ブログ記事843件
今日のスマナサーラ長老の法話は、「無我」を知る・理解するためのお話です。生きることが大変なのは、私たちが持っている自我という心のシステムから来ているのです。そして自我は心のシステムが創る錯覚でもあるのです。=無我。これを知るということは、人生を愉しむために必要な唯一無二の方法を知るということなのです。しかし今まで真剣に自我の観察や無我の勉強をしたことが無い方ににとっては、非常に難しく理解しがたいものでもあるのですね。理解出来るまで苦しむのは嫌でしょうから、「私というものは無いんだ」という前
こんにちはYinYoga瞑想コーチ&ヒプノセラピスト山脇節紀です先週末、アルボムッレ・スマナサーラ長老の「一日瞑想法話会」に参加してきましたこの一週間はその余韻に浸って過ごしておりましたそして、会場でいただいた協会機関誌「paṭipadā(パティパダー)」に目を通すうちにわかりやすいな〜、毎月読みたいな〜、と思って「日本テーラワーダ仏教協会」に入会してしまいました。(年会費5,000円はリーズナブル)初めてのアーティストのライブに行ってファン
完璧が無いから世の中があるByスマナサーラ長老ただしkoko言語バージョンスマナサーラ長老のご法話って後から他の人に聞くとなんかみんな微妙に受け取り方っていうか言語置換が異なるんですね。解釈の違いというより頭の中の配置言語の違いかなーてみてるんだけど。だから同じ法話聞いてても自分の記憶に留めるワードがなんだか各々違うっぽくてでも向かう先は一緒でだからあんま気にしないお釈迦さまの言葉は残ってるわけだしスマナサーラ長老と一緒にいられて1番のご利益…いな効能…
管理職の役割とは、学べば理解できるかも知れませんが、煩悩で生きている私たちには、その役割を自分の役目として主観的に捉え、最終的にその目的を果たすことは非常に難しいのです。それは人間に煩悩(貪瞋痴)があるからです。自我があるからと言ってもいいでしょう。感情から抜けられず、理性で生きることが出来ないからです。また渇愛があるからとも言えますね。心は基本的に自分が気持ち良ければいいのです。いつまでもずっと生きていたいのです。自分では感じていなくても結果的に自分さえ良ければいいのです。この人間の心のシ
私たちは、真理を知らないのに、自分は正しいと思っていることを知ってください。思考・妄想の罠【抜粋】色声香味触にふれること以外にも、人は思考・妄想もするのです。思考・妄想のテーマは、「いかにして好ましい刺激を得られるのか?いかにして嫌な刺激を避けられるのか?」です。思考・妄想は、ウィルスのように増殖しながら続いていきます。欲の思考が起きたら、あっという間に欲の感情が増えてしまうのです。しかし、色声香味触にふれていないので、満たされない、観念的な欲になります。怒りの思考・妄想は、怒りの感
今スキー習ってる先生おじいちゃんやねんけどおじいちゃん言うたら失礼かなせやけどおじいちゃんやんな。スキージャンプ場からイベントで頼まれてパラグライダーでスキー履いたままそのまま滑空するようなそうゆう人。今とちゃうで昔やで。んでその人がやなどんな小さな大会でも良いから地域の小さなイベントでもなんでも良いから一番をとること。それが重要なんです。て仰った。野外教育にも携わってらっしゃるから子供達に伝えることとして恐らくそうゆうのがあるんやと。それはスキーに限らず
昨日ねぇゴータミーLINEに22歳の若者がもっと仏教広めたい!皆さんの意見を〜!て感じの流れで何人か意見書いてらっしゃりじゃkokoも!て思ってうーん、て今あれこれ考えてるんだけどなかなかカッコいい回答が思い浮かばずこんな性格なもんでLINEのスペースでは伝えきれん〜て思いじゃ、慣れてるブログで書いてみるかー↑イマココkokoさんはアラフォーの30代30代後半の女性若い〜ってわけでもオールドエイジでもどっちでも無い微妙な年齢域テーラワーダで学び始めて5
みじめな忙しさ【抜粋】俗世間的には、忙しいことをポジティブに評価しているようです。どんどん仕事が入ること、商売繁盛することなどを考えて、忙しいことを「ありがたい」と判断するのです。人がやっているすべての行為は、生きているからこそ成り立つものです。これまで考察してきたように、生きるとは、良い刺激を求めることと、嫌な刺激を避けることです。これは終わりのない作業です。人は刺激の奴隷なのです。刺激に支配され、貪瞋痴に指図されて生きることほど、みじめな生き方はありません。感情の奴隷である限り、人に自
