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11月7日木曜日〜その22時に眠る。5時、目が開く。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、くらしモアのむヨーグルトプレーンで喉を潤す。『上方漫才黄金時代』を読む。P139〜143、タイヘイトリオ師匠のネタが載っている。(写真)コレクションより、芸能社日の丸旧蔵の芸人名簿に貼られた、千土地興行時代のタイヘイトリオ師匠の名刺。6時から10時まで二度寝。
今回は京都花月昭和48年10月中席のチラシ。トリは大人気の笑福亭仁鶴ですが、13・14日の2日間のみ出演。そしてタイヘイトリオ、すっとんトリオ、中山恵津子ショウと看板に漫才がいませんね。林家小染は「ヤングおー!おー!」のザ・パンダで人気が出だした頃。前年に松竹から移籍してきた、由紀子・たか志のザ・シャネルって何?と思い、当時に詳しい方に聞くとOPテーマ曲があって「ザ・シャネル~♪」と歌ってたそうです。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成「秋雨の詩」で、菊池大助、伴大
6月3日月曜日〜その6(写真)行かんとすれば、まさと兄さんが「ちょっと、これだけ報告しときます」と、長野県松本市へお仕事で行かれた際、正行寺を訪問されたお話を伺いました。あれは、20年くらい前の地方公演の楽屋だったと思いますが「タイヘイトリオ師匠に弟子入りした頃に、巡業先で聴いた浪曲師の乃木将軍の墓参りの話が忘れられへん。録音があったら欲しいねんけど」と仰ったのです。後日、カセットテープにダビングしてお渡ししたところ、講談師としての活動の中で演じられていたようで、物語の舞台となったお寺にてご住
前回のチラシの裏面で、次席(4月上席)の予告。なかなか渋い面々の編成で、トリはタイヘイトリオで、モタレがダイマル・ラケットです。アクロバットの内田ファミリーは、ザ・ローラーズの前身。Aスケ・Bスケも結構看板が下がってますね。落語が三本で、露の五郎にデビュー3年目の月亭八方、そして露の団平は2018年に死去した露の慎悟。吉本新喜劇は新座長船場太郎で、マドンナは山田スミ子、専科は原哲男。
4月13日火曜日~その618時半、庭掃除を終える。(写真)ミニLP盤『第二集インスタント寄席』~「浪曲灰神楽三太郎」相模太郎「漫謡レジャー談義」タイヘイトリオ洋路・糸路・夢路(S37年キングレコード)をモニター。「落語あくび指南」古今亭志ん朝「漫才ボクの家」リーガル天才・秀才「音曲吹き寄せのんき節」滝の家鯉香も聴く。
『横山ホットブラザーズ』『漫画トリオ』『宮川左近ショー』『タイヘイトリオ』『ちゃっきり娘』『フラワーショー』『伊藤かづ子』『市丸』『鈴木正夫』『金沢明子』
ワッハ上方で、気になったポスターだけ撮影した。特に調べず、記憶の範囲で語っていくシリーズの2回目。→「寄席とポスターと昔」その1かしまし娘が20周年ということなので、1975年。テレビで知ってるぐらいで、生で見たことはなかった。私が花月に足を運び始めるのは、まだ先の話。幼稚園のころに、火曜の昼間に岸和田まで行けるはずがない。かしまし娘が大看板であったことは言うまでもない。ネタは覚えていなくても、オープニング曲を覚えているのが音曲漫才のいいとこ
今年もいろんな方が亡くなったが、ここでとりあげるのは子どもの頃から見てきた上方芸人のみをとりあげる。浅はかではあるが、私の記憶を残しておきたい。笑いは私の原点であるので。(文中敬称略)レツゴー長作2018年2月1日逝去。享年74歳。死因:肺がん。レッツゴーではなく、レツゴー三匹のメンバー。メンバーといっても、容疑者ではない。いかにも芸人の正児やじゅんと違い、男前で歌が上手い。漫才師としては異色で、2人とは一歩引いた立ち位置が逆に新鮮。80年代後半からは
詩人レンドラ氏死去9年じゃかるた新聞インドネシアを代表する詩人レンドラ氏の死去9年を迎え、西ジャワ州デポック市チパユンの同氏宅で5日、ワークショップイベントが開かれた。(アンタラ)梶原前岐阜知事の遺稿9月1日発売日本経済新聞2017年8月29日に83歳で死去した梶原拓・前岐阜県知事の遺稿をまとめた書籍「“情場”の時代を生きる」(ぎょうせい、税込み3000円、246ページ)が9月1日、同...月亭八方が師匠に感謝、6都市で50周年記念公演朝日新聞今年3月には、師匠の可朝
