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マニ車(大)B楽天市場マニ車って、なんだか神秘的な響きがしますよね。私も初めてマニ車を見たとき、その美しさと込められた意味に心を奪われました。今回は、数あるマニ車の中でも、特に注目されている「マニ車(大)B」について、徹底的にレビューしていきたいと思います。「マニ車(大)B」は、一体何が違うのでしょうか?他社製品と比較しながら、その魅力を深掘りしていきますね。この記事を読めば、「マニ車(大)B」があなたにとって本当に必要なのかどうか、きっと判断できるはずです。ぜひ
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************④では原理的に内観と外観をひとつにし、観だけになることで達成できますが、⑤はサハスラーラ・チャクラの中に入ることで第二の境をなくします。瞑目してサハスラーラ・チャクラを脳内に観ながら近づいてゆきますと、その光輝はどんどん拡大し、ついにはある瞬間その強烈な光が消えて、暖かで淡い光に包まれた状態になります。こ
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************陰気と陽気、つまりエネルギーの良し悪しといいますか、その質の違いをはっきりと感じ取れるようになりませんと、受け入れる際の選択ができないので偏差(間違った練習による神経系や体質の悪化)になりかねません。ですから、正しいシャクティパッドをできるだけ多く受けて、エネルギーの質の違いをわかっていることが、虚観を自習
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************④空間の歪みや波を肌で体感することは必要不可欠なことですが、いつまでもそれを楽しんでいては先に進めません。なぜならそのままでは、肉体とそれを包む雰囲気との境をなくすことができないからです。そこであえて自らの内部にその波を受け入れて、同化するようにします。そうすれば「ぶつかり」がなくなりますので、境が徐々に消え
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************③8番の観察は内観では不可能なので、外観を使います。内観は瑜伽之練体で練習しますが、この外観は繊細さを向ける方向が異なります。外観のコツとしては自分を包む大気を肌に近いところからその対流を繊細に観察し、それを少しずつ広げてゆきます。できれば良師について、空間の密度を高めるシャクティパッドを受けるといいで
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************②は当初、頭頂を出口として8番に注ぎ込みますが、慣れてきましたら各チャクラをバランスよく充実させた状態で全身から同時に放出します。このとき、内観と共に外観を併用するとわかりやすいと思います。頭頂から放出したエネルギーは、螺旋を描いて自分の身体の周囲を降下しますが、その向きはエネルギーの種類によって異なります
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************5.ヨーガの「観」とタントラの「観」さてこの一連の流れを整理しますと次のようになります。①1~7番のチャクラをバランスよく活性化させる②8番のチャクラに体内のエネルギーを注ぎ込む③外観によって8番のチャクラの動き(空間の歪み)を観察する④肉体とそれを包む雰囲気(8番のチャクラ)の境をなくす
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************ところで主要なナーディ(気道)であるスシュムナーは、一般に脊髄の中に位置すると言われていますが、それは正確ではありません。前述の境がなくなったときには、自分の存在全てが、このスシュムナーの中に入ってしまいます。ナーディはエネルギーの通る管ではなく、エネルギーの流れる道なのです。つまり導管というよりも気道と
〜ありがとう♡〜【今週の1枚】12/1-12/37〜チベットの高僧リンポチェからのメッセージ〜感謝の心を持つこと。今日起こるすべてのことに。Whateveryouencountertoday,approachitinaspiritofgratitude.朝、目が覚めたこと空気と水があること雨風しのげる家があること暖かい布団があること食べ物があること………感謝することって数えたらいくらでもありますね今日起こ
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************4.内観と外観の融合体内のチャクラと8番のチャクラの境がなくなりますと、実際に肉体の感覚がなくなります。腕を動かそうとしても腕がないのです。もちろん目を開ければ見えますが、瞑目していると、まるで無重力の空間にポッカリと自らの存在だけが浮かんでいるように感じます。これが空の体験そのものなのですが、サポートな