死ぬまで忙しい【抜粋】死ぬまで、人は生きています。「生きている」とは、すなわち貪瞋痴の感情を惹き起こす刺激を求めることになります。その刺激は、色声香味触に触れることから現れるのです。一切の現象は無常です。しかし、人はその事実に目覚めないのです。刺激によって欲の感情が起きたら、楽しくなります。でも、その感情は簡単に消えてしまう。また、その刺激を作らなくてはいけないのです。「無常」とは一切現象の変わらない法則なので、刺激を求めて努力する生き方には終わりはありません。ですから、私たちは死ぬまで
前回の続きです。危機の発見【抜粋】五欲に触れて生きている、という事実には誰も注意しないので、私たちはいとも簡単に危機に遭遇するのです。眼耳鼻舌身に色声香味触が触れたら、触れたことを感じます。人はこの感覚を苦・楽・不苦不楽に分けて、区別するのです。この出来事は瞬時に起こるので、ヴィパッサナーの実践をする人以外、発見することはできません。はい、ヴィパッサナーが出ましたね。自分の身体と心を四六時中観察する事が、真理を知る唯一の実践方法ですから、世間一般の人には五欲に触れて危機に遭遇するのだと
承前。日本だけではなく、世界中にはもっとたくさんの仏教宗派があります。仏教の開祖であるゴータマ・ブッダ自身(=釈迦、『尊称』を付けて釈尊)が活動したのは、紀元前500年前後(同じ頃、中国では孔子や老子が活動)のネパール南部(彼が生まれたのはこの地域にある街、ルンビニ)およびインド北部だけですが、彼の入滅後(死亡後)には、その弟子や信者達によって仏教はインドとネパールから世界中にもたらされました(各地域に伝来しました)。その伝来先は、インド中央部から見た東部にあたる中国や日本
今日の法話は生きる前に死ぬ五欲に依存すると生きる暇はないですが、この内容は実際に毎日毎瞬行うべき自己観察(ヴィパッサナー)に注視すべき身近な対象が解りやすく説明してありますので、心の安定を求める人には必ず役立つ内容です。ですので、少しずつ抜粋・紹介して行こうと思います。欲に酔っている【抜粋】酒・麻薬などで酔って不幸になることは、一般的な知識です。ところが、世間は何かに酔うことをそれほど悪いと思っていないのです。酒・麻薬などに依存して、人間として破滅へ向かうのが危険であることは、誰
まずは無知とはなんぞやから。俗世間で私たちが使っている「無知」とは、知識や知恵が無い程度の意味合いで使っていますが、初期仏教で使う「無智」とは「無常・苦・無我」(三相)という真理が見えていない、知らないこと。仏教で使う「智慧」が無い状態で、すなわち悟っていない私たち全ての人間のことを言います。他の言い方で言うと、自我ある人、煩悩で生きる人の事です。今日のブログでいう「無知の直し方」とは、世俗の人間を超える生き方をしなさい、という意味です。解りやすく言えば、感情でしか生きられない人間から、理性で
さとりに達するかしないかは別にして、感情で生きる苦しみから抜け出すなら「無常・苦・無我」の真理を腹落ちするまで納得しなければ、理性で生きる安穏の空間はやって来ないのだとしみじみと感じます。但し、この厄介な心というシステムは、すぐに「無常・苦・無我」を忘れさせて、感情的に生かせようと邪魔をしますので、常に日頃からこの三相を思い出すようにしなければなりません。世俗の問題は別に不思議なことでは無いのです。感情で生きる世界なので、俗に言う心の醜い人も居て当然なのです。それよりも大切なのは、自分がどう
こんちわkokoダヨぶっちゃけ仏教に興味持つ人①ガチ悩み勢これ。若者であれば今の日本テーラワーダはスマナサーラ長老を筆頭に、なので、ロジック系の若者が多い。スマナサーラ長老がロジック系だから。学僧さんなので元々スマナサーラ長老がだから学歴高い若者多い集うの。きみどこなん?え、阪大?うせやんきみどこなん?え、東大?まじかそんな感じ地方大つらたん…これほんまやで。研究者も多い。物理学、生物学🧬
