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嬉しいお知らせと、残念なお知らせになります。前回ご紹介致しました↓↓『【心のための本ブックレビュー第六冊目】『タタール人の砂漠』ブッツァーティ』普段滅多に好みが一致しない私と森見登美彦氏がめずらしく「これはおもしろい」で一致した一作。-万城目学今回ご紹介する作品は、文学作品に限って言えば、当…ameblo.jp当店随一のお薦め本!ブッツァーティ『タタール人の砂漠』が大好評です!!そして、残念ながら手元の在庫を完売してしまいました。ご存知の方もいらっ
普段滅多に好みが一致しない私と森見登美彦氏がめずらしく「これはおもしろい」で一致した一作。-万城目学今回ご紹介する作品は、文学作品に限って言えば、当店で一番のお薦め!!といって良い程の作品で、うちの店から何万冊でも売りたい!と本気で思っている作品となります!!心が揺れる、人生が揺れる!奇跡的な名作!!『タタールの砂漠』ブッツァーティ脇功訳小説好きの方ならば、森見登美彦氏と万城目学氏の両人が賞賛しているだけでこの作品の価値は伝わるのではな
地元の新刊書店前のオープンスペースに、複数の古書店が6、7台のワゴンを出す形のささやかな“プチ古本まつり”はその後も順調に続いているのだが、私にとっては、ちょっと困ったことが持ち上がっている。◆プチ古本まつり?『年金と古本』年金事務所で年金の受け取り手続きを済ませてきた。これで私も今年の7月あたりからやっと年金を頂くことができるようになるのだ!(^0^)これまで受給繰り下げし…ameblo.jpそれは、私が欲しい本がなかなか減らないことである。どういうことか?
「読書」。『タタール人の砂漠』(ブッツアーティ著)読了。ある一人の兵士の生涯を描いた作品なのですが、ほとんど何も出来事が起こらず、単調な労働と生活を繰り返し、「何か起こるはずだ。」という思いを持ちながら月日が流れていく小説なのですが、最後の展開を読んで、「何も特別な人生じゃなくても良いと一庶民の人生を肯定してくれる世界文学」だなと思いました。ともすると、「特別だと思われたい」という強迫観念や、「君は世界に1人しかいない特別な存在なんだ」と言われたりする長年の自分らのフィル
「タタール人の砂漠」(原題:IldesertodeiTartari)「タタール人の砂漠」プレビュー1976年10月29日公開。辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちながら、緊張と不安の中で青春を浪費する将校を描く。原作:ディーノ・ブッツァーティ「タタール人の砂漠」脚本:ジャン=ルイ・ベルトゥチェリ、アンドレ・G・ブルネラン監督:ヴァレリオ・ズルリーニキャスト:ジャック・ペラン:ジョヴァンニ・ドローゴ少尉マックス・フォン・シドー:ホルティス大尉
イタリアの作家、ブッツァーティ作品を読んだ。人生そのものを描いた作品。なるほど、新鮮な感じがしてなかなかおもしろかった!主人公はドローゴ。この本には、彼の(あるいは多くの人にも当てはまる)人生が描かれている。とはいっても、その人生はドラマチックでもなんでもない。彼に何が起こったか?いや、とりたてて何も起こらず、淡々と時間が流れていくだけ。単調な日々の積み重なりにしかならない人生。時は無情に過ぎるものだから、誰にでも平等に老いがやってくる。じわじわと来るから、まだ元気
海の向こうから黄砂が襲来するという。石ころと乾いた大地のむこうから風をつかって襲来するという。続きはこちらで↓http://blog.livedoor.jp/artmania_3-artmania_3/archives/90426322.html【黄砂の襲来】:artmania_3のblog海の向こうから黄砂が襲来するという。石ころと乾いた大地のむこうから風をつかって襲来するという。岩と赤茶けた地滑りの跡にある砦で自警軍がこれまで十八年警戒に当たっているが黄砂を目撃したことはないとい
綺麗な表紙でしょ~?岩波文庫赤719-2「タタール人の砂漠」ブッツァーティ作こないだから、この著者の本を続けて呼んでいる。でも最初に読んだのは「古森のひみつ」って岩波少年文庫だったし、二冊目は「神を見た犬」って光文社古典新訳文庫でショートショート風の短編集だったから、容易に読めたけどこの「タタール人の砂漠」は340ページの長編だし、第二次世界大戦前の古典だし、これは読むの大変だぞ!って思っていた。辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちつつ、緊張と不安の中で青春を
上手くいかないから不幸なのではない、貧しいから不幸なのではない、それだから不幸なのだと思ってしまう考え方が不幸なのだ。イタリアの作家ブッツァーティの小説は読者に主人公の人生の最後に立ち会わせ、それを問いかける物語だ。一元的な物の見方を否定し物事に違う観点を与える。幻想的な22の短編集。10代の頃、彼の長編「タタール人の砂漠」で頭をガツンとやられた。それと同じ気づきがこの短編集にも詰まっている。謎の怪物コロンブレに殺されまいと逃げ続けた男の話、護送大隊をたった一人で襲撃しようとする年老いた山賊
