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ガンダ~ラガンダ~ラTheysayitwasinIndia~ガンダ~ラガンダ~ラ愛の~国ガンダ~ラ私の脳内にタケカワユキヒデなまりの英語が流れてきます。世代的に、三蔵法師は夏目雅子さんです。美しい顔を曇らせて低い声で「悟空・・」と叱る、その横顔は今でも記憶に鮮やかです。歌とドラマの影響力で、私たち世代は、ほぼみんな「ガンダーラ」ということばを覚えました。これ、すごいことですよね。玄奘さんは確かにガンダーラに行っています。ここは仏教美術が花開いた有
片付シリーズ第6弾です。パキスタン・タキシラ遺跡のタキシラ博物館で入手したものです。これも小さなものなので額装しています。タキシラは、古代インドやインドスキタイコインで出てくる広義のガンダーラ地方の中心都市の一つで、広い範囲にインドグリーク〜クシャン朝の大規模な遺跡が残る世界遺産です。タキシラ遺跡と博物館(グーグルマップより)素焼きの玩具(クシャン朝時代)タキシラ博物館の展示と同様の玩具(下部に左右に貫通する丸い穴が空いていて、そこに車輪の軸を通すと博物館の展示のようになります。こ
タキシラ遺跡の続きです。タキシラには多くの見処がありますが、特に有名なのは、ダルマラージカ(Dharmarajika)、ジョウリアン(Jaulian)、シルカップ(Sirkap)、モーラモラドゥ(MohraMoradu)。今回はこちら4箇所を訪問してきました。ダルマラージカ(Dharmarajika)ここにはアショーカ王が作った巨大な円形のストゥーパ(仏塔)が残っています。直径45.7m、高さ13.7mで、なかなかの迫力です。こちらでガイドさ
昔から遺跡や古代文明に興味があったチュリ。一時はロンドン大学で考古学を勉強する予定でもありました。考古学を勉強して将来食べていけるだろうかと考えたとき急に不安になり、結局現職に関連する分野に進んで今のチュリがあるわけですが、今でも機会があれば遺跡巡りをしたくなります。若い頃からなぜだかアッシリア帝国やヒッタイト王国に傾倒していたのですが、それと同じくらい惹かれるのが東西文明が融合されたシルクロード周辺の文明。ガンダーラ美術を一目見てみたい、遺跡を訪問したいと強く思っていた
古代インド16タキシラ(Taxila)2前回に続いてタキシラのローカルコインの紹介です。今回は、カローシューティ文字・ブラフミ文字銘の入った「ギルドコイン」と、ミッチナーの図録収載のタイプとは異なるものを紹介します。タキシラ・シルカップ都市遺構(出典:ウィキ:SirkapCity.JPG(2832×2128)(wikimedia.org)タキシラのローカルコイン(2)上段:「ギルドコイン」下段:その他のタキシラコインA.「ギルドコイン」
古代インド15タキシラ(Taxila)1タキシラは、現在のパキスタン・パンジャブ州にあり、首都のイスラマバードの近郊です。古代遺跡が広い範囲に分布し世界遺産に登録されています。都市遺構は場所によっては10メートル以上遺物が堆積していて、今でも発掘調査は続いているはずです。(従って、コインもまだ沢山出土していると思われます。)タキシラ出典:ウィキ(File:Pakistanrelieflocationmap.jpg-WikimediaCommons)タキシラ
古代インド3ガンダーラ・タキシラ(Gandhara/Taxila)PMCガンダーラ地方のプシュカラバーティやタキシラのいわゆるベントバー銀貨に代表される一連の銀貨の紹介です。タキシラは、インダス川の東側で、パンジャブ地方に位置しますが、この時代のコインという観点からは西岸のガンダーラ地方もほぼ同じようなものを発行しているため、ガンダーラのベントバー銀貨とひとくくりにされています。(アケメネス朝ペルシャ~アレクサンドロス大王時代の呼称であるParapamisadae地方が、カブール峡
