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『風配図』皆川博子河出書房2023年初版中世バルト海交易に重要な位置を占めていたのがゴットランド島でした。今はスウェーデンに含まれています。港湾都市ヴィスビューはかつては独立国で、11世紀以降はハンザ同盟の一員として栄えました。リューベック(ドイツ)とノヴゴロド(ロシア)の中継地であり、毛皮・塩・琥珀・穀物などが盛んに取引されていました。この小説は、12世紀半ばのゴットランドで起きた難破船の積み荷の帰属をめぐるリューベック(ドイツ)と、地元の農民と商人の利権争いが発端です。決
こんばんは。この前、新潟駅南駿河屋行った時に買い忘れたキットをネットで買いました全体スプリンターパターンですが、携行する武器が面白いです余談そういえば今年は彼岸花を撮ってなかったので個人的メモ。中世ヨーロッパにおいては、都市間の相互防衛や通商関係、通商権益の強化の為に都市同盟が結成されることがあった。前者は神聖ローマ皇帝のイタリア政策に対抗する目的で北イタリアの諸都市で構成されたロンバルディア同盟、後者は北ドイツからバルト海沿岸の諸都市で結成されたハンザ同盟が挙げられる。ロンバル
Sonntag.18.September.2022.Sunday.18.September.2022.2022年9月18日(日)Hanseハンザ同盟Lübeckリューベックの街散策です。CaféNiedereggerニーダーエッガーで美味しいケーキ@Lübeckリューベック『CaféNiedereggerニーダーエッガーで美味しいケーキ@Lübeckリューベック』Sonntag.18.September.2022.Sund
ハンブルグに滞在していた10月末、車で1時間余りの所にあるドイツ北の街、リューベックを訪問する機会がありました。北の大都市であるハンブルグよりも更に北に位置するリューベック。ハンブルグ同様、ハンザ同盟都市の盟主で「ハンザの女王」と呼ばれ、川沿いの貿易都市として栄えた歴史を持ちます。昔「地球の歩き方・ドイツ編」でリューベックの写真を見た時に、「こんな可愛い街に行ってみたい。」と思った記憶がありますが、なにせドイツの端の端、そんなに便のよい場所ではないので、絶対行く機会は
初ノルウェーにやってきたベルゲンという、ハンザ同盟の4大外地商館点の1つ。ハンザ同盟中世後期の12世紀ごろに生まれ、14世紀に最盛期となり、近世初期の17世紀中頃まで、北海・バルト海沿岸と内陸の北ドイツから西はフランドル、東は現在のポーランド・バルト諸国・ロシアにおよぶ地域の商業都市が結成した都市同盟。リューベックを盟主にハンブルク、ケルン、ダンツィヒ、リガなど多くの都市が加盟し、さらにヨーロッパ主要都市に在外商館を設けた。14世紀には対立したデンマークと戦うなど大きな勢力となったが、16
※PC推奨記事。。おそらくほぼ2年ぶり…難易度「神」余裕~♪とかイキっていた頃が懐かしい。。だいぶ忘れていることもあるのでciv7が来るまでガッツリ練習しておきましょう!超標準モード難易度:皇帝(超激ムズ鬼ムズ)速度:速い(300ターン)大陸:パンゲアサイズ:小参加人数:6(私は『また』ドイツ:ランダム)都市国家数:4その他:すべてランダムランダムだったのに…まさかの…ま~~~たドイツになってしまった。。。ドイツでやれ
今もスペイサイドに行くとクーパーさんの仕事が見られますね。今のスコッチウイスキーがあるのは、ニシンやタラのお陰、、、?バイキングやハンザ同盟、サンキュー!ご来店お待ちしております。https://affenbartokyo.wixsite.com/website/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0以下TheScottishFisheriesMuseumツイートより(画像とも)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「TheScottishFish
