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図書館の本を読んで。『セネカ哲学全集(1)倫理論集Ⅰ』(兼利琢也、大西英文訳岩波書店)「摂理について」「賢者の恒心について」「怒りについて」「マルキアに寄せる慰めの書」「幸福な生について」「閑暇について」「心の平静について」「生の短さについて」を読む。男らしい。人生の荒波にもまれていない者は悲劇である、といった感じだ。快楽は悪徳で、質素に暮らすべきというが、あなたは贅沢三昧に暮らしているではないか、と言う者に反論するが、わたしは賢者ではない、しかし、賢者たらんと日々努め
4月某日、交通量の多い国道沿いをACAねの歌声とともに歩いていると、ひとりの男性から声を掛けられた。「〇〇へ行くにはどうすればいいですか。」その男性に行き方を伝えたものの、私は正直驚いていた。なぜなら、人通りも、街灯もほとんどないこの場所で声を掛けられることなど、初めてだったからだ。しかし次の瞬間、この驚きは大きな疑念へと変わった。「今は何時ですか。」「今は9時40分くらいですね。」「ああ、そうですか。てっきり夜中の2、3時くらいかと思ってました。」明らかにおかしい。日没からまだ
こんにちはアシストオンのChikoです皆さんいかがお過ごしでしょうかさて本日ですが皆さんはカナダが観光大国であることを知っていましたかカナダは世界的にみても観光業が盛んで、9000以上のホテルと、97000を超えるレストランが存在します🏨しかもトロントは、カナダ最大の都市かつ多国籍都市なので、トロント市内には多くのホテルや多様性に富んだレストランがあり卒業後の選択肢も豊富ですしかも、ビジネスやマーケティングなどの人気プログラムに比べて複雑な専門用語
にもです去年の春にお仕事引退して失業保険もらいながら毎日毎日楽しく暮らせてましたが先月ついに終了まったくの無収入そして相棒さんの扶養家族になりましたそして春が来たのでごそごそ遊び以外のことも始めたりしてはじめての事だらけでいろいろ要領が悪く無駄に時間使ってしまってるわこれ読んで納得
「私は不幸だ」と考えることほど、その身を不幸にするものはない。~セネカ(紀元前1世紀・古代ローマ)~「自分はなんて不幸なんだろう」と、嘆く人がいます。確かに、そのように思ってしまう理由があるのかもしれません。仕事がうまくいかなかったり、金銭的に辛い状況に追い込まれたり、あるいは、恋人に振られてしまったり、人間関係が悪くなってしまったり……といった理由です。しかし、そこで自分は不幸だと考えない方がよいのです。自分は不幸だと考えてしまうことは、自分で自分自身をさらに一層
【以下ニュースソース引用】人生に悩んでいる人へ。セネカの名言「生きている限り…」英語&和訳(偉人の言葉)鈴木隆矢翻訳家4/6(土)8:00こんにちは!ほんやく検定1級翻訳士の鈴木隆矢です。今回はルキウス・アンナエウス・セネカ(LuciusAnnaeusSeneca)の名言をご紹介します。セネカ(紀元前1年頃~紀元後65年)は古代ローマの哲学者です。今回は人生に悩んでいる人に届けたいセネカの名言をご紹介します。人生に悩んでいる人へ。セネカの名言「生きている限
『ローマの哲人・セネカの言葉』-中野孝次●誠実✪誠実は人間の心の最も破りがたい善です。いかなる強制状態も裏切りを強いることはできないし、いかなる恩賞も誠実な心を買収することができません。「論語」を見ると、古代中国人はこの誠実(これを忠信と言った)の徳を何より尊んだことがわかる。荻生徂徠は「忠信は乃(すなわ)ち「人の為を謀(はか)りて忠なる」と「朋友と言ひて信ある」の謂(い)ひなり」と言っている。人に対して絶対に裏切らず、言葉に嘘がなく、信じて、誠を尽くすのが忠信なのだ。孔子は忠信がなけれ