インドスキタイ15ビジャヤミトラ(修正版)Vijayamitrarev.(在位紀元前12年~紀元後10年頃)先日アップしたビジャヤミトラの記事ですが、次の記事(インドラバルマとアスパバルマ)の作成中に、分類を間違えていたものが複数出てきました。アパラカラジャスのコインは、基本デザインは同一の劣銀貨で、表面のギリシャ銘はアゼスでしかも文字が崩れて錯誤もあり分類上意味を成しません。一方、裏面のカローシューティ文字銘は発行者により異なる銘が刻まれていますが、この文字を本気で読
インドスキタイ10アゼスII世(その4)AzesII-4(在位紀元前35-5/7/1年頃)アゼスII世の同じようなコインが続いて既に4回目です。今回が生前発行としては最後になります。①テトラドラクマ銀貨8.11g/22.7mm,M-2399var.(jham)TaxilaSirkapmint表:鞭を持つ騎乗の王。馬の右下にカローシューティ文字「jham」。ギリシャ語銘「BAΣIΛEΩΣBAΣIΛEΩNMEΓAΛOYΑΖΟΥ」。裏:伸ばし
インドスキタイ9アゼスII世(その3)AzesII-3(在位紀元前35-5/7/1年頃)前回のパラスタイプの銀貨と共にアゼスの主要なコイン、コブウシ・ライオンタイプの銅貨の紹介です。表:コブウシ。上にモノグラム、右下にカローシューティ文字一字。ギリシャ語銘「BAΣIΛEΩΣBAΣIΛEΩNMEΓAΛOY/AZOY」。裏:ライオン。上にモノグラム。カローシューティ文字銘「Maharajasa/rajadirajasa/mahatasa/ayasa」。カロ
インドスキタイ8:アゼスII世(その2)AzesII-2(在位紀元前35-5/7/1年頃)引き続きアゼスII世です。今回は、アゼスの銀貨で最も多数存在するタイプです。表面の鞭を持つ騎乗の王、裏面のパラスの基本デザインは全てで同じです。裏面のモノグラムの違いで先ず大きく分類して、更に、表面の馬の右下のカローシューティ文字の違いで細かくタイプが分かれます。また、裏面のカローシューティ文字に異なる二種類があります。もちろん、テトラドラクマとドラクマ2種類の単位があります。今回
インドスキタイ7:アゼスII世(その1)AzesII(在位紀元前35-5/7/1年頃)アゼスII世は、アゼスI世とアジリセスの後継者との位置づけですが、アゼスI世の記事で触れたように、アゼスという一人の王がいてII世の存在を否定する意見もあります。基本的に、夫々のコインのギリシャ語銘もカローシューティ文字銘も違いはありません。アゼスII世の銀貨の特徴は、表面が鞭を持つ騎乗の王のデザインとなっている事です。但し、銅貨では長槍を持つ騎乗の王(アゼスI世と同じ)のものがあります。
インドスキタイ6:アジリセスAzilises(在位紀元前57-35年頃)アジリセスはサカ語で最高司令官の意味です。アジリセスはアゼスI世と支配地域の住み分け・共同統治を行っていた王と考えられています。アゼス銘(ギリシャ語)が表、アジリセス銘(カローシューティ文字)が裏の銅貨があり、ミントによってはChachのように、アゼスではなくアジリセスだけのコインを発行しているところもあるからです。コインのデザインは、アゼスI世と同じ長い槍を構える騎乗の王のもの、アゼスII世と同じ鞭を持
こんにちはMamiですイスラマバードの天気が恋しい今日この頃。2023年1/1は、世界遺産のタキシラTaxilaへ行ってきました世界遺産をガイドさんと巡るのが私の一つの夢で年始から世界遺産へ行けて幸せでしたここは昔、仏教徒のみんなにアナウンスをしていたメインステージ。東側に作られていて、午前中は陽が浴びれる場所仏舎利塔は今崩れて、ペタッとしてるけど元々はタイにあるような上がシュッとこんな感じにとんがっていましたガイドさんがウルドゥー語と英語をミックスして話
インドスキタイ4:アゼスI世(その1)AzesI(1)(在位紀元前58/57/48/47-35/25/12年頃)アゼスのコインは量も種類も非常に多く、インドスキタイ王国の最盛期の王であった事はコインの面から明白です。インドスキタイの最大版図(出典:ウィキFile:MapoftheIndo-Scythians.png-WikimediaCommons)(ミントの位置を加えています。)尚、彼の典型的なテトラドラクマ銀貨の表面は、騎乗の王が槍を構えているものと
