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2025年12月11日(木)、青森市の松丘保養園にて交流会が開催され、参加してまいりました。当日は納骨堂前にて勤行後、保養園内の社会交流会館にて澤田大介学芸員によるお話と、木村隆一さんからのお知らせがありました。納骨堂に向かう。読経後、説明。国策として偏見が徹底的に植え付けられたハンセン病患者の方を収容した松岡保養園、かつてここは現在のような保養所ではなく土塁と堀に囲まれた「収容所」でした。ここで人生を終えても遺骨を引き取ることを家族親族が拒否したため大量のお骨が保管されています。
映画『山猫』より。以下、きょうの写真はすべてウェブ上から拾って来ました。(おことわり)きょうは、ホントに個人的なことを書かせてもらいます。おととい…ビヨルン・アンドレセンさんについて書いたところで、9月に亡くなったクラウディア・カルディナーレ(1938~2025年9月23日、享年87歳)さんのことを書くのを忘れていたことに気づきました。クラウディアさんのことをわたしが初めてスクリーンで見たのは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『家族の肖像』(1974)でした。←たし
岡山2日目は、瀬戸内市邑久駅からバスで『国立療養所愛生園』に向かう。今回の旅で一番行きたかった場所だ。日本で最初のハンセン病国立療養所である。バスに乗り込むが、ICカードの設備がない???はて?前方を見てびっくり均一100円とな!40分はかかる場所だぞ。そのうち、どんどん野趣に富む景色が広がってきた。海に近づくはずだが、ひたすら山の中。どこさ連れて行かれるだよ〜!やがて島が見えてきた。1988年に開通したという橋を通って長島へ渡る。ということはそれまでは渡し船?傾斜に重
妻です8月1日から「瀬戸内国際芸術祭2025」の夏会期が始まりました!(OHK公式チャンネルより)週末、大島に行ってきました!大島は「ハンセン病の療養所」があり辛い、悲しい歴史があります。最初に納骨堂のお参りをしました。大島には14点ほどの作品があります。詳細は↓瀬戸内国際芸術祭2025瀬戸内国際芸術祭は、瀬戸内の島々を舞台に、3年に1度開催される現代アートの祭典です。2010年に初めて開催。約100日間の会期は、春・夏・秋の3シーズンに分かれ
②お話会望月富美絵さん「ハンセン病問題から学ぶ人権問題」23年12月に聞いたお話と同じかな。お話は前に聞いたから感想だけでいいかな?と思ったけど少しメモった。同じ話でも、新しい私が聞くから印象に残ったことが違う。先生のお話しされたそのままではなく、私の感想が多々入ってます。この話を聞けば、点と点がつながる。今起こっていることの根本が見える。ハンセン病は明治10年には治る病気だとわかっていたのに。明治40年(1907)に厳しい法律をつくった。そこからハンセン病患者
ご訪問くださり、いつもお読みくださりありがとうございます。遅くなりましたが6月の浜学園公開学力テストの結果を。6月のテストは、忙しい合間に頑張って受けてきました。私は待ち合わせ場所で待っていたのですが、終わってやってきた娘の顔はどよーん「今までで一番できなかった・・・」「国語がすごくできなくて、焦って算数も最後の問題は得意な問題だったのになんか変なことしちゃったんだと思う、絶対違う答えしか出てこなくて。」と。実は私は、自己採点が好きではありません。というか自己採点は一定
撮影日2023/12/09邑久長島大橋島の所在地は岡山県瀬戸内市邑久町虫明瀬溝桟橋インクライン跡藪池物資運搬斜路かつては海岸まで続いていたタンクの台座藪池桟橋突き当りがさっきのインクライン線路はここにのびてきていたインクライン上部国立療養所邑久光明園
先日、有志医師の会の会議でこんな情報提供をしてくれた先生がおられました。コロナワクチンと重なります。閉鎖空間での人権侵害の実態は…「虹波」人体実験の検証進む熊本県のハンセン病療養所で資料展示(OHK岡山放送)-Yahoo!ニュース旧陸軍が開発を進め、激しい副作用があるにもかかわらず高松市などのハンセン病療養所の入所者に投与が続けられた薬、「虹波」。その「虹波」に関する貴重な資料の展示が、熊本県のハンセン病療養所で始まりましたnews.yahoo.co.jpーーーーーーーー
