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それから数年後の三月望の日(十五日、満月)、いよいよニニキネさまが、天の日嗣(あのひつぎ、皇位継承)をウツキネさまにお譲りになると勅を出されました。このおめでたい知らせに筑紫の三十二縣守も沸き立ちましたが、ウツキネさまが、アワ国の瑞穂宮(滋賀県高島市・賀茂神社)へ戻られると思うと、その寂しさにみな涙するのでした。「この日の本の国の日嗣皇子であられるウツキネさまに、これまで筑紫を治めていただいたのだ。そのことに感謝して、みなで祝おうではないか」ハデカミの言葉に、守たちも次々にうな
こうして、筑紫を治めることになったウツキネさまは、ニニキネさまが造られた井堰を見て回り、壊れているところを直しては、新たに田を広げてゆかれました。祖母のタキコさまを始めとする宗像三女神が、その昔、母親に見捨てられてつらい思いをされた宇佐の地では、タキコさまたちを偲んでことさら多くの苗を植え、皐月(さつき)の満月に春祝いを行いました。春祝いでは、ホツマ遊びの瑞穂歌がにぎやかに歌われ、ハデカミの館の門前で年が明けるのを待たれたウツキネさまのお姿を模して、門松が立てられました。これが
兄弟間のもめ事が解決してほっとしたところで、ハデカミ(船の一族)は、自分の四人の子どもたちをウツキネさまに拝謁させました。「ウツキネさま、上から、トヨツミ、トヨタマ(姫)、タケツミ、オトタマ(姫)でございます」四人が顔を上げたとたん、トヨタマ姫の瞳にウツキネさまは目を奪われました。「なんというまっすぐな瞳をしているのだ。静かで、それでいて温かい」トヨタマ姫に強く惹かれたウツキネさまは、早速、筑紫の守を集めて宣われました。「そろそろわたくしも、お后を迎えようと思うのだ
釣り針が見つかり、喜びの涙を流されたウツキネさまは、早速、ハデカミの弟シガ(福岡県志賀島)守を使者に立て、サクラギさまの元へ送りました。シガ守は、天にも届きそうな帆をたなびかせるワニ船に乗って、意気揚々と出発されます。近江に入ると、ウツキネさまの本拠地であるシノ宮(滋賀県大津市)に寄り、肩幅が広く、豊かな髭をはやしたオオヤマクイと合流してから、サクラギさまのいらっしゃる鵜川の宮(滋賀県近江八幡市賀茂神社)の門をたたきました。サクラギさまがいらっしゃるお部屋に通されると、
間もなく、翁は鴨船を手配して、ウツキネさまのもとにかけ戻りました。鴨船には、歌札を添えた目無し堅網が積み込まれています。「ウツキネさま、この鴨船にお乗りくださいませ。こちらの者たちが、ソヲ(現在の九州南部)のハデカミの館までお供仕りまする」「シホツツ、なんとありがたいことだ。礼を申す」ウツキネさまが鴨船に乗り込まれると、とも綱が解き放たれ、船は帆をなびかせて出発しました。順風にも恵まれ、ドオッ、ドオッと進んでゆく竜神さまの波に乗って、ウツキネさまは、颯爽とソヲの浜に
失くした釣り針のことを、なんとしてもサクラギさまに許していただけないウツキネさまは、がっくりと肩を落として、寄せては返す波を見つめておりました。「どうしたらよいものか・・・・・・」ウツキネさまが途方に暮れていると、どこからか、バサバサという羽音が聞こえてきます。音のする方へと近づいてゆくと、そこには、罠にかかってもがいている雁の姿がありました。「まるで、今の自分を見ているようだ」そう思われたウツキネさまは、少しじっとしていておくれと言うと、雁を罠から放してやりました
現在の琵琶湖から東の灌漑事業を終えたニニキネさまは、いよいよ本拠地を淡海(近江)に移して瑞穂の宮を建造し、西国に事業を広げる準備を始められました。正后のコノハナサクヤ姫がお生みになられた三つ子の皇子も立派な青年となり、長男のムメヒトさまにはハラ宮(静岡県富士宮市・浅間大社)、次男のサクラギさまには瑞穂の宮(滋賀県近江八幡市・賀茂神社)、二荒のウツ宮(現在の宇都宮)にいらした三男のウツキネさまには大津のシノ宮(滋賀県大津市・天孫神社)が与えられました。一方、ホノアカリさまは、ご領地・ア
