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聖ヨハネ教会遺跡。犬が案内してくれる。130トルコリラ、750円。12使途で最も愛されたヨハネが晩年を過ごした場所。エルサレムを追放され、イエスは母マリアをヨハネに託した。最後まで共に過ごしたとされる。6世紀に皇帝ユスティニアヌスが教会に変えた。しかし14世紀にはイスラム教のジャーミーとして使われたりもした。中庭を囲んで6つのドームから成り立っていたのだそう。それでは詳しく見ていきます。説教壇中身廊(会衆席)内外narthex(辞書に乗ってない言葉使うな。。そのまま書いてや
おっちゃんたちオケイというゲームに興じてます。賭博だな。レストランどこもアルコールなくて、持ち込みも断られた。イスラム教の人が多いので。そりゃそだな。私だって自宅で大麻吸わせて?と言われたら断るよ。なのでビールを買ってテイクアウトした。エフェスモルト。朝と同じ店。この店の料理、めちゃくちゃ美味しい。セルチュクに来たらぜひ立ち寄ってみて。バス亭近くの中心地↓↓美味しすぎて飛ぶ🤸♀️ここはスイーツ屋さん。極細麺のような生地でピスタチオをくるんだもの。紅茶はトルコ人誰も彼もい
ご心配おかけしてた(え?してない?)バス降りる駅間違えて目的地に着けない問題、偶然出会ったこのお二人に助けてもらいました😭車でホテルまで送ってくれました(しかも途中から車入れなくなってそこから徒歩で送ってくれました💓)なんちゅう優しい✨神様ありがとう😭✨ほんまなにこの強運世界中から愛をもらう私💕✨そしてセルチュクの町並み。朝食☕😃🌄さっそくおこぼれねだりに猫が膝に。iskembecorbasiという牛の胃袋のスープ。二日酔いの朝に飲むらしいです。レモン絞って。うま~🤩
2011/3に訪ねたトルコの旅を綴ります。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※聖ヨハネ教会の後方に見えていた城塞へ行ってみます。「セルチュク城塞」この頃の城塞は閉鎖されていて、一般の人は中へ入れませんでした。しかし土産物屋の彼が「入れる門あるよ?」と、道なき道を進んでいくと、5分くらいで城壁に着きました。そしてすぐに中まで入れてしまいました。物凄いものがあると思ったら、内側は草が生え放題で崩れかけている建物がいくつか。修復工事している様子
2011/3に訪ねたトルコの旅を綴ります。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※今朝は8AMに起きてチェックアウトし、荷物を預けました。今日はEfesというエーゲ海最大の古代都市遺跡へ行くつもりです。ホテルのフロントに聞いたところ、ホテルの裏に長距離バスの案内所があり、そこで申し込めばEfes近くのセルチュクまでのバスを予約できるほか、フリーで近くのオトガルまで送迎してくれるとのこと。何で私は昨日、オトガル求めてあんなにアチコチ彷徨ったんだ?爆
10月中旬、春満載、ニュージーランドぉ〜!!2023年9月、トルコを旅してきました。旅っ記続いてまーすヽ(^o^)丿初回からはコチラ↓をご覧くださいっ。旅3日目はツアーに参加してエフェソス遺跡を見学しています。さて、いよいよエフェソス遺跡と言えば、セルシウス図書館〜!もうエフェソス検索したら、コレ一択で出てきます。確かにコレはハイライト〜〜〜!!写真では伝わらないけれど、美しい。中はこんな感じです。
オリエント∞(無限大)周遊記1987年11コンヤからエフェソスへコンヤのメヴラーナ博物館前でウロウロしていたら一人の男に声を掛けられた。中学校で英語を教えているという。怪しい人物には見えなかったので、半日、彼と行動を共にすることにした。まず、生徒の一人の家へ行く。その家は楽器店であった。店の奥でホット・オレンジジュースをごちそうになりながら、弦楽器の講釈を受ける。まず、サーズという棹の長いリュートのような楽器。弦が上から複弦、複弦、三複弦となっている。ドレミファを弾くと
Sivasにあるセルジュークの歴史的な橋のひとつエーリキョプルeğriköprüエーリとは【曲がった】という意味でその名前の通り途中から曲がった橋です曲がる角度は130度なぜ曲がっているかは諸説ありますがわかっていません長さは173メートルクズルウルマク(紅河)にかかる約800年前に建設された歴史的な橋です夫の子どもの頃にはまだ車とかも通行していたらしいですが、今は禁止です歩行者は渡ることができますさらに昔はシルクロードとしてこの橋を通過していたとかキャラバンがこ
