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バーブラ・ストライザンドさんの1980年リリースのアルバム「ギルティ」です。ジャケットに登場しているのは、バーブラさんとビー・ジーズのバリー・ギブさんです。CBS・ソニー25AP1930【収録曲】SIDEA1.ギルティGUILTY2.ウーマン・イン・ラブWOMANINLOVE3.ラン・ワイルドRUNWILD4.恋のプロミスPROMISES5.ラブ・イン・サイドTHELOVEINSIDESIDEB
ダイアナ・ロス特集の第3回です。今夜はDianaRossの「ChainReaction」をメンテナンス。過去記事はこちら。(リンク貼ってます)→「今日の音楽「洋楽編」(その1128)」リリースは1985年。ビー・ジーズのバリー・ギブがプロデュースしたシングル。コーラスがビー・ジーズなので、思いっ切り「ビー・ジーズサウンド」な印象ですね。^_^アルバム「EatenAlive」からのシングルカットでビー・ジーズ人脈のプロデューサー・チームのカール・リチャードソンとアル
FirstofMay若葉のころ5月1日FirstofMayBeeGees作詞、作曲:BarryGibb,RobinGibb&MauriceGibb私達の身長は、いつのまにかクリスマスツリーを超えたそして君は、二人で過ごした日々を思い返したりしないでも二人の愛は、決して死なない
前回の投稿からの続きでビー・ジーズの「Words」です。『エド・サリヴァン・ショー』(1968)よりBeeGees"Words"onTheEdSullivanShowBeeGees"Words"onTheEdSullivanShowonMarch17,1968.Subscribenowtonevermissanupdate:https://ume.lnk.to/EdSullivanSubscribeWatchMotownperfo
昨年末の記事ですが、ディオンヌ・ワーウィックがエルヴィスと初めて会った時のことを語っています。DionneWarwickonMeetingElvisfortheFirstTimeinLasVegas:'OhMyGod,WasHePretty'Inaninterviewwith'CBSNews,'DionneWarwickopenedupaboutreceivingher"firststandingovation"andme
今日、9月1日はバリー・ギブの誕生日です。(77才)去年のブログでも取り上げました。↓「バリー・ギブの誕生日(2022年)」ビー・ジーズの歴史も長いですね。どの辺から話しましょうか?兄弟5人で、バリーの1つ上のお姉さんは健在ですが、弟の3人は亡くなってしまいました。芸能生活は順調に来たように思われていますが、いろいろと苦労がありました。最初の人気があった頃にロビンがグループを抜けてしまいました。バリーとロビンが特に歌が上手かったので、メインをどちらが取るかの葛藤が兄弟
私がリアルタイムで聞いてきた洋楽アーティストの中でも、好きな女性アーティストは多く、マライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストン、ドナ・サマー、セリーヌ・ディオン、ティナ・ターナー、テイラー・スイフト、マドンナ、シンディ・ローパー、サラ・ブライトマンetc結構多いのですか、1番聴き込んだアルバムはというと、バーブラ・ストライザンドの「Guilty」だと思います!高校の時、少ない小遣いで、悩みに悩んで、吟味して吟味して買った初めての女性アーティストのLPが、「Guilty」だった
誠に勝手ながら頭の中で、ビートルズは別格としてビージーズは、サイモン&ガーファンクルやカーペンターズの下あたりにランク付けしていましたが、とんでもない!本作を見て、低く見積もっても彼らと同レベルの評価が妥当と知った。それほどにビージーズは偉大だった!三者三様の個性と才能、そして確執と挫折。「ステインアライブ」誕生秘話!もしクラプトンのアドバイスが無かったら、彼らのこれ程までの栄光は無かったかも?さらに、作曲家としての有り余る才能!一番驚いたのは、バーブラ・スト
