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2024年7月18日、父(76歳)が食道ポンに罹患している事が分かりました。リンパ節転移、遠隔転移(肝臓)もあり、ステージ4bです。父のことや、家族のこと、、、その他諸々、、、私の頭の整理もこめて感じたことを綴っていきたいです。(『がん』と書くと、そのコトダマが放つ力でエネルギーが下がりやすいので『がんではなく【ぽん】と呼ぼう』という呼びかけをしてられるドクターがいらっしゃるようです。そのドクターに賛同し、今後は私も、父の病気を『食道ポン』、もしくは『ポン』と書きます)
2021年7月に〝卵巣がんステージ4b〟と診断され、外来や入院で何度も何度も腹水を2~3リットルぐらい抜いてもらったりして、2021年8月17日に両卵巣と子宮の全摘出手術を受け、再発も転移もなく無事に5年が経ちました。婦人科に入院した時の入院計画書の〝卵巣腫瘍〟の言葉をググったら、半数以上は良性だけど、数十%は悪性だと。その後、主治医の先生から腹水検査の結果を聞いたら『悪性度があった』=悪性腫瘍=卵巣がんと言われて『あ~、がんかぁ』と冷静に受け止めてました。パーセンテ
2025年7月30日緊急入院2025年8月20日子宮体がん手術2025年8月27日腹膜炎により手術2025年9月19日退院2025年10月2日職場復帰2025年10月7日抗がん剤治療スタート2026年1月7日免疫チェックポイント阻害薬スタート2026年4月1日抗がん剤治療終了一区切りついて検査をし、現状のがんの状態を知る初めての日。子宮体がんについては、目立ったところはなし。細胞検査でも癌細胞は出なかった。肺の転移癌については8mmあったが、CT検査では
最後のTC療法を終えて2週間後、いつものように血液検査と尿検査を受ける。今回はそれに造影剤CT検査、内診と細胞検査、超音波検査を受ける。治療に一区切りがつき、やっとどの程度の効果かがわかる。病院や主治医、癌の進行度や症状によるのかも知れませんが、抗がん剤治療前は、毎月もしくは二回に一回とかのペースで、投薬治療の効果を診るものだと思っていた。投薬治療中に主治医に尋ねたことがあった。「癌がどのような状態か気になるのですが、抗がん剤治療が効いているか調べたりしないのですか?」「副作用が酷く
初めてキイトルーダを投与してから、特に副作用らしいものはなく、仕事にも休まず行っていた。抗がん剤TC療法も、脱毛だけは早かったが副作用らしいものない。結果はともかく治療は順調に進んでいる。抗がん剤治療を始めて、癌がどうなっているのか調べたりしていない。主治医が言うには、副作用が出ない限りはTC療法とキイトルーダをあと3クールやるのでそれが終わった時に一度検査する予定だと言われた。今日はTC療法+キイトルーダのセットの2クール目。セットは4クールやるので、ちょうど折り返しになる。点滴
TC療法4クール目+キイトルーダの初回点滴が終わり、経過観察日。血液検査と尿検査を終えて診察を待っていた。診察室に呼ばれ血液検査の結果を注意深く見ていた。「体調変化はありますか」「はい、今回の投薬のあと3日後ぐらいに節々が痛いのですが」「今も痛いですか?」「今は全然大丈夫です」「抗がん剤治療の副作用かも知れません。痛みが酷いようなら痛み止め飲みますか?」「今は大丈夫なので特に希望はしません」他には特に目立った副作用はなく、キイトルーダを重ねて投与したが、体調もあまり変化がなかっ
2026年1月今年初めての抗がん剤治療は、1泊2日の入院が必要となった。特に体調が悪かったり、副作用があったわけではない。年末年始の休みで、化学療法室が連日いっぱいだったのだ。「13時までに病院に来て、血液検査と尿検査を受けて診察したのち、入院するか決めます」主治医からそう言われていた。入院の目的が抗がん剤治療なので、投薬治療ができないのであれば、入院する必要がないからだ。一通り検査を終え、診察室に呼ばれた。今回はキイトルーダも投与できると言われた。無事?入院することになり、手
