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☆アーティストスリー・ディグリーズ(THETHREEDEGREES)☆アルバムスリー・ディグリーズ(THETHREEDEGREES)来日記念盤1973年発表のフィラディルフィア・インターナショナル・レコード移籍後に初めてし発表したアルバムで帯には来日記念盤と書かれててますレコーディングは多くのフィラディルフィア・ソウルをレコーディングしたシグマ・サウンド・スタジオ(SigmaSoundStudio)ですグループの
月刊のような更新になりましたが…。よろしくお付き合いください。ところで、昨夜、この記事をアップロードしている最中でしたが…。プライムビデオで、凄い試合を観せてもらいました。3つのタイトルが掛かった王座統一戦。結果は、皆さんご承知の事でしょうが…。いくつか、ボクシングが素人の僕でも分かった事がありました。まず、両者とも、後ろ足の爪先が相手の方向には向いていなかったこと。これは、欧州、中央アジアの空手スタイルが源流となって、
雨も上がりましたー(´▽`)ノ大変な所もあったようですが、皆さんどうお過ごしでしょうか?今回はいつもの通り?1974で行きますよー。('ω')ノこれからです♫「愛のテーマ」(Love'sTheme)です。1973年に発表して1974にヒットということですね。愛のテーマ(バリー・ホワイトの曲)-Wikipediaja.wikipedia.orgバリー・ホワイト(BarryWhite)という人の作品です。「ラブ・アンリミテッド
この曲は、1944年にビリー・エックスタインによって作られた曲です。でもこの曲については、あまりに1958年のジョン・コルトレーンの「ソウル・トレイン」での録音が有名すぎるかもしれませんね。ビリー・エクスタイン(BillyEckstine、)は、アメリカ合衆国のスウィング時代のジャズ・シンガー、ポップ・シンガー、バンドリーダーです。彼はまるでオペラ歌手のように豊かなバリトンの声で知られています。彼の「IApologize」(MGM,19
75年にリリースされて全英12位・全米1位のヒットを記録していますエルトン・ジョンの♪フィラデルフィア・フリーダムを75年にSoulTrainに出演した時のVideoと合わせて楽しんでください。
ラジオの深夜放送を聞き始めた70年代の初頭…。テレビでは、オーディション番組が全盛でした。真っ先に思いつくのは、コント55号の萩本欽一が、合格者がいない時に取っていた「バンザーイ無しよ!」のポーズが印象に残っている「スター誕生」。それから、元スリーファンキーズの長沢純が司会を務めた「全日本歌謡選手権」。前者は、どちらかと言えば、アイドルを目指すティーンエイジャーをターゲットにして、後者は、再起を期すプロ歌手をメインにしたアダル
コロナの足音がヒタヒタと近づいて来ていると思っていたら、あっという間に、長女が感染してしまって…。1回目のワクチン接種の副反応で、救急搬送された経験から用心していたようですが…。職場の同僚の感染による濃厚接触だったので、防ぎようがありませんでした。現在、入院するか否かの瀬戸際。峠を超えるのは、まだ先になりそうな気配です。さて、クロスオーバーとか、フュージョンと呼ばれている様々なジャンルの音楽を融合させた音楽。ハービー・ハ
ソウル・トレインアメリカで放映されていた「ソウル・トレイン」日本ではテレビ東京系列で放映されていて、1975年当時にはよく観ていた。司会はドン・コーネリアス。男女ペアで登場するダンスのコーナー「ソウル・トレイン・ギャング」が凄かった!https://youtu.be/25DCSTITeGMスリー・ディグリーズ♪ソウル・トレインのテーマ♪https://youtu.be/Qt9jpxiSy_8ご訪問ありがとうございました
最近、無性にダンスが踊りたくて、色々なビデオ・クリップを観ているのですが…。ツボに嵌ってしまったのが、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」NEWDANCEVersion。とても豪華なバック・ダンサー達が、時に、ゆる~く、ちょっと、おふざけ気味に、そして、見せ場のソロやラインダンスでは、キレッキレのダンスを披露して。振付を担当していたのが、「ソウル・とんねるず」でも審査員として登場していた三浦亨。見事な構成でした。さ
イエロー・マジック・オーケストラYellowMagicOrcheYMOの話その5です。1980年1月23日東京港区、芝浦のスタジオAでレコーディング中にクリス・トーマス、福井ミカ、リンダ・マッカートニー(ポールマッカートニー夫人)が来訪。「ナイス・エイジ」にミカの「ニュース速報」を入れる。2月21日LP(ライブ)アルバム「パブリック・プレッシャー(公的抑圧)」発売パブリック・プレッシャー[YELLOWMAGICORCHESTRA]楽天市場3,0
