ブログ記事48件
トマス・アクィナス(1225-1274)トマス・アクィナスは神学と哲学の両方勉強し、矛盾しないことを証明します。キリスト教神学をアリストテレス哲学で体系化した人物。神は材料と法則と理性を創造し人間に提供し、人間はそれを自由な意志で使った。あらゆるものは神が作ったけど、使う自由は人間にある。ってことだけど、これは黒死病(ペスト)大流行前。空想の限界だから、チャッピーの力を借りると、神は意図的にペストを作らない。人間のなんらかな作用がペストと言う悪を生んだと考えられた。ペスト
中世の哲学者トマス・アクィナスによると、私たちは憎しみ(嫌いという広い意味)を抱くと、その嫌いなものを避けようとする場合”忌避(きひ)“の感情が生まれてきます。この嫌いなものとは、何らかのものや人や事態のことですね。でも結局避けることができずに、嫌なものと関わらざるを得ない場合に“悲しみ”が生まれることになります。嫌いなものから離れたいという思いが忌避の感情となりますので、これは未来に向けた感情ですね。避けることができずに嫌
善いもの(魅力的なもの)に関わる感情を時間軸でとらえてみるとどうなるでしょうか。中世の哲学者トマス・アクィナスの考えによると、まず何かを好きになる、好感を抱くと、「愛」の感情が生まれます。次にその好きになったものに対して欲しいと願う「欲望」という感情が生まれてきますね。ですから、欲望はまだ手に入れていない“未来”のことになります。そしてそれを獲得できたら、「喜び」という感情が生まれてくるわけですね。そのため「喜び」は“現在”という時間軸になり
イブン=ルシュド(アヴェロエス)(6)ユダヤ人における影響同時代のマイモニデスは、イブン・ルシュドの作品を熱狂的に受け入れた初期のユダヤ人学者の一人で「イブン・ルシュドがアリストテレスの作品について書いたものをすべて受け取った」、「イブン・ルシュドは極めて正しい」と述べた。また「アリストテレス...nyabecch.blogspot.comイブン=ルシュド(アヴェロエス)(6)-オリエント思想nyabecch.blog47.fc2.com
【哲学第71回】オッカム——「イエスとは何者だったのか?」と問い続けた改革者14世紀、教皇庁がアヴィニョンに移され、フランス王の支配下に置かれたことで、カトリック教会は急速に世俗化し、権力闘争と利権にまみれていきました。その只中で、「これは本当にイエスが望んだ信仰共同体なのか?」と鋭く疑問を投げかけた思想家がいました。それが、フランシスコ会の修道士であり、神学者であるウィリアム・オッカム(1287頃–1347頃)です。■信仰共同体への根源的疑問オッカムが最も強く抱いていた問題
【哲学第70回】オッカムvsアクィナス──“理性”と“信仰”の決裂点中世の終わりと近代の始まり──その扉を静かに、しかし決定的に開いた哲学者がいます。ウィリアム・オッカム。今回は、彼の思想の核心に迫るため、トマス・アクィナスとの思想的対立を軸に読み解いていきましょう。■対立の核心:アクィナスとオッカムの思想的断層哲学の大きな分岐点として、以下の3点が特に際立ちます。①普遍論争:実在論vs.唯名論オッカムは、「無用な形而上学」を徹底して排しました。アクィナ
ギリシャ哲学のキリスト圏/イスラム圏文化への影響をまとめてみました◆ギリシャ哲学・キリスト圏で抑圧(ギリシャ系大学閉鎖)・イスラム圏で発展(教授がアラブ圏へ逃避)・キリスト圏で復活(12世紀ルネサンス)◆神学への影響・キリスト教神学に影響(トマス・アキナスが体系化)・イスラム教神学に影響(イブンスィーナーが体系化)◆翻訳の経緯・ギリシャ語→アラビア語→ラテン語の順で翻訳
【哲学第66回】哲学は神学の“はしため”?―トマス・アクィナスとスコラ哲学の功罪9世紀から14世紀にかけてのヨーロッパは、ローマ・カトリック教会の強大な支配下にありました。信仰を中心に据えた社会の中で、「神学的真理」と「哲学的真理」は果たして両立するのか、それともどちらかが優れているのかという問いが真剣に議論され始めます。この時代、両者が矛盾しないとする立場、すなわち「二重真理説」が浮上します。しかし当然ながら、キリスト教会側としては神学の優位性を保ちたい。そのため、神学を理性の装い
