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本日7月6日はエヴァ・グリーンの生誕46周年です。それを記念して彼女の作品を紹介します。■エヴァ・グリーン/EvaGreen1980年7月6日パリに生まれる。父親はスウェーデン人。母親は『雨の訪問者』の女優マルレーヌ・ジョベール。双子の妹がいる。エヴァ・セント・ポール・スクールに3年間在籍した後、ウェバー・ダグラス・アクティング・スクールでロンドン・ワークショップに参加。2001年パリに戻った後、舞台に出演する。映画デビューは巨匠ベルトルッチ監督の『ドリーマーズ』。
碧い宝石💎ネモフィラ!今が見頃。あぁ、やっぱり33の、宇宙意識へと回帰している。あの人と、還ろう。いつの約束か思い出せないけど、外応がすべてを物語る。やっぱり夢ではなかったんだ。感謝しかない。そう、やっぱり自分しかいなかったんだ。君は幻だ。バタイユの死とはエロティシズムである。とは、生きている間は独立した個体だが、死とエロティシズムの瞬間に、他の存在と混ざり合い、自我の限界を超えて連続性の中へと溶け込む。これだよ、まさに。あと何段の階段があるのだろうか。恋は死。自我
【鉱物言葉集】バタイユ『マダム・エドワルダ』より石に関する言葉私は「彼女」から解放されるのを感じた――この黒い石の前でひとりきりになっていたのだ。ふるえながら、自分の目の前に、この世でいちばん人間から遠いものを見ていた。バタイユ「マダム・エドワルダ」(『マダム・エドワルダ/目玉の話』所収、光文社古典新訳文庫、p.17)夜のパリ。サン=ドニ門界隈の娼家を訪れる主人公の「私」。全裸の娼婦マダム・エドワルダは「あたしは神なのよ」と言い、「私」と激しく交流する。その後、
⸻1.ジョルジュ・バタイユという異質な思想家🧠ジョルジュ・バタイユ(1897–1962)は、哲学・文学・人類学・経済思想を横断したフランスの思想家である。彼は体系的な哲学を構築することよりも、人間存在の「耐えがたい部分」に光を当てることを選んだ。合理性、効率性、生産性といった近代社会の価値を正面から疑い、それらが排除してきた欲望、死、暴力、聖性といった要素を思考の中心に据えた点に特徴がある。バタイユの文章はしばしば難解とされるが、それは抽象度の高さではなく、人間が通常は目を背ける領
バタイユが実はめっちゃ「理系脳」しているポイントを、本気で掘り下げます。1.「一般経済学」の本質=熱力学・エントロピー増大則の社会版バタイユの最大の著作『呪われた部分―一般経済学の試み』(1949)は、文字通り「エネルギー収支論」として書かれています。地球に届く太陽エネルギーは、生物が生きるのに必要な量をはるかに超えている→この「過剰エネルギー」は必ずどこかで浪費(消耗)されなければならない→人間社会における贅沢・戦争・祭り・性・芸術・宗教は、すべてこの「過剰の強制的消耗」の形態
昔話です。レポート提出した時の先生へ「先生、先日の講評で『理系のクラスでバタイユなんか引用する学生がいるとは』と、なかなか辛辣かつ詩的なお言葉を頂戴いたしました。ありがとうございます。心の底から震えました。確かに私、〇〇部所属です。日々は微分方程式と格闘し、夜は熱力学第二法則に泣かされ、朝は電磁気学の宿題に絶望しながら生きております。そんな私がいきなり『快楽の過剰は死に直結する』とか『エロティシズムは死の肯定である』とか言い出して、しかもそれをフーリエ変換の話の流れで持ち出すという、完全に頭の
みんなは精神を関陸に侵された笑
マネ。ジョルジュバタイユの「マネ」読了。……ゴヤを知りたくなる。
第四章はブルトン。ブルトンが目指したのはトマス・アクィナスから始まる実証主義からの脱出。そして、現にあることから、ありあえること(=超現実)への移行(p130)。しかし、非合理性への盲従ではなく、必要があれば理性に従い、適切にコントロールして想像力を最大化することを目指した(p132-133)。ロマン主義が個人の情念や感性に駆動されるのと違い、個人を消失させようとした(p134「思考のありのままの機能を表現する」)。他方で個人を単純に消失すればいいのなら、乱数表で
バラ品種名は「ミツコ」フランスの香水「ミツコ」に由来する名前のバラ。香水「ミツコ」は、クロード・ファレールの小説『ラ・バタイユ』に登場する日本人女性ミツコにインスパイアされて作られた。このバラは、1991年にフランスのデルバール社によって作出された。
日置俊次教授が、リブログしていただいたので、リブログのリブログをいたします…『聖アントニウスの誘惑』は、ジョルジュ・バタイユの何かの著作の口絵として使われおり、当時十九や二十歳そこそこの私はこの絵に衝撃で、今も忘れる事ができません…それほど、当時から、バカみたいに邪魔されたって事でしょうが……日置教授のブログによりますと、ミケランジェロもインスパイヤされたように…それにしても12歳の画力がスゴイな…驚!ジョルジュ・バタイユは、とてもヤバくてクレージーな作家で、十代、二十代なら、ツ
