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今日は5日。明日6日で連休はおしまい。連休後半は毎年恒例の高校同窓で集って過ごした。いつもよりゆっくりと過ごせた。その分、仕事のゴソゴソをしなかったんだけれど。週明けてからがコワイ。4月に入ってから村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」を再読し始めた。ちょっとしたきっかけ(先月のブログサナギの時代1990年代の思い出)があって、冒頭を少し開いたら引き込まれてしまった。読み手をグイグイ引込む力がある小説だ。第一部「泥棒かささぎ編」の最後にノモンハン事件当時を伝える長い回想があ
「「辺境・近境」村上春樹著新潮文庫」海外と国内の旅行紀行です。辺境は海外なのか?でも、イースト・ハンプトンは辺境とは言い難いし・・・。ここでの近境は、国内、しかも瀬戸内海沿岸に限るみたいな感じです。どこか統一性がないようで、根底に流れる何か共通したものがあるように感じました。ユーモラスな部分もありますが、微妙なざわつきが時々顔を出す感じのエッセイ集です。瀬戸内海の無人島にカメラマンと二人でキャンプに行く話なんかは、三泊の予定がさまざまなアクシデントのあげく、一泊で退散してし
昨日の展示機5機連続訪問記事の続きです。大刀洗平和祈念館の展示機、次は陸軍航空隊の九七式戦闘機です。1935年,海軍の九六式艦上戦闘機の成功に刺激された陸軍は、同機を陸軍用に改修させた試作戦闘機キ18の開発を三菱重工業に要求。しかし、キ18は制式採用にならず、川崎航空機の九五式戦闘機が制式採用されます。しかし、複葉機九五式戦闘機では将来性が見込めないため、翌年、新たに低翼単葉戦闘機の競争試作を中島・三菱・川崎の3社に指示しました。これを受けて中島のキ27、川崎のキ28、三菱のキ33の
ノモンハン事件は、1939年に日本とソビエト連邦との間で発生した国境紛争であり、多くの戦略的および戦術的な問題点が浮き彫りにされた事件です。1.準備不足の戦争ノモンハン事件が勃発した際、日本軍は十分な兵力、装備、および情報を持っていませんでした。この事件は日本の軍事的準備不足を露呈しました。戦前の情報収集や作戦計画の不足が、後の戦局を厳しくしました。2.物量差の問題ソビエト連邦は物量において日本を圧倒しました。日本軍は数的に不利であり、戦局が長期化するにつれて物量差が問
片づけをしていたらまたとんでもなく古いアルバムが出てきちゃいましたこんなアルバムがずっと眠ってたなんて驚きですイモカタバミ・・・可愛い花のわりに「イモ」ってかわいそうだねで、どのくらい古いアルバムかというとこのくらい(爆)紐閉じですぞ(驚)表紙の裏にはこんな文字が鈴木八郎さんは、私のおじいさんの弟マスターの叔父さん次男なのに八郎さん(爆)八郎さんは
2023年10月3日人類よ、天地創造の神に向かい叫ぼう。「我々を滅ぼさないで!」と。昔、神様は私に言われた。「この世界は私のものだ。人間の勝手にはさせない。滅ぼさせない。」と。私は神が定めた預言者である。また神は、「人類に悲劇の日は来る。それは来る必ず来る。」と。それを見て、イエス様は今も泣かれる。人類はその泣き声が聞こえる程に神に近くはいないのですか。誰かその泣き声を聞いていませんか。私は今、何度目かの寿命でやっと生きている感じですが、黙してはおれない。私は現在90
対話検索型人工知能のbingchat、本日も対話の結果を掲示します。第1の話題は、村上春樹さんの代表作「ねじまき鳥クロニクル」の、特にノモンハンの箇所です。この本のノモンハン事件に関する記述は、教科書より詳しくて、戦史資料としても情報満載です。この衝突、日本では「事件」と呼ばれていますが、実際は戦争、しかも敗戦でした。この敗戦の教訓、特に過度の精神主義をシステム主義に路線変更しなかったことが、後の大東亜戦争の敗戦の遠因になっています。第2の話題は、昆布等海藻
