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1917年四川省茂州米国人シドニー・ギャンブル(1890-1968年)撮影------撮影場所の現在の地名は四川省アバ・チベット族チャン族自治州茂県2021年末時点でアバ・チベット族チャン族自治州の戸籍人口は89万6600万人でうち59.9%の53万7100人がチベット族18.6%の16万6500万人がチャン族18.2%の16万3600万人が漢族だった(いわゆる「出稼ぎ」のために長期にわたって大都会で暮らす人も珍しくないので常住人口は戸籍人口より小さい)漢族人口が増え
「中国・少数民族の少女が書いた「作文」が引き起こした悲劇的結末1億人超を苛む絶対貧困国家の姿」と言う、記事を目にした。中国は2020年までに人間として最低限の生存維持が困難な「絶対貧困」を除去することを目標に掲げてはいるが、第2、第3の悲劇的結末が今なお、次々と新たに出現していると言う。彼ら少数民族と日本人の先祖は同族であり、豊かな生活を享受している我ら日本人として、どうにかならないか気になって仕方がない。四川省凉山彝族(イぞく)自治州の範囲イ族が持つハプログループDの分布(漢民族のO
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中国の四川省の少数民族にチャン族やイ族などがいる。彼らは日本人男性と同じY染色体ハプログループDを持ち、日本人とよく似た容姿であり、共に日本語に近い言葉を喋っている(参考)。そして、彼らのルーツの羌族は東アジア最古の民族とされ、中国史に名前を残しているが、彼らの末裔の一つにタングートがあり、西夏を建国した。この西夏の文字と言語は相当研究されているようだ。ロシア科学アカデミーに所蔵されている西夏語仏典の日本語訳の一例を見ると、日本語でも自然に翻訳・理解できた。西夏語はチベット・ビルマ語派とされ
中国四川省のパンダは、パンダ基地にだけではありません。例えば、成都パンダ基地(成都大熊猫繁育研究基地)で有名な成都の『成都動物園』にもパンダはいるのです。でもまあ、ここのパンダ館も中国国内いろいろある動物園と同じです。何が同じって、人間しかパンダを見ることができないからです。あたり前じゃん!。。。あたり前じゃないんです。中国は。(^_^;)犬だって、パンダが見たい!パンダだって人間ばかりじゃ、飽きてくる。。犬も見たい!!ということで、犬がパンダを見れるところの紹介です
中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州澄み切った空気、神々しい山々、荒々しく豊富な水の流れ。全てが別世界です。#graciebarra#graciebarrahimeji#海外試合#MMA#総合格闘技#チベット
チャン族関してこのような動画がありました。【世界史最大の謎】失われた10支族の行方チャン族この動画の情報源はここではないでしょうか【衝撃】中国・四川のチャン族は古代イスラエル「失われた10支族」の末裔で日本人の兄弟だった!日ユ同祖論の核心に迫る!https://tocana.jp/2018/07/post_17482_entry.html
さて、四川省成都を出発し、我々の目指すところは、広いチベット自治区の中でもアバ・チベット族チャン族自治州(阿坝藏族羌族自治州)の南部に位置する小金県という場所になる。クルマで山道を走ること4時間半。ところどころ舗装されていなかったり、荒れた道を抜け。無理矢理作ったような美しいワインディングロードを駆け抜け、雲の中に。そろそろ標高4,000mです。さすが4,000m、空気が薄いため息がすこし苦しい。看板には、「世界で初めてジャイアントパンダが発見された場所
