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す新連載『ノー・モア・ベッツ』は、昭和の未解決事件「三億円強奪事件」がモチーフ。事件当時、愚作者「鰯の頭」はまだ二十代。おそらく単独犯なのだろう。誰をも傷つけることなく、三億円の大金を奪った犯行に、不謹慎にも痛快感を覚えた。以来、半世紀余りが過ぎ去り。その間、愚作者の頭の片隅に存在し続けた真犯人像を。妄想小説の名を借りて、明らかに・・・■2月9日からの配信に先立ち。参考までに「三億円強奪事件」の概要(あらまし
「東芝府中工場」の給与・賞与を運ぶ現金輸送車は、既報の通り「日本信託銀行」だけでなく「三菱銀行」から発の可能性がありました。さらに現金輸送車の輸送ルートも、国分寺街道を南下する、通称「Aコース」と、府中街道を南下する「Bコース」がありました。昭文社「エアリアマップ国分寺・国立市」1992年1月版より現金輸送車が発車する「銀行」と、「コース」の関係を事件発生半年前から整理すると、下記のようになります。6月給与三菱A7月給与三菱B8月給
「三億円事件」と言うのは、「白バイ警官」に扮した犯人が、現金輸送車を止めるという犯行シーンが有名ですが、犯人は、それまでずっとその扮装で白バイを乗り回していたワケではありません(笑)犯行直前に「着替えた」のです。その場所が、「奇跡の立地」の府中市栄町2-11の空き地を利用した「第3現場」です。「第1現場」は、府中刑務所前の犯行現場、「第2現場」は、「現金輸送車」から東芝府中工場社員のボーナスの入った「ジュラルミンケース」を、「逃走用カローラ」に詰め替えた「国分寺史跡七重塔」付近。そして「
昭和43年当時は、まだ「週休2日」では無く、銀行も一般企業も土曜日午前中は営業されていました。翌週火曜(12月10日)の犯行を成功させるには、ギリギリでも6日(金)に「脅迫状」が届かないと、銀行が動揺しているかどうかの確認が前週中に出来ないため、何としても6日(金)に到着させる必要がありました。(写真:別冊宝島「20世紀最大の謎三億円事件」宝島社刊より)そこで犯人は作成に焦り、「手書き」を含めざるを得なかった上に、切手を自分で舐めて、さらに「速達」で投函したのです。
犯行4日前の昭和43年12月6日(金)午後6時、「日本信託銀行国分寺支店」に、支店長名宛の速達封書で「最後の脅迫状」が届きました。「最後の」というのは、筆跡が同一な「脅迫状」が、同年4月~8月に、府中市内で発見されていたからです。400字詰め原稿用紙2枚に書かれた「脅迫状」には、「同封の風呂敷に300万包み、窓口の女子行員が制服のまま7日(土)午後5時30分に銀行を出て、5時33分に国分寺駅北口に行き、電話ボックスの前(写真①中央:1992年撮影)に
昭和43年12月4日(水)~5日(木)に関しては、犯人は自宅で「日本信託銀行国分寺支店」宛の「脅迫状」を作成していたと思われます。事件5日前の12月6日(金)、支店長宛に一通の封書が届きました。内容は300万円を要求するもので、それが満たされなければ、支店長の巣鴨の自宅をダイナマイトで爆破する、と書かれていました。この「脅迫状」の事は、支店内の従業員全員に通達され、時限爆弾の針の音にすら注意するよう指示が出されました。結果的に、これが事件本番の「ニセ白バイ警官」を信じ
私は前述の通り、多くの盗難車両の「保管場所」を、日野市大坂上の当時「神鋼電機」工場近くの空き地、現「大坂上中学校」付近で、犯人「アジト」の最寄駅は京王線「長沼」駅(写真①②:2015年撮影)あたりであったのではないかと、推定しました。仮に、そうであったという前提で、「12月1日(日)」の犯人の行動を推測してみます。この昭和43年12月1日は、前述の昭島市宮沢町76-1(当時)の「出光」GSに「青色オートバイがハイオクタンを給油に来た」という情報や、12月「初旬」という書
