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マタイ受難曲を読みながら聴くようになったのは、BCJの影響。BCJのマタイの主にコラールは、話すようにアクセントが指示されているようなので、どうしてもテクストの意味を知りたくなる。眼鏡をはずしてプログラムに顔をものすごく近づける、”タケミツ・ホールの棟方志功”な異形の振る舞いをしたことで気付いたことを(間違いもあると思います)。邦訳は鈴木雅明先生。ウムラウトなどは出せないので変形レチタティーヴォ11番イエスが誰かが裏切ろうとしているという。ユダの応答。
Bonjour♪Çava?今年も、残すところ、あと、3ヶ月ほどになりまして、とはいえ、いつもと、同じに、ピアノの練習と学習をしています。他の練習で、どうしても後回しになりがちで、忘れてしまい、中々、進んでいない移調奏の練習も、今年は、1週に1回はやろうよと、いつも、春、夏、あたりで、忙しくなってしまって、止まってしまうものが、続いています。以前よりも、出来るようになっている事もあるのかも。それでも、まだまだ、時間を要するので、じっくり、ゆっくり
言葉を失っています。日本語の模範となるテクストがありません。言葉がなければ、存在は無です。無限の可能性があり、完全に自由だとも言えます。それは白紙を意味します。どんな絵でも描けますが、そこに絵を描く主体は存在しません。ひたすら真っ白であり続けるだけです。
Bonjour♪Çava?ファミマで買って、そのまま食べていなくて、この間、食べたチョコで、↓美味しい!しっとりしていて、食べだしたら、止まらなくって、あっという間に、全部、食べてしまいました。300kcalを一度に摂れました。で、何やら、そのファミマでは、各種、美味しいお菓子の開発が、進んでいるらしく、私は、知りませんでしたが、カヌレというお菓子が、再び?売れているの?知らん。へ〜、っと思いまして、覚えていたら、買ってみようか
本日は書籍紹介をいたします。今回取り上げるのはこちら、兵藤裕己『平家物語の読み方』ちくま学芸文庫、2011年祇園精舎の鐘の声、に始まる「平家物語」冒頭の一節は、ほとんど知らない人がないと言っていいほどで、その意味で「平家」は、すべてを読み通したことのある人はそれほど多くないにしろ、やはり国民文学と呼んで然るべき作品だと思われます。本書はそんな「平家物語」をどう読むか、というところに迫った研究です。文学作品をどのように読むかは個々の読者の自由である、という大前提は別としまして、本
ヤツが高校生になって初の投稿降臨ありがたや~(。・ω・。)少し前にインスタグラムでじぃじ先生をフォロバさせていただいたそもそもSUBBAは某インスタライブを観るためだけにインスタグラムやっているといっても参加したのはかれこれ4回ほどだがそんなある日インスタグラムで見たことのない通知何コレ?と思って開いてみたらDMが来てたじ‥‥先生から。SUBBA心の準備できてない。(((((゚Д゚)))))SUBBAの『故郷』のテクスト
私には心の拠り所がありません。私には依拠するテクストもありません。不安です。でもその不安を産みの苦しみと捉えることにしました。今までとは違う、全く新しい世界にする時には、不安は付き物です。私は創造の業に参加します。私には未来への希望があります。
Barkunの引用するEmeraldTablets次の記事で紹介したBarkunという政治学者がドーリル師のEmeraldTabletsの系譜を論じています。『MysteryoftheMoon』ドーリル師の紹介白朋舎ドーリル師(M.Doreal)の略歴を白朋舎のサイトから紹介します。【Dr.Muriel.Doreal】1…ameblo.jpのちにEmeraldTabletsを読んだ有名なアイクが、これも有名なs
樋口恭介編の『異常論文』の後半を読了しました。後半になるにつれて、異常論文の「論文」的性質が薄まって、小説モドキ、随筆モドキのようなものも増えてきます。まとまりを欠いたテクストの断片の寄せ集めのようなものもあります。私としては、前半のように、論文の体裁を守った上で、狂気を演出するような書き方を、どの筆者も貫いてほしかったと思います。とはいえ、小説のプロットのような、小説未満のテクストが、何かを訴えているのは共通しています。その訴えの異常性、狂気は共通しています。そのことが、異常論文の最
みなさんこんにちは。急遽ではありますが、【Text/テクスト】より間もなく入荷のアイテムご紹介!予約商品12月10日頃入荷予定【21F/W】AlpacaBear(WHITE)予約商品12月10日頃入荷予定【21F/W】AlpacaBear(BEIGE)予約商品12月10日頃入荷予定【21F/W】AlpacaBear(BROWN)予約商品12月10日頃入荷予定【21F/W】AlpacaBear(DARKBROW
