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はじめにザックリ内容ロシア語を勉強してるときに聞いて、意味はよく分からなかったが、妙に惹かれた歌がある。ーーーーー『祈り』(吟遊詩人ブラート・オクジャワ)神よ人々に持たざるものを与えたまえ賢い者には頭を臆病者には馬を幸せな者にはお金をそして私のこともお忘れなく………ーーーーーーそれから、たくさん勉強してたら、「私」という存在が薄れ、自分の殻から解放され、生まれ変わる心地がした。→問一◎自己の更新進路選択の動機→問二外国語を学ぶこと=母語ではとう
ご存知の様に(?)「写像理論」とは、前期ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」に於いて前提となっている考え方です。これは、対象となる「現実世界」を、「論理世界(論理絵)」と対応させながら、現実を理解していく…という理論です。この様に、現前の「現実(現実世界)」と「言語(言語世界)」を”どう結びつけるか…?”という問題は、後期ウィトゲンシュタイン「哲学探究」の全編を通じてのテーマであるようにも思えます。特に、「痛み(感覚)」や「私的言語」の考察などは、非常に彼らしい(独特な)感じを受けます(ちょっ
改めて思うんだが…、「単独で存在するもの」なんて”この世”に存在するのでしょうか…、変な言い方になってますが…。思えば変な話しではないですか…。ある「モノ(ヒト・モノ・事物)」が単独で存在する…、いや”思考される”なんていうことは、あり得るのでしょうか…。前回のソシュールの「個別の存在に意味は存在しない。それらは隣り合うものとの”対立関係”によって初めて成立する」ではありませんが、「単独で存在する…」と考える方が逆に不自然に見えてしまうのです…。ちょっと前のブログで「東洋的無常観」について少し
「個別の存在に意味は存在しない。それらは隣り合うものとの”対立関係”によって初めて成立する」としたのは、言語学者のソシュールです。これは、当ブログでもお馴染みのウィトゲンシュタインの「言語の意味は使用である」に近い考え方と言えます。ソシュールは、ウィトゲンシュタインと共に「言語論的転回」の立役者でもあります…。この様な考え方(言語論的転回)を契機にして、「おカネの要らない社会・非決済型社会・配給型社会」を実現しようというのが、当ブログの基本的な姿勢になります。ウィキペディア等で(相変わらず勉強
今井むつみ秋田喜美『言語の本質ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書)前回のブログで、ラカンの精神分析における親子関係の問題を取り上げました。「子供が出会う最初の《他者》は母」であり、子供はその「生物学的な必要性」である「欲求」を「要請として言語化しない限り満たされない」。その母との「応答によって幼児の中に言語が刻みつけられる」との話がありました。その言語は母語であり、日本人にとっては日本語となります。およそいかなる国においても人間にとって言語はすべての社会や文化活動の基礎と
前回は、「インタラクティブ・モナドロジー(対話型単子論)」の”おさらい”のようになってしまいましたが、今回は”新たなフェーズ”に突入したいと思います。ざっくり言ってしまうと、「物事は表裏一体である」という様な考え方です…。既存の西洋的考え方では、方向性として「(何でもかんでも)バラバラにする、分離させてしまう」傾向にあります。当ブログの「非決済型社会(配給型社会)」とは、「バラバラにさせない、分離分割させない(社会)」という意味でもあるのです…。「表裏一体」で思い起こさせるのが、「シニフィ
ソシュールという名前はレヴィ・ストロースの構造主義の解説の本を読んだ時に知りました。構造主義の定義は「あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論」となっています。ソシュールの言語学での考え方が構造主義の走りだったとのことで、その考え方が他分野に(例えばレヴィ・ストロースは文化人類学)影響を与えたとのことです。レヴィ・ストロースの構造主義の解説は正直よく分からなかったのですが、懲りずにソシュールの解説を読んでみました
僕は幼少期の数年間で除いてクリスチャンではなく、ユダヤ=キリスト=イスラム教の神様をこう言ってよければ、「同一視」している。僕は神様を信じているが、彼等一神教徒にとって神様より大切なのは、「同一性の概念」ではないかと密かに思っている。そして、たとえ「生物多様性」といったところで何処か胡散臭いのは、「〈その背後にある〉同一性概念」ではないかと思う。だから、フェルディナンド・ソシュールもルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインもマルティン・ハイデガーもが揃いも揃って、『差異の哲学者』と