以前私は、犯人の「アジト」(居住地)は、①府中以西の「京王線沿線」②日野市「平山団地」近くと推測しました。これを裏付けるかのように、前述の通り京王線「高幡不動駅」「百草園駅」近くでの、後に「ニセ白バイ」になったと思われる「青色大型バイク」の目撃談が、12月初旬に続きました。京王線駅近くに「青色バイク」を駐車させたのは、「アジト」が京王線駅近くで、他の駅にも移動しやすかったという事が考えられます。さらに、12月2~3日(月・火)ごろの午後、日野市平山1014(現・西
あくまで「目撃談」なので正確性には欠けるかと思いますが、12月初旬にはいくつかの「青色大型オートバイ」の目撃が報道されています。12月1日(日)は、前述の昭島市宮沢町76-1(当時)の「出光」GSに「青色オートバイがハイオクタンを給油に来た」という情報があります。12月「初旬」という書き方ですが、日野市落川988の駐車場(写真①:1992年撮影)に、シートを掛けた「青色バイク」が数日停まっていた、という付近の建築事務所社員の目撃情報もあります。この「日野市落川988
昭和43年11月末の夕方5時ごろ、犯行現場に残っていた遺留品にそっくりのハンチングに黒ジャンパー姿の25、6歳、身長170cm位でやせ型の男が、八王子市横山町22の食堂「三徳支店」(後「三徳食堂」→「サントクカレー」)に入るのを二度ほど目撃されました。<写真①②とも2015年撮影>男は「ビカビカ光る」ヤマハの青い350ccバイクで乗りつけ、目撃者は「デカいオートバイに乗ったヤツだな」と思ったが、事件時の報道を見た際は場所的に関係ないと思い、届け出ていなかったそうです。
犯行本番10日前の昭和43年11月30日の夜から、ついに犯人は大きな動きに出ました!犯人は複数の車やバイクを盗んでいますが、もちろん自宅の庭などには置けなかったと思われます。おそらく、行きやすい自宅周辺の複数の場所を、「保管場所」として使用したものと思われます。11月30日(土)夜、10日前に日野市平山団地から盗んでいた青色「ヤマハスポーツ350RI」を、京王線「高幡不動」駅近く、「大政寿司」(写真①:1992年撮影)の前に、一方通行と逆方向に向けて停めていました。
昭和43年11月末頃、信憑性に疑問は残るものの、昭島市付近で「あずき色ヤマハオートバイ」に乗った男が、東町の自転車店に「赤色灯」(ニセ白バイ用)2個買いに来たとか、松原町の塗料店で「ニッサンイージーカラー」(スプレー白ペンキ)2本買ったとかという目撃談もあります。“犯人が事件当時、埼玉県南部に居住した疑いがあり、埼玉ナンバーの「ヤマハ42年型250cc」を乗り回していた”という報道もありましたが、これが「あずき色」であれば、犯人である事もあり得るかと思います。
(「日本信託銀行国分寺支店」通用口写真:1992年撮影)いよいよ犯行10日前ですが、犯人はこの時点でもなお準備していない事だらけでした。未手配の主なものとしては・現金輸送車見張り用車両(のちの「第1カローラ」)・現金輸送車からの積替え・逃走用車両(のちの「第2カローラ」)・取付各部品、ラッカー等の入手含む「ニセ白バイ」の制作・日本信託銀行国分寺支店への脅迫状作り・犯行使用車両隠しのためのシートカバーなど。つまり、この時点で止めておけば、今までの車両の盗
この頃犯人は、またも平日午後から“青色ヤマハバイク”で動き出したようです。前日このバイクを、府中市住吉町3-1付近で目撃した小学5年生が、今度は下校途中の14時頃、前日より約400m西北の府中市日新町「日本電気府中工場」正門前(写真①②:2021年撮影)で、同じバイクが分梅駐在所方面(東側)に走り去るのを目撃しました。これらは、前述のリヤカー追突との日時関係から、小学生の目撃日を11月28・29日(木・金)と推定してみました。
漠然と“11月下旬”という目撃談は多く、この頃犯人にとって犯行後の逃走経路の確認・決定と、日野市平山団地で盗んだ「ヤマハスポーツ350RI」の運転操作の習熟が課題であった事は間違いないでしょう。この日も早朝から府中市内をバイクで走っていたところ、通学途中の小学生に目撃されました。府中第5小学校に通う府中市住吉町の5年生の男の子が、11月下旬に2日続けて「青色大型オートバイ」を目撃したと証言しました。1日めは午前8時頃、住吉町3-1の中央高速道と立体交差する
