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アロハ本質から輝いて生きることを応援するヒーリングコーチ、YURIKAです。さて、私の趣味は、、、なんでもピックアップすること🤭マンゴピック、、(熟れたマンゴを収穫するお手伝いは最高に楽しい!)マカデミアナッツピック、(木の下に美味しいナッツが殻に入ってごろごろ落ちている)ハート型のサンゴをピックしたり砂浜でかわいい貝を拾ったりウニの殻を海の中に潜ってピックしたり。時間を忘れる瞑想みたいな時間。中でも特に
══════⊹⊱❖⊰⊹══════こんにちは。ララの飼い主のミモザです今、再放送されている『ハワイの暮らし優しい時間』(NHKEテレ)'23年のお正月に1話と2話を見たのですが、全6話あるのを最近知りました再放送も既に3話まで放送済みですが、22日㈰以降、第4~6話の再放送があります。(猫ちゃん達は脇役で、ディープなアロハスピリットの番組です)ハワイの暮らし優しい時間|ヒーラー人生を謳歌するMimosa❁ミモザ..𖥧𖥧𖧧˒˒..
🌿TheSacredPoweroftheHawaiianTiLeafIrecentlyupdatedmyvideoabouttheHawaiianTiLeaftoincludeEnglishsubtitles.ForthoseofyououtsideHawaii—especiallyifyou'reinterestedinspirituality,magic,orHawaiianculture—thisplanth
何年ぶり❓のレインボートンネル🌈レインボーじゃなくなってた。チーン、、、#hawaii#hawaiilife#rainbowtunnel#lovehawaii#ハワイが好きすぎて移住#ハワイの暮らし#ハワイ好き
Hauʻolumahahikihou!!今日、2025年1月1日から、タロ芋がハワイ州の公式植物となった。Woohoo!!ヨーロッパの人々がハワイに入ってきた頃は300種類以上もあったと言われるが、現在はおよそ70種類ほどと言われる。ハワイのネイティブプラントは文化的にそれぞれ深い意味を持っているけれどタロ芋がどうしてそれほどハワイの人にとって重要なのかというと全てのハワイアンの兄であり、先祖だからだ。ずいぶん昔に、ハワイ大学がタロ芋の遺伝子組み換え研究に着
Welinamaikākou!先週、東京でクリスマス2DaysLiveに行っておりまして、ヨシ!この二日間で、自分の思い込み、思い癖、自分に要らないものは全部振り落としてやる!と、アリーナのスタンド席でウォーッ!ウォーッ!絶叫しながら、ピョンピョン全力で飛び跳ねてたら、壊れました。翌日から熱を出し、風邪かインフルエンザか何だか分からないけど、咳と激しい頭痛と胃腸の不快感で布団の中で丸くなって過ごしているとこれまで出会った色んな人が思い出され、
ガイドブックなどでお馴染み、Kamehameha大王像。多くの人が目にしたことがあるのはHonoluluのハワイ最高裁判所前のもので、この写真はHiloにあるものだけど、テイストはほぼ同じだ。最初の像は、1878年のCaptainCookのハワイ発見から100周年を記念して10,000ドルを投じて製作された。実際には、CaptainCookの前にハワイでは既に鉄を使用していたので、彼が最初のヨーロッパ人ではない。それでも、CaptainCookの来航は大きなイ
信頼する仲間の一人、Steveと犬のMaverik。もともとMaverikは、他の人から私たちが預かっていたのだが結局飼いきれなくなったと言って、飼い主が置いて行った。その後でSteveに引き取られ、今や彼の相棒だ。うちのKuroと大の仲良し。(写真右に写っている後ろ足はKuro)2匹がハーバーを戯れあって駆けずり回ると両方とも黒いからどっちがどっちだか分からなくなる。ハワイの仲間は大抵何かしら技術を持っているが彼はボートビルダーであり、建築の技術もある。IT
