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本記事は、2017年12月に投稿した記事の改訂版です。1981年全米1位(DianaRoss&LionelRichieの"EndlessLove"を引きずり降ろしてトップとなり、DarylHall&JohnOatesの"PrivateEyes"にその座を譲った。なお、アダルトコンテンポラリーチャートでも1位となり、ミリオンセラー)、全英7位。さらに、ノルウェーでも1位、アイルランド、スイス、イタリア、カナダ、ニュージーランドでトップ10入り(日本では、オ
ビルボードのNo.1ソングを時系列にご紹介しております。今回は、ヒットメーカーとしての地位を確立したバリー・マニロウの3枚目の全米No.1ソング。1977年7月23日、1週のみの首位でした。70年代に入りベット・ミドラーの作品やライヴに関わるようになってから頭角を現したマニロウ。自身はフロントに立つ柄じゃないと思いながら、73年にベル・レコードからソロ・シンガーとしてデビュー。75年に"Mandy"、76年に"IWritetheSongs"で、全米No.1を獲得す
【別次元の名残り】※8月は微妙な季節だ。季節分け11項目の中で最後に出来たのがこれだった。誰が考えても8月は夏であって他の季節に当てはめることはできない。私に於いても夏は暦では8月20日までとなっているのだが、本当の思いを言うならば7月25日までが夏であって、あとはどこにも当てはまらないのである。だからと言って8月を秋とするわけにはゆかない。私の中で8月は殆ど宙に浮いているのだ。次元が異なるというべきか。<暑い夏をぶっとばせ>(ナット・キング・コール)<ある晴れた朝突然に>(モ
約30枚だけど査定にはしに来てくれるそうです。こんな感じです↓バリー・マニロウコレクションです。
一月も最期の更新です。久しぶりにまとまった雪が降り、すっかり雪景色になりました。橋の上から撮った一枚です。コゲラです。日本で一番小さなキツツキ。枝にしがみついているような感じで可愛いですよね。シジュウカラの群に混ざっていました。杉の実を食べるシジュウカラ。ふっくらジョビコちゃん。ジョウビタキというのは面白い鳥で、カメラを持って近づくと数メートル移動し、また近づくと数メートル移動し、また近づくと数メートル移動するという、人と追いかけっこをして遊んでいる
以前もブログに書いたように最近、若い頃に聴いていた音楽がやたらと身に染みる・・・・😌今日はそんなアルバムをご紹介します。まずはバリー・マニロウの「パラダイス・カフェ」から。リリースされたのは1984年ですから早いもので、もう40年経ちます。バリー・マニロウというと「コパカバーナ」や「哀しみのマンディ」等の‟ちゃらい”イメージのミュージシャンでしたが「パラダイス・カフェ」は‟異質”とも言える作品でして最初聴いた時はビックリしました。音楽性がムチャクチャ高い!
マクドナルドがバタースコッチを販売しているのですね。洋楽通の私としては、すぐに洋楽のグループでバタースコッチを思い浮かべます。w邦題は「そよ風の二人」でした。「don'tyouknow」butterscotchバタースコッチのメンバーはクリス・アーノルド、デビッド・マーチン、ジェフ・モロウの3人組で、バリー・マニロウの「涙色の微笑」なども作っています。「Can'tSmileWithoutYou」BarryManilowこの曲ね、バリー・マニロウは
小正月ですね明けきりましたが(笑)新年のご挨拶です皆さま今年もどうぞよろしくお願いいたします元旦にあんなことになってしまいましたが…あの瞬間までは調子も悪くなく(いや正確には少々風邪気味ではありましたが)穏やかな通常運転の年越しでしたまずはその様子を記録します大晦日の年越しの夕げしじみのお味噌汁とお寿司なぜかエビチリと鶏の黒胡椒焼きも登場させて金箔を浮かべた白ワインを少し舐めいつもののっぺいに松前漬けと酢蓮根を食べました除夜の鐘が鳴るタイミングで年越しのお蕎麦も毎年食
9月のコロナ罹患からしばらくして少しずつ気力体力が戻りようやくお出かけ気分に立ち返れた11月の初めいつか観てみたいと思っていた群馬県の富岡製糸場へ行ってきました言わずと知れた世界文化遺産施設です関越道を2時間半ほど進み赤城高原S.Aで休憩ここのS.Aは久しぶり過去に群馬の他の観光地には時々行っていたのでほぼ必ずと言っていい程寄っていた場所ですしばらく来ない間にリニューアルされたようで新鮮な気持ちで休憩できましたお昼ごはんはS.A内の高崎パスタのお店で"シャンゴ風ナポリタン"を食べて
1975年僕が愛する5曲のことをnoteに書きました。僕の根底にあるベスト5曲は全部この年の曲です。リンクからジャンプして読んでくださいね。1975年僕が愛する5曲|小野瀬雅生ヘヴィーメタルのことを書いたらとても多くの方に読んでもらえた。ありがとうございます。今度は1975年、僕が中学2年生の時にアメリカでヒットして、僕の心を未だに掴んで離さない5曲のことを書こうと思う。ギターを弾き始めて数ヶ月。様々な音楽が奔流のように僕の中に流れ込んで来て、自我が膨満肥大して、心がシッチャカ
