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以前Youtubeにあげた動画の紹介です。観測すると世界の状態が変わるwww.youtube.comガチガチの物理学の話なので見てると眠くなるかもしれませんが、2022年のノーベル物理学賞の内容を10分くらいで紹介しています。人間が観測をすることで、世界の状態が変わるという内容です。引き寄せの法則とか興味のあるかたは、こういう知識もあった方が良いんじゃないかなと思います。========================JUNのセッションや講座は現在募集をス
マックス・プランクさんマックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク(MaxKarlErnstLudwigPlanck)1858年4月23日生まれ、1947年10月4日、89歳没。ドイツ連邦ホルシュタイン公国キール生まれの物理学者。黒体放射を説明するプランクの法則を発見し、そこからエネルギーの量子仮説を見出したことにより、量子論の創始者の一人となった。この過程で得られた光の最小単位に関する定数hはプランク定数と名づけられ、物理学における基礎定数の一
朝永振一郎さん朝永振一郎(ともながしんいちろう)1906年3月31日生まれ、1979年7月8日、満73歳没。東京市小石川区小日向三軒町(現在の文京区小日向)生まれ、京都府京都市育ちの物理学者。日本で2人目のノーベル賞受賞者。相対論的に共変でなかった場の量子論を超多時間論で共変な形にして場の演算子を形成し、場の量子論を一新した。父:朝永三十郎(哲学者、京都大学名誉教授(西洋哲学))幼少期は病弱であった。1931年、理化学研究所仁科研究室の研究員に着任。1943年
ヴィルヘルム・レントゲンさんヴィルヘルム・コンラート・レントゲン(WilhelmConradRöntgen)1845年3月27日生まれ、1923年2月10日、満77歳没。プロイセン王国ライン州のレンネップ生まれの物理学者。1888年、ヴュルツブルク大学に教授として招かれる。同年に発表した『均一電場内での誘電体の運動により生じる電気力学的な力』という論文ではマクスウェルの電磁理論を実験的に証明し、レントゲン電流と呼ばれる現象(変位電流)を発見した。1894年、ヴュルツブ
アルベルト・アインシュタインさんアルベルト・アインシュタイン(独:AlbertEinstein)1879年3月14日生まれ、1955年4月18日、満76歳没。ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ウルム市生まれの理論物理学者。「20世紀最大の物理学者」とも、「現代物理学の父」等と評され、それまでの物理学の認識を根本から変えるという偉業を成し遂げた。次のような業績により、世界的に知られる偉人である。特殊相対性理論および一般相対性理論相対性宇宙論ブラウン運動
江崎玲於奈さん江崎玲於奈(えさきれおな、「崎」は清音)日本国外においてはレオ・エサキ(LeoEsaki)の名で知られる。1925年3月12日生まれ、99歳。大阪府中河内郡高井田村(現在の東大阪市)生まれ、京都市育ちの物理学者。ノーベル賞受賞者。筑波大学学長、芝浦工業大学学長、横浜薬科大学学長、教育改革国民会議座長。文化勲章受章者、勲一等旭日大綬章受章者。1947年、東京帝国大学を卒業し、川西機械製作所(後の神戸工業株式会社、現在のデンソーテン)に入社、真空管
ヴァル・フィッチさんヴァル・ログスドン・フィッチ(ValLogsdonFitch)1923年3月10日生まれ、2015年2月5日、91歳没。アメリカ合衆国ネブラスカ州Merriman生まれの物理学者。第二次世界大戦中は陸軍に召集され、ロスアラモスのマンハッタン計画に派遣されて、物理学者たちのもとで働いた。戦後、マギル大学で電気技術を学び、1954年、コロンビア大学で物理の学位を得た。その後、プリンストン大学に移った。1964年、ブルックヘブン国立研究所でジ
2月26日今日の名言いまはできないけど、いつかは実らせたいと思う「卵」をいつも3つか4つ抱いて、夢をもって生きるといい。(物理学者・ノーベル物理学賞東京大学特別栄誉教授小柴昌俊)今日ラッキーな干支うし、たつ、へびうま、ひつじ今日の吉方位財神;真東よろこびごと:西北今日の開運アクションしなければいけないことをきちんとする+++
今日のことば湯川秀樹さんの言葉一日を生きることは、一歩進むことでありたい。学術の道に進みますが、なかなか成果を上げられず、苦悩の日々を送った。しかしコツコツと亀の歩みのように地道に研究を続け、ついに物理学の謎の扉を開ける理論にたどり着いたのでした。(理論物理学者)
オットー・シュテルンさんオットー・シュテルン(英語ではオットー・スターン、OttoStern)1888年2月17日生まれ、1969年8月17日、満81歳没。ドイツ生まれのアメリカの物理学者。1912年、ブレスラウ大学(現ポーランドのヴロツワフ大学)を卒業し、プラハ大学で、アインシュタインに会い、アインシュタインとともにチューリッヒ工科大学に移った。1914年から1921年までフランクフルト大学で教授資格を取り、1921年からロストック大学教授、1923年からハンブルク大学の