司馬遼太郎さん生誕100年にあたる今年、NHKEテレ大阪で1986年に放送された『司馬遼󠄁太郎雑談「昭和」への道(12回)』を毎週金曜日午後8時頃から45分間ほど放送しています。1回目(8/25)と2回目(9/1)の2回を見ました。第2回の放送画面司馬遼󠄁太郎さんの小説は、かなり読みました。また、「この国のかたち」のような歴史随想も読みました。司馬遼󠄁太郎さんの歴史観に対して色々と指摘したり、間違っていると言われる方もおりますが、私は司馬遼󠄁太郎さんがよく言われる鎌倉時代頃から武士
大戦前にソ連に勝てたはずのノモンハン事件。今も昔も政府は判断を誤る。誰が国民の命を守るんや?昨日は日経新聞をボロクソに書きましたが、何と今日も、トンデモない社説を出していました([社説]「選ばれる国」へ外国人基本法を人手不足に克つ)。こいつらやっぱりアホですね。もちろん、ツイッター(X)でも噛み付かれていました(室伏謙一@keinaniwakawaraban.jpこちらは上記のミラーサイトです。昨日は日経新聞をボロクソに書きましたが、何と今日も、トンデモない社説を出していました(
↑↑↑この映画、実は第四部まであったのですが、日活もあんまり大見栄張って頑張って作っちゃったものだから、お金が間に合わなくなって、第三部までしか出来ませんでした。これだけの豪華キャスト、俳優の出演料だけだって大変なものでしょうね~~~。原作は「人間の條件」の五味川純平。監督は山本薩夫。山本學、圭、亘、三兄弟の叔父様。戦前、特高につかまって早稲田を中退しておりまして、成瀬三喜男のもとで映画の修行を致しました。もともとの原作は、張作霖事件からノモンハン事件、太平洋戦争までの日本と
❝【日本という怪しいシステムに関する一見解】❞(初稿1999.10.29)❝平成15年5月16日改定岡山県井原医師会鳥越恵治郎(H26年4月17日一部改定)http://www.ibaraisikai.or.jp/information/iitaihoudai/houdai37.html第37話「日本という怪しいシステムに関する一見解」この記事は一冊の本になるような長文の論文です。学校教育では日本の近現代史は尻切れトンボ傾向のようですが、今日に繋がる20世紀の日本の赤裸々な史実を
にほんブログ村↑ありがとうございます。引き続き応援していただけると嬉しいです。こんにちは。4年前の6月に青森を旅しました。(2019年6月24日~7月12日に記事にしています。うち岩木山神社の記事は6月25日~29。)その時の写真を再掲します。再登場の狛犬様後ろ姿も素敵私はどうやらこの楼門と狛犬様がとても好きらしい帰り時間も迫り、元来た道を戻ります12日の記事にも書いた通り、出雲神社さんには、ノモンハン戦没勇士慰霊碑がありますここ
にほんブログ村↑ありがとうございます。引き続き応援していただけると嬉しいです。こんにちは。4年前の6月に青森を旅しました。(2019年6月24日~7月12日に記事にしています。うち岩木山神社の記事は6月25日~29日。)岩木山神社に行きたくて仕方がないので(笑)、写真を再掲します。拙い記事ですが、数日間お付き合い頂ければ幸いです。はじめの鳥居↑をくぐり中へ最初の鳥居か、ここ↑の鳥居かの左手にある出雲神社さんには、ノモンハン戦没勇士慰霊碑があります
ミュンヘン会談においてはヒトラーとチェンバレンはそれぞれ誤算をしています。ヒトラーは、大英帝国の『大国の威信』を認識していませんでした。ミュンヘン会談で、『領土要求はこれが最後だ』と約束しました。これを破れば、大英帝国は自動的に参戦するしかないということが理解できなかったのです。なぜなら、英国との約束を破っても良いなら、もはや英国は大国ではなくなります。はっきり言えば、ヒトラーはチェンバレンが大英帝国の宰相だということを忘れていました。チェンバレンの誤算は、ミュンヘン会談にスターリンを呼ばなか