「KillingMeSoftlywithHisSong(原題)」。ロバータ・フラックの美しい歌声で始まる名曲です。彼女は、この曲で、前年の「TheFirstTimeEverISawYourFace」に続いて、2年連続でグラミー賞の「RecordoftheYear」を受賞しています。(73年2月24日から5週間、ビルボードNo1となった「KillingMeSoftlywithHisSong」は、年間チャートでも3位にラン
ジョン・トラボルタ主演の映画サタデー・ナイト・フィーバーでは、ビージーズとタヴァレスの2バージョンの「モア・ザン・ア・ウーマン」が使われています。どちらも秀逸ですが、僕はタヴァレス派。当時はまだ、タバレスと表記されていました。彼らの代表曲と言っても過言ではないこの曲を凌いで、唯一、ビルボード・ヒットチャートでTop10ヒットとなったのが、今回紹介する「ItOnlyTakesaMinute」。(こちらのベストアルバムでは、「ItOnl
K.C.&ザ・サンシャイン・バンド。前年の「GetDownTonight」、「That'stheWay(ILikeIt)」の大ヒットによって、一躍ディスコ・ミュージックのスターダムにのし上がりました。絶頂期の彼らが、76年にリリースしたのが、「(Shake,Shake,Shake)ShakeYourBooty(原題)」。もちろん、この曲もビルボードでNo1を獲得しています。(「(Shake,Shake,Shake)Shak
あけましておめでとうございます。丑年も、よろしくお付き合いください。さて、70年代から80年代の初頭に掛けて活躍したドゥービー・ブラザーズ。マイケル・マクドナルドが参加してからは、音楽性が変わって、AORの曲をヒットさせていました。今回、紹介するのは、彼が参加する以前の「TakeMeinYourArms(原題)」。(タイトルどおりの疾走…。先頭左はパトリック・シモンズですが、右はトム・ジョンストンではないような?どなたかご教示を。)
70年代に日本で人気のあったソウル・グループの一つが彼女たちです米国では65年に初の全米ヒットを放ちデビューしていますがその後メンバー交代やレコード会社を渡り歩きこの曲をリリースしたフィラデルフィア・インターナショナル(F.I.)に移ったのは73年になってからでこの曲はF.I.でのファースト・シングルでした(全米Black58位)またこの時のメンバーになったのは68年頃のようですそして73年から日本でも土曜の夜にTV番組「ソウル・
まいどおおきに今日も無事に帰って来ましたあかんこの寒ささすがに昨日冬物衣料が良く売れてたみたい営業的にはもっと寒くなってほしけど肉体的にはキツイ今日帰る時にワシの嫌いな奴がお客さんに怒鳴られてた面ひろ~い大ちゃくな接客やから奴は大阪の人の昼飯は麺類が多いな麺類とおにぎりとかご飯ダブル炭水化物取るのが大阪流大概の人は取ってる人多い典型的なのがお好み焼き定食関東の人が見たらありえ
Blue-EyedSoul(ブルーアイドソウル)と言えば…。僕なんかは、ポール・ヤングやロバート・パーマーを、すぐに思い浮かべます。(ポール・ヤング、85年リリースの「TheSecretofAssociation」。)(54歳で他界してしまったロバート・パーマー、95年のベスト・アルバム。)シンプリー・レッド、レア・アースなども有名ですが…。最近では、サム・スミスやアデルも上手いですねぇ~。(サム・スミス、22歳でのリリース「I
E,W&F(アース・ウィンド&ファイアー)。このバンドを知ったのが、やっぱり「SoulTrain」。土曜日の夜、11時に欠かさず観ていたこの番組の中で、ソウル・トレイン・ダンサーズが彼らのスマッシュ・ヒット「MightyMighty」に乗って、気持ち良く踊っていました。そんな彼らの絶頂期のアルバム「太陽神」で、当時、一番聴いていたのが、大ヒットした「Fantasy」でも「Jupiter」でもなく「MagicMind」。残念ながら、日
ハイ・ノーツ(HighNotes)の男性ソウル・シンガーと言えば?僕が真っ先に思い浮かぶのは、スタイリスティックスのリードシンガー、ラッセル・トンプキンスJr.(「ソウル・トレイン~スタイリスティックス-ロッキン・ロール・ベイビー~」で紹介したアルバム、ロッキン・ロール・ベイビー。左端がラッセル・トンプキンスJr.です。)同じく、アース・ウィンド&ファイアーのツインボーカルのひとり、フィリップ・ベイリー。(51年生まれのフィリップ・ベ
深夜のテレビ番組と言えば、すぐに思い出すのが、アダルトな話題を提供していた11PM。見出した頃には、藤本義一、大橋巨泉、愛川欽也の3人が日替わりの司会で…。お洒落な今野雄二を観察して、悪友J君とよく真似しました。それから、ティーン・エージャーの心を鷲掴みしたのが、土曜日、11時からの放送だったソウル・トレイン。JUNがスポンサーで、多分、インコンサートと交互に放送していたと思います。そのソウル・トレインの見せ場のひとつが、ラインダンス