TC療法2クール目が終わり、2週間後の診察日。血液検査と尿検査を終え、診察室に呼ばれるのを待っていた。私が希望した診察日は、主治医の手術日と重なっていた。それでも、手術と手術の合間に時間を作り、診察室へ来てくださることになった。仕事の休みが平日はこの曜日しかなく、仕事を続けながら無理なく通院するためには、この日しかなかった。その事情を理解し、承諾してくださったことは本当にありがたいことだった。患者の生活にも寄り添ってくれる先生なのだと感じた。抗がん剤治療開始直前に、突然主
今回の抗がん剤投与後は、休みを入れず、様子を見ながら休もうと思った。1回目の時は念の為4日休みを取ったが、副作用もなく過ごせた。抗がん剤治療の為の吐き気止めをもらっていたので、前回同様2日間飲んだ。今回は仕事をしながらになったが、たまたま忙しかったからか、副作用のことを考えることもなく1週間が過ぎていた。さすがに疲れはあったけど、2ヶ月入院していて、2回手術して、退院後やっと2ヶ月になろうかという時だったので、当たり前の疲れなのかもしれない。もう髪の毛はほぼ抜けていた。味覚
1クール目から3週間が経ち、あっという間に2クール目の日になった。朝一番に受付を済ませ、尿検査と血液検査を受ける。結果が出るまで約1時間。その結果を見て、抗がん剤治療が予定通り行えるか判断される。すべての検査を終え、診察室に呼ばれるのを待っていた。そして診察室で伝えられたのは、血液検査の結果、骨髄抑制からまだ回復しておらず、好中球の数値が低いため、今日は抗がん剤治療ができないということだった。朝早く起きて病院へ来て、検査まで受けたのに……。そんなこともあるんだと驚いた。
抗がん剤投与から4日間、念の為に有給休暇を取っていた。翌日起きてから熱を測ったり、吐き気止めの薬をのんだ。特に体調に変化はない。抗がん剤治療の副作用について渡された資料を見た。今のところ何も該当なし。入院中からの味覚障害がある為、何を食べても鉄の味がして食欲はわかないが、抗がん剤治療開始前からなので気になることではなかった。有難いことに何事もなく、仕事もしながら診察日になった。血液検査と尿検査の結果、骨髄抑制がありますと言われた。これは皆さん出るので問題ではないですが、感染症や怪
2025年10月仕事復帰から1週間、疲れは出ているが通勤も8時間の勤務も問題なくこなせた。明日はいよいよ抗がん剤治療の日だ。せっかくの休みだが、仕事より早く起きて病院に行く。抗がん剤治療の前に血液検査、尿検査、その結果が出てから診察。問題がなければ抗がん剤治療という流れだ。抗がん剤の投与だけで5時間はかかる。8時の開院とともに受付をして、全てを終えると17時頃になるそうだ。抗がん剤治療中に食事は禁止と言われた。一口で食べられる飴やゼリーなどは大丈夫。病院によって全然違うんだ
病院で渡された抗がん剤治療についてを読んでいた。果たして通院しながら、仕事出来るのか正直不安のほうが大きい。上司に状況を説明し10月から復帰したいと伝えた。『抗がん剤って副作用酷いんでしょ?退院したばかりで通勤も大変だし暫く休んでいたほうがいいのでは?』予想通りの答えが返ってきた。『なにかあればお休みさせていただくことにはなりますが、主治医からも、無理しなければと言われてます』と伝えた。時差通勤や時短勤務なども検討することにして、ひとまずは復帰が決まった。もしかしたら復帰するこ
退院後、病理検査の結果を聞く日が来た。まずは泌尿器科の検査からだ。画像見ながら数名の医師が角度や見解を話し合っている。膀胱鏡入れるねと言われ、よくわからないけどめっちゃ痛い久しぶりに痛みがある検査だった。病院の検査ってこの痛みがあるから足が遠のくのよね。痛みがなく検査を受けられるようになれば、早期発見も今より確実に増える気がする。と意識を別方向に飛ばしていたら、泌尿器科の主治医が説明を始めた。様々な検査の結果、膀胱に尿を溜めても大丈夫そうなので、カテーテル外すねと言われた。ただ
とにかく食べれるものをストックしに行く事と、洗濯や掃除もしなきゃ。まだ残暑も厳しく日中も暑い。退院したからと言って何かしたいわけではなく、ただ日常を取り戻すだけ。2ヶ月前と同じにはならない。癌はそういう病気だと思う。ふと2年ぐらい連絡途絶えた弟のような存在のしーくんを思い出し連絡してみた。しーくんは仕事の転籍で離れたところにいたが、以前はお互いに家も会社も近くかった。なんと偶然、会社の系列病院で健康診断の為、戻ってきていた。「今から飲みいく?」➡無理なんだよ💦酒飲めん「
