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MUNEHIROねーさんなるわほんまっていう。あんこら!ってなるわっていうはなし。今日けんさんが会議で遅くなるのと会議会場が遠いから車で出勤。って訳でハルはチャリで出勤。いつもは駐車場の関係でけんさんがチャリでハルは車。そしたら朝けんさんが「怒ってない?」って聞いてきた。ハルはハテナ顔。「なんで?」けんさん「チャリで出勤やからだるいかなぁて思って」…は?それにちょっとプッチンきたのでありんす。だってチャリで出勤ってだけで誰が怒るん?いうてもチャリで20分の距離。車や
よるドラ「ここは今から倫理です」第4話~カント「人間は気ままに生きると争う悪になる」※無断転載対策のため、不本意ですが、しばらく、注意喚起させていただきます。こちらの記事は、「日々のダダ漏れ」の記事です。ご覧になっているブログ名が「日々のダダ漏れ」、以外のブログ名は、記事を無断転載しているブログです!!↓オリジナルのブログはこちらです♪「日々のダダ漏れ」高柳)人間は、理性的な存在であると同時に、自然的な存在であるとカントは言っています。沸
(ハンナ・アレントの『全体主義の起源』は)近代の政治原理であり,不可譲のものと規定された人権の喪失可能性を,今世紀に大量に生みだされ,無権利状態に置かれた難民の状況を記述することによって指し示している。彼女はこのテロルを受容する基盤が,大衆社会にあったのだと認識している。つまり,全体主義運動の肥沃な土壌となっているのは,他者との交わりを喪失し,ばらばらに切り離された大衆の順応性だということである。人間の「複数性」(plurality)も破壊される。複数性とは,地上に住んでいるのは複
「ハンナ・アーレント」見た。すばらしい映画でした。こんなこと言うと、不謹慎かもしれないけど、サンボン、昔からアウシュヴィッツに関する本が好きで、読むと落ち着く。アウシュヴィッツの生存者には、体験を語ろうとしてなかなか語れず、自殺している人が多い。有名なのはもう意味がつながらないぎりぎりのところで詩を書き、自死してしまったパウル・ツェランとか。他に自殺者じゃないけど、「冷蔵庫マザー」理論で有名なベッテルハイムという人も。さて、映画だけど、よかった。アーレントはヘヴィスモーカーなん
菅総理は凡庸な人かも。ハンナ・アーレントが言う凡庸である。ハンナ・アーレントはナチスを支えたアイヒマンを凡庸な人と書いた。凡庸な政治家は悪魔の囁きに騙される。改革という病だ。竹中平蔵、アトキンソンというレント・シーキングである。自衛隊の看護官にコロナ感染での出動をさせて自衛隊病院を削減・縮小する政府。小泉内閣の時、自衛隊の駐屯地を削減をしょうとした片山さつき財務省主計官が自民党の参議院議員である。
読書時間:3h一読:あり再読:ありR指定:なし著者:田野大輔刊行:2020年4月価格:1600円+税出版:大月書店ファシズムを体感する講義の全貌ヒトラーに従った家畜たち?1小さな権力者たちの暴走2「民族共同体」という理想郷3統合の核としての指導者4大量殺戮への道C水晶の夜C悪の陳腐さなぜ「体験学習」なのか?1「体験学習」が生まれるまで2「社会意識論」のてーな3「体験学習」の概要Cミルグラム実験ファシズムを体験する1日目2日目受講生は何を学んだのか?
