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僕が病気になった当初、サイコパスと言う人種がやっと特定の数、世界共通に存在して良心的な人間を苦しめて、搾取、虐待をしているとおぼろげながら解明されつつある時代だった…僕が執筆していた漫画に登場する悪の権化は正にサイコパスそのものだった。何故、時代より先に知覚し、概念化して、世に警鐘を鳴らそうと思ったのか?それは、自分が後天的サイコパス…ソシオパスの傾向があるからだったのだろう…幼少期から、よくサイコパス傾向の人間の餌食になり、僕に関わる恋人すら元を正せば自業自得
春だからとか関係あるのかは謎ですがモラハラが止まらない夫でした。押し付けとかしむけるとか強要しようとする様が多くて週末現れてもしんどかったですモラハラが無い日が増えては来ているものの波があるよなぁって改めて思いました。夫にはどんな理由があってもやってはいけないって子供時代に他所の家では教えられる事をいつまで行うのか?一生続けるのか?と言いました。人生ソシオパスで終わるのかよ?っていう。現時点ではプチ別居状態ですが神経が過敏に
『嘘』沢山の言葉を交わした他愛のない話で笑った君が話してくれた言葉の一体どれほどが真実だったんだろう指輪に綺麗なホテル将来のことソシオパスという精神疾患がこの世には…ameblo.jpだけどね白状すると私も嘘をつくことがあった癖日常でね思ってることを我慢して笑ったりあんまり良いなって思えないことにも頷いたりだから引き寄せあったんだと思うペルソナを被る癖相手が、どんな“私“を望んでいるか分かるから演じる子供の頃、父親の機嫌をそうやってとってたからそうやって生きてきたか
また夫VS次女の時間が数時間ありました。押し付け合い合戦が始まりうるさすぎるわ聞こえてくる方には拷問でしかないわで途中何度かうるさいだけで何も展開していない!とこっちがキレてしまいました。夫と次女の押し付け合戦は昔から時々ありましたが呪いみたいに五月蝿いですナチスの穴掘り拷問に近いのでは...と何度も思ったことがあります。周りにいるだけで精神的疲労がすごい。聞こえるだけでプチノイローゼになれますもうねースマホが原因なんですよ
えーっと彼は彼の価値観はこうでつまりえーっと友達。これは彼にとって都合のいい相手なんだそうです。だから友達とは遊ばないらしい。そりゃそうだ都合のいい相手となんか遊びには行きませんだから私が彼のことを好きじゃなくなったとして"友達としての付き合い"も難しいらしいなんだろう絶望?って感じかな。彼の特別になりたかった彼が心を開けるような特別な相手。まあこんな人を好きになった自分にも問題がありますはっきりとあなたには心を開くのは無理だと言われました。私は…今日も元気です喋るのが終わっ
自分の価値観とは違うことを押し付けられることをハラスメントという場合がある教育ということを考えると教える立場の人間と教わる立場の人間がいるとき教わる方が分かっていることだけを教えれば当然教育にならない。今教育という言い方をしたけれど成長といってもいい子供のころは教育イコール成長だけど年齢や経験を積むと自分の常識というか固定概念が強くなるだから大学や会社で若者に物を教えるとはむつかしい教育を受け成長するということは自分を否定することなると、
最近ソシオパスって言葉気になります。サイコパスとにていますが反社会的な行動をためらわない良心がかけた人といわれますがちょっと違うと思っています確かに遺伝的に良心がないという場合はもちろんあると思います。その場合は良心がないわけでいい悪いの区別はつきませんキカイダーという子供用のドラマが昔あって(石ノ森章太郎さん)光明寺博士は機械が自らの意志で善悪を判別し、その場において最善の行動をとる事を可能とする良心回路という装置を開発しま
小さい時から大人と遊ぶことが多く大人と楽しめる。大人を疲れさせずに遊んでもらえる子だった気がする悪くいえば大人の顔色を見る子だ。だから大人には好かれるそれは、聞き分けのいい子だから当たり前ま、それはあるだろうけど、割と高度な子供で他の子がつまらなさそうにしたり自分だけが良い思いはしたくないのもあって大人と1対1の方が自分も大人もたのしかったあのおじさんは怖い。って思ってるいとこや友達だって私と一緒なら楽しく過ごせた今思えばそういうタチの子供だったところが、数的優位に立っ
意識の罠に陥り、そこにハマり込んでしまい、スピリチュアルな進化が続けられなくなっている人のパターンをご紹介します。その1自我(1次元~3次元)の層で生きていて、ネガティブエゴのプログラムと憑依された霊に動かされ、ダークポータル(闇の勢力の出入り口)になっているパターン(元々魂の層からは断絶していた)一般的に自己愛性パーソナリティ障害・ソシオパス・サイコパスと呼ばれることもあるカリスマ性があり魅力的に見える事もあるが、共感力が欠如しており、情に訴えかけることを何か言うかもしれないが
自我を超える話がしたいけれど、機が熟した人じゃないと土足で心身を踏み荒らさせるのでオン、オフの弁の開け閉めで調節を意識して試みます。でも、いまだに我利我利亡者、サイコパス、ソシオパスから逃げる初動が遅れてしまっています。他人と自分を分ける概念が隔たりを生じさせ、何かを所有し、相手を排除することで安心を獲ようとします。境界線を取り払うには危険な人物が多いこともあり、余計自我を手放せません。真理を信知した宗教者と対話を繰り返すお話会のような機会を設けられたらいいのに。
人に対してあまり好き嫌いなくてどちらかと言えば良いところが気になってしまうタチなのに特定の,それも嫌なやつに嫌われることが人生の中で割とあることに最近気がついた(きがつかないのか?)どう考えても相手が理不尽でも迷いなく攻めてくるどんなに少数意見でも仲間を見つけると束になって攻めてくるやってもらわないと困るから頼んでもしてくれないし、なんかのコネやら役職やら、、そういう錦の御旗を持つとカサになって攻めてくる笑そんなことあるなーとやだなぁ,俺がまちがってるのかな、、俺