『ローマの哲人・セネカの言葉』-中野孝次●善き行為の報酬🔯正しい行為の報酬は、それを行ったということの中にある。人に認められようがためとか、何らかのためにするのは本当の正しい行為ではない。それを行ったよろこびの中にすでに全き報酬のあるのが、正しい行為だというのだ。モンテーニュは「エセー」の中でこの言葉を引いて、「奉仕の果実は奉仕そのものである」という句と並べている。🔯他人のために役立つことをした人は、自分自身のために役立つことをしたのです。●木を植える🔯そこでは一人として他人の
セネカの『人生の短さについて』は、人生の価値をその長さではなく、その深さに見出すという哲学的なエッセイです。セネカは、時間を無駄に使うことを避け、自分自身の内面に目を向け、自己実現に努めることで人生を充実させることができると説きます。彼は、内省、学問、自己改善などの活動を推奨し、多忙な仕事や空虚な娯楽などの活動を批判します。彼の教えは、現代の忙しい生活にも適用でき、私たちの生活を改善するヒントを与えてくれます。是非共有したい。人生はあっという間❕らしい。生の短さについて他二篇(岩
人間にとって最大の敵は、だいたいにおいて自分である。[ルキウス・アンナエウス・セネカ(古代ローマの哲学者・政治家)]俺の敵はだいたい俺です。[漫画『宇宙兄弟』の南波六太の言葉。]ほんとうの敵は自分自身だ。[アベベ・ビキラ(エチオピアの陸上競技選手)]人間には自分自身以外に敵はほとんどいないものである。最大の敵はつねに自分自身である。判断を誤(あやま)ったり、むだな心配をしたり、絶望したり、意気沮喪(そそう)するようなことばを自分に聞かせたりすることによって、最大の敵となるのだ。(語
『ローマの哲人・セネカの言葉』-中野孝次●神は君自身の内に🔯君を道徳的に善になしうるものは、すべて君の内にある。神だの仏だのと言うと、人はそれを外に求める。そう言って存在が自分の外に形としてあって、それをあがめるのだと思いがちだ。が、神も仏も君の外に対象としてあるのではない、すべてすでに君自身の内に備わっている、それを養いさえすればいいのだ、というのがセネカのこの言葉である。🔯17世紀ドイツの宗教詩人アンゲルス・ジレージウスの詩にもこうある。「立ち止まりなさい、あなたはどこに向かって
本日はストア派の哲人セネカの「心の平静について」第10章からの引用です。セネカは、理性の力を使えば、いかなる状況でも改善する道を見つけることができると訴えています。『公平な心が慰めを見出だせないほど過酷な運命などないのである。往々にして、わずかな敷地も、巧みに区分けすれば、さまざまな用途の道が開け、狭い空間も配置次第で居住できるものとなる。困難に対処するには理性をもってするがよい。過酷なものも緩和され、険隘(けんあい)なものも開かれ、過重なものも巧みに担えば苦しみも減る。』『生の短さについ
原文はセネカ「老年について」22.79-81Seneca"DēSenectūte"22.79-81です本文はそれを改変したものと考えられます。おお(Ō)私の(meī)3人の(trēs)息子たちよ(fīliī)そなたたちはすべきでない(nōndēbētis)憐れむ(miserī)ことを(esse)確かに(enim)今(nunc)死(mortem)の方へ(ad)私は向かっている(veniō)しかしながら(sed)一部である(pars)
アルフレッドから西に130kmくらいの所にイロコイ族のイロコイ連邦があることを聞いていました。テレビでは,「パスポートに入国の印を捺してもらえる」とも言っていました。そこで雨の日,I-86(インターステート86号線)を西に走らせました。サラマンカの町にはミュージアムがありました。また,NY-280(ニューヨーク州道280号線)を抜けて南に走ると連邦のオフィスがありました。職員にパスポートの入国印のことを尋ねると「知らない」と言われてしまいました。