久しぶりの投稿となります。前回まで、間接的に【構造主義】についてお話をさせて頂きましたが、その源流となりましたスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(1857-1913)について、簡単に述べさせて頂きます。それまでの言語学は、文字の変遷や音の響き、文法構造等の研究・分析において、各言語圏の歴史的な進化と変遷[⇒通時性]を対象にしておりましたが、ソシュールは言語の特徴を「分節性」として捉え直し、同時代・同一言語内の【構造】[⇒共時性]に注目致しました。
「もりぞので~~す!」進学塾フィ→ルドアトラクションズの保護者会から、塾業界の異端児森園先生の教育メソッドを初公開!ソシュールの言語学から哲学、心理学、脳科学までを網羅する、圧巻の内容を、こんなに面白く、わかりやすく説明するなんて!!目からうろこの25分をどうぞ!【森園タイム!】子供をやる気にさせたいなら「ソシュール」を学べ!進学塾フィ→ルド⭐️アトラクションズ『もりぞので~す!』進学塾フィ→ルド⭐️アトラクションズ9月の保護者会から、異端児森園の教育理論を初公開!面白す
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【言語の不思議】社会学者橋爪大三郎が迫る「言語の起源」/なぜ民族によって「虹の色数」が違うのか?/天才言語学者ソシュールが導き出した答え【言語から人生を考える】(第1回/全4回)flier公式チャンネル#橋爪大三郎#言語学#構造主義▼目次00:35言語について考える意義とは?01:00近代言語学の父、ソシュール03:36言葉はなぜ意味を持つのか?06:55ソシュールの答え10:35言語研究の2つの困難▼番組概要「言葉とは人間が生きることそ
OCDについて新しい方面から書いた書籍が出版されたようです。文学と絡めているような感じですが、最近出版されたばかりにしては「強迫神経症」という古い用語を使っているし、本当に専門家が監修しているのか?現に生きている当事者を置いてきぼりにして勝手なことを言っているような感じなのではないか?と不安が募ります。とりあえず、メモとして。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。
【衝撃の書】白人中心主義にとどめを刺した『野生の思考』レヴィ=ストロースむすび大学チャンネルチャンネル登録者数43.5万人2023/06/04に公開済み【目次】0:00オープニング0:25西洋化が引き起こす問題5:44学問の本当の在り方13:15構造主義から学ぶこと【ゼロから分かる構造主義シリーズ】①人類最初の言語は、いつどこで生まれたか?言語学で謎に迫る•人類最初の言語は、いつどこで生まれ...②言葉の本質に迫る!ソシュール先生が教える
いずな書房の発行する現代国語の問題演習が課題となりました。今回は社会言語学者の田中克の『ことばが人間をつくる』が材料として出ました!最後の問題の問いには出てこないのですが、この文章の結論が、文字面だけを読む生徒には全く理解不能なのです!①まず著者紹介を読むこと!②次は構造主義を理解することテキストではソシュールが紹介されていなましたが、私個人はレヴィ・ストロースを紹介することで構造主義を説明しました!③そして一番わかりにくい最後
夢で耳にした『パラグラム』という言葉を調べてみると、【ソシュールが定式化したアナグラムの拡大形式。キーワードがアナグラムよりも広い範囲、すなわちテクスト全体に散在して、隠されているものをさす。】と説明されていました。何のことやら、ちんぷんかんぷんで、よく分かりません…まず、「ソシュールが定式化したアナグラム」というのも、何なのか、意味も分からず…姉に、「アナグラムって何か知ってる?」と尋ねてみると、例を出して、丁寧に教えてくれました。「隠された別の意味を探す、文字の遊びのようなもので、
科研費によるシンポジウムで日仏哲学会の共催。質疑の一部のみ備忘録。文責はブログ主(主な発言主のみ記載)。ガタリの強度概念:→ガタリは感性的なものとしている。つまり、色合いや感情など。観念は不明。(山森先生)フランス現代思想におけるイェルムスレウ:→ラカンがソシュールやヤコブソンから思考したアンチとして、新たな参照枠になった。イェルムスレウ言語学の限界から、デリダは「原エクリチュール」、ガタリは「強度」を見出した。D&Gの「器官なき身体」もそうかも
こんにちは。我流の研究者です。現在、本を執筆中です。■研究テーマ:・人間の「分かり合いたい欲求」・勝手に創出した言葉の概念「二分言語論」■一般的な研究者と何が違うか?:・研究者らしい学歴や職業ではない点(大学院卒、准教授or研究機関に所属している等ではない)・研究テーマは、自分が実際に悩み苦しんだテーマのみを扱う点・研究論文(=出版書籍)の特徴として、自己開示要素が多分に含まれる点この記事は、二分言語論をつくる中で出会えた男たちとい
