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雨宿りの間の雑談にすぎないので玄徳に巧みに答えをかわされたが、曹操は腹も立てられなかった。玄徳は、すこし先に歩いていたが、よいほどな所で、彼を待ち迎えて、「まだ降りそうな雲ですが」「雨もまた趣があっていい。雨情ということばもあるから」「今の驟雨で、たいそう青梅の実が落ちましたな」「まるで、詩中の景ではないか」曹操は、立ちどまった。玄徳も見た。後閣に仕える侍女たちが、雨やみを見て、青梅の実を拾いあつめているのである。美姫は手に手に籠をたずさえ、梅の実の数を誇りあっていた。
「張飛。――欠伸か」「ムム、関羽か。毎日、することもないからな」「また、飲んだのだろう」「いや、飲まん飲まん」「夏が近いな、もう……」「梅の実も大きくなってきた。しかし一体、うちの大将は、どうしたものだろう」「うちの大将とは」「兄貴さ」「この都にいるうちは少し言葉をつつしめ。ご主君をさして、兄貴だの、うちの大将だのと」「なぜ悪い。義兄弟の仲で」「貴様はそう心易くいうが、朝廷では皇叔、外にあっては、左将軍劉予州ともあるお方だ。むかしの口癖はよせ。わが主君の威厳を、
董承は、あまりの冥加に、ややしばし感泣していた。そして拝受した御衣玉帯の二品をたずさえ、間もなく宮中から退出した。すると、早くも。この日、帝と董承の行動はもう曹操の耳に知れていた。誰か密報した者があったに違いない。曹操は聞くと、「さては?……」と、針のような細い目をと一方に向けて、猜疑の唇を噛んでいた。思いあたる何ものかがあったとみえる。曹操はにわかに車や供揃えを命じ、あわただしく宮門へ向って参内して来た。禁衛の門へかかると、「帝には、今日、どこの台閣においで遊ばすか
禁苑の禽は啼いても、帝はお笑いにならない。簾前に花は咲いても、帝のお唇は憂いをとじて語ろうともせぬ。きょうも終日、帝は、禁中のご座所に、物思わしく暮しておわした。三名の侍女が夕べの燭を点じて去る。なお、御眉の陰のみは暗い。伏皇后は、そっと問われた。「陛下。何をそのようにご宸念を傷めておいで遊ばしますか」「朕の行く末は案じぬが、世の末を思うと、夜も安からず思う。……哀しい哉、朕はそも、いかなれば、不徳に生れついたのであろう」はらはらと、落涙されて、「――朕が位に即
程昱は、がかさねて進言する。「しかし、今、呂布も亡んで、天下は震動しています。雄略胆才もみな去就に迷い、紛乱昏迷の実情です。この際、丞相が断乎として、覇道を行えば……」と、なお云いかけると、曹操は細い鳳眼をかっとひらいて、「めったなことを口外するな、朝廷にはまだまだ股肱の旧臣も多い。機も熟さぬうち事を行えば自ら害を招くような結果を見よう」と、声を以て、彼の声を抑えつけた。けれど曹操の胸に、すでにこの時、人臣の野望以上のものが、芽を萌していたことは争えぬ事実だった。――彼は、程昱に口
曹操は、侍者に起されて、暁の寒い眠りをさました。夜はまだ明けたばかりの頃である。「何か」と、帳を払って出ると、「城中より侯成という大将が降を乞うて出で、丞相に謁を賜りたいと陣門にひかえております」と、侍者はいう。侯成といえば、敵方でも一方の雄将と知っている。曹操はすぐ幕営に引かせて彼に会った。侯成は脱出を決意した次第を話して、呂布の厩から盗んできた赤兎馬を献じた。「なに、赤兎馬を」曹操のよろこび方は甚だしかった。彼自身の立場こそ、実は進退きわまっていたところである。窮すれば
「どうしたものだろう?」城中の兵は、生きた空もなく、次第に居どころを狭められた。しかし呂布は、うろたえ騒ぐ大将たちに、わざと傲語していった。「驚くことはない。呂布には名馬赤兎がある。水を渡ることも平地の如しだ。ただ汝らは、みだりに立ち騒いで、溺れぬように要心すればよい。……なアに、そのうちには大雪風がやってきて、一夜のうちに曹操の陣を百尺の下に埋めてしまうだろう」彼はなお、恃みなきものを恃んで、日夜、暴酒に耽っていた。彼の心の一部にある極めて弱い性格が、酔って現実を忘れることを好むので
呂布は、櫓に現れて、「われを呼ぶは何者か」と、わざと云った。泗水の流れを隔てて、曹操の声は水にこだまして聞えてきた。「君を呼ぶ者は君のよき敵である許都の丞相曹操だ。――しかし、君と我と、本来なんの仇があろう。予はただご辺が袁術と婚姻を結ぶと聞いて、攻め下ってきたまでである。なぜならば、袁術は皇帝を僭称して、天下をみだす叛逆の賊である。かくれもない天下の敵である」「…………」呂布は、沈黙していた。河水をわたる風は白く、蕭々と鳴るは蘆荻、翩々とはためくは両陣の旌旗。――その間一筋
陳宮は陳登の話を信じ、蕭関の守兵を連れ、砦を出て徐州へ向かって急いだ。砦はがら空になった。するとその――寂たる暗天の望楼台に、一つの人影が起ち上がった。駒を飛ばして駈け去ったはずの陳登であった。陳登は鏃に密書をむすび、その矢をつがえて、搦手の山中へ、ひょうっと射た。「……?」真っ暗な山ふところを見つめていると、やがて、松明を振っていた。(矢文、見た、承知)の火合図なのである。暫くすると、乾、巽の二つの門から、ひたひたと、夜の潮のように、おびただしい人馬が、声もなく火
玄徳は次の日そこを立ち梁城の附近に到ると、彼方から馬けむりをあげてくる大軍があった。これなん、曹操自身が、許都の精猛を率いて、急ぎに急いできた本軍であった。地獄で仏に。玄徳は、計らずも曹操にめぐり会って、まったくそんな心地であった。曹操は始終を聞いて、「乞う。安んじ給え」と、彼をなぐさめ、なお、前の夜玄徳が泊った宿の主、劉安の義侠を聞いて、金若干を与え、「老母を養うべし」と、使いにいわせた。曹操の本軍が済北に到着すると、先鋒の夏侯淵は片眼の兄を連れて、「
どこかで、可憐な少女の歌う声がする。十里城外は、戦乱の巷というのに、ここの一廓は静かな秋の陽にみち、芙蓉の花に、雲は麗しく、木犀のにおいを慕って、小さい秋蝶が低く舞ってゆく。にらの花が、地面にいっぱい金かんざし、銀かんざしお嫁にゆく小姑に似合おう小姑のお聟さんは背むしの地主老爺床にねるにも、おんぶする卓へつくにも、だっこする隣のお百姓さん見ない振りしておいで誰も笑わないことにしよう前世の因縁、しかたがない徐州城内の、北苑、呂布の家族や女たちのみいる禁園で