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もはや絶滅危惧種となってしまいましたが平成アナログ時代最強の出会い系システムでした。なんといってもやりたい男と女がガチで出会えるシステムでしたから。平日日中によくいってました。個室に分かれているので今考えるとネカフェと作りがよく似てます。テレクラ側が女性向けメディアや街頭ティッシュなどで宣伝してるので電話はまあまあかかってきます。出会える確率はというと10回電話とれたら1件アポとれるくらいという感じ。アポとっても待ち合わせ場所にあらわれるかは30%くらいの確立でしょう
1607土曜なのに昨日は若い女同士お客様が坊主だったと思いながら気になる喫茶店に行くとマスターが僕を見て寝過ごしましたと店の掃除をされているのです。以前はほとんどお客様が来られなかったので店も汚れる事がなかったのですが、豪華な日替わりが当たり平日が忙しくなり店の掃除にも時間がかかりますと言われ僕が手伝うと終わりましたと言われコーヒーを休憩に飲まれるのです。昨日はダメだったので今日は若い女同士お客様が来て下さるでしょうとコーヒーを一口飲まれなんの根拠もない事を言われたの
1595昨日はさるさわ池で亀を見て奈良のストリップには行かないで帰ったからそのうちに今度は伏見のストリップ劇場に行きましょうと言われるだろうと思いながら気になる喫茶店にアルバイトに行くと昨日さるさわ池で亀を見たからかマスターは新聞を読まれているのです。亀を見ないのですかと聞くと亀は旅立ちましたと言われ僕は家に持って帰ったのか聞くと天国に行きましたと言われ死んだのですかと言うと死んでません天国に行ったのですと悲しそうに言われるのです。僕は元気を出してもらう為に今日は郡山
普通は2人部屋でも、どちらかが謹慎生活に入ると、謹慎者は1人部屋が決まりの為、相方は別部屋に移動します。でもこの時は謹慎者が2人。2部屋をあけることができないようで、私と桜は2人で1部屋を使うことになりました。なので、就寝時間になるといろんな話をしました。桜は施設外の高校に通っていて、その時に逃げたんだそうで、彼氏がいるから早く逃げたいと。私も脱走の話をし、そういう時の“仲間”になるのはとてつもなく早いもんで、再び2人で脱走計画をたてることになりました。次見つかったら本当に終わり。
私は再びさくら学園へ舞い戻りました。せっかく手に入れたチャンスを自ら捨ててまた戻ってくるなんて、ただのアホです。なんで脱走を断れなかったんだろう。帰院の翌日だったかな?何か先生達がバタバタしていて、いつものように廊下で正座をしている私にはそのざわつきが直に伝わってきていました。何があったんだろう?お昼すぎに玄関から声が聞こえ、チラッと見ると、金髪の女の子が立っていました。新しい子かぁと思いまた正面に目線をやると、その女の子は「私の荷物まだあんの?」それに対し先生が「“サクラ”
1590昨日はテレクラでアルバイトをされている人達が帰られるとその後に男のお客様が5人来て下さりありがたいのですが、一人一人が別々なんです。これではテーブルに座られると女同士のお客様が来られても帰られると思い僕はカウンターに座ってもらうのです。女同士のお客様も3人組と2人組が来て下さったのですが、男のお客様がおられる時は浮気の話も卑猥な話もされません!僕は男のお客様を来てもらう為に女同士のお客様に50円コーヒーをマスターの頼みはじめたのですが、何時の間にか僕とマスタ
こんにちはいつもblog訪問ありがとうございます。あなたにとって「懐かしい」とはどんな情景でしょうか1970年代後半に流行った「ノーパン喫茶」最盛期には全国に1000店舗以上存在しながらも、後に衰退していったその歴史を振り返ります。田舎なんでそんな店など1件もなく名古屋方面に行かないとお目にかかれまんでした。ノーパン喫茶はその名の通りスタッフがその起源は、福岡・博多にあった「ピンク喫茶」だったとも下着をはかずに接客する喫茶店のこと。今ならとても