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************3.肉体感覚の消失ヨーガスートラでは、その8部門の5段階目に制感を置き、それから凝念-静慮-三昧と続けています。この凝念は1~7番のチャクラに対しては、ある種のバランスに基づいて働きますが、8番のチャクラに移行する際には、凝念と共に静慮のパワーが不可欠です。つまりその両者によって8番のチャクラは質的に密度
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************ヨーガでは昔からグルの重要性を言いますが、場面としては3回あります。その第一回目は、まさにこの局面です。8番目のチャクラが強くなりますと、その質がとても濃密になります。まるで液体状とでも言ってもよいかのような質感で、あきらかな波の動き、ゆらぎを感じます。私はそれを「空間の歪み」と言っていますが、これはあ
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************2.空間の歪みアーサナなどの技術によって、7つのチャクラがバランスよく活性化されたら、次はそのエネルギーを8番目のチャクラに注ぎます。これまでチャクラは7つしかご紹介していませんが、ヨーガを完成させる上では、恐らくこの8番目のチャクラが最も重要な役割を果たします。それはまさしく「止観」の鍵を握っているから
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************この止滅と観照は、天台智顗(ちぎ)の「摩訶止観」にも通ずる考え方だと思いますが、ここで注目したいのは、「止滅」のあとに「観照」がくる点です。ヨーガの定義が「止滅」であるならば「観照」はヨーガを超えたものなのでしょうか。心の作用が止滅した段階では、果たして、何が何を観照するのでしょうか。それについて同書は様
広島市東区牛田東の龍蔵院本堂内が改装され「龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院」になっていました。龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院は、高野山真言宗牛田山龍蔵院に設置された日本ではじめての本格的なチベット仏教僧院です。日本別院は、特にチベット式の建築物に改築するものではなく、龍蔵院の本尊さまである大聖歓喜天(観音菩薩の化身・ガネーシャ)・不動明王を今まで通りお参りしており、チベット仏教の総本山から派遣された、本格的なチベットの僧侶の方々が、毎日朝晩勤行や修行を行なっているそうです。・・・・
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************第6章サマディの階梯1.ふたつのサマディヨーガのゴールとして知られる三昧(サマディ)とはどのような境涯なのでしょうか。第3章でも説明しましたが、もう一度ヨーガスートラを参照したいと思います。同書第一章では、「ヨーガとは心の作用を止滅させることである」とあります。それがヨーガの定義だとすれば、何の為
先週は緑ターラー菩薩のマントラをきいたので今日は白ターラー菩薩のマントラをききました白度母心咒(チベット仏教の僧、堪布貝瑪千貝仁波切が歌う曲です)(CopilotはMicrosoftの人工知能です)▶Copilotの解説(堪布貝瑪千貝仁波切)堪布貝瑪千貝仁波切(KhenpoPemaChophelRinpoche)は、チベット仏教ニンマ派の学僧であり、深い学識と慈悲の実践で知られています。彼の唱える白ターラー心咒は、単なる音楽ではなく、修行者の心に直接響く祈りの力を
リングをご紹介します!avatara(アヴァターラ)AVR-74「チティパティ2」¥22,000(税込)全長約2.5cm"墓場の主"チベット仏教圏で行われる祭りで登場する骸骨の仮面。定番の「チティパティ」とは表現を変え、まわりの装飾・冠に拘ったデザインのリングです。こ
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************最後の第四の自我ですが、これは、マーイトリ・ウパニシャッドの「第四位」(19)やヨーガスートラの「第四の調気」(2-51)と区別して考えるべきかと思います。マーイトリ・ウパニシャッドの22では「無声梵の中に消融する」境地は、「自主の境地を得る」境地に等しくいわば最終段階なのです。だとすれば、無声梵は「第四の
感謝です。「冠」が豪華!清王朝は、満州族による支配だから、チベット仏教で「インド密教」!