『知的創造のヒント』-外山滋比古●妙想はどこから生まれるか-①「人間、何が愉快といって、いい着想を得るほど愉快なことはない。ずっと考えていてあまり考えすぎるといささか疲れる。それでしばらく忘れるともなく忘れていると、突然、さっと妙案が閃く。考えてもいないときにひょっこり解答があらわれるのだ。神からの授かりものであるかのように・・・・・。着想がすべてそういうあらわれ方をするというのではないが、おもしろいことに、実に多くの場合がそうなのだ。ことに重要なアイデアにかぎってこういうことが多い・・・・
みなさんこんにちは。入荷速報です!【Text/テクスト】からベビーアルパカを使用したスカーフが入荷しました。NATURALCOLORALPACASCALF(CAMEL)NATURALCOLORALPACASCALF(TOPGRAY)NATURALCOLORALPACASCALF(CHARCOALGRAY)NATURALCOLORALPACASCALF(BLACK)NATURALCOLORALPACAS
前回書いた記事の状態を引きずって、根拠となる思想やベースとなる正典的テクストを失っている状態になりました。ヘーゲルがそれかなとも思いましたが、日本語訳にだけ限っても、冊数が多く、ありとあらゆる分野に渡り、訳者によって文体や意味の取り方に違いがあったりで、元々は信頼していましたが、途方に暮れているときに読むには、ちょっと重いのです。で、やっぱり根拠は神しかないということになりました。神から離れたとか、神に見捨てられたとか言っても、結局、神の存在を前提にしての表現ですし。神に祈り続ける者にと
アレントがポリスを論じるとき、私的領域は生命の維持に関わる隠れた場であり、公的領域は私的領域から自由で対等な人々の品位ある言動の現れの場で、そこで永遠の命を得ると言う。政治についても、優れた分析や画期的な政策、巧みな弁論術などは、本人が亡くなった後でも代々語り継がれたのだろう。この公的領域では生物的寿命を超えて、永遠の命が得られる。ふと思ったのだが、こうした公的領域は政治(いまでは私的だが)に限らず、いろいろな分野でみられるようだ。例えば、数学。ガロア理論のように優れた定理とその証明は永遠
それなりに知のリハビリはしてます。たとえば今まで読んできた新聞のほかに、コンビニで買った他紙を毎日少しずつ読んでいます。そんな中、改めて、神は知っているという観念を想起しました。私は知る主体ではありません。知の根拠はあくまで神にあります。ここでは私は、神による、新しい時代を切り拓く新しいテクストの創造に参加する者になることにします。これは自認によります。他に事実としては社会的立場もあり、リアルではそれもしますが。
写本に戻れ、などと言っている愚かな日本人学者が10数年前にいた。写本なんていうものは、普通の編集されたテクストが正確にきちんと読める人の話である。それもおぼつかないのに、ヨーロッパの写本を読んでも得られるものがあるはずがない。それなのに、こういう学者に影響され、ファクシミリの写本と格闘し、無駄な時間とエネルギーを浪費した研究者が何人もいる。写本の研究などはヨーロッパ人に任せるべきで、非ヨーロッパ人であるわれわれには、それなりにできる別の研究分野があるはずである。
購入したデジタル書籍が数が増えてきました。ライブラリーにズラッと並んで壮観です。ただ、私は、紙の本の方が、頭にす〜っと入る気がします。デジタル書籍を購入するのは、すぐに読みたい時です。本の種類によって、デジタル書籍を選ぶこともあります。デジタル書籍は、昔、購入したことを忘れていても、検索するとサッと出てくるので便利です。「紙の本の方が、頭にす〜っと入る気がする」それは、なぜなのかを知りました。┌<引用>────────────────テクスト内の異なるページを移動したり、パラパ
Bounciaバウンシアボディソープエアリーブーケの香り💐\濃密泡でうるおい守る、高保湿ボディソープ/新テクストラリッチフォーム処方で、キメ細かな泡のクッションが肌に負担をかけず、しっとらなめらかな洗い上がり!!美肌成分⇒シアバター・ヒアルロン酸・コラーゲン配合でお肌つるつるに😌💗今まで体験したことのない超濃密泡です!!一度洗うとやめられない!!やみつきになる!!上手に泡を作る方法を紹介した動画がQRコードを読み込んで見れるのでぜひぜひ🙌🏻💕2〜3プッシュで作れるのでみなさ
感想:本『現代思想の名著30』Ⅲ(14)2021.5.26.徳村慎Ⅲポスト構造主義(14)エーコ『開かれた作品』作品の解釈は、多かれ少なかれ、どんな作品にも存在して良い。作品は多かれ少なかれ「開かれている」ものだ。。。そしてその解釈を自分の作品制作に反映するかどうか。それは作者や観者が属する文化状況やそこで形成される世界観によって規定される。。。もしも僕の視力が弱くなって。読書をしても1文字ぶんしか目に入らない場合。。。1文字ずつ追って読んでいくと、途中で文章が途切れて単語に