こんばんは^^しのです草津温泉への旅パート③ですこの秋どうして私が草津温泉を旅先として選んだのかその理由を少しお話します自己紹介にも書いたのですが以前、私は看護師をしていました体調を崩して職を辞してからは臨床に戻ることは考えていないのですが自己研鑽は今でも続けています私の看護観はまた違う機会に書きたいなぁと思っているのですが臨床を離れてからも何処に居ても病める人への理解や寄り添う心を持ち続けたいと思っているのです職業としては看護師ではないけれど私が「元看護
みなさんこんにちはずっと前から投稿したいと思っていたこと。今から13年前のこと。私はハンセン病療養施設で看護助手として働き始めました。そこで生活をしている方は国の間違った認識で実施された「らい予防法」で強制隔離された方々でした。たまたま求人を見つけて、書類審査→面接→採用という流れ。1型糖尿病であることを隠さず採用試験を受けました。その療養所は瀬戸内海に浮かぶ、小さな小さな島です。通勤は毎日港まで車で行き、港からは船で通います。乗り遅れると1日に数便しか出ていないので大変なこと
旧陸軍開発の人体機能増進薬「虹波」の“人体実験”「モルモット代わりにされた」被験者となったハンセン病療養所の入所者が体験語る旧陸軍開発の人体機能増進薬「虹波」の“人体実験”「モルモット代わりにされた」被験者となったハンセン病療養所の入所者が体験語る(FNNプライムオンライン)香川・高松市のハンセン病療養所「大島青松園」の入所者に対し、戦時中、旧陸軍が開発した薬「虹波(こうは)」の“人体実験”が行われていた。実験中に9人が死亡したとの記録も残る虹波。被験者となった男性に話を聞くことができた
仏法は最大の力と最大の希望の源泉師匠との勤行https://www.facebook.com/share/WkjBk2deaDESRWQA/安原稔安原稔さんはFacebookを利用しています。Facebookに登録して、安原稔さんや他の知り合いと交流しましょう。Facebookは、人々が簡単に情報をシェアできる、オープンでつながりのある世界の構築をお手伝いします。www.facebook.com
『海馬』47号に掲載されているのは、小説4、俳句1、エッセイ1の下記6作品です。〈小説〉・宮本義則『骨になっても帰れない』(40頁)・山下定雄『名付けえぬ物達』(12頁)・永田祐司『ライカの涙』(29頁)・戸田なお『恋の予感』(12頁)〈俳句〉・山下定雄『冬の螢』(2頁)〈エッセイ〉・千佳『神戸生活雑感』ー日本と台湾の文化比較ー(No.27~29)(11頁)各作品につきまして、以下順にごく簡単なあらすじと感想を記します。(ただし俳句『冬の螢』と自作『ライ
映画「ベン・ハー」を初めて観たのは中学か高校の頃。正月深夜のテレビだった。1960年(昭和35年)日本初公開から十数年後のことで、リメイク版ではない、古いほうのやつだ。宿敵と馬車戦車で闘う競技場のシーンが有名な映画だが、ストーリー中、主人公の家族二人が不治の疫病にかかって、“死の谷”と呼ばれる場所に追いやられて隠れ住む。その疫病のことは“レプラス”と聞こえ、日本語字幕には「業病」(ごうびょう)と表記されていた。それがどうやら「らい病」とか「ハンセン氏病」と言わ
2024年4月の鑑賞リスト。例によって「DVD以外で初見のみカウント」というマイルールを適用。作品の頭には年間の通し番号をつけ、()内は月間累計を表す。さらに、個人評価を★1~5で表し、作品の公式ホームページや予告編にジャンプするURLをつけた。64(12)『かづゑ的』★★★★★10歳の時に長島愛生園に来て、壮絶な人生を歩んで来たことは想像に難くないけれど、どんな困難があっても受け止めて、逃げずに「ちゃんと生きた」と話す宮﨑かづゑさんと孝行さんの記録は、片時も目が離せないほどすごいドキュメ