2日続けて猫の話題です(笑)ここ数年、新作映画の情報をあまり気にしてなかったんですだから、レンタルショップで「あれっ、こんな映画もあったんだぁ」って思うこともあったりします今日もそんな映画タイトルはよく知ってますよ舞台は見たことがないんですほぼ予備知識ゼロで見ることにしたんです2019年製作のアメリカ・イギリス合作「CATSキャッツ」監督は、トム・フーバー出演は、ジュディ・デンチ、ジェームズ・コーデン、
こんばんは!ハマクロノスです!今日は🥳😆🤓、インゼルさん本年度募集の当落発表!😄🥰😍😎敢えて、触れてはいませんでしたが😁今回は!マンディ22ちゃん!1択で臨みました!🤓😎2トウシュッシヤナカッタンカイ!ドラータちゃん以来のノーザンファーム産に出資する!😄これが今期の命題!その上で🤗出資基準って、皆さんあると思いますが、①体重は有るに越したことは無い②誕生日は早いに越したことは無い③価格は安いに越したことは無い④管囲は有るに越したことは無いこれが、ハマ基準!💯💯💯💯😎まぁ
再発売シリーズの最後はバリーの最高傑作「愛と微笑の世界」1978年発表。原題から言うと「忘れえぬ面影」ですけど、過去に再発売されてもこのアルバムだけはタイトル変更されていません。インナースリープは歌詞カードになってます、歌詞はバリー作曲のみ掲載。シリアルナンバーは1453番2000枚限定。コパカバーナはアルバムバージョン、CDアルバムはシングルバージョンなのでオリジナルに忠実でよろしい!他には「夜のしじまに」「涙色の微笑」もあり、まさにソフト&メロゥの世界。色はブルー、なかなか良いぞ〜
国内中古盤です、高音質ディスクシリーズの一つですが、バリーのアルバムはこれだけのようです。音はめっちゃ良かったです、買って正解でした。
アナログレコード再発売の3枚目は1976年発表の「恋人たちの讃歌」、これも日本フォノグラムのタイトルは「想い出のなかに」(全米No.1ヒット)に変更されてます。タイトル曲も「恋人たちの讃歌」から「歌に愛を込めて」に変えられてます。2000枚限定の509番となかなかに若い番号でした。インナースリープの歌詞は別紙で。オレンジ&ブラックマーブルディスク!
1975年発売のアルバム、再発売!東芝EMIでは「フィーリング」のタイトルでしたが日本フォノグラムに代わってから「歌の贈り物」にタイトルを勝手に変えちゃいました。確かにIwritethesongsは全米No.1ヒットでしたからでしょうけどね。ファーストアルバムも邦題は「恋はマジック、バリー・マニロウ・ファースト」に変更してるしなぁ…秋に聴くバリーは良い!これも2000枚限定の1638番インナースリープの歌詞は別紙になってます。カラーレコード、色は赤です!
再発売されたバリーのファースト・アルバム50周年ですか!限定2000枚の1197番。アメリカではソールドアウトしてます。エルトンと同じで日本では人気無いなぁ…権利がユニバーサル・ミュージックに変わりました。下が初版のアルバムです、カミカゼ(後にカマカジに変更)ミュージックの権利。ユニバーサルミュージックの権利でソニーミュージックとはこれ如何に?発売はMusicOnVinylからマーブルディスク!このアルバムはアリスタレコードから再発売されましたが、最初のベルレコードから
ブラジルから日本に仕事にやってきた初対面の日系ブラジル男性から、「俺、3発撃たれて、弾がまだ身体に残ってるんすよ」謎のマウントで挨拶されて面食らったことがある。たまに、、「俺の背後には暴力団がついとるんだぞ」と、自慢げに脅してこられたことはあったけど、、弾が身体に残ると自慢されたのは初めてだった。自慢げに弾痕を見せられたので、、、「ブラジルでマフィアでもしてましたか?」と尋ねたら、横に首を振って、サンパウロ出身だそうで「こう見えても警察官し
今日の出品レコード。バリー・マニロウディオンヌ・ワーウィック/ラン・トゥ・ミーA面「ラン・トゥ・ミー」RunToMe歌/バリー・マニロウ、ディオンヌ・ワーウィックDionneWarwickAndBarryManilowB面「あなたはどこに」WhereHaveYouGone歌/バリー・マニロウBarryManilowA面はディオンヌ・ワーウィックとバリー・マニロウのデュエットによる壮大で感動的なバラード・ナンバーB面はジャジーなバラード・ナンバー、こ
74年の“哀しみのマンディ”(全米1位・全英11位)が大ヒットして一躍スターの仲間入りした彼その後も“歌の贈りもの”(75年・全米1位)“想い出のなかに”(77年・全米1位)など次々にヒットを放ちましたバリー・マニロウの♪涙のラスト・レター(81年・全米18位AC1位・全英17位)を楽しんでください。
YouTubeで「ラビアンローズ」をいろいろと聞いていると思いがけない歌手の歌が出てきました。アメリカの「バリー・マニロウ」(1943年~)です。歌手、作曲家、プロデュサーいっときはその歌声を毎日聞いていました特に「歌の贈り物」が好きでした。名城公園にて7月
