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娘を妊娠したのが🤰お兄ちゃんが11カ月の時まだまだ抱っこ、後追いの時期一人目の時は体がしんどい時はダラダラすごしていたけどそうもいかずつわりもダラダラ続いたけど検診は毎回異常なし、順調!(身長高いねとか心臓もちゃんと動いてるねって言われてたからなんの疑いもなかった)ただ若干逆子気味かなと言われてた結局戻ったけど体重もそんなに増えず出産した時は多分+6キロくらい特に気になることもなく過ごしてましたそれが35w3d予定日1か月ほど前夜中にトイレに行ったら「あれ、出血
療育のはじまり………その前に、そもそも療育って何??!!状態の私で本当に恥ずかしながら、『療育』というものを知りませんでした。スーちゃんが生まれ、入院、手術、言われるがままその病院で理学療法士によるリハビリ………そのあと何をしたらいいの???この子のために何をしていけばいいの???よくわからず、誰に何を聞けばいいのか、いや、その前に何を聞けばいいのか分からない。分からない事が分からない。悲しい…………。そんな暗闇の中を歩く日々でした。そんな中、たまたま知り合いの歯科の医師が、
2013年7月25日ついに出産の日に………パパと、母、義理母3人で仕事を休んで病室にきてくれ、その時間を待ちましたが………待ちましたが………あれ、9時の予定時間を過ぎても、看護師さんも来ない………10時30分をまわるころ、担当医であり、帝王切開執刀医である医師が、慌てた様子で半分手術直前の格好で、私の病室にはいってこられ、大変申し訳ありません。いま、1500グラムの赤ちゃんの妊婦さんがこちらに救急搬送されてきます。急ぎでそちらの手術に切り替わり大変申し訳ないですが、こちらの帝
病院生活も数日数日が長く感じました。長いトンネル。幸せな出産のはずが、不安しかない日々。病室の方はみんな暖かい方で、それぞれ色々な状況にありながらみなさん日々を過し。。一人でいたら、人と話さなかったら、気持ちは紛れなかったし、今思えば(2021年の私)有り難くラッキーだったなぁと思います。この日の私を振り返り、未来の私が、思うのはこの時の私自身は気がついてないけども、孤立したりせず、人と話すことの大切さに、この先、私はどんどん気がついていきます。ただしばらくは閉塞的で、人
私が切迫早産入院中は、とにかくダウン症疑い胸水をネットで検索しながらベッドの中でひたすら泣くことだった。毎日、夢ならさめてほしい。毎日朝起きて………あぁ…病院かぁ。夢じゃないんだ。と毎日毎日がっくりして、今思えば大事なスーちゃんがお腹にいるのに、可愛く思えなく、私は最低な人間だ。私も生きてる資格はあるのか………と死んでしまえば楽だよな。と体が宙に浮くような変な感覚を度々味わうようになりました。ほんとに人生初めて、自分は最低な人だったと思うように。。どんな子で、どんな顔
2日経ち、紹介状をもってすぐ大学病院に。。この後知りましたが私の母のパート先の人が明らかに違うとすぐ分かるくらいに母も仕事中…憔悴しきって、不安で、心配で、このあたりから、2ヶ月ほどまともに食事が取れなかったそうで。。。家族みんなの不安との戦いがこのあたりから始まることに。こんなに絶望で、夢と現実が分からないくらいの精神状態で、行った先の大学病院の診察で、医師は………うーん。もう、すでに一度前の産婦人科でお話があったかもしれませんが、ダウン症の可能性はあります。…………頭をもう一
そしてそしてついに里帰り出産の時期に近づいてきました。お腹のハリが尋常じゃなく、チクチク、ズキズキ痛みもありながら、初産婦のため、(知識薄で)みんなこれに耐えてるのかと、酷い勘違いをしながら激しい痛みに耐えつつ、里帰り✨✨✨ついにこの日がきたなぁと、しみじみしながらも、パパも一緒に来てくれたので、お世話になる産婦人科に健診へ。いつものようなエコーを、エコー技師さんにしてもらって、帰る…が、普通の流れでした。エコーをしながら、赤ちゃんをみてパパが画面をみて、かわいいねと
はじめましてこんにちは。2013年7月にダウン症をもって生まれた、うちのスーちゃんのことを書き綴っていきます。2012年冬に妊娠が分かり、結婚4年目に心待ちにしていた赤ちゃん。妊娠が発覚し、飛び跳ねるような嬉しい気持ちで、興奮を抑えきれなかったあの日。わたしの酷いつわりと、赤ちゃんがお腹にいるんだ✨という幸せが入り交じったなんとも言葉にならない妊婦生活✨がはじまりました。妊婦が安定してからは、毎回いく妊婦検診は、つわりで食べれなくなった『私の体重がどんどん減る』くらいの問題程度…