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1月6日土曜日〜その25時に休眠。6時25分、目が覚める。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、のむヨーグルトプレーンで喉を潤す。『国際プロレス外伝』を読む。P210の追悼−ビル・ロビンソンの項に、ドリー・ファンク・ジュニア氏との対戦に触れている。(写真)菊水丸コレクションより、ドリー・ファンク・ジュニア選手のスナップ。
色んな時代を生き抜いて来た人だから、みんなそれぞれ思い出のテリーが居るんだよな!朝からテリー・ファンクの訃報。最後の来日は10年前の2013年10月、全日本プロレス@両国国技館。かつてのシーク&ブッチャーとの対決は70年代全日本プロレスの目玉カードでした。男女ともに熱狂させ、親衛隊が華を添え、文字通りのスーパースター列伝でした。御冥福をお祈りいたします🥲#RIPTerryFunkpic.twitter.com/GuVsE6m8Gq—taco(@70sNostalgia)2023年8
23日(日本時間24日)、プロレスラーのテリー・ファンクさん(79)が亡くなった。テリー・ファンク(以下、テリー)が日本でブレイクしたのは、1977年12月に開催された世界オープンタッグ選手権(後の世界最強タッグ決定リーグ戦)。アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組との決勝戦でブッチャーのフォーク攻撃で右腕をズタズタに切り裂かれながらも、兄のドリー・ファンク・ジュニアと共に勝利を挙げて優勝。一躍、ザ・ファンクスの名がプロレス界で大ブレイクした。テリーは日本ではベビーフェイス、アメリカではヒー
テキサスブロンコ・テリー・ファンク氏逝去。1970年代NWA世界ヘビー級王者として来日したテリー。後に同じく元NWA王者のドリー・ファンク・ジュニアとタッグを組み人気爆発。自分は兄ドリー派だったが、クラスでも抜群の人気があり、休み時間は「スピニング・トー・ホールド」合戦。ファンクスVSブッチャー&シークの対戦は放送コードギリギリ。土曜日夕方友人宅で大騒ぎしながら観たものだ。竹田和夫の「スピニング・トー・ホールド」は今聞いても上がる。引退表明
昨日の朝にネットで流れたテリー・ファンクの訃報。兄のドリーが4年前のブッチャー引退興行に来日したり、昨年のアントニオ猪木さんの訃報にメッセージを寄せていたが、テリーの姿は出て来なかったので、体調悪くて兄より早く亡くなるのではと思っていたが、案の定になってしまいました。彼の初来日は、1970年の日本プロレス。全日本プロレスの初期の来日までは、日本人対外国人の路線で悪役扱いだったが、反則をしない試合で、徐々にベビーフェイス人気が高まり、ブッチャー、シークとの戦いでその人気がさらに増幅。1979
あのプロレスに夢中だったころ、「ビバ!アメリカ!」な、”ザ・ファンクス”がいた。冷静、質実剛健といった、兄:ドリー・ファンク・Jr.、血気盛んなやんちゃ坊主、弟:テリー・ファンク。頭から流血してもフラフラになりながらファイティング・ポーズを取り、パンチを繰り出す姿は印象深い。テリーマンのモデルであることは明らかだ。熱いファイトをありがとう。さよなら、テリー。
みおのへやpoweredbyBASEこんにちは。みおのへやのショーケースへようこそ!taikokenso.official.ec【中古】プロレス&ボクシング1972年1月テリー・ファンクドリー・ファンク・ジュニア大場政夫雑誌楽天市場Gスピリッツ(vol.33)プロレス専門誌特集:王道・全日本プロレス/ドリー・ファンク・ジュニア/稲妻(タツミムック)楽天市場【中古】アントニオ猪木×ドリー・ファンク・ジュニアコア・プロレスファンが語