当代きってのバラディアー。当時、そんな形容が相応しい大活躍を見せていたライオネル・リッチー。大阪城ホールなど、たびたびコンサートに足を運びました。(87年5月のジャパン・ツアーのパンフレット。)85年には、アフリカ救済のためのチャリティ・シングル「WeAretheWorld」でも最初の独唱者を務めています。でも、今回、紹介するのは、バラードではありません。ソロ・デビュー・アルバム「LionelRichie」からのセカンドシングル「Yo
スティービー・ワンダー二度目の登場は…。「迷信」原題は、「Superstition」。僕らの世代に、彼の代表曲と訊けば、「サンシャイン」、「悪夢」、「回想」、「愛するデューク」、「心の愛」、「パートタイム・ラヴァー」などと共に、必ず候補に上がる名曲中の名曲。(「ソウル・トレイン⑦~スティービー・ワンダー-サンシャイン~」で紹介した「YouAretheSunshineofMyLife」は、ビルボードNo1ヒットです。)『ソウル・
阪急沿線の桂にある友人宅に泊まった夜…。コンポーネント・ステレオから聴こえて来たのが、ソウル・バラードの名曲、「Easy」。(77年のビルボード・トップ10アルバム「Commodores」。ラスト・ソングが「Easy」でした。)ライオネル・リッチーの才能が開花し、チークタイムの定番となりました。ピアノの旋律が心地よいイントロダクションは、穏やかな日曜の朝を感じさせる、とても印象的なもの。この曲で、コモドアーズのファンになった方も多い
原題「WaldoRoderickDeHammersmith」。どうして、邦題が「チャイナタウンの幽霊」なのかは、僕の英語力では一向に解りませんが…。そんな疑問が吹き飛んでしまうほど、軽快でノリの良い曲です。オリジナルメンバーだったスモーキー・ロビンソン脱退後の75年のアルバム「CityofAngels」に収められいますが、シングルカットされたのは、日本だけなのかもしれません。(左からビリー・グリフィン、ロナルド・ホワイト、ボビー・ロジャース、ウ
本日のおすすめの1曲は、TheThreeDegrees(ザ・スリー・ディグリーズ)の『TakeGoodCareofYourself』(『テイク・グッド・ケア・オブ・ユアセルフ』)、それではFayettePinkney(フェイエット・ピンクニー)、SheilaFerguson(シーラ・ファーガソン)、ValerieHoliday(ヴァレリー・ホリデイ)の素敵な歌声をお楽しみくださいね~Haveaniceday!
銀河系には、太陽のような恒星が2,000億個あって、宇宙全体では、そんな銀河が数千億~2兆個もあるとか。それも観測可能な宇宙の範囲内の話。実際の宇宙は、その10の78乗倍なんて広さなんだそうで…。この時点で、恒星はガンジス川の砂粒「恒河沙」を遥かに超えて、地球上の砂粒の数より多いそうです。これに、さらに多い惑星を足して…。その上、宇宙が多元的だとすると、一体、星の数って、どんな数字になるのでしょう。まさか、「不可説不可説転」?(銀
「バンプ」。男女がお尻とお尻をぶつけ合ってリズムをとるダンスで、コモドアーズの「TheBump」で知った踊り方です。(コモドアーズ、74年のデビューアルバム「MachineGun」。アルバムタイトルの「MachineGun」がシングルカットされています。)このダンスのために良く掛かっていたのが、77年にリリースされたジョー・テックスの「Ain'tGonnaBumpNoMore(WithNoBigFatWoman)(原題)」。彼
60年中頃から70年中頃までの10年間に多くにヒットを放った5人組グループフィフス・ディメンションのメンバーだった二人(69年結婚)が76年にグループを脱退し同年にリリースしたアルバムに収録されていましたまたシングルとしてリリースされ76年91位にランク・インしていますなお77年全米1位に輝いた♪星空のふたりもこのアルバムからのシングルでした♪愛のちかいを77年のソウル・トレインの映像と合わせて楽しんでください。
ピアノソロからメロディアスなイントロへと繋がるオージェイズの代表曲「BackStabbers」。「裏切り者のテーマ」と言う見事な和訳が施されています。笑みに隠れた、密かに友人から妻やガールフレンドを奪おうとする企み。そんな寓意を題名へと見事に昇華させて…。このキャッシュ・ボックス全米1位の大ヒット曲を抑えて、紹介したいのが…。ソウル・トレインのラインダンスの時に掛かっていた「WorkOnMe」。(真ん中がウォルター・ウィリアムズ、右がエディ・
この曲も前回と同様に「ソウル・トレイン」を観ていた時期にヒットした曲女性一人に男性二人のトリオで73年位レコード・デビューしたそうですそしてその翌年の74年に全米1位に輝くこの曲が生まれました聴いていると気持ちの良くなるリズムでとメロディーで好きな♪ですヒューズ・コーポレーションの♪愛の航海を聴いてください。*Video