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お久しぶりの更新です。もくじきびとさんに辿り着き、最後のお祓いが終わったその日から、私たちは新たなスタートを切りました。正確にはお祓いを最後まできちんと受けることができ、そして無事終了したことで、やっと本当の自分の人生を生きる、そのための立つべきスタートラインが「見えて来た」ということです。お祓いが終わった時は、そのスタートラインにすら程遠く、位置に着くことすら出来ていなかったであろう私たち。「お祓い後こそが本当の始まり。」「霊媒体質の人はそれだけでマイナスからのスタート。」「がんば
ラジオを聞きながら仕事をしていたらこんなCMが聞こえて来ました。『誰のどんな投稿も、全てを鵜呑みにして追い込んでいく。その名も決めつけ刑事!!(デカ)あなたもこうなっていませんか?』誰が発信したかもわからない不確かな情報でも、時に拡散等によってあたかも信憑性のある情報かのように擬態し、結果、何の罪もない人を傷つけてしまうことがあります。そのような素性のわからない人の発言をSNS上では多くの人が額面通り信じてしまっているという事実を、強面の異色俳優嶋田久作さん扮する「決めつけ刑事(デ
文明が発達した現代は便利な物で溢れています。それらは私たちの生活の質を上げる助けにもなっています。でもそれが当たり前になり過ぎると、何か大事な物を失くして行くような、そんな思いを感じることがあります。献体前でピースしてはしゃぐ様子の写真をインスタグラムに投稿して騒ぎになっている女医の記事を見かけ、あまりのことに何とも言えない気持ちになりました。献体を新鮮な遺体と表現し、途中経過では頭部がいっぱい並んでるよと、その光景をバックに満面の笑みの自撮りでキャッキャと楽しそうに全世界へ向けてドヤ顔
スピリチュアルを盲信していた頃の私は、物事の判断の基準が感情や感覚が優先でした。ですが当時はもちろんそんな自覚などありませんでした。お祓い後数年が経った今、昔の自分を振り返ると、沢山の道を踏み間違えていたなと恥ずかしくなります。視野が狭く間違った思い込みに縛られていた。客観的に冷静に分析するという視点が欠けていたのです。心の中で薄っすらと本当はこっちの道に進んだらいいと思うことがあったとしても、どうしてだかそちらを選ばない、選べない、選んではいけない、他の人には許されても自分には許され
占い、宗教、スピリチュアル。それらは全て危険な幽霊の世界への入口です。関心を持ち行なった時点で、幽霊にとっての優良物件としてマーキングされます。一度でも信じれば手中に落ちたも同じ。憑依されます。手に入れた駒をどう利用するかは幽霊の思惑次第。支配され振り回され人生を搾取されます。スピリチュアルを盲信するということは、自ら進んで幽霊の奴隷になり、自身が死ねば同じように幽霊になりますと契約する道を選択しているのと同じなのです。そしてそれは本人だけに留まらず、その下地は子孫にも影響を与えます
今から5年前。お祓いの最中の私たちにもくじきびとさんは言われました。「今まではウォーミングアップです。今から体に掛かる圧が違います。」と。その言葉通りそこから先のお祓いは壮絶でした。まるで嵐の中荒れ狂う大海原に投げ出され舵を失った小船のように、私という1人の人間の意志では何ともならなくなりました。私の体のはずなのに私が自由に動かせない。とても悲しく恐ろしいことです。私の体なのにどうすることも出来ないばかりか、知らないうちに私は悪魔の操り人形になってしまっていたのだということを自分の身
幽霊は私達人間が想像するよりも遥かに悪知恵が働きます。先の先まで手を打って来ます。幽霊、それ以上の存在のバケモノ、そして悪魔レベルまで成り果てたそれら元は人間だった者たち。それらは私たち生きている人間が知らない内に静かにその周りを取り込みます。それはまるで蜘蛛の巣を張り巡らせるかのように、見えない罠を仕込んで。そして人間がそこを自らの意思で歩いていると思わせて実は誘導されている。悪魔の意思決定で人間を思うように動かすのです。幽霊の背後に悪魔が控え、その背後にもより強力でずる賢い悪魔