【哲学第59回】キリスト教を拡大させた3人の思想家たち:まずは「パウロ」からキリスト教という世界宗教を築き上げる過程で、歴史に決定的な影響を与えた3人の思想家がいます。それがパウロ、アウグスティヌス、そしてトマス・アクィナス。今回はこの中でも最初の人物、パウロに焦点を当てます。歴史学の視点からも「実在した人物」として高い信頼性をもって語られる彼の足跡をたどり、その生涯、思想、そして彼の果たした役割を紐解きましょう。■パウロとは何者だったのか?本名サウロ(ヘブ
こんにちは!占星術師の中田です🤗13世紀のヨーロッパに生きた神学者であり哲学者のトマス・アクィナスの正義についての考えを、山本芳久著「トマス・アクィナス理性と神秘」(岩波新書)を参考にしてお伝えしたいと思います。トマス・アクィナスは、著書「神学大全」の中で、「正義とは、この世界において、共に生きている他者の善を適切な方法で配慮する意志の力である」ということを述べています。ここでいう「善」とは、倫理的な善悪の善というよりも、“
こんばんは麦野です。昨日も一昨日も勉強できずでしたが、今日は家で頑張りました!正義について、アリストテレス・アクィナス・ロールズを読んでいました。レポートもだいぶ書けましたが、アクィナスについてもう少し加筆したいところ。今持っている本ではあまりアクィナスの正義について触れていないです。。。明日横浜市立図書館に本を探しに行きたいと思いつつも、雨らしいので悩み中です。今度の土曜日に三田キャンパスの図書館でいいかな・・・。レポートの締め切りは20日なので、土曜日でいいかな。。。
中世の神学者トマス・アクィナスによれば知性と理性は異なって、前者は直感的に全体を把握する能力。後者は推論的・過程的・分析的に掴みとる能力を指す。神と神の使いである天使は直感的に、直ちに全てを認識し、把握する。いっぽう人間は赤子が言葉を覚えるように、部分的にひとつひとつ経験して、あれこれを学んでゆく。とはいえ、人間も直感的な知性の働きを持たないわけではない。それどころか人間のあらゆる認識において、知性は不可欠の役割を果たしている。トマス・アクィナスは古代ギリシャの哲学者アリストテレスに
ラテン語をかじったことのある人、これからかじってみようと思っている人、英文法の得意な人は、このブログのラテン詩を読むことができるでしょう。ウェルギリウスウェルギリウスの墓と碑文〔参考訳〕マンツアが私を産んだ。カラブリア人(=ギリシア人)たちは私の命を奪った。今は、パルテノペー(=ナポリ)が私を保ってくれている。私は、牧場(=牧歌)と田園(=農耕詩)と武将たち(=英雄視)を歌った。アエネイス序歌〔参考訳〕戦いと男について私は歌う。その男は最初にトロイア
デジレ=ジョセフ・メルシエ枢機卿デジレ・フェリシアン・フランソワ・ジョセフ・メルシエ(1851年11月21日-1926年1月23日)は、ベルギーのカトリック教会の枢機卿であり、著名な学者でもありました。トマス主義の学者であった彼は、幾つかの作品が他のヨーロッパの言語に翻訳されました。彼は著書『現代心理学の起源』(1897年)で知られています。彼の学識はローマ教皇から認められ、メヘレン(マリーヌ)大司教に任命され、1906年から死去する迄その職を務め、1907年に枢機卿に昇格しました。
にほんブログ村愛していると伝えてますか、、、。ブログ訪問ありがとうございます。夢を実現させるために常にあなたと向き合っていくコーチングTêteàtête(テタテットゥ)です。愛していると伝えていますか。はずかしがらないで「愛している」と伝えてください。いつかは約束ではありません。愛していると伝えてください。誰かを愛することは、その人に幸福になってもらいたいと願うことである。イタリア(シチリア)の神学者/トマス・アクィナスの言葉トマス・アクィナ