【「右手の聖性」と「左手の聖性」】快楽か㊙️恐怖か🫣💦宗教社会学では、一般に宗教は、「右手の聖性(清浄で吉なるもの)」と「左手の聖性(厳しく恐ろしいもの)」の両極から成り立っているそうです。天国(快楽)と地獄(恐怖)ですね。ゴシック期、ケルト・ゲルマンの人々への布教は、「左手の聖性」に重きをおいてなされ、残虐で恐怖を感じる「キリストの磔刑図」「洗礼者ヨハネの斬首」が描かれました。バロック期のローマは、対抗宗教改革の時代で、教会を飾る絵画や彫刻には「右手の聖性」の表現である『法悦』が登
ゴールデンウィークはあと1日…💔今、新幹線の中こだまでちんたらと…お供は泉鏡花🪻ゴールデンウィークの読書は、ジョルジュ・バタイユの詩集。奢霸都館出版『大天使のように』(1982)と、思潮社『大天使のように』(1970)。どちらも生田耕作訳だが挿絵が異なっていた。手に入れるのは難しいけれど、国会図書館のデジタルコレクションでどちらも閲覧可能。素晴らしすぎる~!これまで、バタイユの詩集が存在していることを知らなかったのだけれど、今回、酒井健氏による『バタイユ入門』を読み
(前略)そんな高尚な意味ではなく、古臭い言葉を使えば、もっとアヴァンギャルドな意味で消尽や蕩尽を受け止めていた。エロティシズムへの欲望は、死をも渇望するほどに、それとも絶望をこそ焦がれるほどに人間の度量を圧倒する凄まじさを持つ。快楽を追っているはずなのに、また、快楽の園は目の前にある、それどころか己は既に悦楽の園にドップリと浸っているはずなのに、禁断の木の実ははるかに遠いことを思い知らされる。快楽を切望し、性に、水に餓えている。すると、目の前の太平洋より巨大な悦楽の園という海の水が打
2025年2月17日にバタイユ「眼球譚」を読了しましたバタイユという名前を知っていて、あと、戸川純のアルバム「極東慰安唱歌」に収録されている「眼球綺譚」を思い出し、とりあえず買ってみました。読んでみて…何というか…最後の最後まで読んで、自身のトラウマが反映されているのかなとは思いましたが、とは言え、作品としてはどうなのかなと。むしろ、文学作品ではなく哲学書を読んでみた方が良かったのかな。
ジャック・デリダ『エクリチュ-ルと差異』所収の「制限された経済から一般的経済へ/ある留保なきヘーゲル主義」を読みました。大学院の指導教授お薦めの論文(「デリダ入門に最適」と)で、私は修士課程のときに旧訳で一度、博士課程のときにもう一度読み、さらに2013年に新訳で読んだのですが、今回は前回赤ペンでチェックした箇所のみをサラッと読み返してみた次第です。デリダはここで、ジョルジュ・バタイユが『内的体験』で記述する「至高性」を、ヘーゲル『精神現象学』の「主人性」の「留保なき」先鋭化として読解し
『エロティシズム』という題名で、表紙は恍惚とする女性の彫刻、どんな本だ!?「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのために作られた」と讃美されるイタリアバロックの巨匠ベルニーニ(1598〜1680)彼の作品「聖テレジアの法悦」の部分ですベルニーニ聖テレジアの法悦1647―1652聖テレジアが天使と出会ったという神秘体験の場面天使が彼女の心臓を金の槍で突き刺し、引き抜いた、『苦痛は耐えがたかったが、それ以上に甘美感のほうが勝っており、止めて欲しいとは思わなかった。
朝マック。アイスコーヒーを飲みながら、バタイユのエロティシズムを読む。この1冊は、私のバイブル。何回、読んたかわからない。現代思想の祖、バタイユ。
今日は図書館で本を借りました。
身の回りでちょっとよくないことがあっても、スマホで期待はずれの検索結果がでたり、暗いニュースをみたりしてるとすぐ気持ちが落ち込んでしまうことありませんか⁉️神経が細いとか、神経質とか、気が弱い、覇気がないとか、言われたことがありませんか⁉️わたしは、子供ころ、親からは人前でおとなしいけど、わがままとか、小学校の先生からは、卒業するときに親に向かって線が細いから心配と言ってました。三つ子の魂百まで、といいますが、それはあたっていると思います。わたしの母はとっても心配性だけどいい加減で、父は
例えば恋人同士の脳ミソにICチップを埋め込んで、同期すれば、完全な相互理解が達成されるかもしれない。そうやって地球上すべての人間の脳みそをインターネットに繋げば、僕らはひとつになれるのかもしれない。そんな話もあるらしい。2024年の1月、世界ではじめて人間の脳みそにICチップが埋め込まれた。それがいまの世界の最先端。実験は順調らしい。報告によると、頭で考えただけでテレパシーみたいに、パソコンのマウスを動かせるのだという。「障がい者の治療に役立つ」という、科学者お決まりの言い