愛らしいお花のモチーフ、丁寧な刺繍、ビビッドな色使い、しかも内側はナイロンで、いかにもお土産物的な雑な縫製ではなく、仕立てもしっかりしていました。免税店で高級ブランドの最新バッグが22万円でお買得だったようですが、私にはその1/50分の値段で買えるこの台湾のチャン族の刺繍入りのバッグの方がお買得でした。
日本人のルーツと同族の中国四川省の少数民族、イ族は今でも苦労しています。参考①「断崖絶壁」の村、ドローンが医薬品を運搬中国・四川AFPBB(2017年12月19日12:04発信地:中国)【12月19日CNS】中国・四川省(Sichuan)涼山イ族自治州(LiangshanYiAutonomousPrefecture)ジィアルモー郷にある海抜1400メートルのアトゥラール村は、別名「崖村」と呼ばれている。村民が先祖代々、断崖絶壁に掛けられたはしごを山のふもとと山頂にある村と
中国大陸の原初神の三皇五帝は中国の神話として語られている。宮下文書によると伏蒙(伏義)、神農、炎帝、黄帝らが秦の始皇帝、神武天皇、徐福などのルーツとなっている(参考)。日本人の男性遺伝子Y-DNADに着目するとチャン族と同族となるが、さらにチャン族の祖先の羌族は春秋戦国時代の秦や斉と同族であり、この羌族の由来を中国古代の歴史書から読み取ると、中国大陸の原初神の伏蒙(伏義)、炎帝、黄帝に結びつく。ただし、男性遺伝子Y-DNADの観点で、チャン族と漢民族とはつながりが無い。すなわち、徐福らが
中国四川省アバ・チベット族チャン族自治州に地震があり、人的被害の他、九寨溝の水が干上がった。風光明媚な地で、貧しいチャン族の生活を支えていたはずの観光地が破壊された。前回の四川大地震でもチャン族が苦難を強いられた。このチャン族は日本人のY-DNADと同じ男性遺伝子を持っており、また中国の古代、春秋戦国時代の姜、斉、秦と同族の遊牧民であった。すなわち、今でこそ日本人と異なる言語(チベット系の少数民族の言語)を喋っているが、膨張する漢民族から逃れるため、広大な中国大陸の原野を去って、災害も多い
四川省地鉱局の高級工程師(高級技術者、大学教授に相当)である范暁氏は24日早朝に同省ガパ・チベット族チャン族自治州茂県で発生し、山麓にあった新磨村を襲った大規模な山崩れについて、中国青年報の取材に応じて村の立地条件には安全上の懸念があったと述べた。同村は2008年の四川大地震の後に建設された。(写真......続きを読む
四川省内で24日午前5時(日本時間同日午前6時)ごろに発生した大規模な山崩れについて、当局側の調べとして141人との連絡が取れない状態になったことが分かった。これまでのところ3人が救出された。それとは別に、生き埋めになっている女性1人と電話が通じた。救出作業側は気持ちをしっかり持つよう呼びかけている......続きを読む
四川省ガパ・チベット族チャン族自治州茂県で24日午前6時(日本時間同日午前7時)ごろ、大規模な山崩れが発生した。ふもとにある集落の約40世帯100人が生き埋めになったとされる。これまでに、生き埋めになった1家3人が救出されたなどの報道も発表された。現場は高い山の間を川が流れ、急角度の谷の斜面を形成し......続きを読む
こんばんは。梅雨に入り、ここ数年恒例の粉瘤発症と連日の畳の上での寝落ちでお疲れ気味の今週、ブログ更新も少し間があいてしまいました。九寨溝・黄龍日記の続きです。2日目、大熊猫博物館を出発し宿泊地の茂県へ向かいます。当時はデジカメじゃなかったのでフィルム代をケチって、移動途中の写真が全く無いのが悔やまれる。2002年当時、臥龍~茂県の移動は岷江沿いに切り開かれた舗装されていない山道のドライブでした。臥龍~映秀~汶川(四川大地震の震源地)~茂県、約180㎞の道のりを4時間30分かけて移動。