2024年6月8日土曜日。本日午後3時から4時半までNHK文化センターのオンライン講座キリスト教神学入門:トマス・アクィナス『神学大全』を読むを受講しました。2年前からお世話になっている東京大学教授の山本芳久先生のオンライン講座です。今年はいよいよ山本先生の研究の本丸と言うべき聖トマス・アクィナスの神学に挑戦しています。と言ってもこの講座はやはり難しい。今までの「使徒言行録を読む」「創世記を読む」のような聖書の購読ではなく、中世最大の思想家トマス・アクィナスの神学・
愛は自分自身の愛する能力にもとづいて、愛する人の成長と幸福を積極的に求めることである。[エーリッヒ・フロム(ドイツの社会心理学者)の『愛するということ』より。]愛することは、その人に幸福になってもらいたいと願うこと。[トマス・アクィナス(中世のイタリアの神学者・哲学者)]他人に対しても自分に対しても親切であること。人の生きるのを助け、自分自身の生きるのを助けること。これこそ真の思いやりである。[アラン(フランスの哲学者)]※いろんな形の愛があると思うが、上で言うように、相手のこ
『神曲』の『煉獄篇』は、煉獄島にある煉獄山で起こった出来事を記録した物語です。そして、その山の石段を「ことごとく登り切って、一番上の石段に立ったとき(原文は下に添付)」、眼前には、厳しい浄罪を終えた霊魂たちが天国へ昇るための支度をする憩いの楽園が広がっていました。その楽園のことを、私たちは「エデン」と呼んでいます。『神曲』にも、確かに「エデン」は存在しています。しかも、そこの楽園は、世界中のあらゆる文学に描かれたエデンよりもはるかに美しい光景をもっています。しかし不思議
存在するものは、みな良きものである。[トマス・アクィナス(中世ヨーロッパの神学者・哲学者)]この世はすべて美しい。[釈尊(仏教の開祖)]心が開いている時、この世は美しい。[ゲーテ(ドイツの文豪)]心暗きときは、すなわち遇(あ)うところことごとく禍(わざわ)いなり。眼(まなこ)明らかなれば途(みち)にふれて、目にふれるものはみな宝なり。(語注:・心暗きときは=心が暗い時は。・すなわち=則(すなわ)ち。△漢文においてそのあとにその結果を述べる文脈の際に添える語であり、特に言い換えな
初夢ってーと、「一富士二鷹三茄子」などと申しまして、縁起物ということで、「一富士二鷹」までは何となく分かる。どうして3番目が茄子なんでございましょうか。2024年新春、ちょっと落語調に始めてまいりました。一説には、駿河(するが)の名物を順に挙げたとか、高いものを順に並べたものというものもあります。初茄子の値段がたいへん高価だったとか。「秋茄子は嫁に食わすな」という言葉もあるくらいです。食卓を富ます秋茄子に対して、トマス・アクィナス(1225頃―1274)はキリスト教神学を充実させました
先日たまたまYouTubeである受験関係の動画を目にしました。私の周りに受験生がいるわけではないのですが、先日、キリスト教主義学校として有名な恵泉女学園大学が来年度の新入生募集を停止すると発表したこともあって、少し興味を見始めたのですその動画では最近10年ほどの間に閉学となった私立大学数校について受験産業関係会社の従業員らしき2人が話し合っていました。聖トマス大学は英知大学として1963年にカトリック大阪大司教区によって創設された大学でした。創設当初は神学部神学科の単科大
カトリック信者になると決意した中学3年生で書きましたが、洗礼式を執り行ってくださった神父様は洗礼名を自分で選びなさいとおっしゃられました。でも、聖人の名前など全く知らず、昔はインターネットもなく、困って、兄に相談したら、何のためらいもなく、「トマス・アクィナスかアウグスティヌスはどうだい?」と言われ、僕と同じ時に洗礼を受けることになっていた友達とも話して僕が「トマス・アクィナス」友達が「アウグスティヌス」にすることにしました。トマス・アクィナス-Wikiped