ジュリアン・シュウィンガーさんジュリアン・セイモア・シュウィンガー(JulianSeymourSchwinger)1918年2月12日生まれ、1994年7月16日、76歳没。アメリカ合衆国ニューヨーク生まれの理論物理学者。繰り込み理論によって量子電磁力学を完成させた功績で、朝永振一郎、リチャード・P・ファインマンとともに、1965年のノーベル物理学賞を受賞した。強い電場中で真空からの粒子・反粒子の対生成が起こることを最初に示し、それに必要な電場強度は彼の名
NobelPrizelecture:FerencKrausz,NobelPrizeinPhysics2023NobelPrizeFerencKrauszdeliveredhisNobelPrizelecture"Attosecondphysics:exploringsub-atomicmotions"on8December2023attheAulaMagna,StockholmUniversity.Hewas
益川敏英さん益川敏英(ますかわとしひで)1940年2月7日生まれ、2021年7月23日、81歳没。愛知県名古屋市中川区生まれの理論物理学者。専門は素粒子理論。名古屋大学素粒子宇宙起源研究機構長・特別教授、元京都大学名誉教授、京都産業大学益川塾教授・塾頭。2008年、小林・益川理論の提唱でノーベル物理学賞。益川さんら4人ノーベル賞受賞NHK放送史(動画・記事)Kyoto-UOCWさんが2013/11/08に公開京都大学「益川先生ノーベル賞を語る-学
エミリオ・セグレさんエミリオ・ジノ・セグレ(EmilioGinoSegrè)1905年2月1日生まれ、1989年4月22日、84歳没。イタリアティヴォリ生まれ、アメリカ国籍の原子核・素粒子物理学者。1928年、ローマ大学で学位を取り、ローマ大学助教授になった。1934年~1938年、フェルミと協力して中性子反応の先駆的研究を行なった。1936年~1938年、パレルモ大学教授の物理学研究所の所長を務めた。1937年、ペリエ(C.Perrier)とともに、モリブデンにサイク
今回紹介する記事は2023年10月11日付けの「毎日新聞」の記事です。【人生を懸けた大仕事】というタイトルで、論説委員元村有希子氏が、仕事を心から楽しんでいる人々の存在は、時に世界を危機から救うことについて、紹介しています。いつもどおり、「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。(4つの視点についてはこちらをご覧ください)☆新聞記事の紹介について(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)★始めに読んでほしいブログについて(1)内容の要約
湯川秀樹さん湯川秀樹(ゆかわひでき)1907年1月23日生まれ、1981年9月8日、満74歳没。東京府東京市麻布区(現:東京都港区)生まれ、京都府京都市出身の理論物理学者。京都大学・大阪大学名誉教授。京都市名誉市民。1943年(昭和18年)文化勲章。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。学位は理学博士。父方祖父:浅井篤(田辺藩儒学者)母方祖父:小川駒橘(官吏、実業家)父:小川琢治(地質学者・京大名誉教授)母:小雪(和歌山県、小川駒橘の娘)姉:香代子妙子兄:
困難の中にチャンスがある。Inthemiddleofdifficultyliesopportunity.🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟アルベルト・アインシュタインAlbertEinstein🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟心に残る名言集🌟ドイツの劇作家・詩人/シラーの名言👇👇👇🌟メインブログ🌟たぬたぬのブログはコチラ『MYFAVORITESONG:トム・ジョーンズ/She'sALady(1971)』Today'sSong🌟🌟🌟TomJon
レフ・ランダウさんレフ・ダヴィドヴィッチ・ランダウロシア語:Ле́вДави́довичЛанда́у、LevDavidovichLandau、リェーフ・ダヴィーダヴィチ・ランダーウ)1908年1月22日生まれ、1968年4月1日、60歳没。ロシア帝国アゼルバイジャンのバクー県生まれの理論物理学者。1930年4月8日~5月3日、コペンハーゲンにあるニールス・ボーアの理論物理研究所に滞在。それ以来、ランダウは自身をボーアの弟子とみなし、彼の物理学への取り組みは
南部陽一郎さん南部陽一郎(なんぶよういちろう)1921年1月18日生まれ、2015年7月5日、満94歳没。東京府東京市麻布区元麻布生まれ、福井県福井市出身、アメリカ合衆国シカゴ在住、晩年は大阪府豊中市在住の物理学者。1942年、東京帝国大学理学部物理学科卒業。1952年、東京大学より理学博士号を取得。渡米。プリンストン高等研究所(当時の所長はロバート・オッペンハイマー)に2年間滞在。1954年、シカゴ大学に移籍。1958年、シカゴ大学教授。1960年代に
