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2022年2月の日記より私は『徒然草』が昔から好きで、今でも折に触れて読み返したくなります。私が好きなのはこの2段です。155段(引用)四季はなほ定まれるついであり。死期はついでを待たず。死は前よりしも来らず、かねて後ろに迫れり。人皆死あることを知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟はるかなれども、磯より潮の満つるがごとし。93段(引用)人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづが
セネカの言葉「残酷な行為はすべて、弱さから生まれる」本当の強さとは、誰かを傷つけることではなく、自分を見つめ、相手を受け入れる心かもしれない。残酷な行いをする人ほど、実は心の奥の弱さや不安を隠そうとしている。――古代ローマの哲学者が語ったその言葉は、今も胸に響きますよね。
「時間は理性が癒やせぬ傷を癒やす」セネカ●パパのひとりごと理性に勝てる物。私も沢山の傷を癒されている😎
みなさんこんばんは~(*^^*)買い物には少し出かけたがすぐに帰ってきました…頭痛はどうにもなりません…上の天神、生根神社です西成区の玉出にあります住吉大社の北側にも生根神社がありますここが上の天神ですさて向こうは?住吉大社摂社であった生根神社から勧請、西成区玉出に上の天神として産土神として鎮座しています祭神は少彦名命・蛭児命・菅原道真公狛犬さんは浪速狛犬さんしかしこの台座に花飾りがあるこの地域の浪速狛犬さんは大阪市内では現在の谷九あたり
今日、オーストラリアの哲学雑誌『NewPhilosopher』に掲載されていた、ストア派の哲学者セネカの思想についての記事を読みました。「怒りのない人生」を目指し、情念を根絶すべきだとする彼の主張に触れ、私はある種の違和感とともに、深い思索に誘われました。日頃から竹田青嗣氏の「欲望論」を学んでいる私にとって、感情や欲望というのは、単なる心の乱れではなく、原理的に私たちの内側に意志とは無関係に「訪れてしまうもの」であるように思えます。それは自分自身で選べるものではなく、生きていく上で避けら
アマプラで『丘の上の本屋さん』と言う映画を観た予備知識はほとんどなくて、感動系らしいと言う事だけ知っていた↓感想なんて穏やかで優しい映画!ドキドキハラハラとかはないけどとても心が温かくなったリベロ爺さんと少年との(他の人たちも)会話が洒落ていてクスッと笑えた最後の最後まで素敵な会話だったなでも深い!考えさせられる事もある作品だと思う。↓主演のレモ・ジローネと言う俳優は知らなかったけど、とても優しい笑顔をする人だと思った↓他の作品を探していると、昨年亡くなってる事が分かって驚いた!
なぜ初期のネロは善政を敷けたのか。それはストア派の哲学者セネカという「理性のブレーキ」があったからである。しかし、自意識が肥大化したネロにとって、諫言役は邪魔になる。ネロはセネカを遠ざけ、最終的に自殺へ追い込む。その後に残ったのは、称賛だけを供給するイエスマンである。ここでダンテが残した描写が、異様なほど鋭い。『神曲』は、おべっか使いを地獄の汚物の中に沈める。なぜか。権力者を堕落させ、現実認識を破壊するからである。すばらしい~、くないおべっか使いに唆され、堕落した権力者こそ汚物の中に沈
『ローマの哲人・セネカの言葉』-中野孝次●貧を楽しむ✪貧乏が楽しいものになったら、それはむろんもう貧乏ではない。所有の少ない人ではなく、渇望の多い人が、貧しいのです。「ルキリウスへの手紙」の1と2は、ともに短く、二つ合わして一つの序論をなすと言われるが、それは短い中に全書簡に通じる主なテーマ・・・・・・死、時間の喪失、心の落書き、精神集中、貧乏と富裕、友情、自由と運命、徳と悪徳など・・・・・が、すでに出ているからだ。また書き方も、前節の終わりに示したように、説得する文章の終わりを箴言(し
この本は、かなり読み込みました。そのおかげで、今は好きなところを読みます。昨日取り上げた言葉には続きがあります。笑って人接すること。嘆くことも、悪口も言わない。そうすれば良いのである。ありがとうございます。
南米チリは真夏です。各地では35度を越すところもありますが、私の住むラ・セレナ市は最高でも25度くらいで過ごしやすいところです。さて、私の毎度長いブログを読んでイイねを押してくださったフォロワーの皆様、今年も一年支えていただきありがとうございました。この長さに耐えて読んでくださる方は、気持ちにも時間にもゆとりのある文章読解力に優れた大人の読者さまが多いせいか、有り難いことに批判コメントというのを受けたことがありません。(そもそもアクセス数が低すぎる)多分、短い文章だけだったら表面的に理解し