ホノアカリさまとアメノミチ姫は、姫の甥にあたる、オオヤマスミ家のタクラマロを養子に迎えることになりました。オオヤマスミ家は、ホノアカリさまがアスカ川を埋め立てて田を造り、カグヤマ親王(ヲキミ)と名乗られた際に、それに習って相模の小野に新田を拓き、カグヤマ親王の名にちなんだカグの木(橘)を植えられたため、代々橘のキミと呼ばれるようになったご家系です。ところが、これを知ったハツセ姫は、「臣の家系のタクラマロをお世継ぎにするとは、何事ですか!」と大反対されました。臣の家系
スガタ姫がお宮を去られた後、ホノアカリさまは、ハヤセ姫というお姫さまを正后に迎えられました。ところが、このハヤセ姫というお姫さまは、あまりに誇り高く生きてこられたためか、少しばかりお氣の強いところがありました。ホノアカリさまが、アスカ川を埋めて田にしたことは、やはり誤りだったかと思い悩んでいらした時、ハヤセ姫は言いました。「もう、過ぎたことではありませんか。今から元に戻すことはできないのですから、くよくよせずに、次のことをお考えになったらいかがです?」「それはそうなのだが
「ああ」ホノアカリさまはため息をつくと、お宮の柱に手をついてうつむきました。「お父さまという後ろ盾を失って、これからわたくしは、ニニキネと肩を並べてやってゆけるだろうか」オシホミミさまの喪に臥して、シンと静まり返っているお宮が、ホノアカリさまの心細さを際立たせます。「お父さまが遺されたお言葉を、いつ何時も忘れないニニキネは、双方の民の間でなにか揉めごとが起きると、いつもわたくしを立てて引き下がってくれる。だが、それさえも、わたくしには、重荷なのだ」ホノアカリさまは
二月は日本に一時帰国しており、一か月以上ぶりの更新となってしまいましたあきれず、今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げますm(__)mニニキネさまの右の臣にアマノコヤネさま、左の臣にコモリさまが任命されて間もなく、スヘラギの象徴である三種神宝が、ニニキネさまにもアマテルさまより授けられました。二朝並立政権の誕生です。これを受けて、ニニキネさまは、かねてより計画していた灌漑事業による全国の新田開発に乗り出しました(『神ものがたり日本を作った指導者たち』第七章「イワ
ニニキネが最初に政り事を任されたのは茨城県つくば市の筑波山の辺り。ニハリノミヤと呼ばれた都です。広がる平野には多くの稲が実ったことでしょうその後、平地でない場所でも稲作が行えるようアマテルのお膝元の伊勢山田にて灌漑事業を起こし実証の実験をされました。どこでも稲作が行えて多収できれば国民の生活は安定します。実験は見事に成功。アマテル神より全国を巡るお許しとミクサタカラ(三種神器)を得て北は関東北陸から南は九州までと日本中を指導するために巡られました。
アマテルさまのいらっしゃる伊勢のお宮には、その日も清らかな風が流れ、小鳥のさえずりが爽やかな朝を告げていました。ホノアカリさまとニニキネさまに続き、ヲコヌシさまを始めとする三千人もの重臣たちが、祭壇に祀られている剣を背にしたアマテルさまを恭しく拝み、御言葉に耳を傾けています。アマテルさまがひと息つかれると、ヲコヌシさまが尋ねました。「人を斬る剣をも宝と呼ぶゆえんを、お聞かせ願えますでしょうか」現在の警察庁長官に当たる大物主・ヲコヌシさまの問いに、アマテルさまがお答えになり
ニニキネさまの曾祖父母であられる第七代アマカミのイサナギ・イサナミさまが、全国を馬で回ってあわ歌や稲作を広められたことは、ニニキネさまたち子孫にも語り継がれ、ヲシテ文字による記録にも残されていました。乗り法(乗馬法)を確立したのは、イサナミさまのお父さまで第五代タカミムスビのトヨケさまです。トヨケさまは、馬術のすべてを孫のヲバシリさまに伝え、一冊の書物にまとめさせました。ヲバシリさまは、アマテルさまから「乗り教ゑ人(ど)」に任命され、イフキヌシさまやソサノヲさまを始めとする総勢