1589翌日は気になる喫茶店に行くとマスターは今日は女同士のお客様が来て下さる気がしますと言われるのですが何を根拠に言われているのか聞くと亀が教えてくれましたと言われ僕はとうとうマスターが痴呆症になられたと思い冗談は辞めましょうと言うと本当です朝に店に来た時に亀が大きな声で教えてくれたのですと言われマスターは亀語が解るのですかと聞くと亀は話しませんと言われるので僕は5秒前に亀が大きな声で教えてくれましたと言われましたと言うとそんな気がしのですと言われるのです。僕は
タイトルの通り。。まだこの頃は持つのはポケベルで携帯なんて無かったから、出会いの場はナンパかタイトルの様な物を駆使して女性を頂くのですが。。モチロン知らない人の為にテレクラ位はイメージ出来るかなぁ普通にその辺りにあったんですけど。。今でもある物でいえば男性用Av見れる所かなぁ。。でもそんな大きなものではなくて入店してお金(どの位だったかなぁ。。1時間3000円とか)を払ったら一人カラオケみたいな感じの、もしくは漫画喫茶の個室(一応壁の高さはあるので上から見下ろされたりはしないけど)みた
1585何時ものように気になる喫茶店にアルバイトと言う名のマスターの時間つぶしの相手に行くとマスターは日替わりの仕込みが終わり亀を見ておられるのです。僕は店に入っていくと今日は土曜日なのに早いですねと言われ僕はアルバイトは休みの日かと気がつくのです。気になる喫茶店でアルバイトを初めてからは曜日の感覚がなく50円コーヒーをはじめてからは今まで以上に曜日の感覚がなくなり僕の楽しみは土日に来て下さる若い女の人だけになったのですが、平日のように来て下さる人数は多くなく土日
私は剛くん一家とともに児相へ戻りました。長い道のりをお父さんが運転してくれました。児相につき、剛くんが私に「待ってるから、頑張るんだよ」と剛くんの証明写真をくれました。私は泣くことしかできず。そのまま私は部屋に移動させられ、剛くん一家とはそれでお別れとなりました。私は、その足で再び“さくら学園”に戻されることとなりました。チャンスをくれた所長さんやノッポ先生に顔を向けることができず、下を向いたまま児相をあとにするしかありませんでした。私は寄り添ってくれていた味方を、自らの行動
大阪にきて1週間くらいたった頃だったかな?いつものようにテレクラに電話をし、相手を探していて、繋がったのが“剛くん”でした。年齢は25歳だと言い、私は待ち合わせをすることに。今でも忘れません。待ち合わせに24時間テレビの真っ黄色のチャリティーTシャツで現れた剛くん(笑)剛くんはラブホに行くわけではなく喫茶店へ私を連れていきました。誰かと話がしたくてテレクラに行ったんだと話す剛くん。何だろう、剛くんの人柄だったり、場の雰囲気で、私は施設から脱走してきてること、住むとこないから援交して
バスが発車したのを確認すると、緊張が一気にほぐれ一気に睡魔が襲ってきました。目が覚め外を見ると大都会の景色に変わっていて、大阪に無事到着。初めての大阪。初めての都会。何も知らないけれど、とにかく私にはお金が必要。来てすぐ電話BOXを探し、テレクラ。この頃電話BOXにはたくさんのテレクラのチラシ?みたいなものが貼られていて、調べなくても簡単に番号がわかりました。身体のことなんて何一つ考えていませんでした。とにかく生きていく為の手段としか。ほぼ毎日相手を見つけ、夜遅くラブホに入ると
児相を飛び出て3.4日たった時、海斗が知り合いのとこに行ってくると言ったので、私は心の中で“さよなら”を言い、私もさっさとその場を離れることにしました。でも、海斗にお昼代として貰った1,000円があるだけで、ほぼ無一文の私。服も飛び出た日のままでした。私はこの日を境に“援交”に手を染めてしまいました。ラブホで頭などを洗う生活をしていました。お金が出来たら服や下着も替えて、夜はこじんまりとした公園のベンチで寝たりと、何とか生きのびていました。でもこんなとこでフラフラしていたら、捕まるの
私は今頼れるのは海斗しかいないので、海斗についていくしかありませんでした。海斗は“頼れる人がいる”と、終電に乗り、降りたことのない小さな駅に降りました。私達が降りてからすぐ反対側からの終電もきて、海斗はそこから降りてきた1人の男の子に声をかけ話していました。どうやら知り合いみたい。私も挨拶をし、その男の子の家にお邪魔させてもらうことになりました。親は夜勤でいないから、自由にしてと。その男の子、何故か私のことを知っていたのです。話をしていくと、まさかの“さくら学園”にいてこの前の3月