先日、SivasŞehirMüzesi(Sivas市博物館)へ行ってきました外観はこんな感じ昔の市役所(Valilik)の下にあります新しい市役所は街外れに大きく立派な母屋が出来移動したらしいですが昔のココも業務をしているのことこの日も目の前に市長の車が停まっていました(ナンバープレートでわかる/色が違うプレートに001のナンバーがお約束)旧市役所入口はこんな感じ重厚感ある構えです博物館は裏側に入口がありますSivasの昔はこのようにグルっと城壁で囲われていたみたい
実は!昨日めちゃくちゃ嬉しいことがありました!なんと‼️大好きな女郎蜘蛛さんとお会いしたんですぅ💕我が街Sivasでっ!『最近のセルジュークなあれこれ』あいかわらず、セルジューク朝時代に関するものには脊髄反射している私です。ちょっと前に、トルコ版Amazonでこの本↓を見つけ、即ポチりました。『Mah…ameblo.jpSivasにセルジュークの建造物等見にいらっしゃるということで、お忙しい中時間を作ってもらってお会いしました!世界文化遺産Buruciyeme
ドミトリーアリババズハウスの朝ごはん黒い方のオリーブが美味しかったです葡萄やチャイの似合う空間イタリア・ドイツの方々と一緒の優雅な朝食宿にこの旅最後の洗濯を頼んで50リラ≒500円(以下省略)一番来たかった町の観光です何故ならこの町はギリシャ神話の月の女神アルテミスの進化系と聖母マリアの住んでいた場所だからこのお城は後で行くことに・・・食べられるのかなって思う植物右のオリーブは道端に自生していましたサボテンや見たことない木やた
ギョレメからデニズリまでの夜行バスは休憩を取りながら4時半頃デニズリに到着降りるお客の中から日本人の私をいち早く見つけ誘導するちょい悪オヤジ的トルコ人男性バスターミナルの屋内の区切られた小さな会社の部屋に入らされこれから先のツアーや今から行くパムッカレに対する怒涛の説明働かない頭に糖分補給トルコチャイを2杯ごちそうになりなが
トルコ🇹🇷といえば❗赤スィミットワゴンも赤(雪の日だったのでスィミットワゴンもお休みで空っぽですが)スィミットとはトルコの愛するゴマつきドーナツ型パンですトゥラムバイ(路面電車)も赤っていうかトゥラムバイの前方(外側)に人乗ってますね~ほら❗(なんでもアリ!なトルコ🇹🇷)ガラタ塔のチケット売場も赤のトゥラムバイ型しかしスィワスのスィミットワゴンはシックな黒いセルジューク調ステキ💕以前のブログで載せたのは冬もしくは雪のせいでお休み中のスィミットワゴンでしたがこの度スィ
先日は外から写真撮っただけだったGökmedreseギョクメドレセへ見学に行ってきました青い2つのミナーレが美しい1271年建立のセルジュークの時代の大学(イスラム教育機関)です(今は博物館)(写真はお借りしました↑↓)石灰岩とレンガと青いタイルで出来たミナーレは25mの高さがあるそう中は中庭と噴水があり二階建ての建物には小部屋が沢山あってそれぞれ中に入って見学することが出来ますが、しかし!小部屋内は写真撮影禁止なので外の写真ばかりですが教育機関だったので寝泊まりす
籠から出て向かう先その4〜青い水の温泉パムッカレからのつづき。パムッカレからの帰路は、イランからの帰りのカナダ人の女性と2人だけだった。3席ずつの向かい合うシートで横になって眠っていたら3時間ドライブはあっという間で、セルチュクの街についていた。途中オニキスの加工工場の土産物屋に寄ったけど、はじめから買う気もなかった。ツアーってこれがあった。「土産物屋立ち寄り」。昔ソウル3日間みたいなツアーに行った時、深夜の出発便に空港送迎が早い集合時間で土産物屋立ち
GökMedreseターコイズ色のタイルであるため、Gökmedreseとして呼ばれているそうでIIIGıyâseddinKeyhusrevの治世中、1271年に宰相HüseyinSahibAtaによって建てられたそうです。建築家はKālûyân。ミナレットの台座には、レンガでできた宇宙を上から下に順番に表した円形のモチーフがあり、その下には植物の装飾があり、その下には碑文と幾何学的な星のモチーフがあります。生命の木には、ワシやハヤブサのように見える双頭の猛禽類が描かれています。さ
