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2025年12月29日(月)支援とは、本来誰かを守るために存在するものだと思っていました。困っている人がいて、立場が弱い人がいて、声を上げにくい人がいるときに、その人のそばに立ち、支えるためのもの。けれど今回の出来事を通して、私はある瞬間を何度も目にしてきました。それは、支援が、本人を守るものではなく組織や立場を守るための「自己防衛」に変わる瞬間です。最初は、どの言葉も穏やかでした。「総合的に判断して」「慎重に検討した結果」「安全を最優先に考えて」一つひと
2025年12月27日(土)妹と過ごしていた「普通の日」妹のことを書くとき、いつの間にか制度や裁判の言葉ばかりが先に立つようになりました。でも今日は、そうじゃない妹の話を書こうと思います。まだ、一緒に笑って、一緒に移動して、一緒に年末の予定を考えていた頃の、ただの「普通の日」の話です。お出かけは1番に家から出ようとして、「焦んなくても置いていかないよ」とみんなで、笑って待っていたこと。移動中、独語を何度も聞いて、それでも外の様子を見たり、外出先で楽しそうにしていたこと
2025年12月25日(木)昨日、第4回目の裁判がありました。そこで知った事実は、私にとって非常に大きな衝撃でした。正直に言えば、この出来事が起きてから、私たち家族はずっと孤立してきました。行政との関係の中で切り離され、制度の中では「個別事案」として処理され、家族の声はなかなか届かないまま、時間だけが積み重なっていきました。けれど今回の裁判を通して、はっきりと見えたことがあります。それは、本当に私たち家族と向き合おうとしてくれる人たちが、確かに存在しているということで
2025年12月22日(月)母が「問題のある人」にされていく過程今回、行政や施設が作成した複数の記録を読み返しました。その中で、どうしても見過ごせない違和感があります。それは、母が、いつの間にか「問題のある人」として位置づけられていく構造です。一つひとつの記録を見れば、露骨な非難や強い言葉が使われているわけではありません。・感情的になることがある・口調が強くなることがある・施設に対して厳しい意見を述べることがある一見すると「客観的な観察」にも見えます。しかし問題は、
2025年12月20日(土)制度の中では、判断に対して「異議を申し立てる権利」や「説明を求める権利」が用意されています。形式上は、誰もが問い直せることになっています。けれど現実には、問い直すこと自体が、難しくなる瞬間があります。「聞いてもいい」はずなのに、聞けなくなる空気判断について質問すると、「もう説明しました」「総合的に判断しています」「これ以上はお答えできません」そんな言葉が返ってくることがあります。それが一度なら、「仕方がない」と受け止められるかもしれません。しかし
2025年12月19日(金)説明できない判断が常態化する怖さ制度の中では、日々さまざまな判断が下されています。一つひとつは「個別の事案」「その時点での最善」として処理されていきます。けれど、その判断が説明できないまま当たり前のように積み重なっていくとき、そこには大きな危うさが生まれます。「説明しなくても進む」ことが常態になると説明を求めても、・総合的に判断した・必要な対応だった・制度上、問題はないこうした言葉だけで終わる。それが一度ではなく、何度も繰り返
2025年12月13日(土)なぜ「改善」ではなく「排除」が選ばれるのか※一つの事例から感じたこと支援の現場で課題が生じたとき、本来まず検討されるべきなのは支援方法や環境の改善ではないでしょうか。・支援の伝え方は適切だったのか・環境設定に無理はなかったのか・本人の特性への理解は十分だったのかこうした視点から見直すことは、福祉の基本的な考え方の一つだと理解しています。しかし、今回資料を読み進める中で、私は改善ではなく「距離を取る対応」や「制限を強める対応」が選