おえもり濃淡だけでかいてみた(*´▽`*)濃淡だけ気にすればいいので楽ちんハンナ・アーレント(アレント)~~アーレントはドイツの哲学者でユダヤ人ナチが台頭してくるドイツで、国外に亡命する人を支援する活動をしてました。行く行く彼女も身の危険からフランスへ亡命後フランスがナチの占領を受けるに至りアメリカへと亡命します。自身にも降りかかった全体主義の暴走から、政治現象としての全体主義の分析と、その悪を人びとが積極的に担った原因について深く考える。
考えてみれば作家になるのが夢だったアンネ・フランク、もし幸運にも第二次大戦を生き延びて夢を叶えていたら、『アンネの日記』の出版は相当遅れたはず。「日記」は処女作としては鮮烈すぎて一発屋になる恐れが十分あるから、収容所からの生還者という事実は公言しつつも、多分創作で有名になりたいと思ったはずで。尤も隠れ家の経験と収容所の体験は創作の源泉になったろうから、有名作家になった後で大人のアンネが改定した版が出版されたかも。契機となったのは多分アイヒマン裁判。アンネも概要を新聞で知るか裁判での傍聴で、
前回記事でちょっと触れた、ナチス親衛隊の将校だった、アイヒマンに関する映画──というのは、2012年制作のドイツ・ルクセンブルク・フランスの合作映画『ハンナ・アーレント』のことです──をYouTubeでレンタルして見ました。アイヒマン裁判にはじめ興味を持ったのは、1961年当時の裁判を、日本人でイスラエルで傍聴した人物がいたことそれが有名な評論家の村松剛氏(女優の村松英子さんは妹)で、裁判を傍聴して書いた本がかつてベストセラーになっていて、一昨年角川新書で復刊されていたのを知ったこと
ハンナ・アーレントはドイツ系ユダヤ人の哲学者・思想家・政治哲学者である。雑誌「ニューヨーカー」と交渉し、レポートを執筆することを条件に特派員として「アイヒマン裁判」の傍聴をする。アイヒマンはナチスの強制収容所へのユダヤ人移送計画の責任者であった。巨悪の根源とも考えられていた彼の姿は、実際に見たアーレントには、ただの「小役人」にしか見えなかった。与えられた命令をこなすことに執心し、最大の効果(大量輸送)を実現するために奔走しただけだと主張し、自らの犯罪性を否定したのだ。そこには自身の行為の是非
フロイトは「わしは女性のことは分からん」と、女性性を<暗黒大陸>に譬えました。先日、読み終わった「アーレント=ハイデガー往復書簡」。ボンクラな私には、やっぱり女性性は「闇の奥」です。ハイデガーは助教授時代、入学したてのハンナ・アーレント(19歳くらい)と恋におちてしまった。当時のハイデガーは「存在と時間」執筆中で、知る人ぞ知るバリバリの少壮学者。しかし、ハイデガーには妻子がいた。この頃、おそらく20歳代半ばから後半と思われる。私が一番美しいと思うアーレン
新型コロナ「疫病と権力の仲」仲正昌樹氏朝日新聞紙インタビュー中国から世界に飛び火した、新型コロナウイルスの脅威。各国政府がロックダウン(都市封鎖)などの強硬措置に踏み出すなか、欧米の政治思想に詳しい仲正昌樹さんは、歴史上における感染症と政治権力との「密接な関係」に着目する。国家による市民の「管理」や「隔離」、危機対応と民主主義のジレンマを、私たちはどう受けとめるべきか。――感染症の発生で隔離された人々の不条理を描いたアルベール・カミュの「ペスト
ハンナ・アーレント2013年10月26日公開ナチス戦犯の裁判を見つめる実在のユダヤ人の女性哲学者ハンナ・アーレントの胸中を描きながら、善悪や人間の本質に切り込んでいく。あらすじ誰からも敬愛される高名な哲学者から一転、世界中から激しいバッシングを浴びた女性がいる。彼女の名はハンナ・アーレント、第2次世界大戦中にナチスの強制収容所から脱出し、アメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人。1960年代初頭、何百万ものユダヤ人を収容所へ移送したナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが、逃亡先で逮捕された。アーレ