【訃報】”テキサス・ブロンコ”テリー・ファンクさんが79歳で死去(バトル・ニュース)-Yahoo!ニュース24日、”テキサス・ブロンコ”テリー・ファンクさんが79歳でこの世を去ったことをWWEが発表した。テリー・ファンクさんは1965年にデビューし、1970年からは日本プロレスで兄のドリー・ファnews.yahoo.co.jp24日、”テキサス・ブロンコ”テリー・ファンクさんが79歳でこの世を去ったことをWWEが発表した。テリー・ファンクさんは1965年にデビューし、19
昭和45年8月、NHK夜9時からの銀河ドラマはサスペンス・シリーズ月間。8月3日(月曜)からスタートの第1弾は英国のイーデン・フィルポッツ原作の闇からの声を放送されている。各作品、月~金曜の連続5回。以降は二谷英明主演の『影の顔』(8月10~14日)、目黒祐樹主演の『砂の城』(8月17~21日)、中山仁主演の『霧の壁』(8月24~28日)と続く模様だ。『闇からの声』は、すでに前年から黄門様となっていた東野英治郎が名探偵に扮して大活躍。そのほか、東山千栄子や水野久美が出演して
まさかな、この後たった1年半で復帰して嘘つき!ってファンから総スカン喰らうなんて、この会場に居た人誰も想像出来ないよね?TerryFunkdelivershisfirstfinalfarewellafterhis1983AJPWretirementmatch.🌟#Foreverpic.twitter.com/5Ol6kE3ZKL—VintagePuroresuプロレス(@vintagepuro)2023年7月1日テリーの復帰を
5月19日金曜日〜その1(写真)毎年、盆踊り出陣式パーティーにお越し下さっている藤井敏之さんが、6月17日に京都市左京区のホホホ浄土寺店特設リングに於いて『トークイベント猪木対ドリー、出会いと別れ…』に出演されます。数日前にチラシが届きました。ずっと気になっていますが、スケジュールが入りそうなんですよねぇ。(写真)日本プロレス崩壊の寸前のポスターは希少なり。展示だけでも見に行きたいなぁ…。(写真)藤井さんは、H17年4月15日新風舎刊『コア・プロレスファンが語るプロレス30年史アン
◆今回の〈W★INGチャンネル〉は…‥10月1日に逝去した猪木さんのレスラー生活37年余りに渡る数多くの名勝負の中から゛私見゛ながらアントニオ猪木のベスト・マッチをお話します。また,アントニオ猪木さんが1レスラーから一気に゛トップ・レスラー゛となった陰には2人の人物の存在があった,と思う。その2人とは‥…。是非,今晩配信の〈W★INGチャンネル〉をご覧ください❗️◆今日は,大相撲から《東京プロレス》でプロレス・デビューし,後に《国際プロレス》で活躍‥…(事故による)引退後はブッカーとして数々
ツイッターのトレンドに、天龍源一郎のドリーって書いてあったから、ドリー・ファンクJrのことかと思ったけど、どうやら違うらしい…😅
3月16日(水)金沢:7時起床朝食納豆、大根サラダ入浴してスーツ着用9:42出動高速道路を走り、小松市へ小松市議会川崎順次市議の質問を傍聴昼休憩議員控室に移り、各議員と懇談各会派内でも〝分裂〟となった今回の県知事選「おめでとうございます」「お疲れ様でした」互いの言葉で〝ノーサイド〟を確認川崎「やっぱ、テリー・ファンクからのメッセージ(動画)が効いたかな(笑)」川村「ドリー・ファンク・Jr.です(笑)」得票効果は未知数だが、(動画)再生回数は、安倍晋三先生
3月7日(月)金沢:8:32起床朝食納豆、ブロッコリーサラダ関係各位と電話しながら、1時間のエアロバイク漕ぎ📳📳📳🚲翌週に控えるDSGGROUPCM撮影🎥広告代理店、マネージャーと交互に打ち合わせ📳📳📳入浴してスーツ着用チョコパイ食べて、出動国道を走行し、小松市へ関係先を訪ね、選挙活動小松市役所市議会自民党こまつ控室馳浩を支援する市議と情報交換スポーツ育成課担当女史にご挨拶馳浩選挙(小松)事務所を訪問見覚えのあるご年配男性(爺さん)の顔がある川村「