るそんべえです。ビージーズは、映画”サタデー・ナイト・フィーバー”の大成功に乗って大成功を果たしました。”愛はきらめきの中に”、”スティン・アライヴ”、”恋のナイト・フィーバー”は、いずれもナンバーワンヒット。しかし、この勢いはその後も止まりません。その後、リリースした”失われた愛の世界”、”哀愁のトラジディ”、”ラブ・ユー・インサイド・アウト”が3曲連続で、全米ナンバーワンになっています。その後もヒット作は出しますが、ナンバーワンは、この3曲で終わります。その後は、各自のソロ活
ブログを書き始めてから14年以上もかかってしまったが、今回の曲紹介で400曲目に到達。俺の曲紹介を読んでくださっている方は少数派だとは思うが、俺がブログを始めようと思ったきっかけは、自分の好きな曲について書き続けていきたいと考えたから。そういうコンセプトであるが故、人気の高い曲ばかり取り上げているわけではなく、今後も読んでくださる方はそういないと思われるが、不定期でありながら、今後も更新を続けていく所存。まずは401曲目、そしてゆくゆくは500曲を目指して!閑話休題、節目の回の400曲目
るそんべえです。1977年にリリースされたビージーズのシングル”愛はきらめきの中に”。映画「サタデー・ナイト・フィーバー」からのビージーズの最初のシングルです。映画も大ヒットでしたが、シングル曲もナンバーワンになっています。それも、クリスマス・イブの日にトップになっているというのが、らしくていいですね。トップ10に17週も留まりました。ディスコ・ナンバー中心のイメージですが、この曲は爽やかなバラードです。ギブ3兄弟のコーラスがとても美しく重なりあっていますね。リード・ボーカル
ブログ内検索でヒットしなかった作品の新規掲載。(T_T)今夜はTheBeeGeesで「Tragedy」。1979年のリリースで全米、全英など各国でNo.1を獲得しました。邦題は「哀愁のトラジディ」。「Tragedy」の意味が「悲劇」や「惨劇」なのに、それに「哀愁の」と付けるのはどうなの?と言う記事を書いた記憶もありますし、掲げた(はずの)動画はMVではなくオリジナル音源のものでたまたまテレビでこの作品のレコーディング作業のドキュメンタリーを観ていて曲の終わりの方で聴かれ
るそんべえです。ビージーズの楽曲”ユー・シュッド・ビー・ダンシング”は、前回紹介した”ジャイブ・トーキン”以来の全米トップに踊りでています。この曲は、大ヒット映画「サタデー・ナイト・フィーバー」で、主演のジョン・トラボルタが華麗にダンスを披露するシーンで流れる曲です。ということで、映画に合わせて作られたのかと思うと、実は映画のリリースの前年に発売された「チルドレン・オブ・ザ・ワールド」に収録されている曲です。レコード会社でイブ・トーキン”の成功で、ディスコ路線行
るそんべえです。日本では、大ヒットした映画「小さな恋のメロディ」。その音楽を担当したのが、ビージーズでした。映画のヒットに伴って、テーマ曲、挿入曲の”メロディ・フェア”、”イン・ザ・モーニング”、”若葉のころ”も大ヒットしました。しかし、地元のイギリスとアメリカでは、映画も曲もそれほどヒットしていません。ところが、そのすぐ後にリリースされたビージーズの新曲「傷心の日々」は、初の全米ナンバーワンになっています。60年代後半では5人いたメンバーのドラマーとギタ
今日、3月5日はアンディ・ギブの誕生日です。(30才没)ビー・ジーズに関しましては・・・「バリー・ギブの誕生日」「ロビン&モーリス・ギブの誕生日」で触れています。ギブ兄弟は1番上が姉のレズリーで1945年生まれ、1つ下の1946年生まれがバリー、1949年が双子のロビンとモーリスです。バリーと、ひと回り(12歳差)違うのが、1958年生まれのアンディです。かなりの年の差なので、兄弟からは可愛がられましたが、学校では高級車で登校したりするので、イジメにあいます。すぐに芸
