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最近、NHKの「こころの時代」でドイツから移住したネルケ無方さんという人の話だった。兵庫県にある安泰寺の堂頭を長年勤めている方で、30年もの間、曹洞宗の禅寺で修行されている人である。とても興味深い話だった。https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/4JNJXQ2X8Q/「天地いっぱいを生きる」-こころの時代〜宗教・人生〜-NHK兵庫県北部の山の中にある安泰寺。自給自足の暮らしの中、年間1800時間坐禅を組む。この寺の堂頭を18年務
早起きをして、Eテレをつけたら、安泰寺9代目住職ネルケ無方氏のお話を聴くことができた。響くな〜これから毎週「こころの時代」をチェックしようかな。
(光文社新書、2012年6月)。本書までで自己紹介と坐禅入門は終わったと思う。これからがネルケ無方氏の本領発揮であろう。どんな禅味を味わえるのか楽しみにしたい。ただ坐る~生きる自信が湧く一日15分座禅~(光文社新書)Amazon(アマゾン)628円曲げないドイツ人決めない日本人:ドイツ人僧侶が語る日本人の才能(サンガ新書)Amazon(アマゾン)850円仏教の冷たさキリスト教の危うさ(ベスト新書)Amazon(アマゾン)704円
読了。日本人には「他人の目を気にしない」ことを意識するだけで、かなり生きやすいので?と感じた。
ネルケ無方、光文社新書、2012、9/25-10/8、印象度B+澤木興道『禅談』の次に本書を読むと、その解説にもなって良かったです。同じ安泰寺の堂頭(住職)なので、当然のことながら共通するところが多いのです。本書では、坐禅のノウハウ以前に、まず禅の精神について説いています。それはいわば当然のことで、著者も言っているように、形だけ模倣しているだけでそこに態度や心構えが伴っていなければ、いくら坐っても意味がないでしょう。しかし本からの知識だけでは正しい坐禅ができるかは疑問。やはり一度実際に坐り
家事来客しながら和尚さんのzoomから流れる音声を拾い聞きさせて頂いたのでぶつ切りのお勉強でしたが、微に入り細に入りな道元禅師の気の配りようが"身心一如"の"身"から来るのかと、面白かった。聴講ばかりで疑問点すら出せないながらも、聞くだけでも良かったと感じる。
ネルケ無方、新潮新書、2015、10/15-10/28、印象度B本書の数か月前に読んだ『仏教の冷たさキリスト教の危うさ』との重複も多かったですが、おさらいになりました。キリスト教における愛と仏教における愛を、その主体と対象という観点から比較した宗教論なので、仏教書を期待して手に取って、キリスト教の記述にも多くの頁を割いていることにがっかりしないように。私としては、新しい逸話、新しい言葉、新しい教訓に出会えてそれなりに楽しく読むことができましたが、少なくとも表題は、例えば『仏教の愛、キリス
ネルケ無方、ベスト新書、2016、5/16-6/2、印象度B+表題の示すように、仏教とキリスト教を比較した本ですが、彼の他の著作と比べると、哲学的、宗教的に深い洞察は少ないような気がします。しかし、例えば序章では時勢を宗教面から語っていて、それなりにためになり、また面白くもあります。何より、キリスト教関係の本をほとんど読んだことのない私にとって、特に同教の話には新鮮なものが多く、これまた、ためになりました。ところで本書は、仏教は冷たくキリスト教は危ういということを指摘して終わっている