ヲコヌシさまが知恵の限りを尽くされたニハリ宮がついに完成すると、いよいよ、ニニキネさまが、新宮へ移られることになりました。ヲコヌシさまとカスガマロさまが馬にまたがり、二十五人の護衛がお守りする中、民の大歓声に見送られて、ニニキネさまのお輿が筑波を出発しました。ご一行が十里(とさと、茨城県稲敷郡河内町十里(じゅうり))まで来た時のことです。あれよあれよという間に黒雲が立ち込めたと思うと、ガラガラ、ドッシャーン!と大音響を轟かせて雷が落ちました。ご一行が先を急ぎ、お宮までた
ところで、お宮の正門、羅生門(からふかど)は、どれくらいの大きさだったのでしょうか。直径三十寸(0.909m)の柱が使われ、門の幅は三百寸(9.09m)、高さも三百寸あったということですが、当時の民の平均身長が八尺(2.4m)、タケミカツチさまが十六尺(4.8m)であったことを考えても、かなり大きなものだったことが伺えます。二階部分の六十寸(1.818m)を足すと、一年の日数と同じ三百六十寸(10.908m)になります。柱の直径三十寸は、ひと月の日数を当てたものとなっており、す
お宮を建造しながら、クシヒコさまは思いました。「ニニキネさまは、我が祖父・ソサノヲが礎を築いた出雲の国をお褒めくださり、出雲のように優れた法(のり)の行き届いた国をご自身もつくりたいと願ってくださっている。そのお氣持ちに、でき得る限りお応えしたい」そして、それから一年の吉凶をフトマニで占い、お宮の瑞垣を見れば十日ごとの運勢がひと目でわかるような仕組みを考案されました。東西南北の瑞垣の一辺を、春夏秋冬のひとつの季節(九十日)に見立て、九つの門を作って、十日ごとの運勢を瑞垣で表した
ところで、二ハリ宮を建てる土地には、モグラのような姿で火を吐くオコロという生き物がいると、民に恐れられていました。クシヒコさまがかの地へ調べに行くと、あちらの穴、こちらの穴から、オコロがひょこひょこ顔を出します。「これこれ、そのようにあちこちから顔を出したり、引っ込めたりされると、どの穴に行ったらよいか、わからんではないか」クシヒコさまが言うと、しばらくして、オコロの兄弟がすごすごと穴から這い出てきました。「なんじらは、ここでなにをしておる」クシヒコさまが尋ねると、
ホノアカリさまのアスカ宮が完成した頃、弟のニニキネ(キヨヒト)さまも、いよいよご自分のお宮を持つ時がやってきたと、勅を出されました。「大物主・クシヒコの先祖が築き上げた出雲八重垣の国は、優れた法(のり)によって治められた理想的な国であった。その礎を創ったクシヒコの祖父・ソサノヲの功績は実に大きい。この偉大なる先人に習い、わたくしもぜひ、このような国を築きたいと全国を巡ってきたが、この度、誠にふさわしい地を賜った。ここに宮を建て、田を開きたいと思う。宮の名は、ニハリ宮とする」ホノア
民が困っているとの知らせが伊勢に入ると、アマテルさまは、陸路を海路に変更するよう勅を出されました。ホノアカリさまの弟のキヨヒトさまと大叔父のタチカラヲさまが勅使として遣わされ、速船で上総の九十九里浜に到着すると、おふたりは、ご一行が滞在している香取宮へはせ参じました。「申し上げます。急ぎ、磐楠船(磐のように頑丈な楠の帆船)を用意し、海路にて進むよう、アマテルさまより勅でございます」キヨヒトさまが、兄のホノアカリさまに申し上げました。「ここまできて、船に乗り換えろというのか」
ずいぶん時間が空いてしまいましたが、オシホミミさまとタクハタチチ姫さまのふたりの皇子、テルヒコさまとキヨヒトさまのお話の続きを書かせていただきます「お父さまは、なぜ、長男のわたしではなく、次男の弟に『キヨヒト』という名を授けたのだろう。『ヒト』は、スヘラギになる者のイミナ(本名)に使われるものだというのに。わたしは、生まれた時から、それほど頼りなげに見えたのだろうか」自分の中で何度も繰り返してきた疑問が、再びテルヒコさまの頭の中をぐるぐる回りました。「お父さまがあれ
シン・きー歴史沼チャンネルさんとの対談動画の第四弾が公開されました!今回はNAVI彦的な読み解きであるイサナミとカグツチの子がソサノヲ!?という話もしております!そしてニギハヤヒと対立するに至る二朝並立時代についても話しております!どうぞよろしくお願いいたします(つづく)↓対談の全記事はこちらからお願いします。key「key」の記事一覧です。navihico.com