その昔、音曲漫才という漫才が、けっこうありました。特に、浪曲漫才のトリオが多数いました。しかし、今ではほとんど見かけなくなりましたね。時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、たまには見聞きしたいものです。そして、彼らには登場の際のテーマソングがありました。それを聞くだけでも楽しいものです。まずは、かしまし娘。左から正司照江、正司歌江、正司花江ウチら陽気なかしまし娘誰が言ったか知らないが女三人寄ったら姦しいとは愉快だね。ベリーグッドベリーグッドお笑いお喋り
昭和47年6月中席の「うめだ花月」のチラシ。6月上席の京都花月(記事はこちら)の演芸メンバーと若干被っているので、そこは割愛します。出ました!ざ・どっきんぐ。谷しげると井上竜夫が新喜劇を辞めてコンビ結成しましたが、長続きしませんでした。やっぱこの二人はお芝居の方が合ってます。桂三枝(現六代文枝)がこの位置ですか。ニュー・コメッツより下なんですね。ポケット・ミュージカルスはキムラヨシヒロ構成「ふるさとのうた」。当時はまだ新喜劇若手育成というポケット創設の意味が残っています
昭和48年5月中席「うめだ花月」の新聞広告。トリは「またも出ましたロマンショウ♪」のタイヘイトリオ。カウス・ボタン、チャンバラトリオ、Wヤングと当時の人気モノがズラリ。なぜか看板が上だった翠みち代。いくよ・くるよ、ザ・ぼんちはまだまだ若手で人気が出るのはずっと先の6~7年後。ポケットがナシで中国海天歌舞団が出ていますが、昔から吉本はこういうのを呼ぶのが好きですね。観客側としては海外のマジックやアクロバットならいいですが、こういう舞踊ものは退屈です。司会進行に新喜劇の藤井
昭和48年4月上席のうめだ花月の新聞広告。なかなかの豪華メンバー。トリはロマンショウのタイヘイトリオ。弟子にレツゴー三匹やザ・ぼんちがいます。同じ出番の歌夫・洋子もそうですね。屋号がタイヘイですから。夫婦漫才の洋介・喜多代の喜多代の弟子のいくよ・くるよがトップ出番。まだこの年にデビューしたばかりです。コメディ№1や桂三枝はもう既にテレビで超人気者となっていた頃。桂文珍はまだまだ個性を出せていない時代。あひる艦隊はメンバーの入れ替わりが激しかったですね。滝あきらは
昭和48年3月中席の「なんば花月」の新聞広告です。タイヘイトリオの方が幸朗・幸子より看板が上なんですね。その中で若い桂三枝が名を連ねているのはスゴイことです。アオバ・シゲオは浪曲の出だったかな?シゲオは玉川スミともコンビを組んでいたことがありました。月亭八方はデビュー5年目ぐらい。この3月に発売された著書「さりとて、落語家」ではテレビで人気者になっていたが、落語家として花月の舞台に上がるのは辛い時代だったと書いてあります。出ました!谷しげると井上竜夫のざ・どっきんぐ
今回も新聞に掲載されていた花月の広告で、昭和47年12月中席のうめだ花月です。広告の左端に書いてあるように、開場当初は地下だったうめだ花月が映画館の梅田グランド劇場と入れ替わり、11月上席から新装開場しました。トリはロマンショウのタイヘイトリオ。洋児と夢路が夫婦で糸時は夢路の姉。この約2年後に洋児が失踪。モタレは人気絶頂コメディ№1。この年の8月にかの有名な「アホの坂田」がレコード発売。ヒットとなりましたが、坂田という名前の人がアホと呼ばれるため発売中止で廃盤。Wヤングはコメ
まだまだ貴重な写真がいっぱいの「毎日グラフ1974年7月7日号」ですが、キリがないので今回が最終回とします。林家小染(うめだ花月)私は小染さんを知ったのは落語よりも「花の駐在さん」でしたね。吉本に所属した漫才師・落語家は芝居もするのが特徴です。お酒が原因で早く亡くなったのが惜しまれます。タイヘイトリオ(うめだ花月)「またも出ました、ロマンショウ~♪いつもニコニコ朗らかに~♪」レツゴー三匹、ザ・ぼんちが直弟子です。中田ダイマル・ラケット(うめだ花月)