今夜はDIONNEWARWICKの名曲をメンテナンス。「IKNOWI'LLNEVERLOVETHISWAYAGAIN」。邦題は「涙の別れ道」。過去記事はこちら。(リンク貼ってます)→「私のお勧めの曲・洋楽編(その180)」リリースは1979年。シンガー・ソングライターであるバリー・マニロウがプロデュースし全米5位などを記録しています。彼女は本作の大ヒットを受け、グラミー賞の最優秀女性ベスト・ポップ・ヴォーカル賞を受賞しています。(この受賞で本賞3度目の受賞と
今日、6月17日はバリー・マニロウの誕生日です。(80才)去年もブログで取り上げました。↓「バリー・マニロウの誕生日(2022年)」もう80才になるのですね。あまり話題を聞かなくなりましたが、バリー・マニロウには一途のファンが居ますね。日本にサイトのファンクラブがあるようです。一般的には「コパカバーナ」が有名でしょうか?少しバリーを知っている人だったら「哀しみのマンディ」でしょうか?次に来るのは「歌の贈りもの」かな?今回は「歌の贈りもの」についての話です。作詞、作曲
1946年ブルックリン生まれの彼ですが今も現役で活躍中です74年10月リリースのこの曲が初ヒット以降80年代終わりまでに全米TOP100に28曲を送り込みACチャート(AdultContemporaryChart)では41曲(うち13曲が1位)がヒットを記録している人気シンガーですそのバリー・マニロウの♪哀しみのマンディ(74年・全米1位・AC1位)をVideo映像と合わせて楽しんでください。
今週もショコラヂヲ更新いたしました。今回はバリー・マニロウのヒット曲、「IWriteTheSongs~歌の贈りもの」です。・ショコラヂヲを聴くこの日本語のタイトルが素晴らしいと思うのは、私だけでしょうか?直訳「私は歌を作る」で、ラヂヲでも話しましたが、作者のブルース・ジョンストンによるとこの「I~私」は神だという、そんなややこしい設定の歌を、過不足なくきれいに、そして神様からでもおかしくない「贈りもの」でまとめているところ、すごいと思うのです。音楽のパワ
ビルボードのNo.1ソングを時系列にご紹介しております。今回は、1年ぶりのチャートのトップに帰って来た、バリー・マニロウ、2曲目の全米No.1。1976年1月17日、1週のみの首位でした。タイトルとは異なり、この曲を書いたのは、ザ・ビーチ・ボーイズのメンバーとして知られるブルース・ジョンストンです。しかも、先に、キャプテン&テニールや、デヴィッド・キャシディが取り上げていたものでした。キャシディのヴァージョンがUKでヒットしたのを聞いた、アリスタ・レコードの社長が、こ
今日はアンクル・フェスティヴのアルバムを紹介します。彼らはロサンゼルスを拠点に活動する、ドラム、ベース、ギター、キーボードの4人のグループです。日本語に訳すとグループ名は「お祭りおじさん」と言うふざけたような名前ですw元々はバリー・マニロウのバックバンドとして活動していました。6枚のアルバムをリリースしています。今日紹介するのはセカンドアルバム、リリースされているアルバムは軽めのサウンドですがスムースジャズと言うよりはフュージョンサウンドらしいサウンドと言ったら良いでしょうか!?
今日、2月15日はメリサ・マンチェスターの誕生日です。(72才)メリサは周りに恵まれていますね。小さい頃からCMを唄ってたりしていましたが、大学でポール・サイモンの作曲の授業を受け、作曲方法を学びます。卒業して、クラブで弾き語りをしていたら、バリー・マニロウとベット・ミドラーに誘われてベット・ミドラーのバック・コーラスに入り、アリスタレコードと契約し、デビューします。日本での馴染みの曲は、「あなたしか見えない」ですね。(1978年)日本の歌手もカヴァーしていました。作曲はピー
さて、久しぶりに懐かしのCMソングシリーズです。前回の"Can'tSmileWithoutYou"は「味の素KKバラエティギフトCFイメージソング」だったということで、YouTubeでそのCFを探したのですが、見つからなかったので、代わりに(?)こちらを取り上げます。曲はこちら。この曲は、アメリカではアダルトコンテンポラリーチャートで25位となったもののポップチャートには入らず、その他の主要国でもイギリスで47位、西ドイツで59位というマイナーヒットに終わ
前回に引き続き騒音防止の最終兵器(笑)BarryManilowの登場です。この曲はアルバム"EvenNow"の先行シングルとしてリリースされ、1978年全米3位(イージーリスニングチャートでは1位となり、ミリオンセラーを記録)と、"Copacabana"(同じアルバムからの第3弾シングル)よりも大きなヒットとなりました。さらに、カナダで2位、オーストラリアで3位、ニュージーランドで8位。オリジナルはDavidMartinで、BarryManilowは、初めてこの