先日、一人暮らしだった母の遺品と実家の片付けをしていた時のことです。実家の母屋と向かい合って建つ古い離れ。昭和の初めか戦後位に立てられた2階建てのその離れは、一階は土間の作業小屋、二階は窓のない真っ暗な物置とその隣には畳の部屋が一つありました。木の板の雨戸に小さい窓。裸電球が一つだけの昼間でもとても暗い畳部屋。そこは昔新婚だった頃の母達の部屋。母が嫁ぐ時に母の両親が準備したであろう立派な婚礼ダンスと大きな三面鏡が所狭しと並び、小さい頃は私もそこで寝起きして、三面鏡を覗いて遊んでいたと記
私が今この世にこうして生きているのは両親が存在したから。両親は祖父母が存在したから。ご先祖が繋いでくれたから私という存在があります。スピリチュアルに縋り、我を忘れ良かれと勘違いして盲信していたあの当時、天国のご先祖さんは道を間違え踏み外す私を見てとても悲しんでいただろうな。あのままでは私も合わす顔がなかったと思います。ブーイングの嵐だったと思います。今はこうして正しい方向に向いて生きています。山あり谷ありですが、これも現実を生きているからこそです。未来がどうなるかなんて誰にも判りませ
スピリチュアルに傾倒する人は、現実を見ていません。直視することを避けています。現実を認め自分の足で奮い立とうとせず、楽で居心地のいい妄想の世界の中を、スピリチュアルという偽りの善を大義名分にしてがんばっているつもりになっているだけです。スピリチュアルをいくらがんばっても、現実は何も変わりません。なぜならそれは、欲深い頭の中の妄想の世界でしかありませんから。美味い話には裏がある。スピリチュアルで願いが叶った。人生が好転した。過去や未来、人生の使命、この世に生まれた意味がわかった、などパ
スピリチュアルは幽霊の世界です。占い、宗教、スピリチュアルに心を奪われてはいけません。もれなく幽霊に憑依されますよ。憑依されたら最後、人生を弄ばれます。幽霊が本人に成り済まし、成り済まされた本人は支配され操作されているということに気付くこともほぼありません。自分であって自分ではない、本当は幽霊が裏で糸を操っているだけなのに自分の意思だと思い込み、そこに疑問を感じることもありません。幽霊ですから、あなたを陥れることも平気でさせます。生きるはずだった自分の人生を幽霊に奪われます。やが
前回記事を上げてから気が付けばお盆も終わり、久方ぶりの更新です。お蔭様で日々忙しくしています。私のブログは、全て実際に体験した事実を記しています。もくじきびとさんに辿り着くまでの長い経緯やきっかけ、そしてお祓い。振り返れば、私は人生の大半をそうとは知らず振り回されていました。そしてその苦しみから抜け出すために、宗教や占いに縋り藻搔いていました。ですがそれは、現実から目を逸らした全く見当外れで「やったつもりになっているだけ」の自己満足の行いにしか過ぎませんでした。宗教や占いなどのスピ
ニュースで有名人の写真を無断で使用したネット広告の投資詐欺についてやっていました。それを見ながら真っ先に思ったのは、スピリチュアルの世界も全く同じだなということでした。初めは利益を出させて信じ込ませる。スピリチュアルも初めに過去や未来などを言い当てて信じ込ませる。どちらも最初に甘い蜜を与え、麻痺させて嵌らせる。同じですね。あとはズルズルと搾取するだけ。楽して願いを叶えたい。その欲望につけ込みつけ込まれ、現実を見る目を奪われ失います。前回のお話。『【お祓い地元編】おかしくなっ
スピリチュアルを盲信する人は、現実を見る目を失っています。現実を直視することができず、スピリチュアルという妄想の世界で見当外れでしかないことをがんばってやっている気になっているだけです。努力する方向が根本から間違っているので、現実は何もしていないのと同じ。何も変わりません。スピリチュアルは妄想の中の世界ですから。妄想に浸り現実について行けなくなり、自分を失った人間は幽霊にとって絶好の操り人形です。本人に成り済まし、この世を謳歌します。その人の人生を奪います。スピリチュアルは幽霊の
スピリチュアルに興味を持つ、信じて嵌まるということは、現実を見る目を失っているということです。現実を見ようとしない人間は、幽霊にとって好都合です。辻褄が合わず矛盾があってもそれを見ようとせず、弱い所をくすぐれば理性ではなく感情優先だから簡単に騙されてくれる。幽霊にとってこの上なく扱いやすいスピリチュアルを盲信する人間。憑依され自分と人生を失います。前回のお話。『【お祓い地元編】上へ帰った者たち』私のブログは全て現実にあった出来事です。実際に体験したからこそ断言します。スピリチュアル