2025年12月12日(金)行政と基幹型障害者相談支援センターと施設この3つが、すべて機能しなかったときいったい何が起こるのでしょうか。・現場での不適切ケアに、誰も気づかない・行政が「施設は正しい」という前提で動く・本来止める役割の専門職や中核機関が沈黙するこの3つが同時に起きたとき、支援は「支援」として存在しなくなります。まず起きるのは、不適切ケアが不適切だと認識されないこと。本人の行動は「問題行動」とされ、本来見直されるべき環境や支援方法は問われない。支援の失敗
2025年12月11日(木)今日は、資料の中でも特に衝撃的だった“妹のバス座席乗車位置変更”に関する部分について書きたいと思います。結論から言うと■不適切ケアが、市の聞き取りで「支援だった」に変換されているこれは、今回の問題を象徴する本質です。施設の回答はこう書かれていた施設側は当初、淡々とこう説明しています。・座席変更は年末に行った・説明不足だったかもしれない・母の助言を受け声掛けした・妹さんは不穏ではなかった・帰宅拒否などの行動も見られなかったつまり施設の
2025年12月10日(水)今回の件で私が強く感じた違和感があります。それは——「障害者基幹型相談支援センター」がなぜ何も疑問に思わなかったのか?という点です。基幹センターとは、障害者の権利擁護の“中核”として厚労省が位置づけている機関です。役割にはこう書かれています。・本人の意思を尊重し支援につなぐこと・行政判断が本人に不利益をもたらす際に調整すること・虐待対応の入口と出口を監視し、歪みがあれば止めることつまり本来、今回のような✔面会制限が延長され続け
2025年12月9日(火)今日紹介したい資料があります。・市が施設へ送った質問・施設が回答した文書・その回答を基に、市が自分たちで「聞き取り調査した」とまとめた書類一つの質問に対して三つの文書が存在しているのに――話が全く噛み合っていません。そしてそこに、重大な構造が見えてきます。市の問い→施設の答え→市の再編集を比べると……施設の回答は淡々と事実を書いています。でも、市の「聞き取りまとめ」を読むと突然、・〜だったと思う・〜のように見受けられる・〜が原
2025年12月8日(月)支援の名のもとで、人の意思や尊厳が奪われることは、障害福祉だけの話ではありません。高齢者ケアでは——「帰りたい」「会いたい」と訴える声が“問題行動”として扱われ、拘束や隔離が正当化されていく。児童福祉でも——「保護」の名のもとに子どもが施設に長期入所し、家族との関係が断たれることが、全国で繰り返されています。障害福祉も同じ構造です。本人より支援者の安心が優先され、意思決定支援より管理が先に立つ。今回の若菜さんの件はその典型でし
2025年12月7日(日)10月末に市役所から届いた「面会制限をさらに1ヶ月延長する」という通知書を見たとき、私たち家族は強い違和感と疑問を覚えました。文章は少し書き換えられているものの、前回の通知と内容はほとんど変わらず、“言い回しを変えただけ”のように見えたからです。そこで私たちは弁護士を通じて、正式に2つの質問を投げかけました。ひとつは、面会制限を解除するための具体的な条件は何か?もうひとつは、通知にある「その他の関係人」とは誰なのか?この2点が明らかに
2025年12月6日(土)尊厳という言葉は、不思議なほど尊厳を奪う側は使いません。むしろ、尊厳を奪われた側だけが、その言葉の意味に触れざるを得ない。そんな現実があります。支援の現場では「安全のため」「保護のため」「安心できる環境を整えるため」という言葉が頻繁に使われます。しかしその言葉が、本当に本人のために機能しているのかは、ほとんど検証されません。むしろその言葉が本人の意思を奪い選択肢を狭め家族との関係を断ち行動を統制するための“正当化の盾”となる
2025年12月5日(金)今回、改めて考えたいのは「行政の自助作用が全く働かない」という構造的な問題です。私たちは半年以上かけて、不服申立てを行い、事実を示し、資料を提出し続けてきました。しかし行政は、そのすべてに対して「問題はない」と結論づけ、第三者委員会まで使って“手続き上の正当性”を示しました。たしかに、“決定後の手続き”だけを見れば問題がないように見えるのかもしれません。しかし本当に目を向けるべきなのは、その決定に至るまでのプロセスに重大な欠陥があったという点です