ここでは一例として東京都東村山市にある多摩全生園の風景を中心に紹介します。これらの写真を見て、何を思われるでしょうか。●入所多摩全生園収容門(大正時代)患者はここから入った病室の様子(1930年多摩全生園)重病とされた患者用病衣(1940年代後半駿河療養所)左ブリキ製の義足(1930年代?)右現在の義足●作業療養所における「作業」は、入所者の「仕事」として強要されました。政府は患者たちに負担をかけ治療・療養より患者の「撲滅」を優先させたのです。ゴミ回収(
2024年03月06日(水)、青森松丘保養園にて現地学習会があり参加しました。秋田県南地区からは浄光寺、西空寺、桂徳寺、行円寺の4名が参加。途中道の駅ふたついにてトイレ休憩。二ツ井町は以前恋文で町興しをしようとしていましたが、この道の駅もハートのバルーンが沢山飾られていていました。途中、道路から大館大文字焼きが見えました。かなりの大きさですね。納骨堂で合掌後、自治会長佐藤勝さんのお話を頂きました。現在入所者は42名。しかも平均年齢が88歳です。前回お邪魔した際は100名近くいら
すべてのハンセン病療養所に園歌があったことを、この著書で知った。歌手でもある沢知恵さんの著書である。「うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史」岩波ブックレット「民族浄化」「一大家族」「楽土」の歌詞を、ともに声あわせてうたったいる。だれが何の目的で、上からの強制されただけだったのかハンセン病回復者とかかわりつづけてきた沢知恵さんが13あるすべての国立療養所をたずねて調べてものであるハンセン病の国立療養所は北は青森県から南は沖縄県の宮古まで全国に13か所あるが、13か所に23編
3年前の今日『橋を架ける夢』というブログを書いた。その橋は、故郷の岡山県瀬戸内市の離島に架かる「邑久長島大橋」(おくながしまおおはし)。1988年5月9日、「人間回復の橋」として開通した。長島には、1930年(昭和5年)に日本初のハンセン病の国立療養所「愛生園」がつくられた。離島という環境が隔離にもっとも適していると考えられていたためである。1946年(昭和21年)に現在の「国立療養所長島愛生園」へ名称変更し、現在に至っている。母が亡くなる一月ほど前に帰郷した時、僕は初
ようこそ、ニョウタリアンワールドへ。わたくしは尿を飲んだり、塗ったり、ということを趣味や嗜好ではなく、健康維持のために実践している小動物の開業獣医師です。ニョウタリアンとは尿を塗ったり、飲んだりしている人達のことで、「飲尿族」はこの中に含まれます。尿療法は時々天下無敵のような錯覚を起こしますが、1つの健康法、治療法だと思っています。尿療法については拙著「ふりむけばニョウタリアン」をご一読いただければ嬉しいです。ふりむけばニョウタリアン:
改めて言い立てるのも今更ですが、そらはマズルが短いですね。手脚も短いし、尻尾も短いので、ほかのコイケルホンディエと見比べると、余りコイケルホンディエらしく見えません。二十四節気の大雪の朝。寒さも次第に募って来ました。昨日の日照時間は1日に5分しか無かったそうで、昼間も寒い1日でした。4時過ぎにはアプローチで待っていたそらは多摩湖自転車道を元気に走って行き、おやつをたっぷり食べておおぞら公園迄行って帰って来ました。さて、本日も幾つか気になった記事を採り上げてみたいと思いま
12月4日(日)~10日(土)までが『人権週間』とやらであった為標語を作らさせられたり自分の行動を「◎○△」でチェックさせられたりした子どもたち。(↑1週間分)形骸的な、この手の催しのこの薄っぺらさを何としよう?「日本は福祉後進国」「困難を抱える人間に自助努力を求める国」とは福祉科の学生であった頃よく聞かされていた言葉だが今もさして変わっていないだろう。福祉の現場で働く方への扱いも相も変わらずブラックであるし。私はお上を
戦時中ハンセン病療養所で陸軍による人体実験☠現在コロナ💉で人体実験☠あらゆる投薬法で「七転八倒」「遺骨は青く」熊本・ハンセン病療養所で「虹波」人体実験園長の目の前で…入所者が証言菊池恵楓園(熊本日日新聞)-Yahoo!ニュース戦時中、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者に「虹波[こうは]」と呼ばれる薬剤が投与され、9人が死亡したことを示す文書群を同園が初めて開示した。同園で治験が始まったのは1942news.yahoo.co.jp陸軍の人体