昨日はネルケ無方さんとお会いしました。本の印象と違わずイケ僧で、きちんと僧侶で真摯で誠実でいらっしゃり、一照さんより更に仏教に宗教的であると感じました(当社比)伺った話の中で持戒、破壊、無戒の話が特に心に残る事に。寺族得度に於いても戒を受けるときに「良くたもつ」と言って戒を持つ事を三度述べて宣言する場面があるのですが、つまりは戒を守る事を誓う訳で。しかしながらネルケ老師が仰るように一般生活の中で戒を遵守することの難しさは皆わかっている訳です。そんな中で破戒になるくらいなら最初から無戒で
ネルケ無方、ベスト新書(K.K.ベストセラーズ)、2014、3/3-3/10、印象度A-主に宗教的観点から見た日本人論で、最終章には日本人に対する助言が書かれています。語調は硬すぎず柔らかすぎず、従って消化し易く、かつそこそこの歯応えもあって私の期待する食感の本です。内容がしっくりくるのは、曹洞宗が私にしっくりくるからでしょう。表題の意味は、日本人には生活の中に仏教的・神道的な意識が定着し根付いているので、殊更に「宗教」を意識する必要がない、ということです(下に書くように、私は彼に1
ネルケ無方、朝日新書、2012、2/25-3/14、印象度B道元の言葉(『典座(てんぞ)教訓』がやたらに多い)を中心に解説し、所々に私事や自身が住職をしている安楽寺の話を織り交ぜています。こういった話を入れることで堅い話が噛み砕かれ、読み易くなると著者は思ったのでしょうし、それが本書の付加価値であるとも言えるのでしょう。しかしあまりに小刻みに逸話が挿入してあるので、むしろ煩雑に感じられました。その内容も、卑近なもの、品を欠くものが多く(後半にはだいぶ減ってきましたが)、少々げんなりしました
ご訪問頂きありがとうございます!バッチフラワー&アロマセラピストAkikoです。週末はドイツ人で安泰寺の住職であるネルケ無方の坐禅入門に参加。ドイツ人、坐禅、住職??とても楽しみにしてたワークショップ。流暢な日本語、黒板に書く漢字も美しくネルケさんのお話はとてもわかりやすく、面白い禅や仏教の知識が少ない私にとって勘違いしていたことがたくさんあって本当に勉強になりました。日本人以上に日本の文化を理解していて、ちょっと日本人として恥ずかしい気持ちにもなりまし
かなりお久しぶりになりますが、本の紹介です日本人に「宗教」は要らない(ベスト新書)Amazon第一章「日本人は無宗教」って、本当?~日本と欧米社会の差異~第二章ここがすごいよ、日本の仏教第三章ちょっと不思議な、日本仏教第四章もし日本から「仏教」がなくなったら…~日本人の死生観について~第五章日本人はなぜキリスト教を信じないのか第六章日常生活に役立つ「禅」の教え曹洞宗・安泰寺のドイツ人住職である著者が「日本人の宗教観」について考察した本です。
ドイツ人の禅僧、ネルケ無方さんの本が送られてきた。田舎の書店には置いてなかったからネットの中古書店で購入。今日は公休だから家族とりんご狩りに行ってきます。
ネルケ無方、大和書房、2013、12/6-12/16、印象度B+《本当の自分》を探して悩む者の多い昨今。「自己」の概念を巡って、前半では哲学や心理学での扱いをおさらいし、後半では仏教に根差した著者の考察を展開しています。特に第1章と第2章前半は、自我について過去の哲学者たちがどう考えてきたかを概観しており、いわば哲学入門みたいになっています。著者は哲学者の中ではウィトゲンシュタインに最も傾倒しているようで、実際に多くのページを割いています。前期の「世界と生とはひとつである」(『論理哲
著書の『日本人に「宗教」は要らない』はけっこうおもしろくて、こちらの本もざっと見ておもしろそうだったので読みました。「今の自分は自分らしくない」ってのは耳にする言葉ですけど、著書の名に「(自分で)分からない自分らしさを追い求めるから辛くなる。みんなと違ってもいいし同じでもいい。「ありのままに生きる」と言った瞬間「じゃあ今は仮の生き方?」ん~たしかにそうかも。仏僧の方ですから「ありのままの自分を表現できない」というのも自分自身に対する「執着」からくる苦しみ~そんなこと言いだしたら巷にある自己
