ブログ記事412件
いつも私のブログにお付き合いありがとうございます皆様に元気もらい感謝しています愚痴になるので気分を悪くしてしまう方はスルーしてくださいね先日、大学病院の神経内科の検査入院でスティッフパーソン症候群の疑いで、筋肉が硬くなる症状が出るので、リハビリを進められ近くの総合病院に週1で通院してますこの病院では骨折でも通院していますリハビリを受けるのには月1回は神経内科の診察を受けないとリハビリを続ける事ができません今日は神経内科の診察とリハビリがありましたリハビリを受ける前はリハビリ室の入口
やっと、難病担当医師(女医S)の予約日がやってきました。女医S先生とは、長年縁があって、内心、「他の先生に変更になればいいなぁ〜」と何度、思ったことか。😞その為には、他の曜日に受診変更したり、何か理由をつけて、他の専門医に変更してもらわないといけない。病院🏥を変えるわけにはいかないし、あ〜ぁ、どうしよう?と、何年も何度も悩みました。😞大学病院🏥なので、数年で担当変更となる可能性もあったと思うのですが、なかなかその機会がなく、縁がきれなかった。😮💨なぜ、私が、女医(S先生)をそこまで思
エコーではポリープと思われてたモノが妊娠組織(いわゆる胎盤)であったこと。子宮はキレイな状態なので移植オッケーなこと。これらが書かれた紹介状を携え、いざ再びのKLC「妊娠組織…。そうですか。相当珍しいことなので病理結果が間違ってるんじゃないですか。妊娠してたとか過去の数値(KLCでの採血記録)ではありえないですからね」……………………いや、あの。「なんで妊娠してたの気づいてくれなかったんですか?!ひどい!」とか「KLCに過失があったんでしょう?!」とか言ってるわけじゃないんすよ
いまから十数年前の或る時のことです。心が疲れていて重たい。運転したら危ないと判断、重たい足でも駅まで歩いて地方ローカル線に。それでガタゴト揺られながら座席で一人グッタリしていたら列車が停止。なにか付近で呼びかけられてる感じがする。ふと気づいたら誰かが立っていて「ん?」と顔を上げると手が届く距離に運転手が仁王立ちしていて・・・「ん?なにかあった?」と私が怪訝な反応したところ怒鳴られたのです。なんのことだか訳わからずにいると面倒くさいのか運転席に戻って発車・・・ありりりりっ、なんだ
私が占い師になったワケ(闘病記⑩ドクハラは続くよどこまでも25歳~28歳)私が占い師になったワケ(闘病記⑩ドクハラは続くよどこまでも25歳~28歳)|鈴木あろは実は前回、大学病院の医師に私がレントゲン写真を盗んだのではないだろうかと言う暴言を吐かれ、都内の大学病院へ通うのをやめたと言う記事を書いたのだが。この話には続きがある。2005年11月21日。私は2004年5月6日に生まれて初めて右ひじに水が溜まり、都内の総合病院の整形外科を受診しており、レントゲン検査で骨に異常がないと言
それからその病院には行けなくなったので、しばらくはニキビに効くスキンケアで対策をしていました。しかし、成分など無知だったので、とりあえずアクネケアと書かれているの商品を使っていました当然、改善は見られず・・・病院は怖くなっていたんですが、どうしても綺麗になりたかったし、プロに頼るしかないと職場の先輩に教えてもらった別の皮膚科に行ってみることにしました。前の病院での経緯を話し、ステロイドは一切使いたくないと伝えました。すると、ケミカルピーリ
大学4年生辺りから人気の皮膚科に通うようになりました。そこでの処置は、LEDみたいな暖かい光を何分か浴びて、赤い大きなにきびは潰され、膿を出すために、指でぐーっとつままれましたこれがめちゃくちゃ痛くて……でも、治すためだ、綺麗になるためだと思って耐えてました内用薬として、強力な抗生物質と抗生物質で荒れないように胃薬みたいなもの、外用薬としてクリームみたいなものが出されました。この外用薬がですね、ステロイドだったんです・・・ステロイドは短期で使うならとてもいい薬みたいです。しかし、私
「事務所にすぐ来てくれ」と内線が入り、急いで行ったら、事務所の床が血だらけでした。父を見たら、材料屋さんの不手際で置いたままにしてあった鉄屑で、切った足から血がダラダラ噴き出ていました。バクバク鳴ってる心臓の音を隠しながら、真っ暗な道、車を運転して2人で病院へ行きました。病院へ着いて、人気のない治療室に入り、「いやー、先生、従業員でなかって良かったです。私で」と言っている父の声を聞いて、「あー、この人が私の上司で良かった。この人を