2022年こそ、ドイツ国内旅行するぞーっと思っていたのに、またまたオミクロンの感染拡大で、当分出かけられなそう…。出かけられないと思うと、余計に行きたくなるのが旅行実は、ドイツに長年住んでいても、ドイツの世界遺産にはほとんど行ったことがない。行ったところと言えば、・ケルン大聖堂・ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像・ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群・マウルブロン修道院の建造物群・古典主義の都ヴァイマルとたったの五か所だけ…。(しかも若い
今回はハッテムという町です。ヘルダーランド州北に位置してオファーアイセル州との州境です。町を沿うようにアイセル川から作られた運河があります。アイセル川と言ったらハンザ同盟でしたね、ハッテムも加盟都市です。町で一番賑わっている通りです。正面はSt.AmdrewschurchofHattemです。近くで見ると古いですね。1176年に作られています。今まで沢山教会を紹介してきましたがかなり古いです。現在はプロテスタント教会。ハッテムが歴史に登場したのは800年頃で集落があったとのことです
ノルウェー「ベルゲン」での一枚ベルゲンは12~13世紀にノルウェーの首都でした。14~15世紀にかけてハンザ同盟の都市として栄えた港町でもあります。ケーブルカーで山にのぼり、ベルゲンの街全体を見てきました。このブリッゲン地区の海に面した古い街並みは本当に美しかったです。(撮影:2003.9.18)
自宅から北北東に約180Km、オファーアイセル(Overijssel)州ズワーテルウォーターランド(Zwartewaterland)という自治体に属するハッセルトという町です。Zwartは黒色、ウォーターランドを付けて黒い水の土地という意味になりますね。町の西側にはZwartewater川が流れ下流はゾイデル湾(現在はアイセル湖)上流はアイセル川からのドイツではライン川と名前を変えるワール川につながっています。この町もハンザ同盟に加わっていた町です。中世ではギザギザの要塞でしたが今は
グーグル・アースで、リーガを探検しよう。旅行時に撮影した現地の写真を添え、歴史を中心に、ご案内します。リーガ・ヴァーチャルツアーリーガは、ラトビアの首都です。リーガは、1201年に創建され、かつてハンザ同盟都市でした。リーガは、アール・ヌーヴォー建築および19世紀木造建築で有名です。リーガは、「バルト海の真珠」と例えられます。広範囲にわたる歴史地区は、ユネスコ世界遺産「リーガ歴史地区」に指定されています。グーグル・アースはリーガを3次元化していないので、航空写真を使ってヴァーチャルツアーを
グーグル・アースで、タリンを探検しよう。旅行時に撮影した現地の写真を添え、歴史を中心に、ご案内します。タリン・ヴァーチャルツアータリンは、エストニアの首都です。タリンは、かつてはレヴァルという名前で知られ、戦略上重要な位置にあったため中世のハンザ同盟の商業上の重要な中心でした。広範囲にわたる歴史地区は、ユネスコ世界遺産「タリン歴史地区」に指定されています。グーグル・アースはタリンを3次元化していないので、航空写真を使ってヴァーチャルツアーを作成しました。動画では、人類の共有財産であるパブ
ハンザ同盟都市リューベック(ドイツ/シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州)中世ヨーロッパでは、力を得た商人たちによって都市間で同盟が結ばれていた。もっとも大きく威信があったのがハンザ同盟で、中心都市がリューベック(ハンブルクの北東の港町)バルト海や北海の交易で繁栄したリューベックは、独立国家のように法律を定め、通貨を鋳造することを皇帝(神聖ローマ帝国)から許されていた。(ドイツの自治都市の多くは、帝国都市や自由都市の形態をとった。帝国都市とは、王領地の多い南ドイツを中心に成立し