上総の港では、ツワモノヌシさまとタケミカヅチさまの子孫である香取トキヒコ、鹿島ヒデヒコ、息栖オトヒコの三人が、ヤマトタケさまをお出迎えしました。鏡を飾った榊の葉を手にしているのは、アマテルさまを先祖に持つ大和朝廷に従う意思を表しています。事前に朝廷から趣き、ヤマトタケさまをお待ちしていた三笠オオカシマが開いた晩餐会では、日高見の指導者たちが朝廷に従わない意向を示しているとの報告がなされました。こうして、ヤマトタケさまは、皇軍とともにナコソへ向かい、急遽準備された仮のお宮に滞在される
ヤマトタケさまご一行は、東へ向かう途中、アマテルさまとトヨケさまの眠る伊勢へお詣りされました。そして、戦勝祈願をなさった後、アマテルさまにお仕えしている斎王のヤマト姫へご挨拶に伺いました。「西に続き、東の平定に向かわれるとは、よほどあなたは、アマテルさまに見込まれているのですね」ヤマト姫は感心したように言いました。「恐れ入ります」ヤマトタケさまが恐縮されると、ヤマト姫が続けました。「あなたは前世でも、アマテルさまと深いご縁があったに違いありません」「
オシホミミさまとタクハタチチ姫さまには、おふたりの皇子さまがいらっしゃり、それぞれイミナを、テルヒコさま、キヨヒトさまとおっしゃいました。ご長男のテルヒコさまは、後にアスカホノアカリさまとなられ、ご次男のキヨヒトさまは、ニニキネさまとなられます。帝王学を学ばれるために、幼い頃から親元を離れて過ごし、寂しい思いをされたオシホミミさまは、ある程度の年齢が来るまで、おふたりをお手元でお育てになられました。「わ~い、ぼくのお山、お~きくって、きらきら~!」テルヒコさまが嬉しそ
”蚕の社”木嶋坐天照御魂神社。その境内、静寂を支配する三柱鳥居。多くを閉口させるその神秘性は言うに及ばずですね。何でしょう、この魅力。数十年前、ある書籍でその存在を知り、茫洋と見てみたいな程度で。ところが微に入り細を穿つ昨日今日急に見たくなり、お呼び頂けたのか、参拝に至りました。予備知識を纏わず、不随意な邪念よ、どうか来ないで。チャチャが入りませんように。無心に手を合わせました。京は、地球における人社会の表の臍ではと感じるものがあり、陽と陰、光と影、デコとボコ、対でひとつ
『検証ほつまつたゑよみがえる縄文叙事詩』というホツマツタヱ研究同人誌の第133号には小説とあわせて論考も掲載していただきました!ありがとうございます志波彦(しわひこ)神社のご祭神である志波彦大神について磯輪上秀真(シワカミホツマ)という言葉からホツマツタヱ的にひもといてみました!↓くわしくはこちらをお願いいたします。検証ほつまつたゑ133号シワカミ考検証ほつまつたゑ133号では、論考も掲載いただきました。志波彦神社の祭神を「シワカミホツマ
近江八幡市の賀茂神社は聖武天皇が、吉備真備さん(陰陽道の祖)に命じ陰陽道により、大地のエネルギーが集まるところに神社を建て天からの光を集め、賀茂大神(ニニキネさん)を迎えたところです。ホツマツタヱによると、神武天皇以前に、ニニキネさん(瓊瓊杵尊)が、琵琶湖東岸の賀茂神社のあたりに宮を構えていたと考えられ、瑞穂(ミズホ)の宮と言われました。
河口浅間神社の奥宮である「母の白滝」をお参りしました。ご祭神は、栲幡千々姫命(タクハタチチヒメ)さんです。タクハタチチヒメさんは、オシホミミさんの奥様です。ニニキネさんのお母さんでもあります。「母の白滝」に、ニニキネの妻コノハナサクヤヒメがお姑さんをお祀りしました。タクハタチチヒメさんはオシホミミがなくなった後も、伊勢のイサワで、アマテルカミに仕えました。昇天した後は、ススカの神としてお祀りされました。
こんにちは。「たかのは占い」の持つ魅力を少しでもお伝え出来ればと思い、少しずつですが宿(星)別に性格を書いています。実は密教占星術を用いた「たかのは占い」の面白さや凄さ、魅力は個別の性格だけではありません。過去の自分に起きた出来事と、占う人の密教占星術盤(密教盤)と照らし合わせてみると、なぜそれが起きたのか、隠された原因がわかるのです。過去の出来事が分かれば何が良いかというと、その方の欠点や課題が浮き彫りになるということです。つまり「今世のテーマ」が見えるのです。