中高の親友、大学哲学科の親友、同い年の従兄弟、同い年の4人で本当に久々の再会!!楽しかった!!大学生の頃は全員でよく夜通し語り明かしたり、色んなことをしたものだった。==中高の親友は、学年でも短距離が一番、二番に早く、体育祭でも大活躍、バスケ部のレギュラー重鎮、なのに超文学的・言葉志向の男で、同級生からは当時の眼つきの鋭さと寡黙な雰囲気から「ゴルゴ」(?!)と恐れられていた。国語の教諭として活躍している彼の今の柔らかな物腰とやさしい語りをきいたら多分、当時の同級生たちはきっとびっくり
誰かを愛することはその人に幸福になってもらいたいと願うことである―トマス・アクィナス―
お手伝いさせていただいている合唱のリハーサルで本郷三丁目へ!夕方帰り際に東大の周りの古本屋に行くと土曜ということもあってか閉まっているところも多く、医学書や法学書の専門の店はさすがに入らなかったが、大変大きな収穫があってさすが東大本郷周り(?!)だと感激している。===「トマス・アクィナス研究(没後七百年記念論文集)」、松本正夫/門脇佳吉/K・リーゼンフーバー編には、かつて直接にお世話になった先生方を含む古代中世のそうそうたる方々の貴重な論文が含まれている。トマスの存在論に
今回は、《【存在論】の成立》について考察して参りたいと思います。なぜ、どのようにして【存在論】が西洋で成立し、発展していったのかを「ユダヤ教」と「キリスト教」の歴史に焦点を当てて、考えて参りたいと思います。①トマス・アクィナス(1225頃-1274)によるモーセ解釈②キェルケゴール(1813-1855)によるイエス・キリスト解釈4人の教えと解釈を簡単にですが、整理して参りたいと思います。[1]トマス・アクィナスによるモーセ解釈13世紀の
とあるきかっけがあってアウグスティヌスの著作に再度対峙している。アウグスティヌスやトマスの言説はゆっくり読み解く必要がある。学生時代にラテン語の習得と同時並行でトマスを読み始めたときは、最初は一日かけて数行しか読めなかった。文法的にとりあえず読む以上に深い思弁的な言説を自分の中に落とし込んで妥当な理解を自分の内側で統合するのにも時間がかかった。しかし、それだけ時間をかける価値のある気づきと理解が必ずあった。なにより、七百年、千五百年前の優れた魂のうごき、思考を自分の現在の中に再現、創造し、
ヨハネ13章31~35節「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」。愛するとは何か?ある人は「死んだ時に泣けた」としたら「愛していた」と言ってもいいのでは?と言いました。でも泣けるかどうか?は、こちらの精神状態にもよります。ショックが大きすぎて涙もでない。こんな時に涙も出ない自分は余程薄情じゃないの
ハイデガーの孫弟子でもあり、彼が日本に来る際にはドイツの知性の大きな損失(?!)とまでいわれた、クラウス・リーゼンフーバー師が亡くなった。十代の終わりに大学の哲学科で西洋中世のトマス・アクイナスなどの著作に出会い、深い啓きと救いを得たとき、現代哲学や禅にも通じ、中世思想やトマスなどの研究者の巨人として知られるクラウス・リーゼンフーバー師が日本におられることに驚喜した。精緻な著作と膨大な研究量から、大きなお腹の巨漢だったというトマスのような体形の、眼光の鋭く威圧的な雰囲気を持つ
ÉcoledesRacines千枝です今日は春分の日お花もそろそろ咲いてますね先日までエーリッヒ・フロムの『愛するということ』を読んでいたのですがなんとなくその流れ?で哲学の本を読んでいますトマス・アクィナス『神学大全』なんとなく習った覚えがあるけれど…程度で読みはじめたのですが哲学者と大学生の対話形式で書かれていて読みやすくて面白かったですトマス・アクィナス(1225頃〜1274)は中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者、カトリック教会の聖人“欲求されうるものに