はかなさのきつきかあはれいまのまのまいれはあかきつきのさなかは(儚さの気付きがあはれ今の間の間入れば明かき尽きの最中は)解説あわれ(あはれ)は「しみじみとした風情のあるさま。情趣の深いさま。嘆賞すべきさま。」「しみじみと感慨深いさま。感無量のさま。」、ばは「接続助詞。已然形に付く場合、順接の確定条件、偶然の条件を表す。~と。~たところ。」、明かし(あかし)は「光などが強くはっきりしている状態である。明るい。」、尽きは「尽きること。おわり。しまい。はて。」、最中(さなか)
久しぶりのアップ。あれやこれやで何かと忙しかったですね。やっと落ち着いて仏道できるかな?無明が生じると苦も生じる。無明が滅すると苦も滅する。今日のキーワードは、因果法則と縁起についてで、この因果法則を「苦の生起と滅尽」に当てはめた教説が、十二因縁である。十二因縁は四聖諦の集諦と滅諦にあたる。また、十二因縁の集分(前半)は四聖諦の苦諦と集諦を、滅分(後半)は滅諦と道諦を集約したものと理解することもできる。とあります。なるほどそうなのかですが、私には難しいので頭に入りにくいですね。私が覚
8つの項目を実践することによって心のポテンシャルは増大し、ついには解脱に達するさあ今日は、苦が滅する中道の生き方、八正道の中身を素人にも解りやすく説明されますよ。【抜粋①】8つの項目を実践することによって心のポテンシャルは増大し、ついには解脱に達する八正道(はっしょうどう)はパーリ語から直訳すると「聖なる八支の道」となる。中道の具体的な実践法である。【抜粋②】1)正見:見解を完成に導く。客観的に事実を見て因果関係を理解する。仏教で扱う因果関係とは、生命の「苦(ドゥッカ)」を知り
生きているといろんな出来事があり、心がそれに感化されてより煩悩だらけになりますが、いつも言うように煩悩で発する言葉、考え方、行動は間違った判断の可能性があります。ちゃんと心を磨いて、八正道を用いた判断が必要となりますから、一瞬でも仏道から離れないように、自分の出来る範囲内で精一杯の努力をしましょう!第三の道「中道」【抜粋1】快楽によっても苦行によっても何も得られないと知ったブッダは、第三の道を説いた中道とはブッダが菩提樹下で成道された後に、最初の説法(初転法輪)で説かれた教えであ
やはり仏道の大事なところは、しっかりと学んでおかないと前にはなかなか進みませんね。さあ、今日も頑張って学びましょう。💪「生きることは苦」であるという真理を発見したブッダは、さとりへの道を示した本日も佐藤哲朗さんのブログから仏教を知るキーワード【02】四聖諦〜仏教の根幹をなす4つの真理〜さとりとは何か?から始まり、今日は「苦」を滅するための学ぶべき真理の最重要項目の一つ、四聖諦の意味について学びます。【少し抜粋】「生きることは苦」であるという真理を発見したブッダは、さとりへ
私たちが持っている煩悩というシステムは、本当に厄介なもので、これの為に生きる事が苦しみになってしまうことは十分に理解出来ました。その煩悩を少しでも減らす為に、仏道を学びヴィパッサナーという実践方法をやろうとするのですが、慣れていないと四六時中サティを実践する事は難しいのです。ある瞬間、実践に気がつく事が出来ても数秒後には直ぐ欲が出て、その欲に気がついたと思えば、直ぐに怒り・不安が現れて、結局は煩悩システムの思い通りになってしまうのです。そのうち不満が溜まってくると「いかん、いかん、こんな事で
みなさーん💕✨合宿瞑想会✨お疲れ様でした〜いや〜今回は寒かったね。うん。寒かった。午前3時過ぎ出動やねんけどさっむ!!!てか雨☔雨やばかったねー豪雨は毎度のことだからもう慣れてるけど初めての人にはビックリだったかもね。お坊様が4名もいらっしゃって豪華でした💕ヤサ長老とスワチャさんの組み合わせも新鮮でお二人がニコニコして何か話されてるのがパァッと明るくて素敵〜✨✨✨スワチャさんはスマナサーラ長老のご親戚なんだとか。てことは超聡明な方なんでしょうな、滲み出るオ