バクトリアのコイン10(エウクラティデスI世・II世)今回は、混乱と分立の「戦国」時代に終止符を打ち、グレコバクトリア・インドグリーク地域を再統一したエウクラティデスI世(EukratidesIMegas・在位:紀元前170-145年頃)及び、その後継者の一人のエウクラティデスII世(在位:紀元前145年―140年頃)です。エウクラティデスI世は、デメトリオスI世(在位:紀元前200-185年頃)がインドへ遠征中に、バーミヤンかバクトリア地方で反乱を起こし、幾度の戦いを経て、多分
バクトリアのコイン8(アガトクレス)今回は、前々回紹介したエウテュデモスII世(紀元前185ー180年頃)・前回のパンタレオン(紀元前185ー180年頃)とほぼ同時期の王又は副王と考えられるアガトクレス(AgathoklesDikaios紀元前185ー175年頃)です。アガトクレスは、所謂「PedigreeIssue」を数種類発行したことと、多分初めてインダス川の東でコインを発行したこと、又、パンタレオンのものとの共通性で、興味深いと思います。10.アガトクレス(
2018年3月に訪ねたパキスタンの旅を綴っています。以前、簡易に書いたものに写真を大幅に足して加筆しています。今日は、そこに行けばどんな夢も叶う何処かにあるユートピアへ向かいます。笑ホテルを出てタクシーを捕まえるのですが、あまりにも遠い遥かな世界(?笑)らしく、どのタクシーに聞いても断られる。泣こりゃアカン。ホテルに戻ってレセプションに相談すると、自由で素晴らしいユートピア(シツコイ)へ行ってくれるタクシー
1986年(昭和61年)7月12日(土)ラワルピンディタキシラまで日帰り観光するため少し早めに起きた。8時半ごろ出て朝食をとっていると9時半ぐらいになった。停電して手間がかかったのだ。タキシラ行きのバスはわりと簡単に見つかり、約1時間で着いた。居眠りして危うく降り過ごしそうになる。バスが着いたところから美術館まで馬車で行く。ラワルピンディより馬車が多く、トンガやリキシャに比べると速くて便利だ。引っ張てくれるお馬さん、えらいなぁと思う。車だったらそんなこと思わないのに。美術館は1
ビール・マウンド遺跡がタキシラ博物館のすぐ近くにあるというのでガイドに付いていく。博物館前の通りのすぐ向かい側に草っぱらが広がっていて、こんな道をずんずん歩いていく。と、100m位歩いたら地元のメンズがクリケットに興じていた。さすが、元イギリス領😮ここでも捕まり、写真写真…笑そこを通り抜け、50m程進むと大きな木が立っていてそこにビール・マウンドという看板を発見。看板より気になるのが、木の上に干してある?🤔シャツやジーパン😮これはおまじないか、何かの祈願かな🤔木の下
こちらもジョーリアーンから。4~5世紀の瞑想する仏陀。貨幣ですね…シルバー。こちらはシルカップ遺跡から。なかなか見応えのある展示品の数々。そんな中、ラホールから来たという大学生たちにまた一緒に写真を撮ってくれと頼まれる。そうそう、モスク以来ずっとこんな感じです🤔杯?象牙。タキシラの遺跡群の配置がよくわかるジオラマ。ジョーリアーン、シルカップ、ダルマラージカー、これらを総称してタキシラの遺跡群ってイメージです。ところでタキシラの考古遺跡の歴史は紀元前6世紀にまで遡る
ダルマラージカーからこんな交差点に移動。道路を渡った先にあるのがタキシラ博物館。チケット売場で中国人観光客がパキスタン人にダルマラージカーの場所を尋ねてワアワアやっているが全然噛み合っていないようだったのでさっき撮影したばかりの写真を見せて場所を教えてあげた。この建物の中が展示スペースだ。入口に肖像画。1913年から1934までタキシラで遺跡の発掘を行ったのがジョン・マーシャル、彼の発掘による出土品などがこのミュージアムに展示されている。中に入ると、観光客多っ😮
シルカップ遺跡から車で移動。続いて訪れたのはダルマラージカー遺跡。ダルマは法、ラージカーは王の意味だ。駐車場らしき駐車場もなく入口のゲートからはこんな歩道を数分歩く。最後は登りになった先に世界遺産のプレートがある。ここはアショカ王の時代に建てられ中央には高さ15mもあったという巨大な仏教のストゥーパ跡がある。メインのストゥーパの周囲には小さなストゥーパ跡などが残っている。この中には…右手に高さ20mあったという仏像の足。左手の仏像はなんと高さが70mもあったという
