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Matthew3:1-17NIV[1]InthosedaysJohntheBaptistcame,preachinginthewildernessofJudea[2]andsaying,“Repent,forthekingdomofheavenhascomenear.”[3]ThisishewhowasspokenofthroughtheprophetIsaiah:“Avoiceofonecallingi
兄上様。学生時代の私は、今を生きることにこだわって。過ぎた日を振り返るのは嫌いだからと、復習することを嫌がり。先のことは分からないからと、予習をすることもなく。いつも、ぶっつけ本番一発勝負のような生き方をしてきました。その私は、寄せては返す波を見ていました。目には見えない透明な風を、旗がたなびく形の中にみつめていました。波も、風も。形を変えながら、在り続けていました。誰に、何を尋ねよう。誰に、何を、どのように伝えよう。言葉があふれて、止まらないときは。紙の上へ水を流すよう
兄上様。ノックにより開けたドアを、さらに開けると。人懐っこい、やわらかな笑顔で、「こんにちはー」と、挨拶をし。「神の話を、していいですか?」と、切り出し、「イエス・キリストを、知っていますか?」と、問いかけ。「強引、無理強い、ないでーす」という、それは、とてもやわらかな声でした。無宗教、無信仰で来た私には、このときも祈りを必要としていませんでした。けれど、その声をもっと聞いてみたいと思いました。話と話に間があり、話すと
兄上様。今日、ヘルパーさんが訪れました。手元にあったサツマイモを、蜂蜜で煮込み。おいしいペーストに、するはずが。気づけば、先週に引き続き。また、鍋を焦がしてしまいました。先週、シイタケの煮付けが炭と化し。処分寸前だった鍋を、知恵を絞って救ってくれたのがヘルパーさんでした。その恩人の前で、まさか同じ失態を繰り返すとは。しかし、失敗は成功のもと。先週の救出劇を見ていた私には、すでに焦げ落としの手順が分かっていました。すぐに、金束子(か
この章全体は、「悔い改めが整えられた心に、聖霊が臨み、そこから町全体・文化・経済まで揺れ動いていく」という流れで描かれています。悔い改めが曖昧なままでは、イエスの名も、聖霊の力も「本物」として働きません。信仰生活で最も大切な部分なので、改めて解説します。1–7節ヨハネのバプテスマから、イエスの名と聖霊へ19:2「信じたとき、聖霊を受けましたか」という問いは、信仰と聖霊の受け取りが切り離されてしまう危険『信じたつもり』と、実際に御霊によって新しくされた状態との違いを照らし出します。
兄上様私は、思いました。自分から自分が離れてゆくだなんて、あり得ない。そうして、精神科を訪れると。医師、曰く。何かを突き詰めて、考えていたり。何事かを懸命に、推し進めていたり。疾走を続ける日々の中などで、忽然と終わりを迎えたとき。「それまでの自分の感覚と、それ以後の自分の感覚にズレが生じて、今までの自分ではない自分を感じてしまう。それを、離人感と呼びます。ちなみに、定年退職を迎えた人に多く見られ、・
兄上様。起きているのか。眠っているのか。分からない時を経て、体を起こす時が来ました。起こしてみると、体の痛みが消えていて。スムースに、起き上がり。スムースに、ベッドから降り。一歩を踏み出すと、膝から床に崩れ。その床に突っ伏して、思う。バプテスマは、新しい自分を始めるきっかけになると聞いたことを。兄上様。それは、ペイン・クリニックで受ける。神経ブロックの、後のようでした。まずは、自分の足で立ち上がることから始まってゆく
兄上様。バプテスマを受けた、その夜に。とても、曖昧な時間が訪れました。表情が、消え。感情も、消え。飲まない。食べない。眠っているのか、起きているのか分からない。息をすることさえ、しんどいような。息を止めていた方が、楽なような。何かを、考えることも、思い浮かべることも。できないのか、しないのか。そのような、三日間。私から、私が離れてゆきました。そして、見ているのです。ベッドの上の、自分を。
8月17日。エホバへの献身を、1986年に水のバプテスマで公にしてから今日で41年目。今日を献身の誓いを守って忠実のうちに迎えられ感無量です。ずっとずっとエホバや仲間から引き離そうとする攻撃がずっとずっと迫害反対虐待が絶え間なく続いて来ましたがわたしの神への愛の火も聖書の真理や組織や仲間への愛も反対者は、消し去ることができませんでした。これはという種類のバラ🌹でわたしにとって、記念の貴重なバラです。
平和と幸せを祈ろう!▼本日限定!ブログスタンプ終戦の日ですがボクがあの宗教組織に入るためにバプテスマ(洗礼ではなく、浸礼ってことで、完全に全身を水没させます)を受けた日でもありますあの宗教組織では、霊的誕生日って呼んでいたハズです1981年大阪万博記念公園内の仮設プールにて王国の忠節地域大会でした今は、籍は有るかもしれませんが、完全に活動停止状態なので或る意味、ボクの終戦記念日なのかもしれません毎年、複雑な想いで、この日を迎えます世界中が真の意味で平和になりますように✨で
