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自分をいちいち幸せにする192ホテルに着いたのがお昼過ぎだったので、とりあえずなんか食べたいと思ってお店入ったこの時点では、まだ海外慣れしてないので何をするのも挙動不審wwwオドオドしながらオーダー。笑クロワッサン好き!そのへんのカフェでも座ってるおじさんが微笑んでくる海外ってステキ〜笑腹ごしらえをして、パッと地下鉄の地下から上がるとオペラ座これで一気にテンションが上がるあーー、ウィーンに来たんだ!と改めて実感がまず
ずっとずっと前から、この建物が好きでした。大正15年に庁立図書館として建てられた後、道立美術館なんかに利用されてたようですが、私はここが文書館別館として使われていた頃、よく仕事でお邪魔していた懐かしい建物です。さっぽろふるさと文化百選にもなっている歴史的建造物実は夕暮れ時に一度写真を撮りに訪問。ジャイアントオーダーの柱を中心として、幾何学的な直線のセセッション様式というのでしょうか。重厚感のある建物が、札幌の中
国立天文台の三鷹キャンパスで、ちょうど4D2Uドームシアターの向かいくらいでしょうか、森の中へと続く道がありまして、見学者向けの道標も立っており…。構内各所には「ハチに注意!」(スズメバチがいるのでしょうなあ)の看板があるものですから、いささか森の中へとむ見込むには臆するところがあったのですが、「ええい、ままよ」と。まだかまだかと思いつつ進むも実際の距離はさほどではなく、精神的に遠さを感じただけだとは思いますが、行きついた先にはこのような看板が待っていたのでありましたよ。曰く「太陽塔望
大阪国際室内楽コンクールの会場はいずみホール。大阪城の近くです。久し振りに大阪城を散歩しました。京橋口から入ると、朽ち果てた建物が見えます。旧大阪砲兵工廠の表門、守衛舎、化学分析所です。解体を免れて現存しますが、金網で囲われてプレートも何もない。貴重な戦争遺構なのに、そのまま放置されてます。いずれも煉瓦造りで、修繕すれば美しく甦る筈。特に、化学分析所は置塩章の初期のセセッションで貴重。大阪府としては、取り壊すことはしないけど、積極的に保存もし
オーストリア・デンマーク・パリ②ウィーン、シュテファン寺院から近くの人気の通りはどこも人で溢れていました。ケルントナー通り。グラーベン王宮もオペラ座からトラムに乗り、リングを一回り。ここでカフェに入ります。何と1861年創業のウィーンのカフェ『シュバルツェンベルグ』。日本は江戸時代ですね。店内はとても趣きがあり、黒服の給仕の方がサービスしてくれます。以前こちらでウィーン風朝食をいただき、とても良かったのでリピートしました。頂いたのは、ドボシュトルテ(モカクリームとスポンジの上
こんにちは。春分の日を迎え、静かに、確実に変わりゆく季節に入りました。色んなことが早い速度で起こるのを実感する今日この頃。しっかり地に足つけねば…と思います^^旅話の続きです。音楽堂のツアーの合間に沢山ある教会見学もガンガン入れたかったのですが、結局1つに絞る。大き過ぎて全景入らず。。このStephansdom(シュテファン寺院)は街の真ん中にあるので、ちょっと迷ったらこの教会がどの方向にあるか?の目印代わりにも。1147年にロマネスク教会として建設後、14世紀に大々的に改築。壮
此花区にある鴻池組旧本店が初めて一般公開されるそうです1910(明治43)年築大正期に流行したセセッション様式の洋館と大阪の伝統的な町家の和館を併設した建物写真は鴻池組サイトからおかりしましたこの春に国の登録有形文化財として登録されることを記念しての初一般公開とのこと創業者鴻池忠次郎が事務所兼住宅として計画し、洋館は昭和43年まで本店として使用していたそうです。洋館は外観がセセッションの流れをくみ、内装は同時期欧州で流行したアールヌーボー装飾がふん