あー、今が一番幸せやー。会社も順調で、めーちゃんが、会社してくれて、ゴルフが出来て、君たちに欲しいと言われる物を2つ返事で買ってやれて、最高や!泣き虫で、甘えん坊の末っ子で、身体も弱くて、心配ばかりかけてた私が、やっと父の事を幸せに出来た日でした。「あ~、私は、この為に、この人の元に産まれてきたんだなあ」と、本当に幸せな気持ちになりました。1997年2月22日父60歳のお誕生日、大雪の中、ゴルフコンペを大好きな友達
私の人生「生まれ変わったら、めぇちゃんになりたい」と言ってたね、お父さん。天国に行ってから、18年、上から見た私の人生、こんな目にあった私だけど、今でも私になりたいですか?私は、もう嫌かも・・・。ふふふ。もうすぐ2023年も終わりますね~。56年生きてきて、最高の年の終わりかもしれません。来年からは、素晴らしい日々が待っているようです。楽しみだなあ。初めてブログを書いてみようと思います。20代鉄工所の仕事に邁進30代2代
YouTubeのタイトルをアメブロと同じにしました。最初の設定を、間違えただけです笑☺️ごめんなさい🙏本来は、早く話せるのですが、いまのところ、ゆっくりペースでお話ししておりますm(__)mすみません🙇♀️実は、歌が好きなので、必ず一曲、少しだけ、小さな声にて歌を入れています♪そのお話に合うかな…と思いながらアカペラにて歌っています☺️いまは、登録者数は、4人しかおりません😅4人の方に、お礼を申し上げますm(__)m何せ、薬害で足が痛いので、長時間お仕事するこ
ミスドのココナッツチョコレートが大好き♥️今日はメンクリ行って主治医の言葉に傷付き帰宅途中にミスドに駆け込みましたでもこの後にHappyな出来事があったので一日の終わりまで諦めてはいけないですね
私には、よくわかりませんが、病院同士の連携は、無いのでしょうか?…紹介状を持ち、希望の病院へ向かいました。紹介状を看護師さんに渡しました。看護師さん「いま、いっぱいで、2ヶ月待ちなの」私達困る。何度もお願いしましたが、門前払いでした。一度、家に帰宅。主人が病院を探してくれました。その病院は、「2日間だけ、待ってください。入院準備をしてきてくださいね」ありがたい😢その2日間、私は、布団でぴょんぴょん、跳ねていました。主人に「助けて!助けて!」と言いました。主人と勝
他のご病気をなされているお方…ましてや、精神患者に対して「死ねばいいじゃねぇか〜」今でも、トラウマです。………私は、慌てて、病室のベッドに戻りました。隣のベッドの方に、○○医師が、来ていました。その○○医師に、変えてもらいたかったのですが、⚫️⚫️医師がやってきて、「ほ〜ら!○○先生に診てもらいたいんだろう笑笑笑…」その○○先生と、腕を組み、ランラランララ〜ンと、スキップして行きました。○○先生は、苦笑いでした。(次期院長候補)私は、すぐに、主人に電話しました。私「死
私は、看護師さんに、もうかれこれ、約2ヶ月、眠れていない…そして、薬が一粒しかない事を伝えました。看護師さん「⚫️⚫️先生に、相談してごらん!」約2ヶ月、2時間睡眠しか出来なかった私…全身の血管が膨張してきて、限界でした。⚫️⚫️先生に不信感が、ありました。廊下で⚫️⚫️先生を呼び止めました。私「先生!私、もう2ヶ月も2時間しか眠れていません!薬をください!」⚫️⚫️先生「だってあなた、足がおかしいんでしょう」私「もう限界です!私、死んでしまいます‼️」⚫️⚫️先生「死ね
あれ??考えてみると、あんなに大量に飲んでいた薬…一粒しかない…眠れない……何故だろう……眠れない眠れない眠れない…1週間経ち、私は、一般病棟の一番奥の部屋に、移動しました。つづく…
普通の部屋一室が、私の隔離部屋になりました。いつも、顔馴染みの看護師さん達…優しい……トイレ付いてないから、ささっと行ってね。その通りにする。考えてみると…約一カ月…殆ど、2時間睡眠だったなぁ…と思い返す。ん??私の部屋は、一番奥の部屋……担当医と若い男の子患者さん…ん??「のんびりと〜〜ゆっくりと〜〜ゲラゲラゲラ〜〜」ん??私の部屋の前で……じゃれあっている??担当医師に不信感を持ちました。つづく…
ドクターハラスメントであり、インフォームドコンセント違反であり、セカンドオピニオン希望に対する病院の規律遵守姿勢であり、その他モロモロ。本来的に機能して然るべき医療側の倫理観が機能不全を起こしている状況下において、患者は医療提供側の何を信用することが出来ると言うのか。がんの"所感・所見"にイチイチ、ビクつくことは無い。ビクつくのは信に足りない人間の診療行為によって導かれた「所感・所見」であり、ハラスメント行為であり、信に足りない提供側に身を置くことによる我がを省みたときの不条理感であり