今から84年前の今日、(学校ではまず教えないであろう)大東亜戦争の序章ともいうべきノモンハン事件が勃発しました。〝事件〟とは言うものの、実際にはモンゴル国境地域で起きた、日本軍(関東軍)と(モンゴル軍を支援する)ソ連軍の歴とした戦闘・紛争でしたが・・・。もともとモンゴルと中華民国との間で国境線は協定されていたのですが、1932年に成立させた満州国は、そのノモンハン地域の国境線を従来より10~20km程南方のハルハ河にする旨を主張。青・・・モンゴルが主張する
ノモンハン事件、実は日本の大勝利だった!https://www.zakzak.co.jp/zakzakは産経新聞社が発行する「夕刊フジ」の公式サイトです。政治、経済、芸能、スポーツはもちろん、健康や趣味、グルメやギャンブルまで、話題のニュースを独自の視点でお届けしています。夕刊フジzakzakが、2023年4月1日6時30分報道の「実は日本軍の大勝利だった「ノモンハン事件」「空の戦い」で終始ソ連軍を圧倒「日ソ中立条約」に引っ掛かってしまったことは痛恨の極み」!ロシアによる一方的なウク
10月に読んだ本は6冊(図書館本5冊・購入1冊)でした。+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++<満足度>★★★オススメ★★面白い★収穫少なめ『ノモンハン責任なき戦い』田中雄一(講談社現代新書2019.8)【満足度】★★★【概要・感想】本書は18年8月に放送されたNHKスペシャルがベースとなっていて、著者はそのディレクター。1939年に勃発したノモンハン事件。満州国とソ連の国境地帯、遊牧以外に価値のない場所で関東軍とソビエト
今日の絵ハガキ。ヤビツ峠。ロシア軍がウクライナで苦戦している。戦況挽回のため、督戦部隊を組織したようだ。ロシア軍のやり方は、日露戦争の時から変わっていない。督戦隊は、戦線の後方に展開し、自軍兵士の敵前逃亡阻止等の任に就く部隊である。逃げたら、後ろの督戦隊から撃たれる。死にものぐるいで戦うしかない。第二次世界大戦のドイツ戦で、ソ連軍ではトーチカから逃げないように、足をトーチカの柱に鎖で縛られた兵隊がいたらしい。囚人を兵士にしたのだろうか。しか
今回も引き続き、ノモンハン事件で大活躍した陸軍戦闘機九七式戦闘機をご紹介します。1935年,海軍の九六式艦上戦闘機の成功に刺激された陸軍は、同機を陸軍用に改修させた試作戦闘機キ18の開発を三菱重工業に要求。しかし、キ18は制式採用にならず、川崎航空機の九五式戦闘機が制式採用されます。しかし、複葉機九五式戦闘機では将来性が見込めないため、翌年、新たに低翼単葉戦闘機の競争試作を中島・三菱・川崎の3社に指示しました。これを受けて中島のキ27、川崎のキ28、三菱のキ33の競作の結
今回はノモンハン事件で大活躍した陸軍戦闘機九七式戦闘機をご紹介します。まずは、飛行第一戦隊所属機。ノモンハン進出前の岐阜県各務原基地にて。派手な塗装から、当時の戦隊長、加藤中佐乗機のようにも見えますが、個人を識別するひらがな又はカタカナの尾翼マークが無い為、不明です。このファストバック型風防装備機を「甲型」と称している文献は多いようですが、甲乙兵の区分はあくまでも武装の差異を示すという鉄則と、五式戦闘機の例(甲乙の区別はなかった)から推測すると、単にファストバック型と呼ぶべ
ウクライナ🇺🇦のプラモデルメーカー、ICMのI-16を製作しました。以前製作した、同じくICMの97式戦闘機とノモンハン事件で相対した戦闘機です。国産メーカーの製品に慣れていると、なかなか作りにくいところはあるのですが繊細なモールドや生真面目な感のあるパーツ構成など魅力的なキットではあります。(終わってみると)積極的におすすめはしませんが作りたいという人には、楽しいよと言ってあげられるキットだと思います。ICM1/72ソ連ポリカルポフI-16タイプ18ノモンハンプラモデ
