、その獄吏長の指示により、翌朝、殉教の場へと出て行く。それも、屠られてゆく子羊のように。パウロは、殉教間際まで獄吏長を伝
こんにちは!ネイルサロンマハナイムの富永ユキエです。イエスキリストが宣教している時代にパウロという人物がいました。この時代、ユダヤはローマ帝国に支配されていていました。ローマは皇帝崇拝を強要していたのでイエスの教えに従う人たちは迫害を受けていました。ローマ皇帝の下でこの迫害のリーダーとなっていたのがサウロと呼ばれる「パウロ」でした。あるとき、パウロは部下たちと共にキリスト信者を殺害するためにダマスコという場所まで来たとき3と
アレッサンドロ・ブラゼッティ監督によるイタリアのコメディ映画。出演はジーノ・チェルヴィ、アドリアーナ・ベネッティ、ジュリエッタ・リッソーネ。<あらすじ>妻の暴言に悩まされているパオロが、列車の中で美しい女性マリアに出会った。彼女は妊娠していたが、遊び人の男に逃げられ、実家に帰る途中だった。話をするうちに、実家の父親をごまかすために夫のふりをしてくれと頼まれ、パオロは仕方なく承諾した。実家では大歓迎を受けたが、すぐに嘘はバレてしまい、騒動になった。真実を話して納得してもらうな
神の契約に不履行はない[コリント人への手紙第二4:8,9]私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。【旧約聖書の今日の通読箇所は士師記19-21】唯一読みたくない、読むのが辛い箇所である。赦しちゃいけない!なんて思ったりする。いつの時代も選民の中でさえ[ならず者]がいて足を引っ張る。ベニヤミンの民の不名誉が赤裸々に描かれてある。だからこそ聖書は信
http://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/diary2008/d-2008-03-12.html日記2008/03/12教皇パウロ六世の替え玉存在説(1)聖体拝領の際の跪きの問題を中心に、現在のカトリック教会を考えるwww.maroon.dti.ne.jphttp://www.maroon.dti.ne.jp/gokyo/diary2008/d-2008-03-13.html日記2008/03/13教皇パウロ六世の替え玉存在説(2)聖体拝領の際の跪
前回は『新約聖書』に掲載されている「コリントの信徒への手紙一16章(最終章)」について考察しました。聖書を読む目的は、御言葉を実践に繋げていくためです。単に、知識を得るためだけに終わってしまっては、宝の持ち腐れになってしまいます。聖書を読むことによって、如何に実践に繋げ、如何に自分の信仰に深みを与えていくかが重要になってきます。単に、物語や歴史的事象を読み解くだけに満足してはいけないのです。如何に己の信仰に活かし、実践していけるかが重要なのです。そのことを、常