兄上様。さあ、このときを迎えます。そして、神聖な儀式はそれほどに甘くはなく。名前の違い、文言が違う。なぜにかその度に、水の中へ沈み、また引き上げられて。できた!と思った瞬間、外で見守る鋭い目から。「今、手が出てた!」と、やり直しががかかりました。着替えを手伝ってくれた、K姉妹の言葉を思い出す。「髪の毛一本でも水から出ていたら、やり直しになります。みんな見てますから、大丈夫。」そうか、大丈夫なんだ・・・、と思いきや。
兄上様。私は、この日、初めて自分のために両足の装具を外し。礼拝堂から、バプテスマ・フォント(水槽)への道のりを。右側をブロンドの宣教師、左側を黒髪の宣教師に体を支えられて歩きました。フォントの温かい水は、この日まで頑張ってくれた教会の皆さんの体温そのものでした。「バプテスマは、恐ろしいものではなく素晴らしいものだよ」と言ってくれた、カンボジアさん。「フォントに怖い人はいません、いるのは私です」と、バプテスマを授けるための手を握り、安心させて
兄上様。難関の面接を、無事にクリアし、本番への準備が始まりました。しかし、ここで最大の物理的なピンチが訪れます。用意されたバプテスマ用の白いつなぎが、私には入らなかったのてす。その瞬間、教会の支部長は驚きのあまり、見事な角度でのけ反りました。一方、ピンチに強そうな扶助協会会長のK姉妹は、「大丈夫です!」と、満面の笑顔です。その笑顔の向こうで、大きなサイズの白いワンピースを手配してくれました。皆さんの懸命なチームワークのおかげで、衣装も揃い。
兄上様。車椅子の私がバプテスマ(洗礼)を受ける!と決意したあの日。そこから若き宣教師たちとの、闘いのようなレッスンが始まりました。私の質問やリアクションが、彼らの想定枠を越えていたのかもしれません。レッスンが進むごとに、彼らの顔には隠しきれない困惑の文字がちらついている気持ちがしました。「どうすれば、この人に理解してもらえるのだろう?」と、いう疑問。その都度その場を立て直し、根気よく話しを重ねてくれました。私は、父との最初の記憶が浴槽に沈められる
初回投稿2021年1月29日こんなふうに公式に書いてるんですから、遠慮なく組織が隠している情報も伝えていいと思いませんか?ついでに十分な情報ではなく嘘情報で騙されていたことに気付いたので抗議してるのに返事もありません。何でだろう?https://ameblo.jp/wt-nihonshibu/entry-12604239265.html『再掲バプテスマ無効請求』最近は現役のエホバの証人の皆様もかなり多くお越しくださっているようですので、今回は私とディアマンテさんが2016年の年末に
皆さん、こんばんは。訪問ありがとうございます。夏休み期間の火曜日恒例・・・「おしえて!アーリー先生!」の時間です。洗礼。これは、別のことばではバプテスマって言います。キリスト教では、必ず聞く言葉なんですけどね。そもそも、どういうことか御存知の方は、少ないかなぁと思うんです。今回は、洗礼が、どういうことか。また、洗礼を受けることの意味について、アーリー先生が詳しく教えてくださいます。どうぞ御覧くださいね。👇🏼
誰の名でバプテスマ受けるか?名前は重要です。Ⅰコリ1:12あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。1:13キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。父、子、聖霊の御名でバプテスマを授けます・・・大抵の教会は、そのように宣言します。その理由はイエス様がこう言われたからです。マタ28
目次11.聖霊を受ける前に12.聖霊を受けるための改め13.素直ではない 口だけである 兄弟を罵り裁いている14.行いを軽視している15.御言葉を軽視している16.主は厳しい御方でもある17.最も重要なこと11.聖霊を受ける前に信仰に入って皆が受けているわけではない以上、何か必要なことがありそうです。「初めから選ばれていなかった」という「予定説」は流すとして、「熱心になって悔い改めなさい」と仰るぐらいですから、やはり何らかの点が改めら
最近xを見て思ったこと。幼き頃より、ハルマゲドンが目の前で、終わりが来るからと言われたけれど。じゃ、究極。生きなくていいんじゃね?と思っていて。何事にも冷めた目で。子供らしさがないと言われ。本音を言うと冷たい人と言われ。剣で突き刺すのね、と。ならばと受け入れてもらえるよう、周りを見て演じていた私。とりあえず笑顔。相手の声のトーンに、合わせる。相手の興味の話題に、触れる。反対の中でも集会を支持すれば、神権宣教学校に入れば、伝道者になれば、バプテスマ受ければ、開拓奉仕すれば
以前2世の子供2人を、幸せそうないい感じに育ててる姉妹に、どんな子育てされたか聞いた事あるのですが誕生日やクリスマス出来ないかわりに、毎月のように、高価な物ではないけどプレゼントを渡していたそうです。子供達は、学校のお友達は、年に2回しか、プレゼントもらえないけど、私は毎月のように貰えるから、お友達から羨ましいって言われると言っていたそうです。子供の気持ちを、よく考えて、要領よく行動していらしたようですね、例えば、お葬式でも、キッパリ参加しないと言って、未信者の夫や親戚と揉め