「気候危機など存在せず、二酸化炭素濃度の増加は世界に利益をもたらすだろう。」2022年ノーベル賞NEW!2023-12-2809:24:13テーマ:ブログ公式ジャンル記事ランキング:シニア514位Elohim'scrow@Elohim_Embassy「気候危機など存在せず、二酸化炭素濃度の増加は世界に利益をもたらすだろう。」ジョン・F・クラウザー博士、2022年ノーベル物理学賞共同受賞者引用Dr.SimonGoddek@goddeketalI
こんにちわ🌞いやぁLastweekやっとNewI-Pad開いたよ2週間ぶりにIPadの🌍世界を覗いて知ったので、本日、ブログ久々行進デス⁉️とゆーわけでーー告知しますーー『浅草ニュートリノ①』(悟行・サトピー)♾️booksデザインエッグ株式会社本体840円+税が出てました。(12/10(日)には出てたんだって、ヒェ❗️)
アルバート・マイケルソンさんアルバート・エイブラハム・マイケルソン(AlbertAbrahamMichelson)1852年12月19日生まれ、1931年5月9日、78歳没。プロイセン王国ストシェルノ(en)(現在のポーランド領)生まれの、アメリカの物理学者、光物理学者、実験物理学者、アメリカ海軍士官。2歳の時に両親とともにアメリカへ渡った。1869年、大統領ユリシーズ・グラントの命によってアメリカ海軍兵学校に入学。そこで4年間、光学、熱、気候学、製図などを学んだ。187
マックス・ボルンさんマックス・ボルン(MaxBorn)1882年12月11日生まれ、1970年1月5日、87歳没。ドイツ東部シュレージエン地方のブレスラウ(現・ポーランド領ヴロツワフ)生まれの理論物理学者。ノーベル物理学賞受賞者。孫:オリヴィア・ニュートン・ジョン(歌手)門下には、ヴェルナー・ハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマン、ヴォルフガング・パウリら錚々たる物理学者が名を連ねている。チューリヒ大学、ゲッティンゲン大学などで学び、1919年、ベルリン大学助教授と
2日の土曜日午後翌日までとなった、文学館の企画展に行ってきましたあの、ノーベル物理学賞の朝永振一郎も子供のころに、研堂の理科12か月を読んで物理学者になりたいと思ったそうです。実際の原稿がたくさん展示されていましたがまるで朝ドラの牧野博士のように当時の薄い原稿紙縒りで閉じた束が数えきれないほどあって驚きました。こういう人が当市の出身という事を今まで知りませんでした世の中まだまだ知らない事ばかりこの先も、機会があったら少しでも多くの
ノーベル物理学賞学者の梶田隆章先生が、朝日新聞に「制限時間内の高得点競争を社会は求めていない」という記事を書かれています。その中で、「いま小中高で勉強している人は決められた時間内にいかにたくさんの点を取るかということだけをやっていると思います。知っておいてほしいのですが、実際の研究や社会で必ずしもそういうことが求められるわけではありません。時間をかけてもいいから、疑問点を洗い出し、自ら課題を設定し、問題解決に取り組む。そういう姿勢を忘れないでほしいですね。」ということを言われています。
今日のことばアインシュタインさんの言葉成功した人間になろうとするな。むしろ、価値のある人間になろうとせよ。(理論物理学者)
11月8日は、「いい歯の日」と、「レントゲンの日」…身体検査に使われる『レントゲン』という装置の名前は、X線を発見した物理学者ウィルヘルム・コンラート・レントゲンの名をとっているそうです。発見当時は「不透明な物体をも通す未知なる線」という意味で、X線と名付けたそうです。レントゲンは、1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞しました。左手のレントゲン画像…薬指に指輪も写っている。
ノーベル物理学賞「量子もつれ」おはようございます〜気持ちのいい朝です^^みなさん、お仕事頑張ってる?適当に休み休みやってね〜!!(笑)タイトルノーベル物理学賞「量子もつれ」このタイトルだと面倒くさそうで誰も読んでくれないかも知れないけれど(笑)この「量子もつれ」という新たな発見で私はやっと時代が私の追いついてきたねっそんなカンジなわけ〜この理論はかのアインシュタインも疑問を抱いて解明できなかったことのようなんだけど
マリ・キュリー(キュリー夫人)さんマリア・スクウォドフスカ=キュリー(ポーランド語:MariaSalomeaSkłodowska-Curie)フランス語名はマリ・キュリー(MarieCurie、ファーストネームは日本語ではマリーとも)。キュリー夫人(MadameCurie)として有名。1867年11月7日生まれ、1934年7月4日、満66歳没。ポーランド(ポーランド立憲王国)ワルシャワ生まれの物理学者、化学者。主な業績:放射線の研究ラジウムの発見
リチャード・E・テイラーさんリチャード・エドワード・テイラー(RichardEdwardTaylor)1929年11月2日生まれ、2018年2月22日没、88歳没。カナダアルバータ州メディシンハット生まれのアメリカ合衆国で活躍した物理学者。1958年、フランスに渡り、加速器の研究に加わり、1961年、アメリカに戻ってスタンフォード線形加速器センター(SLAC)などで加速器を使った研究に加わった。1990年、ヘンリー・ケンドール、ジェローム・アイザック・フリードマン