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時を刻んできたゼンマイ時計がその歴史を物語る私が通い出してから40年以上たつがこの店の歴史は50年以上今では消え去りつつある「純喫茶」の一つ店主の姿も小さく見えるようになったノスタルジックだ一年でも長くあってほしい寂れ出した繁華街の小さなビルの地階にある皆さん、ご覧下さりありがとうございます♪
正月早々、あまりおめでとう的なことが言い難い事ばかり続いている2024年先が思いやられるわで、ここ2〜3日のSNS等を見てみると、ものの見事な時化っぷり流言止于智者流言は智者に止まる情報のソースはよく吟味し、正確で今必要なものを伝えましょうorzさて、おきむら時計店は、本日から通常営業たまにはこんな時計もイヂってみよう!たまたま仕入れた愛知時計愛知時計は明治25年創業の水野時計製造所から始まる歴史ある時計メーカーこの柱時計は文字盤の枠に『AICHITOKEIDEN
枕元から目覚まし時計が消えて久しい。今では言わずと知れたスマホだよりになりましたが、いくら寝ても眠り足りない若かりし頃はアナログのベルがジリジリとうるさいゼンマイ式。でもふと気が付けば夜の静寂に秒針がカチカチ進む音が気になりだし、文字が回転ドラムでパタパタと入れ替わるラジオ付きに変更。まだスヌーズ機構などない時代、朝ラジオのDJでも起きずらくなったし、時々二枚進んで、急に時間が早まった。ついでに電源はコンセント式でしたが使い古せば機械からジィ~っと音が出始めて、ちょいと叩くと収まったりした。そ
東京時計オルゴール付き目覚時計No.882昭和30年代前半頃【084】東京時計のオルゴール付き目覚時計、昭和30年代前半頃に製造された物です。東京時計製造株式会社は大正9年(1920年)に設立された隆工舎を祖とし、昭和9年(1934年)には早くも電気式時計の製造を始めた時計メーカーです。戦後に一度解散しますが翌年に再建され、昭和30年代には神奈川県川崎市に数百人の従業員を抱える大きな工場を持つほどに発展したのですが、昭和40年代後半頃に当時大流行していたボーリング事業に進出し
おまつり点描記が続きましたので、箸休め的にこんな画像をUPしてみます。むかーし昔の手巻きゼンマイ目覚まし時計です。以前、トイレの棚リノベーションの回で登場しました。相変わらず、カチコチカチコチと日々、時を刻んでいます。だいたい、二日弱でゼンマイは緩んでしまい、気がつくと止まってます。これを使っていた酒屋の家人、例えば小生の親父殿やオーナーは、ゼンマイを巻き忘れて寝坊したこともあるでしょう。なにより経年劣化はあると思いますが、テンプの駆動音がかなり響きます。これでは、目覚ましの前に寝
日常巻いている時計(身バレ防止の為極秘)が11年超えたのでオーバーホールをお願いしに直営店が入っているデパートへ持っていきました。昔メインで巻いてたオメガ(Speedmaster)はだんだん(潤滑油が固くなって?)遅くなっていくのをオーバーホールの目安にしていましたが、遅くなるのを待っていても日差7秒進みとかで全然遅れない!しかし、技術料が年々値上がりしているのと、パッキンなど劣化していると思ってオーバーホールへ。4年前に検討したときは71,700円でしたがすでに値上がりしていて
山口時計SUNEIKO昭和30年代前半【067】希少な山口時計の目覚時計「SUNEIKO」、昭和30年代前半に製造された物です。山口時計株式会社はその名の通り山口県山口市にあった会社なのですが、戦後から昭和30年代終盤頃まで活動していた事以外は会社の情報(資料)が少なく詳細は不明です。製品の製造数自体もあまり多くは無かったようで、現存数も少なく今ではほとんど見られないメーカーです。こちらの目覚時計は「M型」というシリーズのひとつの「四吋銀支単打」です。当時の広告に