2025年12月4日(木)私たちは、要望する側の家族や支援者も、それを判断する行政も、本来、最も大切な視点をどこかで見失っているのではないでしょうか。「虐待と疑われたから隔離する」「改善していないから延長する」その判断が、本人の生活にどれほど深刻な影響を与えるのか。どれほど本人の尊厳を削る決定であるのか。その重さについて、どれだけ真剣に向き合っているのでしょうか。面会制限を繰り返し延長することは単なる“手続き”ではありません。それは、「会えない時間がさらに伸
2025年12月3日(水)面会制限の延期通知を読み返していると、文章の中にいくつかの“前提”が仕込まれていることに気づきます。一見すると丁寧な行政文書のように見えても、その前提が間違っていれば、判断も、支援も、手続きも、すべてがズレてしまう。今日は、その「思い込み」について整理してみたいと思います。文章の中で繰り返し使われる「安全を確保するため」「自立した生活の環境を整備するため」「客観的事実に基づき」「関係人の意見を参酌したうえで」これらはいずれも“もっとも
2025年12月2日(火)10月末に市役所より届いた書類について考えます。行政から届いた「面会制限期間の再延長」。今回の通知は、2024年6月から続く面会制限をさらに1か月延ばすという内容でした。一度の延長だけでも重大な判断ですが、今回は“2回目の延長”です。そしてこの2度目の延期通知を丁寧に読み解くと、制度運用として見過ごせない点がいくつも浮かび上がってきます。延期理由が前回とほぼ同じ文言のまま今回の通知書に書かれている理由は、・妹の安全確保・自立した生活のための
2025年12月1日(月)今日は、どうすれば支援が本来の姿に戻り、本人の尊厳が守られるのか未来に向けた視点でまとめていきます。支援の中心にあるべきものは“本人の生活と意思”支援が制度に沿って進むほど、どうしても手続きや安全確保が優先されがちです。しかし本来、支援の土台になるべきは本人の生活・意思・安心感です。どんな環境で落ち着くのか何を望んでいるのか誰を信頼しているのかどんな変化に弱いのかこうした「生活の細部」を丁寧に理解しないままでは、制度がどれだけ整ってい
2025年11月30日(日)専門職が生かされない現場の問題―なぜ支援が止まってしまうのか障害のある人の支援の現場には、本来、多くの専門職が関わっています。社会福祉士、介護福祉士、看護職、医療職、児童福祉の専門職、サービス管理責任者など、それぞれが異なる視点と専門性を持ち、本人の生活や健康、意思を支えていく役割があります。しかし現場では、この専門性が十分に発揮されないまま支援が進んでしまうことがあります。今日は、その背景にある構造的な問題を整理してみたいと思います。行政判断
2025年11月29日(土)家族を排除すると、本人の生活はどうなるのか障害のある人の生活を支える上で、家族は非常に多くの役割を担っています。日常の中で、生活のサポート健康状態や行動の変化への気づき通院や服薬の把握本人の意思や感情の読み取り長年の関係性から得られる理解など、複数の側面で関わり続けています。家族が“唯一の理解者”とは限りませんが、本人の生活の連続性や背景を最も多く知っている存在であることは確かです。にもかかわらず、家族を排除した状態で支援が進むと、最も懸念さ
2025年11月28日(金)障害者虐待防止法は、「障害者本人を守るための法律」というイメージが広く知られていますが、実はそれだけではありません。この法律の目的には、被虐待者の保護と同じくらい重要な柱として、“養護者(家族)への支援”が明確に含まれています。つまり本来は、本人だけでなく家族を支えることで、虐待の発生や再発を防ぐ仕組みになっているのです。本来は“本人+家族”の両方を支える法律障害者虐待防止法の目的(第1条)や厚労省の手引きを確認すると、この法律は以下