私のブログは全て現実にあった出来事です。実際に体験したからこそ断言します。スピリチュアルは幽霊の世界です。関われば幽霊に憑依され、自身と人生を奪われてしまいます。私のブログへのスピリチュアルの方のいいねやフォローは、理由をコメントして下さい。前回のお話。『【お祓い地元編】炙り出される私に潜んでいた者たち』スピリチュアルは危険な世界。足を踏み入れればそこに持っているのは幽霊です。死んでも欲望を満たすことに執着し、成仏することを拒んでこの世にいる。善を装い近づいて…ameblo.jp
スピリチュアルは危険な世界。足を踏み入れればそこに持っているのは幽霊です。死んでも欲望を満たすことに執着し、成仏することを拒んでこの世にいる。善を装い近づいて来ます。スピリチュアルは幽霊の世界です。前回のお話。『【お祓い地元編】乗っ取られた私幽霊の怖さ』私のブログは全て実際にあった話です。スピリチュアルの方のいいねやフォローは、その理由をコメントして下さい。スピリチュアルは恐ろしい幽霊の世界です。前回のお話。…ameblo.jp昭和初めの人、壁みたいな者、人柱のような者、魔物、
占いに行くことは、幽霊養成所に申し込んだと同じこと。お久しぶりの更新です。初めてもくじきさんの所に行き、最初のお祓いを受けてから今年の1月でまる5年経ちました。もしもあの時、お祓いを受ける選択をしていなければ、きっと私たちは今ここに存在していなかったことだろうとつくづく思います。それぞれが憑依されていることにも気付かず、自分自身と人生をも操作され搾取されていることにも気付かないまま、きっと最後はお互いを傷つけ合い最悪の形で別々の道へと別れていたことでしょう。憑依されたままで。そしてま
ミラクル数秘コーチングの数秘コーチKayokoさん。なぜ私のブログのフォロワーになられたのですか?12月20日の私の記事のもくじきびとさんのコメントをご自身のブログにリプログされた上でご返答下さいね。質問をしても返答がないから、もくじきびとさんがあなたへの疑問を書かれていますよ。中学教師、心理学を学び、産業カウンセラーになられ、今は数秘の講師までされている方です。人が成長するプロセスに携わることが私の喜びと書かれています。では、人が哀しむプロセスに関わったことを子供に学問を教えていた
忙しくてブログを書くことが出来ず、長らく更新もしていないのに、それもずっとなのに、急に閲覧数が激的に増えることが度々あり驚くことがあります。それも1日だけとか。いったいどういうことなのか?私なりに考えてみたのです。閲覧数が多い日にそれとなくもくじきびとさんに聞いてみると、「今日は、憑依の確認の依頼の連絡があった」と必ずと言っていいほど言われるのです。そうか!だからなのか!依頼人に憑依する幽霊の仲間が、もくじきびとさんはどんな霊能者かと知りたくて読みに来るからなんだ!と。こんな出来事が
スピリチュアルは幽霊の世界。目に見えず、実体のないそれは、頭の中の妄想でしかありません。妄想だから何でもありです。幽霊はそこを利用して使える人間を乗っ取り支配します。スピリチュアル思考の人間を信じ込ませることなど、幽霊にとってはいとも簡単。とてもたやすいことです。では、もくじきびとさんからの本編をどうぞご覧下さい。個人的には、裏も表も知り尽くしている守護霊とあなたはコンタクトできるのですから。「裏」と書かれていますから。一般的な言葉の使い方からしたら、顔や社会を連想します。「守護」
もくじきびとさんが質問された途端、私のフォロワーからたちまち消えた鑑定もブロガーとしても自称ナンバーワンだったというスピリチュアルのプロの人。3回も質問をしてやっと返答があったそうです。プロを名乗る矛盾だらけの持論のその方について、もくじきびとさんからの本編をどうぞご覧下さい。もくじき様お疲れ様です(^^)表沙汰ではスピリチュアル、守護霊を謳っておりますが、そういう世界は確かにあるけど「そんな事に左右されずに自分の足で立ち上がりましょう!」という鑑定をしていますそれが守護霊の願いで
