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「神戸ニニンガ日誌」(第3,544号)【金曜日は過去の号を再録します】○「【おばんです!青森】のお時間です。33年前の昨日、凶弾に倒れたジョン・レノンをイタコの口寄せによって降臨させようとここ恐山に来ております」○「ご案内とイタコの通訳をしてくださる、五所川原さんです。おばんです!」「はいス」「五所川原さんのご職業は」「なにやワスのしゴてサきくけ。まァこんたら、キよードスかタっちャら」○「本日は、郷土史家の五所川原さんと恐山に来ています。あれがイタコさんでしょうか」「イタコ
■ジョン・レノン1980年12月8日。この日、ジョン・レノンは、自宅のダコタ・ハウスの前で、マーク・チャップマンに撃たれて亡くなりました。ジョン・レノン、1940年10月9日生まれ。本名ジョン・ウインストン・レノン。誰もが知ってる、世界的なミュージシャン。そのジョンに纏わる、ちょっと良い話。ジョンが、お忍びでオノ・ヨーコと日本の軽井沢に滞在していた頃の話。ある日、彼らが立ち寄った喫茶店の有線で、偶然にも「サザン・オールスターズ
今日はJohnLennonの命日何処そこもビートルズの曲がかかっているのだろうご冥福を1995年にNewYorkを訪れた際にダコタハウスに行った事を思い出した
1980年12月8日夜、ニューヨークの自宅であるダコタハウスの前で凶弾に倒れ非業の死を遂げたジョン・レノン。享年40歳本名ジョン・ウィンストン・オノ・レノン(JohnWinstonOnoLennon)イングランド・リバプール生まれのイギリス人。ご存命なら85歳。このショッキングなニュースはよく覚えている。事件が起きたのが12月8日夜。ということは日本時間で9日の午前中。当時、25歳だった私はデートの帰り道、吊り革を握って電車に揺られていた。ふと隣のおじさんが広げていたタブロイ
今日はハロウィンだったからか?夜の配達時にセントラルパークで花火が打ち上げられてました🎆超有名高級アパート「ダコタハウス」の後ろ側に花火が見えます👍https://ja.wikipedia.org/wiki/ダコタ・ハウス
皆さん、こんにちは!今日はニューヨークの超高級マンションダコタ・ハウス*を見学に行ってきました*英語ではtheDakotaもしくはtheDakotaApartmentsもちろん外から眺めるだけですがCentralParkWestbetween72nd&73rd正面玄関は72ndStreetにあります↓これまでも数々の著名人が住んだそうですが中でも特に有名なのはジョン・レノンとオノ・ヨーコジョン・レノンが銃弾に倒れたのもここでした1980年12月
ご訪問ありがとうございます🙇♀️ニューヨークよりお届けしているタコです。お初の方は私と家族紹介もう数年イエローキャブ🚕に乗っていない。ウーバーに乗り換えたのではない。私はウーバーには3回くらいしか乗った事はなくそれも友人や息子が呼んでくれたので自分では呼び方も知らない時代遅れ者…😓キャブやウーバーに乗らないのはお金が勿体ないのも勿論あるけどマンハッタンの街中をトロトロ走ったり止まったりされると車酔いしてしまうからなので地下鉄かバスか歩きが常
ダコタハウスストロベリーフィールドジョレノンの歌を歌う方が、今日もいましたセントラル・パークの小鳥さんすずめ?子供?リス公園を抜けると、カーネギーホール今日の演目は、学生オケまた、次回にするかな5番街に向かいますルイヴィトントランプタワー中に入れますトランプさんの帽子を売っていたり、カフェがあったりトイレをお借りしましたトランプさん、ありがとうございましたティファニーへ向かいます
⚾️今日の「デーゲーム・ランチ配達」⇧最初の2時間分⇧最後の30分今日の「デーゲーム・ランチ配達」中の天気予報は(9〜12時)、5℃〜6℃の晴れ時々曇り🌤️4月に入ったというのに「5℃」ですかい〜❗️真冬じゃないですか〜❗️しかし今日は久々に「晴れ」が見れました〜❣️コレだけで結構嬉しいアラフィフ・フーデリ配達員www幸せ閾値、低っ😂晴れ〜晴れ〜晴れ〜🌞フレーフレーフレー?wwwワタクシ、「晴れ」というだけで写真撮りたくなるのです🌞♪🌞ほら、目の前の木々さんも花咲かせて喜んでます
音楽備忘録(32)「ジョンの魂よ、永遠に!」①それは、1980年12月9日のことだった。いつものように飲み歩き、酔っぱらって深夜に帰宅するとラジオをつけた。サザンオールスターズの桑田佳祐の声が聞こえてきたが、それは普段とは違う沈鬱な声だった。「ジョン・レノンが死んだ」言葉ははっきりと聞き取れた。しかし、その意味するところが全く頭に入ってこない。酔いは一気に冷めていた。「ジョン・レノンが死んだ?この人は一体何を言っているのだろうか?」悪い冗談だ。だが、ラジオのチャンネルをどこに合わ