テリー・ファンクが認知症を患っている報道がなされている。今年77歳。プロレスラーだと、この年齢で存命なのは貴重なこと。現役時に筋肉増強剤を服用していない証拠ではあろう。2年前のブッチャー引退興行に兄のドリーは来日したが、テリーは来ずで体調悪いのかなと感じていたが、この頃から患っていたのだろか?テリー・ファンク。彼の若い頃は好きでした。正統派で反則はしない外国人レスラー。NWAのチャンピオンだった頃までは、年1回程の来日でした。この頃でも人気があったが一気に爆発したのが、オープンタッ
続きですよポピースーパープロレスラードリー・ファンク...-ヤフオク!ザ・ファンクスドリー・ファンク・ジュニアポピー製スーパープロレスラーシリーズ歪みや変形は熱湯で修正できる程度です。かなり古い商品ですのでご理解いただける方のみお願いします。page.auctions.yahoo.co.jpポピースーパープロレスラーハーリー・レイス...-ヤフオク!ミスタープロレスハーリー・レイスポピー製スーパープロレスラーシリーズ歪みや変形は熱湯で修正できる程度です。かなり古
・今日の文章は馬場さん以外、敬称略です。・今日はプロレスネタです。T:釣りPプロレスP:プラモデル1983年テリー・ファンク最初の(笑)引退全日本プロレス/スーパーパワー・シリーズ・・と缶コーヒーのオマケのハンセン。川田が第1試合だったのか・・・覚えてなかったーーー越中がまだ生粋の全日選手だった頃。三沢はタイガーになる前。TPPすっかり縁遠くなってしまった趣味。例えば、アラフィフであれば・・・---問題---(1)間奏中や歌
懐かしいの出てきた☺️プロレスの女性記者さんの依頼でドリー・ファンク・ジュニアさんと銀座スエヒロで食事をしながら対談めちゃくちゃやさしかったのが印象的でした四股名を説明するのがむずかしかったのをおぼえてる😅ひとつひとつの意味が違うという事と字画の問題ですね😉プライベートで飛行機をよく操縦される話などなど楽しくお話をさせていただきましたまたお会いしたいなぁ✨
2日連続で猪木さん話。スカパーで昭和のプロレスをちょくちょく録画する。猪木さんだから、当然、テレビ朝日の放送がメインとなるが、日本テレビで放送した日本プロレス時代の試合の放映も解禁されている。日本プロレスの時代は、馬場さんとのタッグBI砲が取り上げられるが、この時対戦のドリー、テリーのファンクスやミル・マスカラスとの対戦が新日本時代でも対戦していたら名勝負になっていたのかと妄想してしまう。ファンクスやマスカラスは、全日本に登場したけど、馬場さんとマスカラスはシングルで対戦がないし、ファン
69年12・19ロスvs馬場インター1本目、エリックのほとんど当たってもいない不細工な低空ドロップキック2連発でフォール。修行中のゲスト解説・グレート小鹿は「あの巨体で飛ぶんですからね」。そう言うしかないわな。しかし、なんで、あんな下手くそなドロップキックをわざわざやるのだろう。それが不思議だった。2本目、馬場がロープに飛ばし、開発したばかりのフライングネックブリーカーを狙ったと思われるが、エリックが嫌がる。仕方なく、同じ技を2発目。強引にフォール。つまり、エリックは後ろ受け身
テキサスの荒馬・テリー・ファンク。私が少年時代に憧れていてプロレスラーだ。私はテリー・ファンクに憧れてプロレスラーになりたいと夢を見た。テリーの人気はプロレスラーの枠を完全に超えていた。会場には親衛隊がいて、チアガールが声援を送っていた。兄のドリー・ファンク・ジュニアと弟のテリー・ファンクのザ・ファンクスは、入場する時はいつもファンにもみくちゃにされてしまう。入場テーマソングのスピニングトーホルドが終わってしまうのではないかと思うほど、なかなかリングに上がれない。少