①ミャオ/モン族(呉系弥生人と同系統、Y-DNA遺伝子O系、参考)ベトナムの棚田中国貴州省独自の文字を持たなかった②チャン族(斉系弥生人や縄文人と同系統、Y-DNA遺伝子D系、参考)豚,羊,牛を家畜とする農業に従事し、牧畜業も兼ねる。特に井戸掘りと石造建築物の構造技術に長じる同族、ぺー族が作った大理国西夏を建国した羌族の末裔、タングート族は西夏文字を完成させた!同族のイ族が文字を維持している日本人とイ族の関係(参考)、、、日本人の新生児の9割以上に現れる蒙古斑が、雲南
古代、土井ヶ浜の斉系弥生人から古墳時代は石棺墓が主流であった。火葬は8世紀の持統天皇からはじまった。中国の古代の羌族も、古代のユダヤ人も例外的に火葬があるが、石棺墓に埋葬した。ユダヤ教と日本の神道には穢れの概念があることはよく知られている。ユダヤ教では罪人は火葬にする。チャン族も横死者(事故死者)は火葬とし、穢れ概念があるようだ!参考①キリストが生きた時代のヘロデ王の石棺墓が見つかった。(現代のユダヤ教徒は布を巻いて土葬する)【エルサレム/イスラエル2007/05/09AFP】イス
どうも、日本人とユダヤ人の関係は中国の少数民族を同時に研究する必要がありそうです。参考①ワサビを好む日本人とユダヤ人についての考察わさびは日本原産。漢字で書くと山葵。ユダヤ料理にはわさびが良く使われる。もちろん日本料理にも。ユダヤ人は食物に非常に気を使う。「何々は食べてはいけない」とか。ユダヤ料理のわさびは、どこが起源か。ユダヤ人がヨーロッパへ移入し、そこにあった「わさび」を食べるようになったとは思いにくい。ユダヤ人は食文化の伝統を重んじるからだ。だとすれば逆に、昔からユダヤの食文化
羌族は3000年以上前から存在し、縄文人のルーツであり、春秋戦国時代の斉を建国し、秦の国も同族の国で、ついには斉、秦は日本列島に渡来し、邪馬臺国からヤマト朝廷になりました。我々の本家である羌族を調べる。世界遺産の九寨溝、四川省西北部の「アハ・チベット族・羌族自治州」参考①中国文明:遊牧民族「古代羌族」の歴史(参考)を丸々コピぺし、新知識を挿入しました。この「羌」とは一体何者なのか?調べてみました。>羌という文字は甲骨文のなかに頻出する。商(殷)王朝と戦って捕らえられた羌人は人身御供
春秋戦国時代の斉国の首都、臨淄に思想家が集まり、各家の思想を互いに切磋琢磨して確立して行きました。特に著名なのが、孔子の儒教の他、孟子、老子、、、などです。孔子は弟子たちとともに自らを活かす仕官先を求め、長き放浪が始まります。まず彼が目指したのは、祖国魯と国境を接する大国『斉』でした。斉の国で君主に謁見を許された孔子。そこで景公に政治の要道を聞かれた孔子はこう答えます:君は君たれ。臣は臣たれ父は父たれ。子は子たれ顔淵第十二訳)君主は君主らしく、家臣は家臣らしく
邪馬臺国からヤマト、日本につながる渡来人として、縄文人、弥生人、秦氏があり、その関連を羌(チャン)族、斉、秦、呉と言う古代中国の民族、国の関係を明らかにしたが、これを完全に肯定した報告を見つけたので、以下の参考資料を見て欲しい。ここでは抜粋をコピーしたが原文のURLを添付する。ただし、誤解があり、チャン族は斉、秦(D系統)として、山陰を経由して邪馬臺国を建国した。吉野ヶ里は呉から渡来した呉系弥生人(O系統)で、直接のつながりは薄い。「徐福東渡時、連れて行った3000の童男童女は羌戎から集めた」
すでに報告したことをつなげて見ました。チベット東部の羌(チャン)族の民の祖先は、斉国人と同じく、うそ偽りは無く土井ヶ浜弥生人(邪馬臺国民の祖先)の祖先でした。そして、西夏文字を作った西夏人も羌(チャン)族であり、すなわち邪馬臺国民の祖先でした。秦の始皇帝の時代、1の斉の国は滅んで土井ヶ浜へ、2は羌(チャン)族の現在居住地、3が羌の本拠地、秦も羌も同じチベット系の遊牧民であり、江南の民(稲作の呉系弥生人のルーツ)は被支配民となっていた。参考①山口県下関市豊北町の土井ヶ浜に渡来した斉の民の故