昨日、Voicyを聴いていたところ、「徒歩で」を表す英語のイディオム“onfoot”について解説されていました。普通は両足で歩いていくのに、なぜ単数形で表現するのでしょう?私は英語史には詳しくありませんが、古英語時代の格変化(主格、属格、対格、与格)とそれぞれの単数形と複数形(単数主格、単数属格、単数対、単数与格、複数主格、複数属格、複数対格、複数与格)の名残により、語源的には“onfoot”は複数形であり、逆に“onfeet”としてしまうと単数形となり、片足でケンケンと
本年もあと8時間程で終わってしまうなんて信じられないですが、私の仕事も先程ようやく終わりました。午前は中3生の授業、午後は記述や小論文の添削指導。中3の子になぜかソシュール言語学の話をしました。飲み込みの速い子なので助かる…この仕事を通して実感するのは、生徒に成長させてもらっているな、ということ。生徒に教えるためにこちらも勉強しますから。来年も、こちらが楽しいと生徒も楽しい、そんな授業を展開したいと思います(^^)皆様今年もありがとうございました(^^)
「指月」という言葉があります。「月」を「指す」こと。「☝」、「指」で「何か」を、指し示すことですが、「その何か」を指し示す時、どこを見ていますか?「☝」、「指」に、執着する限り、実際には、指示されているところの「何か」を見ることが出来るでしょうか?「☝」、「指」に執着すると、発信する側の「述べたい」、「述べようとする」ところの「何か」を見過ごすことに繋がります。「☝」、「指」のことを言語学で、「シニフィアン」と言います。そして「シニフィアン」は、指し示している「何
つい先日、心動かされる現実のストーリーに出会いました。それは、言語学学者ソシュールの「一般言語学講義」の誕生に関するものです。これは、当時の言語学をひっくり返すほどの名著となり、ソシュールは”近代言語学の祖”と言われるに至りました。しかし、この著作、実はソシュール自身が執筆したものではなかったのです。彼は、所謂パッとしない大学講師でしたが、密かに発明した新しい理論を学生たちの前で発表します。そして、それは学生たちに衝撃を与えます。しかし、彼はそれを世間に発表することなく病により
にほんブログ村江藤淳がすごかったのは、ソシュールのラングとパロールの言語学に立脚して、『自由と禁忌』において戦後の言論空間の異常さを指摘したからである。ラングとパロールを説明するにあたって、江藤が引き合いに出したのは、『古今集』仮名序の冒頭の「やまとうたは、ひとのこころを種として、よろずのことの葉とぞなれりける」であった。「ひとのこころ」はパロールであり、「よろずのことの葉」はラングなのである。江藤は「正常な言論空間においては、能動的なのは個人的なことば(パロール)でなければなら
本日も令和哲学カフェに参加しました。【1/31〜2/4】PRIDE-西洋の体系的理解を超えるアジアのルネッサンス|令和哲学カフェhttps://reiwaphilosophy.com/今日から、新しいテーマ、新しいメンバーでディスカッションが展開されます。ファシリテーターのおりょうさんのプレゼンを聞いて、西洋学問、西洋哲学の限界とそれを超えるアジアのルネッサンスを起こしたいという強い気持ちが現れて感じるものがありました。今回は言語哲学を取り上げるということで、初日はソシュールという
*構造主義・記号学(論)と外面/内面*人の利用価値/存在価値と人間の思想/自然の形式*理論段階での自然の形式から実践段階での人間の思想へ~・~・~人間の論理展開の傾向をみると、個人から小集団→中集団→大集団と、思想を啓蒙・教化すれば、無限に拡大・延長できるとする、透過的な世界観と、個人から集団へと、思想を啓蒙・教化しても、拡大・延長できるのは有限だとする、不透過的な世界観に、大別できます。たとえば、左翼(元々は、フランス革命期の国民議会で、議長席から見て、議場左側の座席にいた勢
*普遍的日本論1~12*丸山真男の「~である」こと/「~をする」こと*丸山真男の「なる」「うむ」「つくる」*機械的/有機的1・2*人の利用価値/存在価値と人間の思想/自然の形式*理論段階での自然の形式から実践段階での人間の思想へ*透過的/不透過的な世界観*人の利用価値/存在価値と信長型・秀吉型・家康型*人の利用価値/存在価値と「論語」の知/仁*天皇が統治するのは、まず「国」、つぎに「民」~・~・~私はこれまで、内面/外面の両面を基軸に、思想/形式や、利用価値/存在価値
こんにちは。『理性の力で未来をつくる』ロゴスことスギオカです。2分で読める簡単なプロフィール▶︎▶︎▶︎この投稿は、2019年11月6日に書いた記事を再編集したものです。『ほめる達人』協会の活動にあらためて関心したことがきっかけで書いた記憶があります。包丁は食材を切るためには便利な道具ですが危険な道具でもあります。極端に言えば、人を殺すこともできます。言葉も同じように、感謝や思いを伝えられる一方、人を傷つける力を持っています