・ここまで「無能」なのに支持される理由‐【ここが酷い】『アベノマスク』に対する批判(政治的無関心の「危険性」)‐『安倍総理マスク二枚ありがとうございます。テックトックでバズリ動画』https://www.youtube.com/watch?v=LdOakuh41xw在日コリアンの友人LINEからの動画で、大爆笑してしまったやつですが、ここまでエンタメ(最大限の皮肉)にして「総理の失策」を指摘できるセンスは、かなりのものだと思います。2020年4月14日(火
共産党公式YouTubeより池田信夫氏の「共産党は普通の政党」論日本の極めて高名な評論家で、株式会社アゴラ研究所所長の池田信夫氏は、12月30日付け「アゴラ」で「日本共産党は今や『普通の政党』である」と主張しておられる。その理由として、(1)合法的な政党である、(2)暴力革命をめざしていない、(3)自衛隊違憲は憲法学者の多数意見と一致する、(4)自衛隊解消はかつての社会党も主張した、(5)日米安保破棄も同様である、(6)天皇制に代わる共和制も一つの選択肢である、(7)民主集中制も未来永劫続
働き方が向かう先-当たり前を覗いてみる09-労働と仕事と活動を定義したハンナ・アーレントという哲学者がいました。すべての人の考える力を上げようと尽力した人です。労働と仕事、活動を超シンプルに勝手な解釈をすると、労働は消費すること。仕事は消費を作ること。活動は人と人との創造的疎通。正確なニュアンスは調べてくださいね。時代が進むにつれて、人との創造的疎通にニーズがシフトしています。FacebookやInstagramのようなSNSの進化は、まさにコミュニケーションを活
みんなの回答を見る大学生に戻りたい。あらゆる意味で自由を感じることができた四年間だった。自分の勉強に関することも高校生までと比べて自分で管理できた反面勉強しなくなった時に誰かに指摘してくれる機会も少ないので、自己管理していくのが大変ではあったけど…大学に通って色んな人と関わることが出来たことや講義やゼミを通して様々な価値観や考え方があることを知る環境に身を置けたことは一番価値のあることだった。当時は政治学を専攻していて、とりわけ政治思想史に興味を持っていたので、プラトン、アリストテレスか
芸術家は、何かしら自分の中に偏愛するもの、こだわり、あるいは何かに囚われており、それを集中力と忍耐力で表現する。そしてその芸術家の歪んだ鏡に映るものがわれわれ凡人の平凡な日常に一撃を与えるのだ。フランス生まれの、現在はニューヨークに住むカミーユ・アンロは既にポンピドーが作品を購入するなど、モダンアートの作家として地歩を確立した存在、と言えるだろう。今回の展示については、以下の紹介が詳しい。https://casabrutus.com/art/119968彼女
監督:マルガレーテ・フォン・トロッタキャストバルバラ・スコヴァ(ハンナ・アーレント)ジャネット・マクティア(メアリー・マッカーシー)以前,渋谷のユーロスペースで鑑賞した映画をレンタル店で借りて再鑑賞。ユーロスペースはそれほど広い劇場ではないが満席だった。地味な映画なので,これにはちょっと驚いた。ドイツ系ユダヤ人で,政治哲学者のハンナ・アーレントがアイヒマン裁判の傍聴レポートを,「ニューヨーカー」誌に発表するまでのアーレントの思考を辿るとともに,それを発表したことによるアーレント
JVNA-Chemicals(Acoustic)嫌いな人の真実よりも好きな人のうそがいいハンナ・アーレント
Foria-Tidefeat.Ke'nekt考えるとは注意深く直面し抵抗することハンナ・アーレント