セネカが書いたとされる手紙。その言葉がこの本のもと。この時代の政治家だからか説得力がある。生きているといろいろある。辛い時には笑いなさいとある。ありがとうございます。
セネカの『人生の短さについて』をその**本質的なエッセンス(教訓)**のみを整理してまとめました。セネカ『人生の短さについて』の本質1.人生の本質は「時間」である人生は短くない、私たちが短くしているだけ:人生には偉大なことを成し遂げるのに十分な時間が与えられている。それを浪費するから「短い」と感じる。時間の価値を再認識する:財産を盗まれれば怒るのに、時間を他人に奪われても平気な人が多い。命とは「残された時間」そのものである。2.無駄な浪費を徹底的に排除する「ノー」と言える勇気
セネカの言葉から始めます。二千年前に書かれた手紙がもととされる。この時間の流れすごいなって思う。何度読んでもいい感じです。まだまだセネカから学びたい。ありがとうございます。
セネカの言葉から始めます。乾燥しているから喉に注意が必要です。ひさしぶりに熟睡したものの喉が渇きました。寒さもこれからが本番。自分でできることはやって行きたい。人間は、誰しもが利己心はあると思う。それをどのように統制して行くか。まわりとの調和も必要なこともある。よくよく観察して行くことだろうか。ありがとうございます。
セネカは文学学問の限界性をといた..............だがそれは哲学者の視野の狭さじゃないか?文学学問は教養ともいい紳士淑女には必須な条件.....................そのあたり学者と哲学者の違いかな?ただ学問の否定はどうか今為すべきことが必ずしも学問だけとは思えんがテレビバラエティーとかSNSよりマシなはず?学問の否定は哲学者の範疇俺だって学問だけで終わろうとは思ってはいない..................................
『ローマの哲人セネカの言葉』ー中野孝次●要石(かなめいし)✪ある種のものは、いくら前より量が増大しても本来のその性質を変えない。が、別のある種のものは、多くの増大を重ねたあとの最後の一つの追加が、全体に変化を引き起こし、新しい、前のとはぜんぜん違う性質をもたらすことがあります。例えばたった一つの要石が、両側に弓形に湾曲している翼のあいだに楔(くさび)として差し込まれると、その挿入一つによって、丸天井のアーチ全体を支える。ほんの小さなものなのに、なぜこの最後の追加がかくも大きな効果を上げるの
ひさしぶりに、ドトールで朝を過ごしています。ゆっくりコーヒーをいただきました。温まるね。人生には、厄介事は多い。しかし、考え方ひとつである。セネカの言葉は、そう教えてくれる。ありがとうございます。
セネカの言葉から行きます。この言葉は「パレアナ」を思い出します。ものは考えようともいう。父親の体調が良くなって、ホッとしている。高齢の人には、冬の寒さはこたえる。それでも、何かしら見つけていく。そんなことで健康的な生活になるみたい。古代から変わらぬことかな。ありがとうございます。
セネカの言葉でスタートします。高齢になった父親の様子をみてきました。寒い冬は暑い夏より厳しい。肺炎で何度か大変な状況になっている。一日24時間というのは誰もが同じこと。人生って4000週間くらい。セネカの言葉を知っておきたい。ありがとうございます。
繰り返し何度も読むセネカ。読むことで少しずつしみこむような気がする。父親の様子を見み行く。高齢になりなかなか難しいこともある。どのような状況にあっても、この心の平静さというものを意識している。まだまだ未熟ですが、少しずつ。セネカとの対話をしていきたい。ありがとうございます。
セネカの言葉は、隙間時間に読むことが多い。最近は、この本が好きだ。いつも鞄の中に入れて持ち歩いている。先日、大きな地震がありました。日本は、地震大国です。あらためて地震への備えを考えたい。ありがとうございます。
『明るく死ぬための哲学』『望ましい死』『死ぬのはこわくない』『人生の短さについて』などを読んでも、結局は、『今、この瞬間を生きる』しか「死への賢明なる道はなし」ということですね。[2025・12・11・木曜日]還暦もとうにすぎ、定年平均年齢の「65歳」も過ぎて前期高齢者になってまもなく2年。古稀までもあと2~3年になってくると、「死」に関する本を読むことも増えてきました。といっても、若いころから「死」というか「人生の短さ」について書かれた本は時々読んできました。それこそセネカ