ハイパーテクストと散文やその他諸芸術の重要な違いというのが動的であるという点だったように思うが、具体的には常にテクスト作品が編集され意味とか美だとかが変化していくということでしょうか?・・・ハイパーテクストがこうした動きの中で芸術性を持つのであれば、芸術としてのハイパーテクストは集団の中でしか存在できないものなのかなとちょっと考えたのですが、多少なりとも先生の考えにはかすっていますでしょうか。→うん、「集団」と「個人」とが、別でありながらつながっているという点さえ忘れなければね。それは「
構造主義的なテクスト論において、テクストが他のテクストの引用からなっているとすれば、引用引用の引用のそのまた引用の…とたどることができると思うのですが、一番最初の完全にオリジナルなテクストが存在しないとこの考えは成立しないように思います。→そうは思わないけど・・・。その「完全にオリジナルものがなければ・・・」という考えそのものが思い込みじゃないの?言語というものを考えてみたとき、例えば、日本語の単語を私たちは用いるけど、自分で創ったわけじゃないよね。じゃあ、その単語の完全なオリジナ
ことといno.1732021.2.15メディアを読み解く基本概念などを再考〜ワークショップでテクストを考察・分析〜こととい173号を読む(pdfで開きます。)
今日は『テクスト(テキスト)』と『コンテクスト(コンテクスト)』です。【ことばはちからダ!現代文キーワード】『テクスト(テキスト)』・・・書かれたもの。通常は、「原典」や「教科書」を意味しますが、批評の世界では、「書かれたもの」、「すでにあるものを材料にして織るように作られたもの」という意味で使われます。作者の与えられたひとつの意味しか読み取れないとする「作品」に対立する概念として、読むことで読者が多様な意味を生成することができるという立場から使われる言葉です。『
シェパード、怒りモード炸裂なので楽しくホリデーシーズンを過ごされている方や清々しく一日を過ごされている方はどうぞスルーでお願いします。(・o・)ノみなさま、覚えてますか、、、、、『HappyThanksgivingとキレてゴメン、な出来事』本日アメリカでは感謝祭(Thanksgiving)の祝日となってます。多くの仕事や学校は、今日明日がお休みですがもちろん普通にお
スヴェトラーナ・アルパ―ス著「描写の芸術」(幸福輝訳,ありな書房1993年)第5章言葉を見ること―オランダ絵画におけるテクストの表現序論オランダ絵画には「驚くべきこと」に頻繁に言葉が書き込まれている。書物,紙,地図,布,銘板,ハープシコードなど。フェルメールの《絵画芸術の寓意》はその見事な例。なぜ驚くべきことかと言えば,ルネサンス以降の西欧芸術は(日本や中国とは異なって)視覚芸術と言語記号をはっきりと区別していたから。言語記号は,「イメージに先行し,イメージの枠外に位置づけられてい
10数年教えた女子大を辞めることにした。男子もいないのによく通えたものだ。男子トイレで誰かと会ったことは、10数年で2、3回である。二年後に海外の大学へ2年間行く予定であることが表向きの理由だが、二年前から急にルールが厳しくなって嫌気が差したことが大きい。休講にすると必ず補講をしてくださいなどと無理難題を言われ、やってられないと思った。それまでは、年4回まで休み放題だったのだ。学生の質は10数年前が最高で、ダダ下がりだ。こういう大学ほど、学科名を変えてみたり、規則を厳しくしたり、悪
アンドレ・ブルトンの『狂気の愛』を読了しました。この本はどのようなジャンルに区分することも不可能です。小説、評論、エッセー、散文詩、日記、手記、理論書、自動書記の実践書、哲学書、思想書、手紙、恋文……これらのいずれのようでもあり、いずれでもないのです。従って、この本は、テクストあるいはエクリチュール(書かれたもの)と呼ぶしかありません。このテクストは、7つの章に分かれていますが、連続性や脈絡は、あるようでもあり、ないようでもあります。特に最初の難解な1~3章は、個別に雑誌に掲載されたものを
英語長文:「共通テスト」では速読(飛ばし読み)と熟読のメリハリを!あらゆるテストの「長文問題」にはいろんなパターンがあります。本稿では書ききれないくらいたくさんの形式が存在します。そのなかでも特に速読・飛ばし読み系が該当するのは(1)電子メール・SNS・ホムペを擬似的につくった問題(2)招待状・案内状・説明書を擬似的につくった問題がその代表的形式になるのでしょうか。現行のセンター試験だと第4問Bがこの形式に該当しますね。また、英検の各級にも、この形式の
依拠する正典のある人だけが冗舌に語れます。かく言う私は、正典と呼べる信頼する一冊のテクストはありません。なので寡黙になってしまいます。言葉を発したとしても、ご覧のような形式です。なら完全な沈黙を守ればいいようなものですが、ご覧のとおり今語っています。それは私自身が、時代の最先端を行く文を読みたいからです。私が自分を読みたいのです。自分を知ることが、哲学です。