ウィーンのシンボル的な建築物の1つが、シュテファン大聖堂です。ゴシック様式の天上高くそびえる尖塔が目を見張る迫力があります。残念ながら外観を撮った写真はありませんでした。なぜかは思い出せませんが、尖塔が高すぎて全体を撮れなかったからかもしれません。これは聖堂内の様子。外観はゴシック様式ですが、なアーチ型のつくりはバロック様式です。ギンガムチェック風の床が特徴的です。礼拝をおこなう厳粛な場ですが、キリスト教に縁のない身としては、静謐な空間でくうろいでいました。これはウィーン美術
昨夜の地震すごかったですね!久々に「ひえ!」ってなりました。皆様も怖かったでしょうに・・・ラインやメッセージを頂きまして、ありがたすぎる。本当に励まされましたよ〜、ありがとうございます(T_T)震源地が東北でしたね、私「富士山なのか?」って無駄にドキドキしました。幼少時からの伝説の「富士山噴火するする詐欺」、見事に引っかかっておりまする。。。旧飯田測候所(大正11年)飯田市の小高い丘の上にある洋風建築、、私には疑洋館じゃろ?って感じの建物。平地にあると「ふーん」で
この投稿をInstagramで見る..久しぶりにクリムトの壁画鑑賞.この部屋ではヘッドフォンか貸し出され、ベートーヴェンの第9の4楽章が流れる中、この曲をイメージして描かれた絵を鑑賞出来ます❣️.コロナで何もかも変化した今年見るこの絵は今まで以上に心に響き、また、希望の光も感じられ、この部屋を出たときには、とても元気を頂けたような気がしました。建物の外観も素敵。トカゲやフクロウなど、じっくり見ると様々なモチーフがあり、楽しい😀.絵を鑑賞した後、caféMuseumのカ
名古屋市公会堂1930場所:名古屋市作者:名古屋市いわゆるセセッション風?の公会堂建築。公会堂建築はニッチだけどかっこいいものが多いため、おすすめ
【2019-陸路から国境越え-2020】ウィーン・プラハの旅⑥オーストリア観光2日目終了現地時間29日9時半日本時間29日17時半をむかえております。(すみません。更新が遅れています。時間は気にしないでください。)忙しくて、更新が追いついていませんので30日以降のリポートは後日に公開したいと思います。ひとまず、カウントダウンに集中します。ホテルの朝食バイキング2日目〜2日目の観光。この日もいい天気になりました。この日は、セセッションへ向かう為にウィーン西駅の反対方向へ向かう電車
1897年クリムトを中心に結成された芸術家集団ウィーン分離派セセッション作品を展示するための展示施設ヨゼフ・マリア・オルブリッヒのデザイン通称「黄金のキャベツ」お気に入りの一枚自転車で通勤する人々と黄金のキャベツ側面違う通りから正面正面階段横のオブジェと入場チケット展示されていたセセッションの模型クリムト「ベートーベン・フリーズ」実物は撮影不可こちらはレプリカ全て写真を再撮影したものです
こんにちは。実はこのブログほとんど書いて、保存せずに一度消えました。。。すごくたまに、こういうことやります。気持ちが沈みますよね。気を取直してもう一度書きます。ウィーンに行くからには、ここが建物的に目標だった場所へ。Secessionsgebäudeウィーン分離派会館(Secession)ラテン語の反抗、分離、撤退を意味する言葉から由来しているそうです。なんかこの一本筋の通ってる、意味深い名前からして「分離派」すごくいい^^
今回は三河島水再生センターに保存された旧三河島汚水処分場喞筒(ポンプ)場施設を紹介します。1922年・大正11年竣工で国の重要文化財に2007年に指定されました。2018年11月15日撮影。メトロ千代田線金町駅で都電・荒川線に乗換え、2つ目の荒川三丁目で下車すると左側に正門が見えてきます。これは古そうですが、平成2年に改築されたもの。こちらは1924年・大正14年築の守衛所、モダンな感じです。これも重文の一部。歩いていくと旧施設が見えてきます。これは東・西阻水扉室で、メン