先日Sivasに引っ越しました雪が降った今日は学校が休校になったのでちょっと散策しよう~と本当はスキー(スノボ←トルコで出来るのかな?)に行きたかったけど遅くなってしまったのでスタバ行ってお茶したりSivas駅に行ったり次どこ行こうか~ってなりせっかくだから?Çifteminare(チフテミナーレ)に行きました15~6年前に撮った写真が見れないのでリベンジですミナーレが二つあるのでチフテ(二つ)ミナーレです1271年建立のチフテミナーレSivasはルームセルジュークの
昔の戦士の格好について昨日書いた際女性の髪を隠す被り物についても触れました他のドラマで女優さんが髪出しスタイルで演じているのと、昔の時代もののドラマに出てくる姿後者の方が美しく見えると書きましたそしたらちょうど今日テレビでErtuğrulエルトゥールルの奥さんのHalimehatunハリメハートゥンが普通のドラマに出演しているのを発見ドラマの名前はわかりません(笑)これが現代ドラマの姿↑こちらがDirilişErtuğrulでのHalimeHatun↓元々の美
外出自粛が続く中、エーゲ海地方のイズミル(福岡と気候や雰囲気が似ています)という県にあるセルチュクという町で、老人ホームの前に楽器を持った人が集まっています。これは、セルチュク市のバンドの方々。老人ホーム前で、みなさんを元気づけています。こういった取り組み、いいですね。
セルチュクから鉄道に乗って、パムッカレに向かいます。パムッカレに到着!あれっ写真と違う。余りお湯が溜まってなくて白いところが殆ど…パムッカレを登った所に、遺跡温泉プールがありました。温泉は気持ち良かったけど、これのせいでパムッカレにお湯が溜まらないのでは?パムッカレの上にはヒエラポリスという古代遺跡がありました。壮大な遺跡と赤いケシに花はトルコらしい風景。パムッカレからは夜行バスに乗り、カッパドキアに向かいます。
★【アジアンダイニング】2月レッスン情報は、ブログの最後を御覧ください♪新年最初のブログ、こんなに遅くなってしまいました。今年もよろしくお願い致します。さて、トルコ旅日記はまだ途中。次の旅が始まってしまう前に、頑張って更新します!!トロイ遺跡を見た翌日、イズミール県セルチュクにある、「古代都市遺跡エフェス」へ。エフェスは、かつて海が近くにあった港湾都市。紀元前7世紀中頃から都市として栄え始め、最盛期を迎えるのは、ローマ帝国支配下にあった紀元前133年
Day3アイワルクを離れ、さらに南下しセルチュクへ🚌セルチュクにあるエフェソス古代遺跡へ向かいます。結論から言うと、エフェソス遺跡の立派なつくりと迫力に終始圧倒され、ひたすら感動しました詳しく書いていきます👇<エフェソス古代遺跡@セルチュク>世界遺産の古代都市遺跡のエフェソスに到着7月の直射日光があつ~い中、早速遺跡内へ。まずは「クレテス通り」を下っていきます。道の途中で「ハドリアヌス神殿」。奥の門の上の部分にはまたもやメデューサの彫刻が
新約聖書の中の福音書、黙示録などで知られる聖書ヨハネはエフェソスを終の住処としたと言い伝えられていますそのヨハネのお墓ともされているのが、セルチュクにある「聖ヨハネの教会(お墓)」です教会は紀元5〜6世紀のものですが、正門はかなり立派ですね一応ここも世界遺産に登録されています教会の中心部ですが、ここが聖ヨハネのお墓とされている場所です聖ヨハネのお墓ですが、トルコ語と英語で記されていますね教会に残っている洗礼槽ですここにもコウノトリが巣作りをしていました
エフェソス遺跡のすぐ近くにセルチュクという町がありますエフェソス最寄りの町ですその町には以前「世界の七不思議」の一つ、アルテミス神殿があり、今は柱が一本残っているのみですが、出土したものが町の考古学博物館に展示されています「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」とイエスキリストは言いました(マタイ22章21節)その当時のローマ皇帝ティベリウスが描かれているコインです聖書に登場するようなものまで、展示されていますゼウス神の頭部です他にもいろんな神々の彫像が展示されてい
こんにちはご訪問ありがとうございますm(__)m新・トルコ旅行記このお話の中の会話はピンクの文字がトルコ語青い文字が日本語グリーンの文字が英語でお届けしています。※今回は会話は出てきませんが。シリンジェ村の中の村ブラは続きます。見るもの全部楽しくて、あちこちのお店や商品、景色などに引っかかりながら歩きます。色々な国からやってきた観光客(特にヨーロッパ多し)