兄上様。この若き二人の宣教師は、神のために海を渡り、見知らぬ地を駆けています。その年齢と同じときの私は、何をしていたでしょう。たいしたことは、していません。ただ、病院のベッドで療養していただけ。病院の中ではあり余る時間をもてあまし、外になると等しいはずの24時間では足りないと焦る日々でした。そんなことを考えていた夕刻、外は激しい豪雨となりました。しかし二人の宣教師は、ずぶ濡れになりながら自転車で約束通りにやってきたのです。彼らは、モルモン書を読みましたと
幸せなJW2世3世がいるのは、本当に喜ばしい事ですね。私も心から、良かったなと思います。しかし、組織や親に批判的な元2世3世もいるのも事実です。そういう人の事を作り話をしているとか、誇張して話しているとか、はたまた背教者扱いするのは違うかなと思います。ここ最近は組織も、いろんな事を緩和していて、集会も週2回しかもzoom参加でもオッケーだし、奉仕時間も、以前のように多くの時間を求められる事もない、進学もある程度自由選択の余地があるようですね。終わりの日に関する認識も、
私の心に燃える炎マイク・レスナー(ドイツ、ヘッセン州)自分の気持ちを認めたくなかったけれど、もう自分に嘘をつき続けることはできなかったhttps://www.churchofjesuschrist.org/study/liahona/2026/08/latter-day-saint-voices/09-a-fire-in-my-heart?lang=eng修道女たちじゃなく宣教師洗礼式じゃなくバプテスマです。私の場合その頃は神社に行って神様に祈っていたのでバプテスマを受け
導入:これ、実は”置き手紙”だったイエスが天に帰る直前、弟子たちに残した最後の言葉。それがマタイ28:19-20。いわば「神様からの置き手紙」です。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。難しそう?大丈夫。3つのポイントでサクッと分解します。1.主役は「あ
Acts8:36,38-40NIV[36]Astheytraveledalongtheroad,theycametosomewaterandtheeunuchsaid,“Look,hereiswater.Whatcanstandinthewayofmybeingbaptized?”[38]Andhegaveorderstostopthechariot.ThenbothPhilipandtheeunu
夫とおデート、魔女の宅急便を観てきました。先日ジブリパークで見たまんまのキキの実家、グーチョキパン屋さん。何故知らなかったか?そう。魔女というワードが出てきただけで、オカルトはサタンです!というjwの思想で、若い時は観れなかったのです。アラフィフになってから堂々と観ています。😅クロネコヤマトさんがスポンサー。いいね🤗爽やかな、心温まる内容でした。89年の作品で、その年はバプテスマを受けた年。しれっと観ておけば良かったなー。テキトーに、いいとこ取りで生きてこれたら良かったなー
「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」1:18神を説き明かすことのできる方は、み言葉の文言でいえば、「父のふところにおられるひとり子の神」しかいません。しかし、証言する者はいます、洗礼者、バプテスマといわれるヨハネです。ヨハネの証言は、こうである。ユダヤ人たちが祭司とレビ人をエルサレムからヨハネのもとに遣わして、「あなたはどなたですか」と尋ねさせた。(1:19)洗礼者ヨハネは何者であるかとの問いに、ヨハネ自身は、キリスト
「わたしは獄にいます」ジョシネテ・コスタ・ドス・サントス(ブラジル、ベレン)わたしは家族の名前を神殿に持って行くとき、愛や絆、目的を感じます。いとこの夢に現れた女性イラスト/エリア・サンポ教会に入ってから、わたしは神殿についてもっと学びたいという強い望みを感じました。神殿で礼拝し、神殿の儀式に参加し始めると、それまで感じたことのない霊的な力と平安を見いだしました。同時に、わたしは家族歴史活動を行う方法を学び始めました。親族について探求し、彼らの神殿の業を始めたとき、わたしは多くの神聖
ヨハネ3章は、夜の静けさの中で交わされたイエスとニコデモの対話から始まります。ここには、人がどのようにして“神の国を見る”ようになるのか、そして古い自分から新しいいのちへ生まれ変わるとは何かが、深く静かに語られています。1.水と御霊によって生まれる―新しいいのちの誕生ニコデモはユダヤ人の教師でありながら、イエスの語る「新しく生まれる」という言葉を理解できませんでした。イエスは言います。水と御霊によって生まれなければ、神の国には入れない御霊による誕生は、風のように見えない
地区大会に行ってみた。地区大会とは、エホバの証人(JW)の、1年に一度ある大規模な集会だ。参加する目的は二つある。まず1つ目は言うまでもなくゆう子を探すこと。二つ目は、大会を体験すること自体、そのものだ。若い頃、知りたくても何にもわからなかった、ゆう子が生きてきた世界がどんなものなのかとても興味がある。JWのカルト性については重々承知だが、普段の集会含め、フラットな目線で見て、体験したいのだ。今回は、3日間ある日程の2日目。初日は仕事なので断念したのだった。まず感じたのは、想像以上