次の日主治医がやってきた。尿道カテーテルは入ったままの生活になる、1週間に一回は泌尿器科の通院が必要。尿道カテーテルは外すことは出来ないかも知れない。病理検査の結果が出たら、抗がん剤治療始まる。そうすると婦人科の通院も、最低限で二週間に1回必要。退院したら食事や生活は一人で出来るか不安なのと、なにかあったら救急車呼んだり出来るのか?などを話し合った。今のままここにいたら何も変わらない。もう退院したいと伝えた。今は点滴で医療用麻薬や食事や水の代わりに栄養送っているから、動いていら
やっと一般病棟に戻った。緊急手術から12日経過していた。病棟の看護師さん達が暖かく迎えてくれた。わざわざ病室まできてくれた看護師さんもいた。あの日の夜、痛がり苦しむ私に何も出来なくてごめんなさいと言われた。看護師さんが謝ることも、責任を感じることでもない。「大丈夫だよ!戻って来れたし」なんかいっぱい機械に繋がれてるけど、山を乗り越えたそんな気分だった。早く食事とって体力つけないとねって言われたが、麻薬の点滴も食事の点滴も首から抗生剤も繋がっていて、動くにしても大変な荷物だ。
病棟に戻ってからは、無理のないように病棟内を歩いてね、食事は出来る限り食べてねと言われ指示通りやっていた。早く退院したいし、自由があるだけで入院生活のストレスが緩和されていく。主治医が回診に来て、手術の説明と今後について話しをしに来た。病理検査の結果が出たら今後の治療方針決める。多分抗がん剤治療は必要になる、その他の治療としては、場合によってはリンパ節郭清の手術をする。但し遠隔転移と見られる肺がんが8mmになっているところから、リンパ節郭清するより全身に散らばっているであろうがん細胞
救急車で運ばれてから3週間。手術は20年前に盲腸の手術をした事があるので、人生2度目。HCUで目が覚めたがここはなに?って感じ⁉️⁉️今まで同室の方で手術室いって皆さん病室に戻ってきていたから、なんでここにいるか頭の中は?だらけ。とりあえず夜だったようでうつらうつらとしながら、翌日を迎えた。医療器具の音と看護師さんの話し声しかしない、息の詰まる空間。動く事も出来ず、スマホなど電子機器の持ち込み禁止(病院によります)、面会は基本禁止となっていました。朝のバイタルチェックに来た看護
入院してから3週間。ようやく手術までたどり着いた。当初予定していたリンパ郭清は、遠隔転移があるのでやりません。開腹してどこまで広がっているかによって、見える部分は全て摘出予定です。しかし、実際は開腹してからの判断になります。手術中はまた輸血が必要になります。また淡々とした説明を受けながら、次々に同意書にサインしていく。術前検査を済ませ、緩和ケアチームからの聞き取りも済ませやっと一段落したらもう夕方だった。なんとなく漠然とだけど、手術は上手く行くだろうと思っていた。ふと気になって
ウォッシャブルニットリブパンツ/丈長めUNIQLO2025年8月感染症ってなんでなったんだろう?いまの私はどの地点にいるのだろう?この先どのようになっていくのだろう。主治医は相変わらず言葉少なく説明には来るが必要な検査の同意書と薬ぐらい。毎日来る緩和ケアチームのドクターに質問するが、結局主治医から説明しますね、主治医に伝えますねで終わってしまう。とにかく感染症治さないと手術も出来ない、肺転移を疑うものは5mmが8mmになっているから多分癌であろう。ただ小さいか
普段風邪すらひかず、コロナ化もフルワークしていたが感染せず、インフルエンザワクチンも打った事ないが、かかった事もなく病院とは無縁の私にとって、毎日の検査だけでも苦痛でしかなかった。ひとまず会社に連絡して、手術が随分先になるので一時退院して、その間は仕事復帰してまた手術の時に1週間くらい休みたいと伝えた。まだ詳細は不明と伝え癌の可能性だけは伝えた。仕事しないと治療費も生活費も賄えないし、この先になにかあっても今ならまだ仕事出来るしと考えいたから、まだ病状については伏せておこうと考えた。ひと