本日は全体主義について、解説します。全体主義を最初に論じたのは、ご存知ハンナ・アーレント。アーレント?ナチス・ドイツを論じた人でしょ?日本には関係ない?大いにあります。なぜなら、全体主義とは政治思想に関係なく蔓延るのですから。結論をいえば日本は、緊縮財政・全体主義に突入しています。とうの昔から。それに気がつけなかったのも国民、助長したのも国民です。決して……政治経済に詳しくない「ノンポリ」も含めてです。全体主義を解説するとともに、日本の緊縮財政・全体主義を論じます。
『現代に生きるファシズム』(小学館新書)という本の冒頭で佐藤優さんが「世界をファシズムという妖怪が徘徊している」と述べたことについて,私は先日の記事で佐藤さん自身がその妖怪の一人だと述べた。だが,よく考えてみると,妖怪に相応しいのは,佐藤さんより,もう一人の著者である片山杜秀さんの方ではないかと思えてきた。それは,片山さんがこの本の最後に書いた「補遣ファシズムについての私的メモ」を読むとよくわかる。ここには,片山さんのファシズム理解の特徴がよく表れている。すなわち片山さんは,ファシズムについ
本当は、土曜日に行く予定だったのですが、色々な用事が重なって体力的に断念。今日、朝はどうだろう?と、ふと思い立ち車で出かけました。流石に連休のため、道路はスイスイで、あっという間に中心地に到着。普段とは違って、人はまだらでしたが、それでもチラシを受け取ってくれる人は割といました。若い女性が熱心に話を聞いてくれ、もう一人ベンチに座っていた男性にも声をかけ、話をする。直接話をすると、情報がどこかで捻じ曲げられている事に気がつかされます。私もわからない事だらけだけど、次
GWに入ってから、空気が緩んでいるせいか、自分もなんだか、ゆるゆるしておりました。久しぶりに映画を見たりして、くつろいでおります。連休中はあいにくの雨☔️で、花と野菜の苗を買い込みましたが、まだ植える事ができていません。今日も雨でしたが、途中曇りになり近くの山へ散歩へ出かけました。やっぱり、自然の中は癒される〜。空気が違いますね。土の上を歩くだけで、ほっとしました〜。エナジーチャージできましたよ。自然よありがと〜❣️もう少し頻繁に
「砂漠には砂嵐があり、しかも砂漠は、どのみち一切が可能性のままに留める共同墓地のようにいつも静かであるとは限らず、自ら運動を煽り立てることもあるということである。そうした運動は全体主義的な運動であり、その主たる特性は、砂漠の情況にきわめてうまく順応しているということだ。」アーレント
ハンナ・アーレント/HANNAHARENDT⇒公式サイト⇒キーワードこの何年かヒトラーやナチズムに関する映画をかなり観ている。アイヒマンに関する映画を観ていてこの「ハンナ・アーレント」も観なければいけないと思って視聴。アイヒマン・ショーetc...ハンナ・アーレントは1961年アイヒマン裁判を傍聴して、そのレポートを雑誌に公開する。それを読んだ世間(特にユダヤ人)からの非難を浴び苦悩する...伝わらない気持ちどうしようもない展開悪の凡庸さ
KOKORO(’16)監督:ヴァンニャ・ダルカンタラ“日本を訪れるフランス人女性”という点では、河瀬直美の『vision』と共通しているけど、断然、こっちです、こっちイザベル・カレ(『ムースの隠遁』『奇跡のひとマリーとマルグリット』)が訪れたのはなんと、自殺の名所として知られる断崖絶壁※がある小さな村。そこには、絶望した人たちに寄り添う男(國村隼)がいて・・・・。※島根県隠岐にある赤壁という断崖監督はベルギー人女性、でも、外国人が描く変てこ日本にはなら
おはようだワン!昨日の夜。とうちゃん、寝る前に読書。各個人は、大なり小なり他人への破壊的な衝動の無制限な流れを抑えるための良心を持っている。だがその人が自分自身を組織構造に埋め込むと、自律的な人物にとってかわる新しい生物が生まれ、それは個人の道徳性という制約にはとらわれず、人道的な抑制から解放され、権威からの懲罰しか気にかけなくなる。『服従の心理』スタンレー・ミルグラム著山形浩生訳河出書房とうちゃん、ポツリと呟く。要するに、個人としての「人」と集団の中での「人」は別のもの