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************マーンドゥーキァ・ウパニシャッドには(「ウパニシャッド」P289)「自我の四足と唵の音母」と題して次のように書かれています。「この自我は音綴として見れば、聖音『オーム』である。母音として見れば、その足(部分)をなすものが音母である。音母としての足はア音とウ音とム音とである。」(8)そしてア音については
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************マイトリ・ウパニシャッドでは、このようにオームについてかなり詳しく説かれています。特に唵を用いてスシュムナーを上がってゆくという辺りはなかなかのものだと思います。私は師伝で習いましたが、もしもウパニシャッドだけを頼りにしていたら、直観智に優れた余程の天才でもない限り、実現するのは難しいと思います。ですからウ
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************「かくのごとく気息と唵と雑多の万有とを結合するが故に、あるいは自らに検束を加えるが故に瑜伽(結合)という。」(25)「気息と意と、さらに諸官感の合一、一切存在の捨離、これを瑜伽という。」(25)「一書に説いていう」として(「ウパニシャッド」P286)「喩えば漁人が網を以って魚介を引き上げ、これを腹中の火
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************スシュムナーに生気が通り虚を体得すれば、いわゆる中空の竹となります。このときスシュムナーは我身の内部だけの存在ではなくなり、無とのリンクが確立した状態となります。そこで「脈管に気息と唵と意とを加え」て、真我を「上方に登」らせることによって、能動的な形で空を体得しますが、この段階ではまだ無との合一を果たすこ
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************ここでは6番のチャクラつまりアジニァー・チャクラに、生気を以って執持する方法が説かれています。技術的な話になりますが、「舌端を上顎に圧しつけ」ることで、先ずアジニァー・チャクラに生気を向けます。次に唵の振動と、意の内観と、息の調息を使いながら、アジニァーに対する執持を高めてゆき、直観智を引き出してゆきます
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************「他書に説いていう」として(「ウパニシャッド」P284)「もし賢者あって、意を制し、調気して、感官の諸対象を遠ざけ、かくして、無思慮の状態に立ち得るならば、元来生気(プラーナ)と呼ばれる生命(個人我)は非生気から生じたものであるから、彼はこの生気を調気によって第四位と名づけられたところに執持することができる
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************まずマーイトリ・ウパニシャッド(別名マーイトラーヤナ・ウパニシャッド)ですが、これは黒ヤジュル系の文献です。(「ウパニシャッド」P274)18の「瑜伽行法」の出だしは「六支よりなる瑜伽」で、これは「調気、制感、静慮、執持、思択、等持」をその構成要素としています。ヨーガスートラの八部門とは多少異なりますので、
この日も観光しながらの移動日となる。山頂には仏塔が見られた。こちらはお城か僧院か。中国人が一生に一度は走りたいという絶景がつづく国道318号線(上海~ラサ)の上海から5000㎞地点にある道の駅?で一休み。観光客から餌をもらって生きているロバ。『ギャ・ツォーラ峠(標高5,284m)』チョモランマ(エヴェレスト)の展望地だったが、天候そのものは悪くないが遠くの高い山には雲がかかっていたためチョモランマは見えなかった。この
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************さて聖音の反復誦唱(ヂャパ)ですが、ヨーガスートラに従って「この聖音を反復誦唱し、そしてこの音が表示する自在神を念想」(1-28)したとして、果たして三昧に到達できるかというと、それは無理だと思います。ヨーガスートラでも「この行法を習得するならば、内観の力を得、ヨーガに対する障害を無くすことができる。」(1
ヨーガとタントラについて技術的な側面から解説します。(「ヨーガの極意」より)***********************************************かつてはヨーガといえば苦行の印象がありました。この行事ヨーガの句(2-1)の解説にも書かれていますが、苦行は語源がタパスという熱を意味する語であり、実際に身体に火を当てるなどの荒行を意味していたそうです。さらに博士は「ヨーガでは苦行は、人間の心にひそんでいるけがれを去るのに必要な行事とされている。しかし、