ストレスを感じ始めた料理に初心(?)に立ち返り気づいたのは私が一番やりたいのは歴史なんだよってこと。最近料理にかかずらってあんまり歴史小説を読めてなかったしムンディ先生も観れてなかった※ムンディ先生とはYouTubeで歴史講義をしてる世にも素敵な現役高校教師であるムンディ先生の講義は昨年末から半年くらいかけて日本史の授業を一通り終えて今年の6月頃からは
グリム兄弟が編集した『グリム童話』〔原題は『子供と家庭のための童話』〕に収めている一編。ブレ-メンは、北ドイツに一置するかってのハンザ同盟の自由都市。童話の中で登場する動物たちは、ブレ-メンを目指したものの結局、町までたどり着いていないが、ブレ-メン旧市街の市庁舎横には、ロバ、イヌ、ネコ、ニワトリからなる音楽隊のブロンズ像が立てられ、観光客を喜ばせている。《あらすじ》ある男が働き者のロバを一匹飼っていました。しかし、歳を取って仕事が出来なくなると、飼い主
死ぬ見て絶景Vol.75リガ歴史地区(ラトビア)バルト海東岸にあるバルト三国(エストニア、ラトビアリトアニア)のラトビアの首都で同国ならびにバルト三国最大の都市で人口は約70万人。「バルト海の真珠」と讃えられる美しい港町で世界遺産に登録されている旧市街はアールヌーボー調の建築物の宝庫として有名である。13世紀には北ドイツの都市同盟である「ハンザ同盟」に加わり、中心的都市としてロシアとヨーロッパを結ぶ貿易拠点として繁栄しドイツ文化の強い影響を受けるようになる。↓はリガ大聖堂
9月10日、ウルヴィックから。険しさはない、のどかさ漂うハダンゲルフィヨルドの朝、のどかさに視界は開け、のどかな斜面では果樹が栽培され、こののどかさの中に作曲家グリーグは作曲小屋を建てた。のどかなハダンゲルフィヨルドはクルーズはせず、海岸線をドライブして終わる。ベルゲンまで2時間の車窓の前半はずっと海を眺め、フィヨルドを離れるとすぐに、また違ったのどかさ漂う牧草地に出る、ここでバスを降り橋を渡ると、スタインダールの滝、ここもまたナショナルツーリストルート上にあり、
7月15日、ベルゲン。ヴォス駅でベルゲン鉄道を降りバスでノルウェー第2の都市ベルゲンへ。1909年ベルゲン鉄道により496㌔先の首都オスロとが結ばれるまで二つの都市はそれぞれ別々の歴史を歩んで来た。12世紀になりドイツ商人はベルゲンに来て貿易を始める。13世紀になるとドイツリューベックの商人を中心にハンザ同盟が結成され、14世紀にはハンザ同盟の海外事務所がベルゲンに置かれた。ドイツから小麦ライ麦といった穀物を、ベルゲンからは干しダラ、クジラやアザラシの油に羊毛等が主な
7月2日、ウルヴィック。ハダンゲルフィヨルドに面した村ウルヴィックのホテルブラカネスもまた130年の歴史を持つこの町の老舗。ハダンゲルフィヨルドのドライブに険しさは無く、周囲の山々の緩やかな斜面が朝日を受け止める。穏やかな入江でノルウェーサーモンの養殖場なと眺めると3日間過ごしたフィヨルドとはお別れになる。フィヨルドの旅は終わるが、このハダンゲルフィヨルドナショナルルート、スタインダールの滝を見て、ノルウェー第二の都市にして世界遺産のベルゲンへ向かう。北大西洋に面し、13
フィヨルド観光の拠点都市ベルゲンは山が海に近く、長崎のような坂の街です。山の中腹まで建物が建てられています。ハンザ同盟が盛んであった中世の名残をとどめるカラフルな街並みが印象的でした。注)ハンザ:12世紀、ドイツを中心に国際的な都市間交易に従事した交易商人の総称。ベルゲンの港湾世界遺産のブリッゲン地区は写真のもっと左側にあります。世界遺産ブリッゲン地区を背景に生演奏世界遺産ブリッゲン地区を背景にした女性裸像世界遺産ブリッゲン地区手前の歴史的建造物ベルゲンの街角
やっとハンザ同盟十字章が3都市揃いました。ハンザとは、ドイツの定住しないで、世界各地を遍歴して商売する商人の団体のことらしい。そしてある時期から、トップはある都市に定住し、使用人に貿易をまかせ、指令をだすだけになり、そういった商人が住む都市が同盟を結びハンザ同盟となるそうです。この十字章は、各都市から第一次大戦に参加して功績をあげた人に授与されたものです。そして各都市ごとに連隊があったようです。ブレーメンNr.75歩兵連隊リューベックNr.162歩兵連隊