広島城跡の北側に「ノモンハン事件」参加部隊の記念碑がある負傷して置き去りにされた将兵の中にはソ連軍の捕虜となった者も多かった。意識を失っていたり手足が動かなかったりしたら「自決」はできない。当時22歳で第71連隊の上等兵だった中山仁志さんも重傷の体でソ連軍の捕虜となった一人だ。ソ連軍兵士は担架で中山さんを近くのソ連軍陣地に運び、そこで水を飲ませてくれた。ソ連兵が銃を構えていたので「最期の水」だと思った。ソ連兵は私を起こしました。足が立たないので座るのが精いっぱいでした。私はい
1939年8月20日早朝、ソ連軍の総攻撃が始まった。第71連隊の戦闘日誌の記述はますます悲惨なものとなった。敵は黒山のごとく七四七高地に殺到す。薄暮に至り、敵はさらに執拗に攻撃し、手榴弾戦、白兵戦いたるところに展開し、二時間にして撃退せるも将兵ことごとく死傷し残兵いくばくもなし、加えて食糧なく、水なく、補給も途絶し水筒には一滴の水もなく、加うるに連日の激戦に疲労困ぱい、その極に達す。(御田重宝『人間の記録ノモンハン戦《壊滅篇》』徳間文庫1989)ソ連軍は爆撃機、大砲による攻撃
第71連隊第2機関銃中隊長だった高田清美さんは7月3日、「全く無数と思えたほどのソ蒙軍の戦車」と日本の戦車との戦闘を目撃している。遠くてマッチ箱位に見える双方の戦車が戦車砲を撃ち合い、そのうち一方の戦車隊が片っ端から火を噴き始め動かなくなっていった。「日本の戦車は強い」と思いながら見ていると、「やられているのは日本の戦車だ」と言うものがいましてね、双眼鏡でよく見るとその通りなんですよ。日本の戦車は、砲身が、言っては悪いが子供のチンポコみたいで、ちょこんと出ているだけ。ソ連軍の戦
1939年6月22日、第71連隊は進軍を開始した。約200km先の目的地まで5日間、大平原をひたすら歩くのだ。通信兵で当時27歳の上田守さんの証言がある。個人装備を申しますと、携帯口糧、着替えなどをぎっしり詰めた背嚢(はいのう)、腰には二百四十発の小銃弾と手榴弾、それに火焔びんと三八式歩兵銃を持っていますから三十キロ以上になります。兵営からわずか数キロしか離れていない伊敏橋という地点まで進んだ時にはもう汗びっしょりで、裸になりたいと思いましたね。(御田重宝『人間の記録ノモンハン戦《攻
1938年に日本はソ連との間でも戦火を交えている。昨夕ニ至リ張鼓峰ニ於テ対時中タリシソ軍ハ野砲戦車ヲ以テ大々的ニ計画的ニ夜襲シ来レリ我軍奮然之ヲ国境外ニ駆逐セリ(精舎善明「日記」1938.7.31)(「対時」は「対峙」の誤り)おそらく教官の話をそのまま日記に記したのだろう。「張鼓峰(ちょうこほう)事件」は「満州国」とソ連の国境での日ソ両軍の武力衝突だが、日本軍のほとんどが中国で戦っている中、朝鮮にいて戦場に出ていなかった第19師団が手柄をたてようとして勝手にソ連軍に攻撃を始めた
司馬遼太郎と東京裁判―司馬歴史に潜む「あるイデオロギー」Amazon(アマゾン)485〜15,750円◆福井雄三『司馬遼太郎と東京裁判』を読み解く(副題:司馬歴史に潜む「あるイデオロギー」)※要旨・司馬遼太郎がその生涯を通じて一番書きたかったのは、実は、ノモンハンなのである。・司馬は、評論やエッセイでノモンハン事件のことを次のようによく話題にしている。→「ノモンハンの草原上の日本軍は死傷70%という世界戦史にもまれな敗北を喫して停戦した」(『この
ランクBの上太平洋戦争の陸軍参謀本部で常に先頭に立つことなく、実質的に戦争遂行を推し進めたテクノクラート軍人の人生を描いた本です。辻政信が動なら、静の服部卓四郎です。派手な動きはせず、裏方?ネゴシエーションに徹し陸軍をコントロールしたエリート軍人です。敗戦後は、戦犯に問われず、敵を作らない人柄?と、頭の良さで、GHQの下で、太平洋戦争の記録を