ハワイにいて、日本にいては見えにくい日本の歴史に出会うことがある。日系人のRoyの家に行くと、リビングには古い仏壇があり、着物や帯が入った桐の箪笥があり、階下の物置には餅つきの石臼があった。そして見つけた日本手拭い。ハワイ日本人移民百年祭とある。1868年に第一回の移民が渡って百周年を迎えた記念に制作された「夜明けの二人」というタイトルの映画の手拭いだ。橋幸夫扮する日本人青年と、黛ジュン扮する日系三世の女性が恋に落ちてロマンスを繰り広げている頃私は生まれた。
ハワイ語の名詞は選択出来るもの、または自分が変えられるものと選択できないもの、または自分が変えられないものに区別される。親戚、親兄弟は選択できないけど伴侶、子供は選択できると分類される。家や乗り物は選択できないけど、動物は選択できる。身につけるものは選択できないけど、持ち物は選択できる。だから、状況が違うと、名詞の扱いが変わる。レイは、自分が身につけているものは選択できないけど誰かにあげるレイは選択できる分類になるのだ。ここで、”友達”が選択できない分類、と
日本人は何を考えているか分からないとかはっきり言わないとか、確かにそういうこともあるだろうけど、日本は、そもそも察する文化なのでして。そういう民族性なのだ。この”察する”をもっとクリアに言うならば、ハイコンテクストの言語、文化ということだ。共通認識や価値観、文化背景などの共有性を前提にコミュニケーションが取られるから、一つ一ついちいち単語を並べて説明しなくても通じてしまう。友人が引っ越し業者と交渉をしている様子を見ていたカナダ人が、テレバシーを使ってコミュニケーション
ハワイ語で、前菜とか”おつまみ”みたいなものをpūpūという。貝を表す単語もpūpūなんだから、貝を酒のつまみにしていたからそう言われているのかもしれない。ʻopihi獲りから戻った後、たまたま立ち寄ってくれた友人と共に至福のひととき。そのまま食べても美味しいけど、炭の上で軽く焼いて、醤油をちょっと垂らす。貝の殻を使って、すくいとるように身を外す。ʻopihiの上の紫の謎の生物はHāʻukeʻukeという。(黒っぽく見えるけど、紫色です)ロコの人たちは、
Roseは、私がカレッジに入る前に受けていた、英語プログラムのクラスメイトだった。優しくて面倒見が良く、みんな彼女が大好きだった。彼女の広い自宅敷地にはたくさんのフルーツの木があって、フルーツいっぱいのバケツをいくつも車に乗せて学校に持って来ることがよくあった。カレッジに進んですぐ、彼女に病気が見つかった。学業を中断してしばらく治療を続ける為に、自国の台湾に帰っていたのだが、一通り治療を終え、学校に復帰して間もない時に、キャンパスでバッタリ会った。久しぶりの再会に
今日、11月28日はThanksgivingDayアメリカでは独立記念日と並ぶ最も重要なNationalHolidayだ。家族が家に集まって七面鳥などの定番のご馳走が食べきれないほどテーブルに並び、皆でワイワイと食べる。日本のお正月お正月みたいだといつも思う。それとは別に、ハワイにとってこの11月28日はもっと大切な、特別な日だ。ハワイ王国の独立記念日LāKūʻokoʻa。1843年、ハワイ王国はイギリスとフランスによって主権独立国家と認められ、いかなる形
Hiloから、海岸線を車で北上して行く。Maulua渓谷を越え、Kaʻawaliʻi渓谷を渡る蹄鉄の様なクネクネした道路を、下って上って下って上って30キロほど行くとLaupāhoehoeに辿り着く。海岸の方へ急な坂道を下っていくとビーチパークがあってたくさんのプルメリアの木の下に墓石が並んでいる。ここにはかつて学校があり、23人の子供達と4人の先生が津波で命を落とした。その地形も相まって東日本大震災の記憶と重なる。私は、石や貝を拾ったり、ʻopihiを獲りにたまに来るのだが