戦争博物館は、月曜日休館で入れず。でも概要説明が表示されていた。ポーランドが、その国土をスターリンの都合だけで、東から西へ移動させられた。その結果、ドイツ人、ポーランド人、共に故郷を追われた。特にドイツ人に移動は悲惨だったと説明がある。祖先伝来の故地を追われたのだから、日本人引き揚げとは訳が違う。立派なドイツ風建築物に、第二帝国時代の栄光を偲ぶ。一枚目は旧ダンツィヒ駅、二枚目は郵便総局だった建物。よく見ると、修復にかけた思いが判ります。ハンザ同盟とダンツィヒ:以前、TJ先生がブダペストで
ハンブルクから日帰りで行けるハンザ都市、リューベック。南ドイツも素敵ですが、北ドイツもまた南の方とちがった魅力があります。上の写真は、ホルステン門。かっこいいですよね。可愛いお店なんかもちょこっとありました。のんびり、ぶらぶら歩きたい町でした。2017年夏の思い出です。
動物パークのあとはWismar(ヴィスマル)の街へそうゆえば動物パークは何回か行ったことあるけど街は初めてやっ!リューベックより小さい街。小さいけど教会はちょこちょこあって街の雰囲気もよくってさらに天気がええけんもうルンル~ンもったいないけんお金払わないかん教会には入らんとこうねって2人で話しょったのに相談もなしに中に入ってって払いよるやないかでもそれも正解やった
12月9日、オスロからベルゲン。朝8時のオスロ中央駅、日曜日に人もまばら、オスロの気温は3度、8時25分発のベルゲン鉄道に乗る。1854年北海に面しスウェーデン時代に大都市となるオスロから鉄道が引かれ始め、1883年には大西洋に面し14世紀にはハンザ同盟都市として栄えるベルゲンから鉄道が引かれ、1909年にノルウェーの2大都市オスロベルゲン間を結ぶベルゲン鉄道460㌔が完成した。オスロ郊外のスキーリゾートの町を過ぎると、これといって何もないノルウェーの内陸部に入る。9時2
ハンブルグを後にし、リューベックに向かう。今回の旅の最北端の街リューベック、ここはバルト海に面した港町で、あのハンザ同盟の盟主として繁栄を誇った街だった。中世以来の古い建物も数多く残っていて、世界遺産にも登録されている。ここには七つの教会の塔がそびえている。最初にあるのが、15世紀に建造されたホルステン門。私達は門の外でバスを降り、街を歩いていく。少し歩いた所にマルクト広場があり、周りには多くの店
このスウェーデン旅行で私がまず訪れたのが、中世ハンザ同盟都市、ゴットランド島ヴィスビー(Visby)という街。バルト海に浮かぶゴットランド島は、ストックホルムから南に位置するスウェーデン最大の島で、北欧有数のリゾート地として知られています。島の中心都市であるヴィスビーが繁栄したのはヴァイキング時代。12〜15世紀にハンザ同盟の中継貿易港としてヨーロッパ経済発展に重要な役割を果たしました。スウェーデン領になったのは、17世紀半ばのことだそうです。ヘルシンキから1時間ほどで、ヴィスビー空港へ到
ベルリンから今日は!ベルリンビジネス通訳・サポート後藤裕起子ですhttp://www.berlin-tsuyakugaido.comお客様のお声はここをクリックしてみて下さいね真夏の中の真夏猛暑お見舞い申し上げます本日のお題は、「700年も前に既に存在していた!世界に冠たる商業同盟ハンザ同盟」でございます。そもそも700年前に日本人は何をしていたのか鎌倉時代が1333年まで続いたということですから、蒙古の襲来の後っていう感じでしょうか、
6月30日、ウルヴィックで朝。ハダンゲルフィヨルドを前に朝の目覚め、クルーズはしないがハダンゲルフィヨルド沿いにドライブをし一行はゆっくりとノルウェー最終の地ベルゲンへと向かう。おそらく極めて初期に整備されたナショナルツーリストルートを行くと、スタインダールの滝が見えてくる。きっとベルゲンから入る人にとってこれが最初に見るノルウェーの自然と思うと、感動するに違いない、僕らは今日まで大自然を体感し続けたためか、程よく滝を、そしてナショナルツーリストルートの由縁である滝の裏を