SEIKODesk-mateABC-272曜日表示箱・説明書付昭和40年代前半頃【031】レアなSEIKOのDesk-mate(デスクメイト)ABC-272、箱・説明書付きで昭和40年代前半頃に製造された物です。明治25年創業の精工舎(現セイコー)は国内で現存する最古の時計製造会社です。同社では長い歴史の中で様々なタイプの柱時計や置時計・腕時計等を製造されています。こちらの目覚時計は「Desk-mate(デスクメイト)」というシリーズの中の一品です。このシリーズは
栄計舎(現:株式会社エイケイ舎)のゼンマイ時計です。機械は本打ち式の30日巻き、文字盤はプラスチック製の浮き文字となっています。会社のホームページによると、栄計舎は大正14年に東京で創業し、昭和41年に事業拡大のため山梨に工場を移転、昭和45年まで時計の製造を行っていたそうです。「最盛期は海外への輸出が増加した昭和30年代後半で、30日巻き時計が好評を博した昭和35年には、掛け時計メーカーの市場占拠率で全国3位まで躍進しました。」と書かれているので、この時計も昭和30年代の製品ではないかと思いま
精工舎MARCH折革サック入(ワニ型押)大正15年【019】希少な精工舎のMARCH(マーチ)折革サック入(ワニ型押)、大正15年に製造された物です。明治25年創業のSEIKO(セイコー/旧精工舎)は国内で現存する最古の時計製造会社です。同社は長い歴史の中で様々なタイプの柱時計や置時計・腕時計等を製造しています。こちらの「MARCH(マーチ)」は当時の小型目覚時計の代表であったビー/ウラビー目覚よりもさらに小型・薄型の懐中時計のような4石入ムーブメント(機械)を使用し、
3月4日(土)今日の札幌0℃/-8℃札幌人は「丸井今井デパート」を「丸井さん」と呼びます。丸井さんの10階にあるレストラン街。物心付いてから、初めて来た。パスタ屋「チャオ」ここが一番空いていたから。窓際の席からの眺めがいいグレーのが札幌市役所。テレビ塔。カルボナーラ1280円。可もなく不可もなし。高い夫はトマトソースのを食べましたが「レトルトのソースじゃないのか」と。言われてみたら、そうも思えた。1280円出すな
冬休みもあっという間に終わりましたが2日働いて早くも週末今日は何しようかなぁ?今日のワンコはクレープ食べてご機嫌です。因みにこのクレープはお犬様用に売られている一品ですので安心です。さてさて今日は最近近所にオープンしたチャイハネに行ってみました。まだ50%オープンとの事で春に100%オープンらしいです。キャンプギアも充実する予定なので楽しみですね。お店の雰囲気を見に行っただけのはずが・・・。ヘリノックスチェアーに取付け出来る暖かカバーを発見して思わず購入ワンコもお気に入りの様子
九州堂斉藤時計店のプレートが付いた掛時計です。ラベルや機械の特徴から愛知県で昭和10年代前半に製造された時計のようですが、文字盤や機械にメーカーマークが無いため詳細は不明です。仕入れた時計に時計店が自社のプレートを付けて販売したものだと思います。時計の全長は約42cm文字盤は直径7インチ(約17.5cm)の金属製振り子室のガラス「合名會社九州堂齋藤時計店門司榮町」と書かれた金属製プレート内部に貼られた日本時計工業組合(ClockManufacturersAs
Modern操舵輪型目覚時計昭和40年代頃【114】Modern(モダン)の小さな操舵輪型の目覚時計、昭和40年代に製造された物です。「Modern」は昭和40年代〜50年代前半頃のトラベルクロック(折りたたみ式の携帯時計)に見られる名称ですが、資料が無くメーカー名なのかシリーズ名なのかも含めて詳細は不明です。こちらの目覚時計は船舶の操舵輪をデザインで、トラベルクロックと同じ小さなムーブメントが使用されています。ペンダントのようにチェーンが着いているので、フック等を利用す