フリードリヒ・ケーニヒ「ミューズ礼賛」(1901)オスカー・ココシュカ「窓辺の少女」(1906-08)レオポルト・フォルストナー「ウィーン工芸学校仮装パーティ招待状」(1902)コロマン・モーザー「踊り子習作」(1904)100年前、明治の終わりから大正のころ、19世紀後半の保守的な芸術から離脱、分離して行ったオーストリアの前衛的な芸術運動、セセッション様式の建築は大正ごろの日本の建築にも大きな影響を与えました。浮世絵の影響もあり版画などに革新的な作品が多く生まれました。
ウイーンらしい事、モノ、芸術...カフェも絵画も素敵で魅力タップリだけど、クラシック音楽も、勿論のこと。オペラ、ウイーンのオペラ座で観てみたかったんですよね。ヨーロッパ三大オペラ劇場の『国立オペラ座』歴史も古く、風格ある劇場でした。建物内部は、ガイドツアーで見学出来るんですよ。確かに、ここは見応えある‼︎現代技術が駆使された舞台とは一味違う。この舞台だからこそ、この空間から発信されて伝わる、オペラの魅力。心地良さに酔いしれた、とても贅沢で楽しい時間でした🎵🎶演目も運よ
分離派会館に行きまぁ〜す。また来た道を10分あるかなきゃと思ったのですが上宮の横を出た場所にD線の「Plößlgasse」なる電停がありましたぁ〜。オペラハウスまで戻りまぁ〜す。オペラハウスから徒歩6分超ぉ〜修繕中の分離派会館が見えて参りましたぁ〜https://fishand.tips/article/43135/いつもの姿はこんな感じぃ〜ここも「上宮」と同様ガイドブックには「分離派会館」とっここ現地であるもはずがない名称で書かれてるのぉ〜何々市役所
「ダナエ」(クリムト・1907年)来年に没後100年となるグスタフ・クリムトは、当時、猛威を震ったスペイン風がもとで、今日2月6日に没している。グスタフ・クリムト(52歳・アトリエにて)クリムトは1862年7月14日にウィーン郊外のバウムガルテンに生まれた。若くして天才的な才能を発揮して、世紀末芸術と呼ばれた時代を代表するアーティストとなった。17歳にして弟たちと劇場装飾の会社を設立して成功、1888年にはウィーンのブルク
会員制の日本工業倶楽部にてランチをいただいてきました。(9月に8月の旅行記事をアップしている時に行きました(*^▽^*))大正時代に創立し、現在も財界人の交流の場としての日本工業倶楽部はとても重厚です。仔牛のカツレツ柔らかくて美味しかったです。本格的なセセッション様式の建物です。本来は非公開の会員制の文化財の建物で、クラシックな優美な雰囲気に浸らせていただきました。
こちらが玄関だった場所です。(今は入れません)ガラスのデザインは、アールヌーボーの傾向があり、逆光で見えませんが、下の木部には、セセッションのデザインが入っているそうです。上部の葉っぱのデザインは、内田家の家紋で、「丸に剣三つ柏」だそうです。アップにしても、美しいデザインです。内側のドアのステンドグラス。こちらも、とても素敵なデザインでした。階段部分は、結構、カクカクしたデザイン。こういう部分もセセッションなんでしょうか。。。(先生の解説を聞き逃しま
美術史博物館KunsthistirischesMuseumガイドブックによるとヨーロッパでも指折りの美術館とのこと。絵に興味がなくても建物を見ているだけでとても美しいです。昔の美術館というのはすでにある建物を美術館として使ったらしいのですが、この博物館はハプスブルク家の所蔵品を展示するために作られたので、これだけ素晴らしい建物なのだとか。絵画はブリューゲル、デューラー、ルーベンス、ラファエロ、フェルメールなどがあります。それから歴史の教科書に必ず載っている、ベラスケスの「青いドレスのマル