もう就寝時間になったので、とりあえず私は寝る素振りをし、布団の中でパジャマから私服にだけ着替えました。就寝時間に入ると、当直のおじいちゃん先生達も事務所に入るので、逃げてもしばらくはバレないので、就寝時間から30分ほど様子を伺い、廊下の電気も消され静かになったのを見計らって、ドアを自分が出れる幅だけあけました。すると男の子が「気をつけて!ここくらいにセンサーあるから、体勢低くしてゆっくり出てきて」そこで男の子が変な中腰でいる意味がわかりました。私は恐る恐る中腰で、そっとベランダへと出
その子から出た言葉。『一緒に脱走しない?』びっくりしながらも、もちろん断りました。…最初は。ここにいたって、どうせ家には帰れやしない、それならうまく逃げて、逃げ切ればいいんだよって。“逃げ切る”その言葉に私は気持ちが揺れだしてしまいました。そっか、逃げ切ればもう施設に戻ることはないんだ。私の悩んでる素振りを見て、その子は押してくる。ものの10分くらいで私は“脱走”を決めてしまいました。みんなを裏切って逃げることを決めたのです。本当に本当にバカです。どうしようもない
あれは実習先から児相へ戻った日の夜でした。お風呂に入って、就寝前の日記の時間でした。“コツコツッ”窓を叩く音がかすかに聞こえました。私はびっくりしながらも、カーテンの隙間から真っ暗な外をのぞくと、そこに1人の男の子がいたのです。“シー!”というジェスチャーをして、中腰でいた男の子。パッと見同年代といった感じ。ちょっとだけ窓を開けると「ここに“エリカ”って奴いる?」そう男の子。私は“今は私しかいない”と話すと、その男の子は中腰のまま去っていきました。当時、児相だったり児童
見慣れた景色を横目に、次の実習先に到着。挨拶をすませると、事務長さんが部屋へと案内してくれました。入居者の空き部屋とのことで、1人部屋でした。荷物の整理を終え、昼ご飯の時に食堂にて全体挨拶をしました。前回と違ったのは、私以外にも実習生がいたこと。もちろんきちんとした短大生。前回の和気あいあいした雰囲気とは真逆で、私は自らアレしてコレしてという“気が利く”タイプではなかったので、初日から名前も知らない職員さんに“ボーっとしてても駄目だよ”とチクリと言われる始末。これだけであの自信は
2週間の実習期間を終え、最後の日。所長室へ行くと、ノッポ先生が既に迎えに来ていました。実習はどうだったかなど何個か質問され、何と実習期間を延長しないかと嬉しいお話。一度児相へ戻り、相談の上決めることとなり戻りましたが、児相の所長さんも私の生活ぶりを聞き、延長を了承してくださり、また2週間の実習へ行くこととなりました。計4週間の実習。本当に楽しかった4週間でした。児相の所長さんも、私は途中で嫌だとなるだろうと予想していたようで、4週間やり遂げたことを褒めてくれました。そして私にこう言
翌日の夜の事でした。ご飯も食べ、みんなでテレビを見ていると、入口を叩く音が聞こえ、開けると永見先生。「松田さん、ちょっと松田さんに会いたいってうるさい子いるから連れてきたよ」誰だろ?と思ってるとヒョコっと後ろから現れたのは、つつじ学園で一緒だった“さつき”でした。私を支援級に連れていってくれたあの子。何とさつきもこの4月、つつじ学園を退園して、ここに来たのでした。つつじ学園から養護学校は距離があり、空きが出た4月のタイミングで決まったようでした。まさか再会できるとは思ってなかった
実習先へはノッポ先生が連れて行ってくれました。実習先である“ののやま学園”は山をちょっと登ったとこにありました。玄関を入ると「お待ちしてましたー!」そう元気な声が聞こえ、職員室らしき部屋から出てきたのは、実習中の私の担当になってくれる“永見先生”ののやま学園の所長さんにも挨拶をすませた後、私の実習中生活する場所に行こうと、永見先生が施設案内とともに連れていってくれました。そこは施設の建物とは別に建っていました。この建物には私と同い年の女の子が2人生活していて、施設を出たあとの練習