私はスピリチュアルを否定しています。その私のブログを何故かフォローするスピリチュアルの方々。その理由は?もくじきびとさんが質問されたところ、一人の方は返答があり、もう一人の方は質問にすら答えることもなく何故かフォロワーから消えました。消えた方はプロとして活動され、ご自身のブログでも大々的に持論を展開されている方なのに。とてもプロの対応とは思えず驚きを隠せませんでした。都合の悪いことは一方的になかったことにすれば良いという思考でしょうか。一方で返答を下さったスピリチュアルの方。その
欲望が産み出した妄想の世界でしかないスピリチュアルという世界。そこに待っているのは幽霊です。死んでも欲望に執着してこの世に留まり、己の支配欲を満たすべく生きた人間を利用するために。現実を見ようとせず、自己中心的で承認欲求を満たすことばかり考えている人間は、幽霊にとって格好の獲物です。私のブログにいいねをされたスピリチュアルの方は、なぜいいねをされたのかコメントお願いします。ではもくじきびとさんからの本編をどうぞご覧下さい。今の時代は、アトピーや花粉症、アレルギーなどで苦しんでいる人が
スピリチュアルに傾倒し心酔する人は、現実を見ていません。現実から遠ざかり独りよがりな妄想の世界に浸っているだけだから。いくらスピリチュアルをがんばっても何も成長しません。年齢と見た目は確実に老いるのに、中身は幼稚なまま。常識の通じない厄介な大人になるだけです。スピリチュアルには幽霊が潜んでいます。神様や天使などからメッセージが来たり、味方になって運気が上がる、魂の次元が上昇するなどスピリチュアルの世界では当たり前のように言われていますが、それらは現実の世界ではありません。全て欲望が
スピリチュアルをすると幽霊に憑依されます。なぜなら、スピリチュアルに心酔する人は、幽霊にとって憑依するのに好都合な思考の人間ばかりですから。目に見えない世界、根拠のないものを簡単に信じる。現実から目を逸らし、努力はしたくないけど楽して都合よく自分の願いは叶えたい。根底にあるのは自己中心的な欲望と感情優先な性格。そんな人間の生きた体を幽霊は欲しいのです。現実を見ようとしない人間は、幽霊にとってこの上なく操りやすいのですから。スピリチュアルは幽霊の世界。ではもくじきびとさんからの本編
久々に新しくフォロワーになられた方が、共通認識できる人と嬉しく思いましたが、どうも様子が違ったようです。自己矛盾にどうか気付いて下さったらと思いたいです。私には専門外のことなので、そこはもくじきびとさんにお任せします。私が書く記事は、もう少しお待ちください。家業が忙しく猛暑の中の外仕事で、仕事に家事にと追われる毎日です。涼しくなる頃には、更新できると思いますのでしばらくお待ちください。当面の間、もくじきびとさんがコメントに書いて下さったものをリブログとして紹介させて頂きます。下記の
スピリチュアルという世界。そこにいては何も成長しないどころか、精神年齢は幼稚なままむしろ後退してしまいます。一方現実の体と実年齢は、当たり前に容赦なく確実に老いを重ねて行きます。見た目と合わない幼稚な中身。周りから見れば偏った独りよがりの自己中心的で思考のズレたおかしな人になります。現実は残酷です。気が付こうが付かまいが世間から取り残され、ますます現実が生きづらくなるだけです。スピリチュアルは神秘的な力があると思わせ欲望を煽り、誘惑する餌を罠に仕掛け、獲物を待つ幽霊の世界。現実を一
スピリチュアルの世界は、手に取って確かめることも見ることもできない世界。なぜならそれはイメージだけの、頭の中の妄想の世界でしかないからです。実体がないものに付加価値をこじつけ利益を得る、まるで詐欺師のようなスピリチュアル商売人たち。見えない世界だから何でも有り。不都合があってもなんとでも言えて、全て本人の自己責任にすり替えます。スピリチュアルという名の世界。それは欲の塊と化し自分を失った人間が、同じく欲に目が眩み溺れてくれて便利な人間を捕まえ搾取する世界。そしてスピリチュアルという
スピリチュアルは空想の頭の中だけの世界です。そしてそれは幽霊の世界。スピリチュアルを盲信することは、現実というこの世を生きて行くことを放棄しているのと同じ。幽霊にこの身を捧げますと知らずに約束し、命が尽きたら成仏せずに幽霊になることを自ら進んで契約していることと同じです。スピリチュアルは危険な幽霊の世界。ではもくじきびとさんからの本編をどうぞご覧下さい。マンガで「働く細胞」というものがあります。目に見えない世界のお話です。人知れず、活動しています。目に見えない世界と書くと、スピリ