るそんべえです。1969年ビージーズが、リリースした2枚組のアルバム「オデッサ」。そこから、最初にシングルとしてリリースされた曲「若葉のころ」。この曲は、バリー・ギブが作詞作曲し、彼自身が歌っています。しかし、実はこの曲のシングル化に向けては、バリーと弟のロビンで争いになり、ロビンが脱退までしてしまっています。まあ、1年後には復帰することになるんですけどね。アルバム「オデッサ」からのファーストシングルをロビンは自分で作り歌った「ランプライト」を押したそうですが、結局は、バリーのこ
1968年にリリースされたビージーズのシングル「ワーズ」。ビージーズの初期によるある話ですが、この曲も他者に提供予定だった曲のようです。元々クリフ・リチャードに提供予定だった曲ですが、レコーディングで、この曲まで手が回らなかったことで、自分たちで歌うことになったとのこと。しかし、それが良かったのか、世界中でヒットしています。特に、西ドイツ、オランダ、中国では1位を獲得しています。タイトルの”ワーズ”は、勿論言葉という意味ですから、歌詞としてのメインは”君の心に届く言葉を伝えたい
るそんべえです。ビージーズの初期の曲”マサチューセッツ”。この曲は、バリー、ロビン、モーリスの3兄弟で作成した曲です。もともとは、オーストラリアのグループに提供する予定が録音されず解散してしまったらしいです。ということで、自分たちで歌うことに。なんかビージーズって、このパターンが多い気がします。この曲で、初めてロビンがリードボーカルをとっています。私がビージーズを聴いた最初の曲が、この曲でもあります。で、タイトルの”マサチューセッツ”ですが、当時彼らは、まだ行ったことがなかっ
るそんべえです。ビージーズの2枚目のシングル”ラブ・サンバディ”。1枚目のデビューシングルは”ニューヨーク炭鉱の悲劇”は、イギリスのみでのリリースでした。この2枚目のシングルは、アメリカでのデビュー曲となりました。そして、全米で17位というヒット。実は、この曲マネージャーからの依頼で、オーティス・レディング向けにバリーとロビンで作った曲でした。しかし、そのレディングが、航空機事故で亡くなるという悲劇に会いました。そのため、ビージーズ自身で歌うことにな
バリー、ロビン、モーリスのギブ3兄弟を中心としたビージーズ。デビュー当時は、友人だったギタリストとドラマーの5人編成だったようです。その1967年のレコード・デビューの曲が、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」。3兄弟は、イングランドとアイルランドの間にあるマン島生まれ。その後、イングランド・マンチェスター、オーストラリアのクイーンズランドに移り住んでいます。そこで、ボーカルグループを作り、それがビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインに見いだされイギリスでデビューとなります。
今日、12月22日はロビン&モーリス・ギブ(ビー・ジーズ)の誕生日です。次男のロビン・ギブ(享年62才)、三男のモーリス・ギブ(享年53才)です。ふたりとも早死ですが、四男のアンディはもっと早い、30才で亡くなりました。人気絶頂の頃だったんですけどね。兄弟はあと長男で3才上のバリーとその1つ上の姉が居ます。ビー・ジーズは歴史が長いので、話したいことが沢山あるのですが、時間がある時にこちらをご覧下さい。↓オーストラリアでデビューし、その後はイギリスで活動し、すぐにヒット曲
ドキュメンタリー映画『ビー・ジーズ栄光の軌跡』公開を記念して、11月23日、英国のポップグループ、ビー・ジーズ(BeeGees)のオリジナル・アルバム20タイトルがSHM-CD仕様で再発されました。僕は、ビー・ジーズの音楽の特徴を知りたいと思い、最初に何を買おうかと考えた結果、日本人にとっては映画『小さな恋のメロディ』でなじみのある2曲(「メロディ・フェア」「若葉のころ」)が収録されている『オデッサ』を最初に選びました。多分に、今回のドキュメンタリー映画の予習という意味も含んでいました