犯行約2週間前の昭和43年11月下旬、犯人は、犯行後の逃走経路確認のため、川崎街道を通り、府中、国分寺、小金井方面での下見を行っていたようです。11月下旬のバイク目撃談がかなりあるのです。中でも、はっきり月日が語られているのは、次のものです。11月27日午前11:00頃、府中市分梅町3丁目の交差点(写真;現在の「分梅駐在所」交差点付近)で、信号待ちしていた竹ざお行商のリヤカーに、“青色バイク”が信号無視して追突するという事故が起きました。これでは三億円事件との関
犯人は何台もの乗用車・バイクを盗みました。以前、テレビの情報番組で、犯人の自宅を「国分寺市恋ヶ窪」付近とし、その庭にこれらの盗難車を保管していた場合、当日朝、車がセッティングされていた国分寺市西元町の「第二現場」や、府中市栄町の「第三現場」、府中市晴見町団地と往復が出来るか、と言うのを運転が出来る大学生を使って実験していました。結果「出来る」となりましたが、いやそれ以前に、そもそも自宅の庭に盗難車を並べるというのが不自然でしょう(笑)日に日に駐車している車が増えて行って「
昭和43年12月8日(日)の深夜、犯人は日野市の平山団地16号棟南側駐車場(画像)から、「スバル360」のシートカバーを盗んでいます。これが本番直前、最後の犯行です。このシートカバーは、犯行当日の12月10日(火)朝、府中市栄町2-11の空き地に停車させていた「ニセ白バイ」に被せています。そして、犯行に向かうためはがした際、1部が「白バイ」に引っかかったままで、引きずられて犯行現場まで行き、そこに「ニセ白バイ」と共に遺留されるという、「数奇な運命」を辿っています。話を戻し
53年前の今夜、昭和43年11月19日(火)23:30~20日(水)07:00の間、日野市平山626、平山団地22号棟15号前の植込みより、入口前のヒバの木に鎖で前輪をつないでおいた青色の「ヤマハスポーツ350RI」<多摩い11-29>が盗難されました。持ち主のMさんは、翌週の26日(火)、立川市の奥多摩バイパスを午後5時頃走っているのを見つけ、執念で100mほど追いかけたと証言しています。これが後に犯行に使用された「ニセ白バイ」になるのですが、犯人は12月10日(火)の
まず、ほとんどの「三億円事件」マニアは、有名な“当時18歳の白バイ警官の息子”を含む、「複数犯説」を支持しています。この「少年」が犯人の場合、アリバイ的に犯行に関われない期間があるため、必然的に「複数犯説」になります。また、彼を「犯人」(の一味)と想定すると、解決されない理由は「警察陰謀説」である、という流れが作りやすくなります。多くの人が「少年説」「複数犯説」を支持する理由は、ここにあるのではないかとすら思えます。しかし私は“現存する唯一の「単独犯説」支持者”を
場所は府中市栄町3-4、府中刑務所北側の路上。時は昭和43年12月10日火曜日、午前9時21分頃の事です。白バイ警官に扮した犯人は、東芝府中工場社員ボーナス約三億円を運ぶ、日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車を停止させました。運転席の窓をコンコンと手でたたき開けさせ「(国分寺支店の)巣鴨の支店長宅が爆破されました。この車にも爆弾が仕掛けられているかもしれません!」と伝え、4人の同乗者に爆弾を探すよう促しました。犯人はこの4日前に、支店宛に300万円要求する脅迫状を送りつ
初めまして、昭和の多摩地区おじさんです。初めてブログに投稿してみます。ひとつ目のテーマは、多摩地区が生んだ戦後最大の現金強奪事件、史上空前の完全犯罪「三億円強奪事件」について考察してみます。なお、ネットで「三億円事件を」取り上げた場合、自説を持って相手を罵倒したり、見下したりするコメントが出現するケースが多く見受けられます。私も「押し付け」をしないよう気を付けますが、おそらく「犯人ご本人」では無いにもかかわらず、あまりに失礼なコメントがされた場合は、ブロックか削除を行い
息子から今日は何日と問われて三億円事件が起きた日と解答偽白バイが引きずったシートがあったなどすべては完璧ではなかったが結果成功(?)犯人...今いずこに?