山口時計SUNEIKOプラ枠目覚時計昭和30年代前半【112】非常に希少な山口時計のプラスチック枠の目覚時計「SUNEIKO」、昭和30年代前半に製造された物です。山口時計株式会社はその名の通り山口県山口市にあった会社なのですが、戦後から昭和30年代終盤頃まで活動していた事以外は会社の情報(資料)が少なく詳細は不明です。製品の製造数自体もあまり多くは無かったようで、現存数も少なく今ではほとんど見られないメーカーです。こちらの時計はその中でも更にレアなプラスチック枠の目
7月末に愛用している時計が止まりました。全く動きません。(泣)購入してから16年になりました。定期的にオーバーホールは出してましたがお店に行って修理依頼しました。電話があり修理が終わったみたいです。無事引き取りに行ってきました。まだまだ現役!アンティークには遠いですが頑張ってもらいたいです。今日はココまで。
CITIZEN花瓶型目覚時計昭和40年代【092】CITIZEN(シチズン)の小さな花瓶型の目覚時計、昭和40年代に製造された物です。CITIZENは大正7年(1918年)に設立された尚工舎を祖とし、今も現存する老舗の時計メーカーです。現在同社としては腕時計の製造が中心で、昭和40年代以降のクロック(置時計・掛時計)製品は傘下のリズム時計工業(株)が製造しており、こちらの時計もムーブメント(機械)※はリズム時計工業製と推測されます。※「トラベルクロック」と呼ばれる折りたたみ
東洋時計木製丸型枠置時計大正時代末頃【089】東洋時計の木製丸型枠置時計、大正時代末頃に製造された物です。東洋時計は1901(明治34)年創立の外国製時計の輸入販売を手掛けていた「吉田時計店」を祖とし、大正9年に東洋時計製造所を設立して自社で置時計の製造を始め、後に現代の「オリエント」へと続く歴史ある時計製造メーカーです。こちらの置時計は大正時代末頃に製造された物です。文字盤のトレードマークが昭和以降のTとCを組み合わせた物ではなく、「TōYō」という長音記号付きのoが入った
LPL暗室時計(タイマー)昭和50年頃【S060】LPLの暗室時計(タイマー)、昭和50年頃に製造された物です。LPL(エル・ピー・エル商事株式会社)は昭和28年(1953年)創業の写真撮影機材や暗室機材各種の企画製造メーカーです。こちらの商品は目覚時計のムーブメント(機械)を利用した暗室用の時計(タイマー)で、背面のツマミを回して赤い針で時間をセットすると1〜60分後までの指定された時間になるとベル音が鳴ります。主に暗室でのフィルムの現像や写真の焼き付け作業時に使用され
愛知時計丸型柱時計(トーマス)昭和30年頃【W302】愛知時計の小振りな丸型柱時計、昭和30年頃に製造された物です。愛知時計は明治25年(1892年)創業の水野時計製造所を祖とする歴史ある時計製造メーカーです。こちらの時計はトーマスと呼ばれるタイプの丸型の柱時計(掛時計)です。※「トーマス」とは丸い枠が背面まで続く(=平たい円柱状の)形状の時計の事で、丸または四角形の枠の後ろに機械の収まった枠よりも小さな箱が付いた形状の物は「グレシャム」と呼ばれます。文字盤が平均的な直径1
日中こそまだまだ暑いのですけれども朝晩は随分と過ごし易い村に稲刈りもはじまり秋を感じていたのですがどうやら家の中にも秋が来た様ですボンボン時計が遅れるので先月に振り子を調整したのですが今度は数分早くなっていましたゼンマイ時計は気温が高いと遅れて、低いと早く進むようです今に電波時計からしたら想像もつきませんね