しっかりと行動すると、はっきりと結果が出る【今日の法話から抜粋】しっかり行動すると、はっきり結果が出るのです。そうすると世の中から失望ということが消えます。例えば、世の中は平和がいいでしょう。しかし、世の中に平和がありますか?面白い現象でしょう。平和が嫌いな人間を探してもいないのです。すべての人類は平和が好きで、平和のために生きている。平和を期待している。平和になるために何でもする。ですが、歴史上一度たりとも平和な世界はなかったのです。これは、どういうことでしょうか?なんでもいい加減、
もう自分でも八正道を紹介する事が苦痛になってきました。笑日本テーラワーダ仏教協会のホームページで「八正道」の全体を学んだ方が解りやすいと思いますのでリンクを貼り付けて、ここで一旦「八正道」は終わりとします。要するに、苦から解脱する為にはヴィパッサナーが必要であり、やり方は八正道、観る対象は四念処と理解しながら実践してくださいね、ということです。やり方を間違えると、いつまで経っても解脱の方向には進まないからです。生きとし生けるものが幸せでありますように八正道-日本テーラワーダ仏教協会A
八正道:正命(正しい仕事)※今日の法話から抜粋ある職業は自分自身を圧迫してしまいます。またある職業は他の人を圧迫してしまいます。そういったものから離れるのです。誠実なことで生活の糧を得るのです。裕福にならなくても構わないのです。財産を世に沢山持っていなくても、衣食に困らない程度あればよいのです。ダンマの財産が私たちに備わっていれば良いのです。私たちにとって四聖諦の方が重要なのです。真っ当な仕事、他の生き物に迷惑のかからない仕事、自分にとっても負担にならない仕事をした方が良いということです
正業と五戒今日の法話から抜粋話す言葉を正しくしたならば、次は行いを正しくしなければなりません。正しい行いとはサンマーカンマンタ(正業)の事です。行うことは何であれ正しく行うということです。生命の命を絶たない、他の生命に危害を加えない。自分自身を含めた生命に危害を加えないことが戒なのです。自らの命を絶つこと、これは戒を破る事になります。なぜならば自分自身も同じように生き物の一つだからです。自分自身を殺すことは生き物を殺すことですからパーナティパータ(五戒の一つ目:生命を殺すこと)になります
仏道を忘れないように、仕事前や昼休憩は法話を読んでます。もちろん納得しながら、愉しみながらね。すると仕事中も要らぬことを妄想せず、サティの回数が増えてくるんですよ。笑顔で優しく話すことが増えてきます。今日も結構落ち着いた空間を過ごせましたよ。まだまだ続けます。さあて、今日も佐藤哲朗さんのブログからスマナサーラ長老の法話を紹介しましょう。生命は渇愛に生かされている他生命は渇愛に生かされている/ブッダの言葉は目覚めの言葉/嫌いな生命の幸せも願う意味/覚りの条件はこれだけ|スマナサーラ長老との対
今日もサティを頑張りましたか?私はもちろん自分なりに頑張りましたよ。さて、ここのところ毎日のようにルアンポー・プラモート師の法話についてブログを上げてきましたが、八正道になって多分皆さんがあまり好きじゃない話になってきただろうかなと思いますので、少し方向を変えましょうか。私はマンネリ化で気分を変えたいような時に、テーラワーダ仏教でお馴染みの佐藤哲朗さんのブログをよく読みます。佐藤さんは仏教オタクで頭が良すぎるので文章を読むのが難しいのですが、話題が面白くてついつい読んでしまいます。例えば日
正しい言葉を使うあちゃー、これは一番気になるところ。今日の法話から抜粋私たちは「口での行いを正しくしているか?」自分自身で調べなければなりません。サンマーワーチャー(正語)は正しく言葉を話すことです。嘘をつかない、人を騙さない、他の人を仲違いさせるような言葉を使わない、汚い言葉を使わない、意味のない無駄な言葉を発しない。意味のない無駄な言葉とは、現在では口だけではありませんよ。指での行いも含まれるのです。LINEやフェイスブックを一日中やっているからです。これは「意味のない無駄な言葉を発
宿泊瞑想会に持ってくアイテムについて記載します↓↓↓ざっくり男性諸君にはちょっとお見せしづらいこともチラホラ。でもまぁ肉体は滅びゆくものなので気軽にご覧くださいえーっとまずはですねぇ女性にとって大事なのは生理用品なんですがテーラワーダは中高年の方が多いのでもう閉経しちゃったわよ関係ないわよて感じの年齢域女性がとっても多くkokoはずっと聞けず仕舞いでしたみんな生理の時どうしてんの