2025年11月27日(木)今日も、妹の状況を改めて整理しながら、「本来の支援とは何だったのか」という視点で書いてみたいと思います。これは家族だけでなく、今の虐待防止の運用や支援のあり方全体に共通する課題でもあると感じています。①施設での不適切ケアと頻発したあざ最初のきっかけは、妹の体に複数見られた“あざ”でした。妹は知的障害があり、環境の変化に強く影響を受ける特性があります。席替えや支援体制の変化が続き、その後からあざが増えていきました。本来であれば「なぜそのあざが
2025年11月26日(水)いつもブログを読んでくださっている皆さま、しばらくの間(約9日ほど)更新をお休みしていました。その間もいいねや読者登録をくださった方、気にかけてくださった方、本当にありがとうございます。おかげで、少し気持ちを整える時間を持つことができました。今日は、妹の件を通して改めて感じたことを、落ち着いて書いてみたいと思います。行政の判断に“自浄作用”はあるのか妹のことで行政から届いた文書を読み返す中で、どうしても気になったことがありました。
2025年11月17日(月)いつもブログを読んでくださっている皆さまへ。ここ最近、妹のこと、制度のこと、支援のこと…たくさんのことを書き続けてきました。書くことで整理できることも多く、届けたい思いがあるから続けてきたのですが、少しだけ、自分の中で気づいたことがあります。「本当の自分に、少し戻る時間がほしい」ということです。ずっと“戦う自分”や“守る自分”で前に立ち続けてきたけれど、その奥にいる“ふつうの私”を一度、静かに抱きしめ直す時間が必要だと思いました。決して落ち込
2025年11月16日(日)〜支援がパターナリズムに変わり、養護者支援が消えた時に起きること〜虐待防止法には、“養護者(家族)への支援”が必須であると明確に書かれています。本人を守ると同時に、本人を支えている家族も守る。これが法律の本質です。ところ妹に起きた出来事は、その真逆でした。通報が入ったその日に「措置」が決まり、養護者支援は一度も発動しなかった。私はこの違和感を、どうしても見過ごすことができません。虐待防止法は“家族排除”のための法律ではない虐待防止法は、加害者を罰
自分の心が壊れてるなぁって思う時がある時々、母との関係に触れてると思いますが深く感情が動く時に普段は避けてる黒くて悲しい心がでてくる子供を強く叱った時とか自分でも手に負えない深い闇があることに驚く母も歳をとり表面的には許してるけどこの魔物が出てくるたび辛かった過去と同じ空間に当時のままの自分がいるそんな時は他人のことが見えなくなる強くておそろしい感情ゆるせないと思うどうしてあの時私の心を壊したんだろうか自己中な母が今でも本当は嫌い自分のことばかり自分の愚痴を
2025年11月14日(金)福祉の現場でよく聞く言葉があります。「家族に専門職がいるから大丈夫ですね」一見ほめ言葉のように見えるそのひと言。でも実際には、家族支援を止めてしまう“危険な思い込み”になることがあります。今日は、妹の件を通して痛感した“家族が専門職であることの矛盾”を書いていきます。家族が専門職だと、支援が「省略」されてしまう現実看護師、介護福祉士、ソーシャルワーカー、教育職…。家族に専門職がいるというだけで、・理解できるでしょ・説明はいらないよね
2025年11月13日(木)2025年11月7日最高裁判所は、私たち家族が行った特別抗告を棄却しました。わずか一行の文書。けれど、その一行をここに辿り着くまでに私たちが積み重ねてきた想いや、流した涙の重さは、決して短くありませんでした。文書にはこう書かれていました。「本件抗告の理由は違憲をいうが、その実質は単なる法令違反の主張であって、特別抗告の事由に該当しない。」あまりにも淡々とした表現。しかし、その言葉が意味するのは、“このルートでは扱えない”ただそれだけで
2025年11月12日(水)2024年6月21日(金)を振り返ります。母と叔父は、市の担当者との話し合いの場に呼ばれました。妹が突然「措置入所」になった経緯を確かめるための、2人にとっては、初めての話し合いでした。「記録」と「事実」が食い違っていた話し合いのきっかけは、3月に行われた障害者手続きの際に残された市の記録の誤りでした。記録には「母親が家を見せたくないとドタキャンした」と書かれていました。しかし実際には、母は仕事の都合を説明し、別日に調整をお願いしていたので