先日、『シチリアを征服したクマ王国の物語』の映画を見て、原作を読んだので、この有名な作家の代表作も読んでみたいと思った。何しろ20世紀の小説100話の1つに選ばれているのだし。ネタバレです。「タタール」というからモンゴルをイメージしていた。だが冒頭にバスティアーニ砦とある。これを検索したら、ディーノ・ブッツァーティのこの小説"IldesertodeiTartari"に着想を得た映画が近年につくられていた。1976年にもエンニオ・モリコーネの音楽で、ジャック・ペラン、ヴィットリ
ブッツァーティの長編小説『タタール人の砂漠』を読了しました。辺境の砦に派遣された将校が、襲来する敵との戦いを待ち望みながら、結局は何も起こらず、凡庸な人生を砦で送るという、実に空しい話です。しかし、そこには、万人に共通する人生の縮図が見て取れます。ディーノ・ブッツァーティ(1906年~1972年)はイタリアを代表する作家の一人です。新聞記者(特派員)をしながら、小説を書きました。第二次大戦後のイタリアは、文芸、映画などでリアリズム(ネオ・リアリスモ)が称揚され、ブッツァーティのよう
『タタール人の砂漠』(ブッツァーティ著)を読了。辺境の砦で、いつ襲来するともわからない敵を待ち続けた、将校の人生を描いたもの。痛いです。ざくざくと突き刺さってきます。期待と不安を抱くだけの人生の寂寥感。このままいったら、自分も主人公のような幕引きを迎えるのかな…という怖さに襲われました。ヤバい。何かしなきゃ。まだ体力と気力がわずかでも残っているうちに。それにしても、男の嫉妬の惨たらしさも、まざまざと感じる作品。同じ夢を抱きながら、長年、生活をともにしてきて、夢
←『世界の名著〈第14〉アウグスティヌス』(山田晶(編集)中央公論社(1968))大学生になって間もない5月に入手し読み始めた。4月17日、伊達政宗もゆかりの深い、瑞巌寺へ。桜が満開で、仙台が自分を歓迎してくれているように感じていたっけ。悲しいかな、何ゆえに本書を手にしたのか覚えていない。中央公論社の世界の名著シリーズを高校生の頃より片っ端から読み倒さんとした一貫だったのは確か。内緒だが、アウグスティヌスのこの「告白」には、性慾との凄まじい格闘が赤裸々
→先の集団からは離れたところで、二羽だけ、付かず離れずに。この二羽も間もない夕暮れには、二羽だけの塒に?訊くだけ野暮か。富山(北陸)に、春一番が~掃除したての我が家の庭にも。夜中、家がガタガタ揺れて、怖かった。今、仕事中。夜半過ぎに帰宅して、外を見て回る。落ち葉が散らばってるだろうが、他にもいろいろ心配。翌朝、庭を少し見て回ったが、心配したほどはあれていなかった。落ち葉などは散らばっていたけど、散るべき葉っぱが少なく、樹木の下などに敢えて散り敷いてある落ち葉が多少、風に舞
←ブッツァーティ著『タタール人の砂漠』(脇功訳岩波文庫)「辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちながら,緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ―」。今日(土曜日)も、庭仕事。足腰の鍛錬と言い聞かせて。ブッツァーティ作の『タタール人の砂漠』を三日前、読了した。本書についての簡単な感想は既に書いている:「『タタール人の砂漠』から『死者の奢り・飼育』へ」ここでは違う観点から(大概の感想文では、さほど大切ではないからか、触れられていないので
→昨日は、むきになってしまい、草むしりや落ち葉拾いをやり過ぎた。いざ、読書しようとしたら、足腰の疲れ、それと、部屋着だったことでの負荷もあったのだろう、居眠りウトウトがいつもよりひどく、ほとんど読めなかった。天気がいいからって、調子にのるもんじゃない。画像は、富山市石倉にある延命地蔵尊。湧き水を汲みに、日中は人影が絶えない。夜は、ひっそり。怒り!学校のアンケートに、少女が、父親に暴力を振るわれている、と書いた。そのアンケートを父親が学校に要求。学校はさすがに、個人情報だとして拒否。と
←ブッツァーティ著『タタール人の砂漠』(脇功訳岩波文庫)「辺境の砦でいつ来襲するともわからない敵を待ちながら,緊張と不安の中で青春を浪費する将校ジョヴァンニ・ドローゴ―」。カボチャと焼き芋、食感、まるで違います!ポテトサラダ、OKです。中のキュウリも(小さければ)ニンジンも食べられます(生だから)。不思議に、酢の物の中のキュウリもOK。多分、生だから。雪が降らないものだから、冬のこの時期も草むしり。地上部分はようやく生えている程度だけど、根っこの張り具合の凄さ
こんにちは。ご無沙汰しています。今日は一緒に普遍的なテーマを考えましょう。人間はどこまで他人に共感できるようになっているのでしょうか。いろいろ考えて、私は3つのレベルに分かれると思いました。①浅いレベル類似する体験が無い他者に対して、「大変ですね」と言ったり、理解しょうとしたりします。しかし、自分の中でどこかほっとすると思います。例えば、どこかでテロ攻撃やハリケーンの被害があることを聞いたら、もちろん悲しくはなりますが早く忘れてしまうでしょう。②近い体験を持つレベル
はじめての方へ「我が生涯に一片の悔い無し」この物語が今の自分の〝心に刺さらない〟ことは幸いだったなと思います。あ、上の画像の拳法の継承者争いな物語のことではないですよ。^^;しかし、もしもこれまでの幾つかの場面で〝勇気をもって進む〟選択あるいは〝場を見切って退く〟決断をしないままのアラフィフの今であったとしたらきっとこの物語の主人公のように……タタール人の砂漠(岩波文庫)907円Amazon「アラフォー以上が読むと半端なく〝刺