実習先は2.3日で決定。児相からわりと近くにある、障がいのある子供達が生活する施設から実習許可がおりたとのこと。ただ、ここから毎日通うわけではなく、その施設は通所施設ではなく、入所施設なので、私も2週間そこでみんなと寝起きし、実習期間を過ごすことになりました。さくら学園に戻るくらいなら何でもできる!そんな気持ちしかなく、多少ドキドキはありましたが、私はこの実習を成功させて、みんなに認めてもらって早く家に帰るんだと心に決めました。
翌日には帰院と言う日の午後、ノッポ先生に呼ばれ私は所長室へと連れていかれました。苦笑いワードの所長さんが待っていました。必ず帰院前には所長さんとも面談のようなものがあると聞いていたので、それかと思っていたら「松田さん、さくら学園には戻りたくないんだって?」“聞かなくてもわかるくせに、意地悪な奴”と内心思いながら、首を縦にふると「俺は帰りたくないって子を無理矢理返すような鬼ではない」そう所長さんが話し出したのです。つい「えっ!」と声が出てしまいました。《施設から家に帰ったとし
朝からウキウキして児相へ赤名先生と向かいました。クリスマスぶりの児相です。まずは恒例の所長さんへの挨拶。異動で所長さんも変わっていました。「松田さんの悪事はしっかり聞いてます、ここでは良い子しててよ〜、アッハッハッ!」私はそれ聞いて苦笑い。他の職員さんにも挨拶をし、一時保護所へ向かうと、事務室から女の人が現れました。「4月からここの職員になった山田です、松田さんの担当になったからよろしくね!」山田先生は女性にしては身長が高く、170cmくらいあったんじゃないかな?わかりやすく“
4月と言えば異動の季節でもありますが、この時期、私がいた施設では、児相の一時保護所へ数日行き過ごし、児相の先生と今いる施設での話や今後の話などをする期間が年数回設けられていました。それで退園時期を決めたりするのもありますが、児相はここにいるよりかはるかに自由なので、行きたい子はとても多かったです。でも誰でも行けるわけではなく、先生が決めた子のみ。なので毎回そのその話が上がると、いつ呼ばれるかドキドキしていたものです。帰省中の約束をやぶったばかりだったので、今回は最初から諦めていました。
大阪行きのバスチケットを財布に入れ、私は家に帰るバスに乗りました。バス停で降りるとそこには妹と弟がいました。一緒に話しながら戻ると、家の坂には1台の車が止まっていて、そのまま家に目をやると、坂の上には母と“赤名先生”がいたのです。私は頭が真っ白になりました。「おかえり!楽しかった?」と笑顔の赤名先生と、気まずそうに私と目を合わせようとしない母。何も言えずにいると「さな、約束は約束だからね。帰ろうか」そのまま強制帰院となりました。私は大阪へのバスチケットがバレたらヤバいと思
翌日、私は始発のバスで家を出ました。母は「約束守ってね」そう言っただけ。久しぶりの自由を噛み締め、目一杯オシャレをして源ちゃんが住む場所へ向かいました。駅に着いたら源ちゃんはもう着いて待っていました。「久しぶり、元気だった?」変わらない源ちゃんがいました。今日は色々話したいことを伝えると「じゃあ、静かなとこ行こうか」そう言って、源ちゃんが向かったのはラブホでした。しかもお金がないからとボロボロなラブホと呼んでいいかわからないようなとこ。その時ちょっと“虚しい”という気
退園で施設内のザワザワが落ち着こうかとしていた頃でした。先生から“一時帰省”の提案がありました。2泊3日だけど、その期間“平田”は仕事で家をあけていないからと、母も帰省を了承してくれたと赤名先生。春休みはこうやって一時帰省する子は少なくはありません。私もその1人になるなんて思ってなかったので、遅れて届いたクリスマスプレゼントだと思いました。この話が出た瞬間“絶対ここには戻らない”そう決めた私。母が迎えに来てくれ、帰省中の約束ごとなどを母と一緒に聞きました。“1人で外出しないこと
3月。施設内ではこの時期が近付くとザワザワし始めます。卒業、そして、退園。中学生は卒業のタイミングで退園する子が多いようで、この時期に入所より時間がたってる子は、いつ先生から“退園”の話がくるかと、毎日ドキドキしているんだと。退園して家に戻る子。普通の養護施設に移動する子。大体その2パターン。中学3年の子が2人退園が決まったと喜んでいました。そしてあと1人。それは“あみさん”でした。あみさんは私がいた“つつじ学園”に行くことになったと聞き、ただただ羨ましかった。辛いここで