私の夫は、どこに何の木や植物があるかを分かっているので、果物は買ったことがないしレイや薬草として必要な植物があれば大抵は苦労せずに手に入るのだが、フラの楽器Uliuliに使うLaʻaniaの木を見つけるのは珍しく苦戦していた。このLaʻamiaの実が、マラカスのように音を鳴らす部分になるのだ。灯台下暗し!時々手伝いに行く店のオーナーのPattyの家に木があった。彼女の娘は私と同じHālauのトップダンサーで孫達はそのサラブレッドダンサーだ。そんな訳で、フラで必要な
公園の地面いっぱいに広がる色鮮やかな花。20m程の木にこんもりとオレンジ色の花をつけるAfricanTulipはハワイのあちこちで目を惹く。この木は1871年にWilliamHillbrandという人物によって輸入され1920年代に、植林活動として空中播種によってハワイ州全体に30,000本の木が植えられた。一年で2m近く伸び、日陰にも強い。種も多い。どんどん増えた。そして…”在来種を脅かす侵略的外来種”になった。このような例は他にも色々あってそれらの
しょんぼりすると自転車漕いで海に行く。途中のVernasでチーズバーガーを買って行く。人気の無いビーチで、海を見ながらひとりムシャムシャ食べる。何となく気が済んで、家に帰る。一人でぼーっとしたい時も海に行く。何となくholoholoしに海に行く。波に砕かれた細かい石粒の浜をホジホジ掻き分け貝を集める。岩の上に並べて満足する。家にいっぱい溜まってきたからそろそろまたアクセサリー作ろう。フラで使うiliili(イリイリ)の石を拾いに海に行く。平たい石を、取っては
さてさて、今回のハイキングはここ。Noelaniのとっておきスポット。水着を持って来るようにとの指示。KaʻūのPunaluʻuのビーチ駐車場の脇からトレイルに入るのだがいつもの如く、入口らしき入口もなければトレイルらしいトレイルも見えない。こんなところ、一体誰が分かるんだ?それでも何とか道らしき道を見つけて辿っていく。途中、突然石が敷いてあった。誰が敷いたか分からないが、ありがとう!海沿いに出ると、釣り人発見。一体、どこか
Hiloの町では、ホームレスの人達がスーパーのカートや自転車に一切合切を積んで歩いていたりするのだけど、ある日、町外れの歩道を歩いていると、前方に、かなり年配のホームレスらしき男性がパンパンに膨らんだ袋を満載にして自転車を引きながらこちらに向かってヨタヨタと歩いて来た。すると、急にバランスを崩して転倒した。声をかけてもまともに話しが出来ない。見ると頭から血が出ている。私はどうしたらいいか分からず、道路を挟んだ向かい側のガソリンスタンドに駆け込んで男性が転倒し
Mahiʻaiのお葬式は、Onekahakahaビーチの小さなパビリオンで開かれた。ファミリーメンバーと、Mahiʻaiと生前深く関わった人たちだけの小さな小さなお別れパーティだった。家族は、Mahiʻaiの追悼と、お世話になった人たちへの感謝を込めて食べ切れないほどの料理を用意した。皆で歌い、踊り、たくさん笑った。これまで大きなお葬式のパーティはいくつか出席しているが、最も心温まる、印象深いパーティだ。Mahiʻaiとの出会いは8年前。仲良くなったアンティが、ある
友人のKevinが珍しくハーバーにふらりとやって来た。彼はアル中のホームレスだ。リハビリ施設に入ったこともあると聞いたがでも、どうしてもお酒をやめられない。女性に騙されたり、悪い人たちに襲われてお金を全部取られたり、そんなことを繰り返しながら、家を持たない生活を続けていた。当然体も悪く、薬を持ち歩いていた。ちゃんと飲んでいるのだろうか?お寺の軒先なんかで寝たりしていたみたいだけどとうとう行き先がなくなったようだった。ハワイで野宿するのも結構大変なのだ。フラフラと道を