ドリーさんといえば"ミスター全日本"ともいえる存在。そのため、同番組を放送するテレビ朝日、すなわち新日本マットには一度しか上がったことがなく、今回もドリーさんの試合は1試合だけという変則バージョンとなった。それでも、同じ時代に生きた名レスラーの試合をドリーさんが語るという今回ならではの企画も、オールド・ファンにとっては実に興味深いところ。新日本と全日本という二大メジャー団体のスーパースターたちに繋がりはあったのか!?それぞれどんな感情を抱いていたのか!?ここでしか聞けない興味深い話を
プロレス、生でみたことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようにほんブログ村↑ポチっとお願い致します!初めて観に行ったのは、1991年。当時高校3年生。意外と、遅いです。新日本プロレス、場所は大阪城ホール。藤波辰爾のデビュー20周年記念興行だったか。馳&健介VSスタイナーブラザーズとか。ベイダーVSノートンの初対決とか。他にも長州力。武藤・蝶野・橋本の闘魂三銃士。獣神サンダーライガー。猪木が「へ・い・わ・ダー!」
スカパー!でプロ野球中継をザッピングしていたら、G+で。1970年、50年前のBI砲!至高の昭和プロレス名勝負列伝シリーズのBI砲編での1コマ。至高の昭和プロレス名勝負列伝~力道山・BI砲伝説の貴重映像一挙公開~日テレジータス日テレがお届けするCSスポーツチャンネル|CS放送日テレジータス日テレがお届けするCSスポーツチャンネル「日テレジータス」公式サイトです。www.ntv.co.jp1970年@東京体育館ジャイアント馬場/アントニオ猪木、日本プロレス奇跡の
今日の夜8時から「新日本プロレス」の”ゴールデンタイム放送”が復活しますね。長いことモータースポーツに関わって生きてきたイケノヒラにとっては・・・複雑な思いです。もちろん喜ばしいことなですが・・・。プロレスとレースは「ライバル関係」にあるのでは?と、ずっと思っていたからなのです。かつては人気があったものの、どちらも深夜放送になり、地上波TV放送から消えゆく・・・ちょうど視聴観覧人口的には同じくらいなのではないか?と、思っていたわけです。しかし、ここにきて夜8時に復活ですよ。レ
女子プロレスラーの木村花(きむら・はな)さんという人が、23日に亡くなった。まだ22歳の若さだった。株式会社スターダム(STARDOM)という団体に所属していた。木村花さんとは、この人である。↓【STARDOMofficial】シンデレラオーディション2020告知VTR-木村花ver.-(スターダムの新人募集のオフィシャル動画)この人はフジテレビの「テラスハウス」とやらいう番組にレギュラー出演していて、その番組内での共演男性とのトラブルが元で、視聴者からSNS上で激しく非難
緊急事態宣言発令中、最低限の情報だけ集めて、あとは鉄道動画なんかを見ているのですが、、今日は懐かしいプロレス番組‼️全日本プロレス20周年記念試合。60分1本勝負‼️テリーゴディーアンドレ、ザ、ジャイアントジャンボ鶴田vsドリーファンクジュニアスタンハンセンジャイアント馬場を見ながら晩御飯を食べました。最高‼️‼️‼️あの時代だからこそ、あのスタイルのプロレスで日本武道館が満員になったんだろうなぁ。何事もスピード、スピードの現代社会に於いては受けないだろうが、私はあの
1982年4月21日、大阪で行われたインターナショナル・ヘビー級選手権試合、王者ドリー・ファンク・ジュニアvs挑戦者ブルーザー・ブロディ。前年全日本で復活したインターナショナル・ヘビーを巡ってドリーとブロディは抗争。ドリーの息子ディンク君がブロディに暴行され吐血する事件があったり、ブロディの盟友ハンセンが新日本から電撃移籍してきたりでさらに抗争が激化。ブロディとジャンボの抗争が本格化するのはこの翌年からで、この当時のブロディの抗争相手はドリーでしたね。動画によるとこの試合が放送された