ニューヨーク旅行、続きです。↓↓前回↓↓『ハッピーアワーでオイスター!〜⑩ニューヨーク旅行』ニューヨーク旅行続きです。↓↓前回↓↓『ニューヨーク近代美術館へ〜⑨ニューヨーク旅行』ニューヨーク旅行、続きです。↓↓前回↓↓『お土産もの探し【グランドセント…ameblo.jp2025年1月のニューヨーク。旅行の前半は、まだまだ寒さはマシでしたが、寒波が訪れて、一気に冷え込んできました。この日は−7℃くらいだったようです。湿度が低いので、体感的には日本で想像するよりはマシだったけど、それでも
W73st左手にはダコタハウスW72stダコタハウスエントランスこの日、12月8日はジョンレノンの命日でした横断歩道渡って…セントラル・パーク側へ追悼集会?でごった返していましたストロベリーフィールズの「imagine」モニュメントには辿り着けず…岩盤の上に各国の標記プレートが貼り付けていました📝もちろん、JAPANもコンドミニアム「TheSanRemo」確か…撮影は篠山紀信でしたねジョンが射殺後、高校3年の時に買ったLPレコードBowbridgeはプロポーズの
24年12月9日読書の時間〜ジョン・レノン最後の3日間THELASTDAYSOFJOHNLENNON〜昨日、12月8日はジョン・レノンが凶弾に倒れた日1980年12月8日…ジョンはダコタハウスの前で男に撃たれた男の名はマーク・チャップマン本書は、ジョンとジョンを撃った男のストーリーが並行して進むドキュメンタリージョンが亡くなって44年今年も街にはHappyChristmas(WARisOVER)が流れるでも戦争は終わらないtarezo…(T_T)y-.。o
こんにちはいつもblog訪問ありがとうございます。穏やかな天候に恵まれた1980年12月8日の米ニューヨーク。深夜若い男が英ロックバンド、ビートルズ(TheBeatles)の元メンバー、ジョン・レノン(JohnLennon)さん(当時40)を背後から拳銃で4発撃ちました。ジョンは妻のオノ・ヨーコ(YokoOno)さんとレコーディングスタニューヨーク市のダコタハウスジオから帰宅したところでした。ジョンはパトカーの後部座席に乗せられて病院に搬送されまし
12月8日快晴の日曜日。松屋で朝ごはんを食べて、chocoZAPでジョン・レノンを聴きながら少しだけマシンをやった。残念ながらマッサージチェアは予約できなかった。ジョン・レノンがダコタハウスの前で撃たれて24年。
12月8日「ROCK今日は何の日?」1980年、ジョン・レノンが自宅のあるニューヨークのダコタハウスの前で射殺される。約5年間音楽活動を休止した後、音楽界に復帰した矢先だった。この日から、音楽の周りが少しずつおかしくなり、現在に至ってると感じるのは気のせいだろうか…
12月に入ってこの日が近づくと、やっぱりジョンの記事を書かなくちゃと思う(^^;)ぼくは90年代NYに住んでいた時に、セントラルパークのストロベリーフィールズ記念碑やダコタハウスにも行ったりしたんだけど、さすがダコタハウスの玄関前に行ったときは、感慨深い気持ちになったことも懐かしい。そう・・・ジョンはその場所で射殺されたわけなんだから・・・当時ジョンを射殺したマイク・チャップマンはジョンの狂信的ファンだったなんて報道されたけど、今思えばDS(ディープステート)の仕業だった
10月9日はジョン・レノンの生誕日ですね♪毎年この時期になると思い出すのが、ニューヨーク時代の記憶です。90年代前半に3,4年NY州のブルックリンに住んでいたのですが、今思えば、マンハッタンのダコタハウスやセントラルパーク内にあるストロベリーフィールズ広場に行ったことがなつかしいです(^O^)上の画像はNYにいたときに、よく行ったセントラルパークにあるストロベリーフィールズのそば。写真には写ってませんが、このそばの地面に記念碑のサークルがあります。写真は光ってしまっているけど
精神的恐怖を描いた古典オカルトホラー現代で言う"劇場型詐欺"のような日々が徐々に彼女を苦しめてゆく様に観ていて背筋が凍るローズマリーを演じた60年代ファッションを身にまとうキュートなミア・ファローがラストにくだした決断が母性とも狂気ともとれるこれこそ最大の精神的ホラー
「ジョン・レノンが暮らした家」が8億8000万円で販売中|ForbesJAPAN公式サイト(フォーブスジャパン)ジョン・レノンは、ニューヨークのダコタハウスで暮らしていたことで有名だが、彼はその前に恋人のオノ・ヨーコと共にソーホー地区に住んでいた。レノンは、ビートルズの解散直後の1971年にマンハッタンのブルーム・ストリート496番地にある2階建ての...forbesjapan.com