時空を超えて遺っている魂の輝き、精神の声というものの本質とは、一体何なのであろうか。例えば、歌というものであっても、その対象となった恋愛関係が無くなってしまったのにもかかわらず、その歌は遺りつづけ、時を経て復活し、歌われ、愛されるということがある。そして、その歌の対象の限定を超えて、多くの人々に愛されてゆくということがあるのである。このように、「言の葉」というものには、本源的に永遠普遍のロゴスのようなものがあって、不死性や普遍性をもともと持っているのではないかと思われる。ま
今回は昨日の続きとなります。良かったらチェックしてみて下さい。https://ameblo.jp/masatolevel3/entry-12835823174.htmlhttps://ameblo.jp/masatolevel3/entry-12835823392.htmlセネカのしくじり人生本書の内容は終わりですが、興味のある人は最後にもう一つ小話を聞いてください。本書に書かれているわけではないんですが、セネカのしくじり人生についてです。セネカはどんな人だったのか調べてみて、面白か
ネロの家庭教師というので、あまりイメージが良くはなくて、これまで避けてきたセネカの本を読んでみた。共感できる部分、なるほど、と思った部分が結構あったかな。共感ポイント人は必ず死ぬのにあたかも死なないものであるかのように50歳、60歳になるまで考えることもせずに、他人に時間を奪われたり、あくせく働くなんてよろしくない。自分の人生を短くしてしまっているのは自分だ。自分の時間、人生を大事に生きること=長く生きることが大事だ。哲学を通じて過去の賢人との対話をすることは、とても有意義。自分の時
目的がなければ、人生はどこへも続く終わりのない旅になる。NEW!2024-02-0716:07:17テーマ:ブログRaelMaitreyaThe5MinuteStoic目的がなければ、人生はどこへも続く終わりのない旅になる。セネカルキウス・アンナエウス・セネカは、ユリウス=クラウディウス朝時代のローマ帝国の政治家、哲学者、詩人。父親の大セネカと区別するため小セネカとも呼ばれる。-Wikipedia
今回は昨日の続きとなります。良かったらチェックしてみて下さい。https://ameblo.jp/masatolevel3/entry-12835823174.html②未来より、現在より、過去を見つめろ2つめの人生を無駄にしない秘訣「未来より、現在より、過去を見つめろ」。「未来だけを見ろ、今を生きろ」みたいなメッセージはよく見かけますが、それより「過去を見つめろ」とセネカさんは言います。人生の時間は過去・現在・未来、3種類に分けられる、その中で過去こそ最も大事にすべき、というのも未来
今回は古代ローマを代表する天才哲学者「セネカ」の代表作『人生の短さについて』を紹介します。私も悩んでいますが、皆さんも「バタバタ忙しくて、ただ毎日が過ぎ去っていく」「俺の人生このままでいいのか」という悩みを抱えていませんでしょうか。本書はそんな漠然とした悩みを二千年前から痛快にぶっ壊してきた歴史に残る名作でごす。本書の結論はそのタイトルとは真逆で「人生は短くなんてない」というものです。「我々には大きな偉業を果たすために十分な時間が与えられている」それなのに大半の人が人生終盤に
今日も今日とて、家計簿を書いていきたい貯金は、10万円目標です収入24万1650円支出3万3816円貯金212万2668円余裕資金174万6240円今月は、こんな感じになりましたどんどん貯めていくぞー余裕資金が減るのは、高い買い物とか、株が破綻した時の損失にあてがわれる予定見かけ上の話ではあります最近、セネカの人生の短さについてを見たけどやはり、セネカ的にも、ニートという状態はあまりよろしくないとしている端から見たら、楽でいいねと思うかもしれないが親がそれでいいと言っ