ハワイでは、釣りに行く時に”釣りに行く”とは言わない。言わない、というか言ってはいけない。”Holoholoに行く”と言う。Holoholoというのは、その辺を当てもなくぶらつくという意味だ。”釣り”の意味があるなんて辞書にも載っていない。だって、そんな意味はないからね。じゃあ、どうしてHoloholoと言うのかというと「釣りに行く」と言うと、魚が聞いていて逃げてしまうからだ。だから、素知らぬ顔でぶらぶら出掛けていくフリをするのだ。ついうっかり「いっぱい釣っ
ハワイの海藻、LimuKohu。ʻOpihi獲り同様、海藻採りも、水際の岩場は藻などで滑るし、LimuKohuは常に海水が被る場所にあるのでやっぱり危険。私がLimuKohu採りについて行く時、私の役目は叫ぶことだ。岩場の激しく波が打ち付けるところで夫がLimuを採っている時に海面のうねりをよく見ていて、大きな波が来る前に”ナルー!!!!”と叫ぶ。すると夫はピョンピョンと陸側に避難する。波のことをハワイ語でNaluという。足元が滑りやすいので
ハワイアンフードに欠かせない’Opihi貝は荒い波が打ち付ける岩場にピッタリと張り付き潮が引いて熱い太陽の熱に晒されてもそれでもやはりピッタリと岩に張り付いている。多くはコロニーを形成していることから家族や親子の強い結び付きの象徴でもある。自然の中で自然と共に生きるハワイアンのファミリーそのもののようだ。否が応でも自然に対して謙虚になる。ʻopihi獲りは常に波にさらわれる危険が伴う。決して海に背を向けず、頻繁に頭を上げて、常に波を確認し、周りの状況に注意を払っていな
我が家のツートップ、KuroとStain。Kuroの名前は私が付けた。黒いからKuro。あまりにありがちな名前だ。こちらでは黒い犬に'Eleという名前がよく付けられたりするから、ところ変わっても発想は案外一緒だ。(ハワイ語では黒を'ele'eleという)私のことを”さん付け”で呼ぶ人はいないのに、なぜか、Kuroは皆にKuro-sanと呼ばれる。KuroとStainはいつも戯れあって、ずーっと遊んでいる。飽きもせず、ずーっとテーブルの下を戯れあって駆けずり回り、「ママがカラテチ
仏教で、”袖振り合うも、他生の縁”という言葉があるけれど人との関わりというのは、本当にそうだとつくづく感じる。縁というものがあって、人と人は関わっていくのだなあ。それを感じるようなサインって些細なところに見つけるものだ。例えば、ハワイに暮らしていて、深く関わってくるような人は何かしら仙台に縁がある人ばかりだったりする。私が店を手伝っていた、ロコハワイアンのPattyだって母親は仙台の人だ。2000年、私は3ヶ月かけてハワイの島々を計画もなく放浪していた。Maui島で、ハ
このHonu(カメ)の名前はKauila。伝説の不思議な力を持つカメだ。時々少女に姿を変えて、子供達と遊びながら子供達が安全であるように見守っている。彼女の母カメはHonupoʻokeaという。直訳すると頭の白いカメ、という意味になるけど私は雪を戴く山を連想する。母カメは産卵した時、父カメHonuʻeaと二人で泉を作った。もう正に、ハワイの人々に水を供給するMaunakeaやMaunaloaではないか。孵化した子供カメのKauilaはこの泉に住んでいた。ハワイ島は
ハワイの人たちの服装は、多くの場合、短パンにTシャツ、そしてビーサン。そんな感じだ。白ソックスにスニーカーなんか履いている人がいたら、それはもうゼッタイ本土からの旅行者だ。なんならビーサンさえも履かないこともある。わたしだって、出かけようと外に出てビーサンを履き忘れたことに気づき、慌てて戻ることもあるんだから。更に、フラのレッスン後、こともあろうに先生のビーサンを間違えて履いて帰って来ちゃったこともあった。次のレッスンで平謝りした。皆、ほとんど同じようなビーサン履いている