さて、ここをお訪ね頂ける教養と智見あふるる皆さんのこと、わたしが書くことなどは既に目新しいことはなく、ふんふんそういう感じね~程度に落ち着けて頂けていることと存じます。ついでに書かせて頂ければ、ここまでの原稿の散りばめ方から「あなたは何がしたいのですか」という十数年前の出来事を綴った原稿の意味までご理解いただけているものと存じます。こういうところは実に素直にできておりまして、お運びの全員が全員"読んでいる"前提しか考えないのがお目出度い私なのでございます。全員読んでいるという前提。まさか
完全にトラウマだわな!続報!!もうね、あなた喋るのやめた方が良いのではないだろうか。どうしてあなたそうやってポジションやマウントばかり取ろうとするのかねぇ(笑)どうして申し訳ありませんから始められないかネェ。まぁ、今更電話でそんなものは聞く気もないのだが。「麻酔科の診察の日だったのに、それで来なかった?」「はい。具合が悪かったものですから。」■私は本日08:58に病院の予約変更窓口の「Nさん」に電話をし、6日の14時半に変更予約を取っている。事情もキッチ
<妊活経緯>●2013年(33歳)ピックアップ障害の疑いで腹腔鏡手術後、タイミングにて妊娠●2014年(34歳)第一子男の子出産逆子で帝王切開●2019年(39歳)自然妊娠→稽留流産●2022年(41歳)息子が妹が欲しい名前はなっちゃん!との言葉をきっかけに、保険適応になったこともあり、第二子妊活へ。●2023年(42歳)体外受精にトライ中2回採卵、初期胚1個凍結4月→移植キャンセル5月→子宮頸管形成手術→ホルモン補充周期で初期胚の初移植→判定日陰性6月→3回目の採
人間ね、みんながみんな己の「利」のために「理」を振りかざすなどとは考えない方がよろしかろう。たとえ損だと分かっていても揺るぎのない大義とイデオロギー、アイデンティティーに裏打ちされたものであるのなら、引くべきではない。後悔せぬ前提が機能しているのであれば進むのも手。結果的に何千人の命を救うことになるやもしれず、結果的に業界の間違いをただし、業界を救うことになるかもしれぬ。自分にとって損か得かを考えるのか、大義にとっての損か得かに基づくのか。人間の肚の太さの違いはそこでしかない。
本稿はその役割を終えたので下書きに入りました。
役割は終えたので、原稿は下書きに入りました。
我が実弟が先月から入院をしている。東京都内の大病院なのだが、この病院が明らかに宜しい。心の底からの感謝を示すことが出来る対応なのだ。わたしがお世話になる"地域密着型医療施設"と比較をするつもりはないが…いや正直なことを書くなら比較せざるを得ないのである。興味を持てる方だけがお付き合い頂ければ有難い。どの道、辛気臭い病気の話し。興味が持てるのは同病を抱えるか、同輩筋となるだろう。我が実弟は5年ほど前のことになるが、54歳になる年に糖尿病が悪化、多臓器不全に陥り意識不明重体によって救急
はじめに人間の尊厳______命に最も近いところにいるべき高邁なる職業倫理に裏打ちされて然るべき人間が患者の体をディスり心を傷つける。自分たちにとっての都合が優先され思うようにならない患者。インフォームドコンセントを機能させることなく、患者、医者間の合意形成すらぶっ飛ばし思うようにならなければ傷つけることも厭わず。そんなものは仁術ではなかろう。久しぶりに心底怒っている。義憤に駆られるのである。◆医者の言葉であったとしたらどうだろう。「あんた
すぐ解決したいけど、相手が多忙な場合。それも、私のせいじゃなく、相手のこと。今時代、あんなキツい言葉のメール、よく私に送信できるよね。信頼して、41年だよ。本来なら、切りたい。精神的に良くない…のは、わかっている。数日、悩み続けています。あと数日で、解決するかな…みぞおち痛い。ロラぜパム、ナウゼリン服用。それにしてもいのちの電話、繋がらない。
いつもご訪問ありがとうございますイイネ、コメント、メッセージ、フォロー、とても励みになっておりますっっいよいよシリーズも10章に突入です。まさかこんなに長くなるとは……💦でもまだ全然序盤なんですよね💦振り返ってみると色んなことが起きていたという訳ですね。これでも端折ってる所とかあるのでそのうち番外編も出てきたりして目標は本にすることか前回は、モヤモヤが残るものの何とか身体障害者手帳を手にすることが出来ました。前回の記事:『病名がわかるまでの??年の軌跡⑨~出禁扱い病院の