「ジョン・レノンが暮らした家」が8億8000万円で販売中「ジョン・レノンが暮らした家」が8億8000万円で販売中|ForbesJAPAN公式サイト(フォーブスジャパン)ジョン・レノンは、ニューヨークのダコタハウスで暮らしていたことで有名だが、彼はその前に恋人のオノ・ヨーコと共にソーホー地区に住んでいた。レノンは、ビートルズの解散直後の1971年にマンハッタンのブルーム・ストリート496番地にある2階建ての...forbesjapan.com
今回の旅行は観光もあるけど,健康診断がもう一つの目的だったみたいにゃん。おとーしゃんの勤務先ではペルーは「不健康地域」に分類されるから,国外での健康診断をすることができるんだって。それでどうせならってNYCに行ったにゃよ2022年7月25日7時半頃起床。今日は健康診断なので,10時15分頃にホテルを出る。途中迷ってしまったので,病院に電話して10時40頃やっと到着。私から健康診断をした。ドクターの問診と診察,血液検査と尿検査をした。ドクターは70歳代の日本人の女医さんでとてもチャ
今日8日から仕事始めでした💪😉さて、数日前にセントラルパークの72丁目&西側にある「ストロベリーフィールズ」🍓に行って来ました🎶目の前には、ジョンレノン&オノヨーコが住んでいた「ダコタハウス」が👀✨この建物の玄関前でジョンレノンは1980年12月8日に射殺されてしまったのです😭オノヨーコさんはつい最までココに住んでいたようですが、コロナ禍にニューヨーク州の郊外の農場地に引っ越したそうです😌実は私の知人がダコタハウスの2〜3軒隣りに住んでいて、この後お邪魔して来ました😁✌️「ストロベリ
12月8日はジョンが亡くなった日です。いいねを付けてくれた人がいらしたので去年書いたこの記事を思い出しました。12/23の路上ライブの仕込み中
ジョン・レノン命日平和かな?ジョン?
◆1980年の今日‥‥ニューヨークで起きた惨劇は,43年経った今でも決して忘れる事が出来ません。ジョン・レノン‥‥今ではもう聴く事がなくなったラジオに耳を傾けて洋楽を聴いていた中学生の頃。未だ日本の人口が1億人に達していなかったんだと分かる(笑)「9500万人のポピュラーリクエスト」で゛ビートルズ゛を初めて聴いた。直ぐに彼らの虜になった。「ミュージック・ライフ」や「ティーンビート」といった音楽雑誌も買いまくり,読みあさった。1966年の「ビートルズ来日公演」の゛プラチナ・チケット゛も抽選に当
今日はジョンの命日。1980年の今日、NYのダコタハウスの前でその悲劇が起こりました。当時ぼくはロックバンドをやっていて、メンバーからその知らせを聞いた時には、とてもショックで泣きそうになりました。上の画像は90年代NYにいたときに、よく行ったセントラルパークにあるストロベリーフィールズのそば。写真には写ってませんが、このそばの地面に記念碑のサークルがあります。写真は光ってしまっているけど文字が刻印されています。5年ぶりに『ダブル・ファンタジー』と言うニューアルバムを
TVBS新聞網の昨日の記事からです。約翰藍儂「自家前遭狂粉槍殺」震撼全球恐怖未公開畫面曝光ジョン・レノンが「自宅前でファンに射殺」され世界に衝撃を与えた、恐ろしい未公開映像が公開された羅子欣的故事•8小時圖/TVBS©由TVBS新聞網提供史上最偉大搖滾樂團「披頭四」(TheBeatles)主唱約翰藍儂(JohnLennon)在1980年12月8日,於紐約住所外遭瘋狂粉絲馬克大衛查普曼(MarkDavidChapman)槍殺身亡,令全球樂迷震驚與
陽水さんこんばんは連休のドライブのお供はビートルズの赤盤、青盤にしました。陽水さんが歌ってた曲が聴きたくなって。。〈今日の1曲〉「ANDILOVEHER」1981年小室さんのNYコンサートに陽水さんと拓郎さんがついていきセントラルパークダコタハウス前で歌ったこの曲。陽水さん達が歌ってた目の前をオノヨーコさんが通るという偶然!皆さん、まさかねと思いながら歌い終わった後にお互い確認して呆然だったみたいで。。陽水さん的には「ジョンレノンの曲だったら良かったの
グランドゼロを後にし…そろそろお腹が空いてきました☺️🚐🌬️🌬️前日に行ったディナクルーズの港⚓🚢チェルシーピアーズの近く徒歩🚶8分の距離👇❺チェルシーマーケットここでランチと買い物🛍️🛒元々、生肉工場が🏭多いエリアでチェルシーマーケットはお菓子工場を改造15年間、愛されてきたマーケットここでランチを食べます🙌🥳