こんばんは、ねこあしです(*´∀`*)ノ本日ご紹介させて頂くのは、「ステイン・アライヴ」などのヒット曲で知られるグループ「ビー・ジーズ」のバリー、ロビン、モーリスのギブ3兄弟によるグループの未公開映像を用いながら、名曲誕生の瞬間などを映し出すと共に、エリック・クラプトンやノエル・ギャラガー、マーク・ロンソンといったミュージシャンたちがビー・ジーズの魅力を語るドキュメンタリー「ビー・ジーズ栄光の軌跡」兄のバリーと双子の弟ロビン、モーリスのギブ3兄弟を中心に結成され、長きにわたって活動してきた
さて、ビー・ジーズにとっての1980年代は、長兄のバリー・ギブPの活躍からスタートします。バーバラ・ストライザンドのアルバム「ギルティ(Guilty)」をプロデュースして大ヒット。ディスコサウンドに拘らなくても勝負できる布石を敷いて1980年代も安泰に思われましたが、1981年に発表した「リヴィング・アイズ」は1970年代の神懸り的なヒットが嘘のように小ヒットにとどまります。いい曲多いんだけどなー。ただ先行シングル「愛はトライアングル」がキャッチーさに欠けて解り
1990年代に入ってもビー・ジーズは前に進む。まだモーリス・ギブのアルコール問題が未解決の最中の1991年にアルバム「ハイ・シヴィライゼーション」を発表。タイトル曲「HighCivilization」のようにエレクトロニクスやドラムの打ち込みを多用した実験的なサウンドとヒット曲「SecretLove」のような従来のビー・ジーズが持つポップさが巧みにブレンドされた佳作。しかしアルバム自体はヒットせず、レーベル移籍を余儀なくされます。心機一転、モーリスのアルコール問題も
今日、12月12日はディオンヌ・ワーウィックの誕生日です。(82才)ディオンヌ・ワーウックは叔母さんにシシィ・ヒューストン(ホイットニー・ヒューストンの母親)が居ます。シシィ・ヒューストンはの日本で行われていた「世界歌謡祭」に出場したことがあります。その時にホイットニーも母親と一緒に来日していました。まだ10代でした。ディオンヌ・ワーウィックはデビューの頃はバート・バカラックとハル・デヴィッドの作品を次々に唄ってヒットさせていました。「ISayALittlePraye
今春は新宿ピカデリーで「サタデー・ナイト・フィーバー」を見た。最後は観客から拍手が送られた。そして昨日「サタデー・ナイト・フィーバー」で大ヒットを飛ばしたビー・ジーズの映画を見ました。彼らがイギリス人であること、オーストラリアでキャリアをスタートさせたこと、全米進出のきっかけにエリック・クラプトンが絡んでいることその前に3人が一旦バラバラになっていたことなどなど初めて知ることがたくさんありすぎて約2時間飽きることなく楽しめた。本当に音楽がテーマの映画は時間を持て余す
「ビー・ジーズ」と聞いて思い浮かぶ曲は?(カッコ内はリリース年)おそらくほとんどの人が上げるのが、世界的に大ヒットした映画「サタディ・ナイト・フィーバー」で流れた「ステイン・アライブ」(1978)ではないでしょうか。でも、私の世代ではもう少し前の曲が、青春時代の思い出となって蘇って来ます。デビュー曲の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」(1967)全英1位となった「マサチューセッツ」(1967)映画「小さな恋のメロディ」のテーマソング「メロディ・フェア」(1971)あたりですね!
ビー・ジーズ栄光の軌跡2022年11月25日公開全世界で2億2千枚を超えるアルバムを売り上げ、書いた曲は1,100曲、全英・米No.1ヒットが20曲、トップ10ヒットが70曲。時代の変遷を生き延び、人生のサウンドトラックとなる数々の名曲を作り続けた兄弟グループ「ビー・ジーズ」の軌跡を描くドキュメンタリー。あらすじビー・ジーズは英国マン島に生まれたバリー・ギブと3歳下のふたごの弟たちロビンとモーリスのギブ3兄弟によるグループで、少年時代から活動を開始し、2003年にモーリス・ギブが早