今朝は、早朝から東京消防庁震災訓練に参加する予定なので、早く寝ることにしました。やはり、早く起きてしまう。そんな時は、この本に限る。まだ若い頃、心の平静さについて考えることがなかった時があった。しかし、この本に出会い、セネカの説教によって、そう考えたらいいのかと思うことができるようになった。心静かのなかに慰めが見付からないほど悲しむべきことはない。今朝も、朝がある。朝をむかえることは誠にありがたいことである。ありがとうございます。
259回このブログは何だ?と思う方は、2024年12月3日付の第1回をお読みください。P.117第4章人の与える印象について「しかもののしる側の人間はこの名誉の掟を破ったことのない者でありさえすれば、一文の値打ちもないろくでなしであろうと、世にも間の抜けた畜生であろうと、穀つぶしであろうと、ばくち打ちであろうと、踏み倒しの常習者であろうとかまわない。要するに、ののしられる人間からいえば見るもけがらわしいような人間であっても差支えないわけである。おまけに、セネカが正しくも
はじめに:私たちの心に巣食う「毒」「カッとなってしまった」「つい言いすぎてしまった」——誰の心にも、怒りという感情はあります。それは時に私たちを突き動かすエネルギーにもなりますが、ほとんどの場合、自分自身や大切な人を傷つけ、人間関係を破壊する「心の毒」となります。怒りをどうコントロールするかは、古代から現代まで、人類共通の大きな課題でした。このブログでは、約2000年前に生きた古代ローマの哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカと、約2500年前に悟りを開いた仏陀(ブッダ)の教えを対比させなが
【鉱物言葉集】セネカ「母ヘルウィアへのなぐさめ」より石に関する言葉セネカ大理石胸像(マドリード/プラド美術館所蔵)(出典:Jean-PolGRANDMONT,WikimediaCommons,CCBY3.0)過度に身体の言いなりになっている未熟な知性が賛美するもの――たとえば大理石、金と銀の器、磨かれた大きな円卓――は、みな地上の重荷です。セネカ「母ヘルウィアへのなぐさめ」より(『人生の短さについて』所収、光文社古典新訳文庫、p.96)「母ヘルウィアへのなぐさめ」
セネカによる心の平静をたもつ方法『精神はあらゆる外的なものから呼び戻され、自己へと立ち返らされねばならない』(岩波文庫《生の短さについて他二篇》所収《心の平静について》より抜粋、大西英文・訳、岩波書店、2010年)セネカは、古代ローマの哲学者ですけれども、彼の思想を仏教的だという人々もいます。ローマ帝国のひとがインドの仏教を知っていたかどうかはわかりませんが、こころを落ち着かせることの重要さは、地域や時代にかかわらず、おなじ課題であるといえます。その、セネカの著作である《心の平静につい
仕事帰りにYOUTUBEショートをスクロールしてたら某掲示板創設者と某インテリ芸人が運を味方にする方法について話し合ってた切り抜きを見つけたその中で古代ローマの哲学者のセネカの名言の一つである"Luckishappenwhenprepationmeetsopportunity."が話題に上がった日本語に訳すと「運とは準備と機会が交差した時に生まれるもの」で簡単にまとめると巡り会えた機会をモノにする準備をしておけば運も変わるということらしいいや結局努力が必要な
ブログご訪問ありがとうございます。偶然の一致は、いろんな形で起こってきますね。たまたま考えていたことを誰かが言ってきたり、同じ数字が重なったり、どう考えてもありえない一致と言うのは、目に見えない世界からの、⭐️それでいいよと言うメッセージだと言われます。チャネリング講座でガイドの名前はよく出てきますが、ガイドの名前をあまりこだわったり、気にする必要もないし、内容が大事と言うのも確かです。でも、ガイドの名前を通して、いろんな偶然の一致がチャネリングの際に起こってくるのはよくあ
自分で自分は何の才能も無いことはよっく自覚しているつもりです。だから、残された道は絵の道に努力精進することだけ。努力精進っていうとダサいなぁ~て思う人もいるだろうけど、力の限り努力精進することって、とってもカッコイイことだと思う。万能の天才と言われたダヴィンチでさえ、自身の手稿の中で、兎に角何をするにも、努力が大切だと言ってるしね。最近、なぜか体調の悪い日が続いているんだけど、そろそろ大吉姉さんが迎えに来てくれる準備をしてくれているのかなぁなんて思っているんですけど。