栄計舎丸型柱時計昭和20年代【W301】栄計舎の丸型柱時計、昭和20年代に製造された物です。星印の中にAKの文字が入ったトレードマークの栄計舎(EIKEISHA)は、大正14年に創業され昭和30年代頃まで存在した、主に柱(掛)時計を製造していたメーカーです。夜光の文字盤やオルゴール付の掛時計、カットガラスを埋め込んだ振子等、様々な製品や機能を生み出した非常に創造的なメーカーであったようです。こちらの時計は丸型グレシャムと呼ばれるタイプの柱時計(掛時計)です。※「グレシャ
ボンボン時計修理、穴締め。滑らか〜段ボールひいて二郎系の厨房みたいに油まみれにして綺麗にしていたらゼンマイの力が残ってたのかスリップしました。片手で作業するとアカンね。指に針金刺さりました。血見たら凶暴化しそうや。ん〜腹立つな、殴りたい(笑)また後日に持ち越し。
奈良県御所市で時計⌚宝石💎補聴器👂🏻メガネ👓の販売と修理をしているカメヤ時計店4代目まき子ですカメヤ時計店では古い機械式の時計の修理などは父である社長が行っています。掛時計の修理の技術を私たちは習得していないので父が生きている間だけやなぁといつも話しています。時計の専門学校に通っている時かけ時計の修理も習ったのですがそれ以後全くしていないので、できないに等しいです時計職人さんも少なくな
JUNGHANS(ドイツ)内鈴型ビー目覚1890年代【031】希少なドイツ・JUNGHANS(ユンハンス)の「ビー目覚」内鈴型、1890年代に製造された物です。JUNGHANSは今から150年以上前の1861年にドイツのSchwarzwald(シュヴァルツヴァルト=黒い森)地方のSchramberg(シュランベルク)で創業された歴史ある老舗の時計メーカーとして知られています。創業当初は時計部品の製造に特化し、その後自社でも時計を製造するようになって、19世紀末〜20世紀初頭頃か
リズム時計8日巻目覚時計No.3123昭和30年代【017】リズム時計の8日巻目覚時計No.3123、昭和30年代頃に製造された物です。リズム時計工業(株)は昭和26年に国内で初めてプラスチック枠の置時計の量産を始めたメーカーです。同社の前身は「農村時計製作所(昭和21〜25年)」で、Rhythmは元々は農村時計での商品名(ブランド名)でした。昭和40年代以降はシチズンの傘下企業として同社のクロック(置時計・掛時計)製品の製造を主にされているようです。こちらの目覚時
東京時計オルゴール水車(A)昭和30年頃【117】東京時計の木製オルゴール付き目覚時計「オルゴール水車(A)」、昭和30年頃に製造された物です。東京時計製造株式会社は大正9年(1920年)に設立された隆工舎を祖とし、昭和9年(1934年)には早くも電気式時計の製造を始めた時計メーカーです。戦後に一度解散しますが翌年に再建され、昭和30年代には神奈川県川崎市に数百人の従業員を抱える大きな工場を持つほどに発展したのですが、昭和40年代後半頃に当時大流行していたボーリング事業に進出し
名巧時計水車小屋型オルゴール目覚時計昭和30年頃【093】名巧時計(メイコー)の水車小屋型オルゴール目覚時計、昭和30年頃に製造された物です。名巧時計株式会社(メイコー)は明治時代の後半から時計製造業が盛んであった名古屋市の中川区西日置町で大正~昭和初頭頃に「名巧舎時計製造所」として創業され、戦後に株式会社に改組して昭和40年代頃まで存在した時計製造会社です。同社はドイツ・JUNGHANSの製品に似せた総体振時計(彫像の台座に掛けた時計本体が振り子のように動く置時計)や、戦後は
1984年から販売されたカネボウ化粧品の男性用香水『パルビス』のラジオ用コマーシャルのために製作した音楽の90秒バージョン。ラジオなので静止画で、ナレーションの入ったオリジナルの記録がないため音楽だけです。自宅の置き時計をスタジオに持ち込んで、ゼンマイを巻く音を録音して効果音で使用しています。使用機材E-muEmulatorII、YAMAHADX7、RolandJuno106、AKAIS900、他その他のCM音楽の動画は、YouTubeのKIMLANDチ