ジョルジュ・バタイユはこう考えた。私は他者と断絶している。他者から「断絶」されているのが人間の通常の状態である。しかし人間は常にこの「断絶性」の檻から抜け出して、他者との「連続性」に至ることを夢見ている。つまり他者と完全に繋がりたいと思っている。では、どうすればいいのか。「断絶」から「連続」へ至る方法はふたつある。それが「暴力」と「性行為」。「暴力」はこの世の秩序を反転させ、死の世界への扉を開く。それは理性以前の世界。動物的な世界。自分と他者の区別もない、カオス。
プラトンの「饗宴」にある有名な一説。美しい神話。男と女はもともと二身一体の生き物だった。手が四本、脚が四本ある、蜘蛛みたいな生き物。それが神の裁きによって半分に引き裂かれて、男と女という二つの生き物ができた。それ以来僕らは、不完全な半身である。男と女は自分ひとりでは充足できず、互いを求め合って彷徨う。失った半身を探し求めて。しかしその失った半身、運命の相手をみつけたところで、一心同体には戻れないのだ。できることはせいぜい、婚約して死ぬまで一緒に暮らすこと。僕らは絶望的
監督ジャン・ルノワール原作モーパッサン『野あそび』ヘリンエッテ(シルビア・バタイユ)ヘンリ(ジョルジュ・ダヌルー)ロドルフ(ジャック・ブルニアス)マダム・デュフール(ジャンヌ・マルカン)ムッシュ・デュフール(アンドレ・ガブリエロ)1936年/フランスこの映画を見るのは何年ぶりだろうか。確か劇場へ見に行ったはずだ。見終わったあと、リリシズム、という単語が頭に浮かんだ。お勧め度★★★★☆1860年、パリから田舎に馬車に乗って遊びに来た一家。両親と娘の
インドカレー食べながらの読書は無理だ去年の暮に亡くなったうちの猫の喪が明けてGWだということで、そろそろ猫恋しくなってきました。そこで先日、有明でやってた保護猫の譲渡会に行ってきました。会場に決定的な猫はいなかったのですが、写真見て気になった猫がいたので今度会いに行ってきます。もしわが家に猫が来るとなると部屋も片付けねばならんと本を片付けながら、ついつい手に取って読み始めてしまいました。ジョルジュ・バタイユ「呪われた部分全般経済学試論*蕩尽」。小難しい!でも面白い哲学書です。いや、西欧文明
バタイユ「マダム・エドワルダ/目玉の話」前に読んだ「眼球譚」がバタイユが最初に書いた初稿版で、新装版がこちらということで読んでみました。「マダム・エドワルダ」は「目玉の話」とは関係ありません。訳者の中条さんはこの作品について、こう書かれてます。この作品にはポルノ小説(ポルノとは古代ギリシア語で「娼婦」の意)に通じるエロティズムがあふれている。というより、エロティズムは『マダム・エドワルダ』の本質的な主題である。だが、そのエロティズムは単なる性的興奮とはほとんど関係がない。それはバタイユが
G・バタイユ「初稿眼球譚」サドの「悪徳の栄え」を読んだことあるので、そんなには吃驚しなかったけど、吃驚しました。この作品の題名の「眼球」はバタイユの父親が病気で苦しんでいた時の様子からとったようです。言い換えれば、それだけジョルジュにとっては衝撃が大きかったのでしょう。さて、この「眼球譚」はエロテズム文学に入るということですが、決して官能的とは思えません。このことはサドの作品も同様でした。書かれていることは猥褻な言葉でありますが、それは単なる記号と同じであり、読んでいる僕にとっては興奮と
ジョルジュ・バタイユ全名:ジョルジュ・アルベール・モリス・ヴィクトール・バタイユ生年月日1897年9月10日(金)日干支辛未同じ日干支の人物(ブログに掲載済みの人物)・頼山陽1781年1月21日・伊達宗基1866年8月24日・島崎藤村1872年3月25日・菊池寛1888年12月26日・土光敏夫1896年9月15日・白洲次郎1902年2月17日・ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ1917年5月29日・荒井注1928年7月30日
9月10日ジョルジュ・バタイユが生まれた日。フランスの哲学者、作家です。ニーチェから影響を受け、ブランシュやフーコー、デリダに影響を与え、ポスト構造主義にも影響を及ぼしています。バタイユは「死」と「エロティシズム」を根源的なテーマとしています。そのほか、「侵犯」「聖なるもの」などのテーマがあり、それらを通して人間の至高のあり方を追求しています。三島由紀夫がバタイユの熱心な読者であったということです。経済学・社会学・人類学・文学・芸術・思想・文化・宗教・政治など様々な分野を横断して執筆