仏教の法とは自然であり「生・老・病・死」も生命にとって自然そのものであること最近「死」について考えることが増えています。死は誰にでも、必ず訪れる。良書を見つけましたのでご紹介致します。僧侶が語る死の正体:死と向き合い、不死の門を開く、五つの法話Amazonネルケ無方(著),プラユキ・ナラテボー(著),釈徹宗(著),南直哉(著),アルボムッレ・スマナサーラ(著)(本文より一部抜粋)…私たちは「死」に際して、心の準備に時間を取るという感じになります
衆生本来仏なり水と氷の如くにて迷う心を持つ私たちは本来仏なのですそれは水と氷のようなものドイツ人禅僧のネルケ無方師も「金言100」で書かれています。「求めれば足りず、手放せば足りる」碧巌録の「無功徳」寺院をたくさん建立した中国の皇帝はインドから来た達磨さんに「なんの功徳もない」と言われたそうな。不要な物を捨て切った後の、本当の自分探しをしてみては?本日、法源寺にて坐禅会を行います。よろしければご参加下さい。
「ありのままでもいい、ありのままでなくてもいい」ネルケ無方著、KKベストセラーズ刊この本、メチャメチャ面白い。ドイツ人で留学生として来日し、後に兵庫県の安泰寺住職になったという方です。日本では「プラス思考」でないと幸せになれないという風潮さえあるが、それは違う。プラス、マイナス両方あってはじめて健全なものの考え方ができる。「一切皆苦」(生きること即苦しむこと)と言い切ったのが釈尊です。物事をいつも前向きに考える必要はない。「今日一日をどう生きるか」を大切にすること。
この本はちょっと前に書店に並んでいて図書館で借りて読みました。外国の方から見た日本人の宗教観なんですけど、けっこうおもしろい内容でした。ただ、この本では宗教について行動様式に重点をおいて書かれているように思うんですけど果たしてそれだけで宗教と言えるのかなとも思います。ちなみに僕の家は浄土真宗なんですが一人で生活するときは毎朝、神棚のサカキの水と小っちゃい壺?の水を変えて仏壇にご飯をやって小っちゃい声で「南無阿弥陀仏」と言って手を合わせてますけど、やってる最中に特になにかは考えてはいません。
仏教講座、まもなく開講です。ということで少し予習です。仏教の歴史は約2500年前から始まるわけですが、経典としてまとめられるのはこの500年後以降です。何故書簡にまとめなかったのかは講座で話しますが、この後、更に北伝仏教と南伝仏教に分かれていきます。後者、南伝仏教は原始仏教の教えを忠実に守り、釈迦の言葉を伝えてきました。北伝仏教は釈迦の教えだけでなく、様々な宗教を吸収しつつ、革新的な仏教になっていきます。これが大乗仏教というものです。そして日本に伝わったのはこの大乗仏教だ
大阪に帰ってあらためて蝉の声に騒々しさを感じます天神祭まで一週間ネルケ無方さんの座禅会ワークショップただ坐る足を腿の上にかけられたらもう少しラクに姿勢を保てるのになぁなんて慣れない座位に少々戸惑う座禅のあぐら座お尻だけでなく膝も床につくようにってたかが30分されど30分背骨を動かしたい足の位置が落ち着かないあぁ疲れてるな〜雑念が流れて睡魔が襲う頭がぐらぐら一方でネルケさんどっしり安定力みなく微動だにしないココロもカラダもブレ知らずその後歩く座禅
ネルケ無方、新潮新書、2011、6/11-6/17、印象度B+ドイツ人禅僧が自身の修行遍歴を綴った本で、最終章には欧米人と日本人の修行のあり方についての比較など、外国人故に見えてくる興味深い所見がまとめられています。日本仏教、特に雲水の実態を赤裸々に「暴露」しているのが特徴的。著者が、日本で実践されている仏教の姿に接して、「仏教は本来そんなものではない!道元禅師はそんなことを言ってはいない!」と幻滅の繰り返しの中で、いかに本来の仏教実践のあり方を求め続けてきたがわかります。しかし、