4生命とは(vīta)生きる(vīvere)だけではなく(nōnsed)元気でいる(valēre)事だ(est)5いつも(semper)多くの(magnō)不安を(timorē)抱えつつ(cum)話すことを(dīcere)私は始める(incipiō)6ムーサよ(Mūsa)もし(sī)私を(mē)あなたが導く(dūcēs)ならば大いなる(magnā)喜び(laude)とともに(cum)栄冠を(corōnam)私はつかむであろう(capiam)
もし(sī)哲学(philosophiae)と(-que)思索に(animō)あなたが専念する(studēre)ならばその(hoc)学問は(studium)倹約(frūgālitāte)なしに(sine)効果を発揮することは(valēre)できない(nōnpotest)これらの(haec)倹約は(frūgālitās)自発的な(voluntāria)貧乏(paupertās)である(est)それゆえ(igitur)この(以下の)(istās)
セネカ〜〜人生の短さについて〜〜古代ローマ帝国の賢人デスクにておおくわずいもよ
他人に秘密を守らせようとするならまず自分が守ることであるとってもワンダフルな/㈱大創産業ルキウス・アンナエウス。セネカ/政治家
ストア派の哲学者である「セネカ(BC1年頃〜AD65年)」の著書の紹介。人生の短さについて他2篇(光文社古典新訳文庫)Amazon(アマゾン)この本を一言で言えば、多分「短い人生を無駄にせず、善く生きろ」ということになる。しかし、内容は「何いってんの?」という点が多い。ということで、前半は本書の要約、後半は私の感想を書く。1.本書の要約セネカによると、多忙は人生を浪費させて短くするという。老後に人生が短いと嘆くが、それは時間が短いのではなく、われわれが時間の無
このセネカによって、快楽に負けず、快楽に左右されずに、むしろ使いこなして、不動の徳の輝きを保ちつづけることの大切さを改めて教わるのであるが、確かに、快楽に打ち克てないようでは、人生で様々に出会う困難を超克してゆくことは難しいのかもしれない。今だに生老病死の四苦八苦に対して、時に弱音を吐く私自身も、セネカの不撓不屈の精神力に改めて激励される気持ちである。このような不滅の精神力を鍛えるために、時に、試練のような運命が与えられることもあるのかもしれない。しかし、それこそが、偉人を偉人
キャプテンホワイトタイガー君とスペースバトルシップユーフラテスW杯フィリピン大会その12セネカはストア哲学の第一人者でありながら、アパティアを納め、ストア哲学を極めるには、最も厳しく難しい立場と環境に置かれていたと思われます。にも関わらず、彼の著書が現代でも愛読され、評価されているのは、彼が哲学者と政治家、そして教育者として粉骨砕身とでもいったらいいんですか命をかけていたのかどうかはわかりませんが、それくらいの気持ちで取り組んでいたからなのだろうと思われます。人間もストア哲学も完璧ではない
『怒りについて』は、ローマの哲学者セネカによって書かれた著作で、怒りの感情についての深い洞察を提供します。このテキストは、今日の忙しい現代社会においても多くの有用な教訓を与えてくれます。怒りは不合理で破壊的セネカは、怒りは理性の放棄であり、自己と他人への破壊的な影響を及ぼすと説いています。この観点から、現代のストレスの多い環境で、冷静さを保つことの重要性が浮き彫りになります。怒りに対処する方法を学ぶことは、職場や家庭での健全な関係を築く上で不可欠です。自己認識と自制心セネカは、自
このような古典的真理の智慧の眼を培うということは、実は、決してたやすいことではなく、大抵の場合、我々は、ともすれば、現代に流行している浅薄な思想に幻惑されてしまい、本来の定点を見失ってしまって、不安になることも多いからである。そして、何度も云うように、人間の眼というものは、現代という時代を真の意味で達観することは容易ではないからである。今までも、誰もが同時代にあるものの価値を見誤ってきた歴史があり、それは、歴史上の偉人の価値であっても例外ではない。そのような場合であって