続・シルカッブ遺跡。これは手洗い跡?シルカッブ遺跡の一番奥からさらに先へ…ヤギ糞がいっぱいの細い草むら道を歩いていくと王宮跡が現れた。ここにはハーレムや裁判が行われた場所も。キリスト教で使われた時期もあるという。さて、来た道を再び戻る。パキスタン人観光客が登っていたのは仏教寺院跡。なんだかとっても静かな世界遺産だ…こちらの地下の部屋はアレクサンダーの時代に作られた。暑さをしのぎ、涼しく過ごす為の工夫だ。入口の暑さ5mの壁の上も歩ける。1500年前にはここに1万人が居
ランチ後に訪れたのはやはり世界遺産のシルカッブ遺跡。まずは厚さ5mの壁がお出迎え。下の写真が壁の切れ目を内側から見たところ、左から右までが5mです。壁を過ぎるとおぉ…😮メインストリートの両側にだいぶ先まで碁盤の目のように遺跡が広がってる。ここは、建物が残ってるわけでなく基礎部分のみが残ってる遺跡なわけですね。2千年以上前、アレキサンダー時代には存在していたという都市国家の遺跡。仏教寺院やジャイナ教寺院など何世代かにわたる時代の建物跡が混在する。丸いのは有名な女性のお
2階部分もくまなく見てみよう。このフェンスの外の小部屋が当時の学習室で、本を読んだりいろいろ習ってたという。この辺は壊れちゃってますね。仏像彫刻の一部はタキシラの博物館に移設し保管展示されてます。そしてこれは断食する仏様。断食はイスラムのみならず仏教、キリスト、ユダヤどの宗教にも存在しましたからね。ということはパキスタンでも仏教的な本格的断食をしてらっしゃった僧がいらっしゃったということ。現代人は見習った方が良いかもしれませんね…
ストゥーパの1階部分を歩いてみる。ここは仏教大学でもあったのだが至るところに仏教彫刻が。当時の学生たちがこの技術を学びながら彫ったんだとか。入口からすぐ正面左手の彫刻。分かりますかぁ?仏様と仏様の間に動物がいます。象と虎😮虎なら分からんでもないですが、そんな昔こんなパキスタンの奥地に象がいたのかな🤔と思ってたら、ガイドによると象はセイロンから連れてきたらしい😮はるばるそんな遠くから…😮当時だと何日間かかったのだろう🤔さて階段を上がると、ここは2階部分。2階部分も階
こちらは収納やキッチンとして使われていた部屋。鍋やご飯を置いたりしてたのかな笑🤔そういえば、タキシラの街に入ってからの路上の八百屋さんでどこも日本大根がいっぱい並んでた。パキスタンでは大根もカレーに入れるんだとか笑この部屋の端にあるのは鍋置き場?気になるのは上の写真の右上の壁に開いた穴…これ、大きな木のスプーンを差し掛けておく為の穴なんだそうな😮なんとも機能的🙂こちらは確かコックが休む部屋。木の屋根と窓があったにせよ、ナイスビューのポジションですね。排水溝の跡も。
ジョーリアーンの僧院跡、ガイドによると学生たちが暮らしていた跡だとか。中央は池って言ってたかな🤔周りにずらっと部屋が並んでいたらしい。こちらのミーティングホールには昔は木の屋根があったとか。ここは、5世紀になると中央アジアの遊牧民族エフタルの侵入により破壊されてしまった。その一角にある青い扉をまたまたさっきのオジイサンが鍵で開けてくれた。なるほど、おそらくこれもガンダーラ美術だがかなり朽ち果ててしまっている。この写真を現地から友達にシェアしたら頭部にいくつか開いた穴
文鳥飼ったことある?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう鳥きらい現地時間10/247時33分ブログ更新イスラマバードから車で30分ほどの場所にあるタキシラミュージアムへやってきましたこちらはガンダーラ遺跡の展示があります博物館としてはこぢんまりしてます博物館内は、この近くにあるシルカップ遺跡のものも多く展示されていますがシルカップ遺跡はギリシャの都市計画に基づいて作られたようでアジアでありながらギリシャ彫刻のような仏像が多いです仏像が作